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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 3 Fear 4/6

Ch.3 Fear

ほかのひとびとに手を差し伸べる

 ひとはなにかを恐れているとき、しばしば他人に助けを求める。既に議論したとおり、これは有効で健全な反応である。しかし、周囲の人から援助を受けることに加えて、恐怖に対処するためのもうひとつの非常に効果的な方法がある――他人援助を与えるのである。

 あなたはこう考えるかもしれない、「私はひどく落ち込んでいる。ほかの誰かのためにいったいなにをすることができるっていうのだろう?」。答えは――いろいろである!

 ほぼすべての犯罪被害者は、恐れている人間は自分一人ではないということを認識することでより安心する。他人に手を差し伸べることを決めた被害者は、他の誰かが恐怖を克服する手助けをすることそれ自体が、自分自身の不安や孤独、恐怖の感情を和らげることに気づく。私たちが自分のエネルギーを自分自身に集中させるよりも、その一部を外部に振り向けたとき、恐怖による消耗ははるかに軽減されるのである。

 私の事件から約3週間後、スタイン先生が私に、隣室の55歳のビジネスマン、ブルースタインさんが翌朝心臓手術を受けることになっていると話した。ブルースタインさんの家族だけでなくスタッフも、彼が手術を生き延びられないのではないかと非常に憂慮していた。彼らの懸念は彼の肉体のコンディションではなく、主として彼の精神状態に関するものだった。ブルースタインさんは脅えていたのだ。

 大きな手術を前にした人が怖がるのは自然なことである。しかしブルースタインさんの恐怖は、「ノーマル」とか健全とみなされる領域を超えてエスカレートしてしまっていた。彼の恐怖は、自分の生存の見込みに対する肯定的な評価を抱くことを完全に妨げてしまうほどに圧倒的なもので、このことが現実に彼の肉体と精神の全般的なコンディションを衰えさせていた。ブルースタインさんは自分が手術台の上で死ぬと確信していた――そして彼の周りの皆が、彼の恐怖と悲観主義が彼の抵抗力と生きる意志を弱らせかねないことを知っていた。要するにブルースタインさんは、文字どおり恐怖のあまりに死んでしまう危険に曝されていたのである。

 スタイン先生が、ブルースタインさんに話しかけて彼を助けてやってくれないかと頼んだとき、私はすぐに同意した。何週間ものあいだ、それは多くのひとびとが私のことを助けてくれていた――こんどは私が殻から出て、他の誰かのために同じことをする番だった。

 花だらけの私の部屋を見回して、私は綺麗なバラのブーケを選ぶとそれを脇にはさんだ。面識のない、この恐れる人物になにを言おうか私は考えていなかったけれども、手助けをすることに決めた。深呼吸をして、私はドアから顔を出した。

 ヨーロッパなまりの、スレンダーで灰色の髪のブルースタイン夫人があいさつして私を部屋に招き入れ、出ていった。ブルースタインさんはベッドに身をかがめて、目は大きく開かれ、顔はチョークのように白く、毛布は顎まで引き上げられていた。彼は私を凝視し、うろたえた様子でしゃべろうとした。彼がなんとか口にできたのは、「ど、どうも」だけだった。

 私がバラをベッド横のテーブルの上の花瓶に挿そうとすると、ブルースタインさんは首を振って、受け取りを拒もうとした。しかし私は「花屋」みたいな自分の部屋の様子の説明を始めて、このバラを受け取ってもらわなくてはいけないと彼に言った。私はこんなことを言って彼と冗談を交わした。「百万本くらい花があって、私は今では花のことが全然好きじゃないんです。水をやるだけで何時間もかかります。本当のところ、どうかお願いだから花を手放させてほしいんです」。

 彼はいくぶんリラックスした様子で、私のことを訝し気に見た。おそらく彼は、このおしゃべりな、おさげ髪の、ピンクのローブをまとった生き物は、腕のギプスを振り回し冗談を飛ばしながら、いったい私の部屋で何をしようとしているのだろうと自分に問いかけていたのだろう。

 ちょっと経ってから私は、彼のことを略してミスター・ビーと呼んでいいかと尋ねた。彼はほんのわずかばかり笑って、彼のオフィスの秘書は何年も彼をミスター・ビーと呼んでいると言った。

 それから私は、なぜ私がこの病院に来たのか、私になにが起きたのかのありのままを彼に話した。私は自分の受けた胸部外科手術のことを説明し、私の手術痕(ベテランの心臓手術医はそれを「ジッパー」と称している)を彼に見せた。私は彼に、緊急治療室のなかで私もまた恐怖を感じていて、今でもなおそうであるということを認めた。

 ミスター・ビーは一瞬沈黙したのちこう言った、「あなたは私よりもずっとひどい状況を乗り越えてきたんですね……。私は恥ずかしく思います」。

 私は彼に、恐怖よりは恥ずかしさをあなたに感じてもらうことが最終的に私のしたかったことだと言って、彼が感じていたことを話してくれるように求めた。少しづつ彼は私を信用して打ち明けはじめ、彼にとりついている死のビジョンを語った。私は彼の恐怖がいかに私自身のそれと似ているかに驚き、恐怖が私たちの双方を捕らえ、衰えさせていったありさまの類似性を指摘した。

 話すにつれて私たちの友情は大きくなっていき、私は彼に、自分を先例として利用することを求めた。私がそうだったようにあなたも困難を切り抜けられることを私は知っている、そう彼に伝えた。その証拠は私の胸の縫い目ほどにも明白だった。

 彼の目をまっすぐに見て私は言った。「ねえ、ミスター・ビー、あなたは私ができる以上に、恐れることを止めることはできない、けれどもあなたは、私が恐怖を感じていたとき自分に言い聞かせていたのと同じことを、ご自身に向かって言うことはできます。『オーケー、私は恐れている。だが私は生きているし、強いし、家族に愛されているし、基本的には健康な人間でもある。私は恐怖が私を乗っ取り、私をさらに病ませることを許さない。私は恐怖を受け入れよう、その副作用とも付き合っていこう、でも私は恐怖に私を殺させたりはしない』」。

 私はミスター・ビーに、手術が終わってからしばらくの間、あなたは痛みに苛まれ、手術前にあなたがしていた事柄の多くをするのに恐ろしさを感じるだろうが、じきに恐怖は衰えていくだろうと語った。

 訪問のあいだじゅう、私はできる限り肉体面で回復しているように自分を見せるため、ベストを尽くして動き回っていた。私は彼に、たった3週間のあいだに私が取り戻した力を見せたかったのだ。

 私は彼のベッドサイドのラジオをつけて、ポップ・ミュージックに合わせて一分ほど踊ることさえした(このおふざけのせいで私は一晩中体が痛かった)。

 ミスター・ビーは私の活力に驚きあきれて首を振っていた。退院したら彼と奥さんを誘ってディスコに行きましょうと私が言ったとき、その考えだけで彼は楽しさを感じているようだった。

 不意に彼はつぶやいた。「たぶんあなたの言うとおりなんだと思う、お嬢さん」。アイディアが浮かんで、私はドアのほうに向かいながらこう言った、「ミスター・ビー、ちゃんとそこで待っていてくださいね」。この言葉は笑い声と、「ほかのどこに私が行けるってんですか?」と言おうとしているらしい、相好を崩した笑顔とを誘った。

 私は自分の病室に戻り、花束をさらに4つ集めると、それを持って彼のところへ戻った。そして私は言った、「さてミスター・ビー、あなたはICUから自分の部屋に速攻で戻って来なくてはいけません。だってあなたはこの花に水をやらないといけないから。私はもうこいつらの面倒はみませんから!」。その言葉とともに私は彼にウインクして部屋を去った。ミスター・ビーはいまだにベッドにかがんではいたけれども、笑っていた。

 翌朝の午前7時に、私の家族と私はミスター・ビーのために祈った。長い手術のあいだ、私は彼に良い考えと勇気を送ろうとしていた。テレビをつけたが集中できなかった。彼の容態を知らせる言葉を待ち受けているあいだに、時は流れていった。

 ついにブルースタイン夫人が部屋に飛び込んできた。彼女の目は涙で潤んでいて、一瞬私は最悪の結果を想像した。そのとき彼女は言った、「夫は目を覚ましました。手術はうまくいきました。ドクターは夫はまったく順調だと言っています」。私が彼女におおげさなキスをすると、彼女は続けて言った、「彼が目を覚ましたとき言った最初の言葉は、『あの女の子にお礼を言ってくれ』でした」。

 私は今でもその時のことを思い出すだけで涙目になる。ミスター・ビーを助けたことは私にも大きな影響をもたらした。ミスター・ビーの生還は私に勇気を与えた。それは私の無力感と落胆の感情をいくらか取り去ってくれたのである。

 私は恐怖がどれだけ有害な効果をミスター・ビーにもたらしていたかを見てきた。そして彼が、恐怖に彼を完全に乗っ取らせることはさせないと決意したとき、彼の前途への展望が改善していくさまを見てきた。そして今、私は自分が彼に言った言葉に従って私自身も行動し、それらを自分の状況に当てはめていくことが必要だった。私はミスター・ビーをおおいに助けたが、私は自分自身をなおいっそう助けたのである。

 

 ほかの人を助ける機会は、あなたが襲われた後そんなにすぐには訪れないだろう。しかし、いずれはあなたが誰かに手を差し伸べる日が来ると考えることだけでも、あなたに目標を与えることになる。あなたがどれほどの苦境の只中にあろうとも、どんな肉体的、精神的な状態にあろうとも、いつか必ず、あなたの体験を生かしてほかの誰かに助言し、援助をする時は来るのである。

 Victims for Victimsやほかの自助グループの基本理念は、「ひとびとを助けるひとびと」である。私は再三にわたって、ピアカウンセラー(自分と同様の経験を経てきたほかの人の手助けをする人たち)が、被害を受けたばかりのクライアントとの活動をとおして自身も恩恵を得ているのを目の当たりにしている。あなたの恐怖を、あなたよりなおいっそうの恐怖を感じているような人と分かち合うのは、初めは恐ろしく感じられるかもしれない。彼や彼女が語る強烈なパニックや不安の感情があなたの恐怖の引き金を引き、あなたの状態を悪化させるのではないかとあなたは懸念するかもしれない。正直に言うと、これはときどき起こることである。しかしそれよりはるかに頻繁に、あなた自身よりも強い恐怖を抱え込んだ誰かに手を差し伸べることで、あなたはただちに、どれほどの前進をあなたが成すことができたかを知ることになる。

 もちろん、すべての犯罪被害者がほかの被害者の支援やカウンセリングに従事するわけではないだろう。しかし、他人に手を差し伸べることによって自分の恐怖に対処するやり方はほかにもある。子供やお年寄り、障碍者へのボランティア活動は、あなた自身にどれだけの強さと能力が具わっているのかをしっかりとあなたに把握させてくれる。あなたが自分の力を本当に弱い立場の人たちに向けて用いているとき、恐怖によって消耗させられているような感覚を抱くことは難しい。そしてその間にあなたは、困窮している人を援けることによって価値ある奉仕を自分が行っていると知ることからくる満足感を得る。

 恐怖を乗り越える、あるいは恐怖とともに生きていくことを学んでいくことは、痛みを伴う長いプロセスであるが、それは人間性というものに対する私たちの理解を深めることにもつながる。もしもあなたが、この新たに見いだされた知識をほかの人々の手助けのために活用することができたら、あなたは二重の報いを受け取ることになるだろう。あなた自身の恐怖を和らげることと、あなたが助けた人からの感謝と。そしてそれはあなたを素晴らしい気分にさせるのだ!

Beyond Survival - Chapter 3 Fear 5/6

Ch.3 Fear

先のことを考える(Forward Thinking)

 こんなことを何回聞かれたか分からない――「あなたはどうやって生き延びたの?襲われたときだけじゃなくて、その後の日々も」。退院したばかりの頃、私は数々の一般的回答を編み出していた。「人間の強さって驚くべきものよ」、あるいは、「選択の余地はまったくなかったの」、あるいは、「家族のおかげ」、あるいは、「一日一日をあるがままに受け入れていたの」。

 たいてい私は答えたあとで即座に話題を変えた。しかしその後、ひとり家にいて、この問いに対する本当の答えはなんだったのだろうかと私は考えた。なぜ私は命にかかわる暴力と、回復までの過程のまったく衰えを知らない苦悶を生き延びてこれたのか?

 そのことを考えるにつけ、すべての体験をとおして私のもっとも大きな助けになったと思われることは、「これは永遠ではない」という私の不動の信念であった。状況が本当に過酷だったときはいつでも私はこのフレーズを思い出し、それを口に出して言ってみた。恐怖や苦痛や怒りの只中にあるとき、私はしばしば、私にとりついている問題はいずれ終わる減退すると自身に言い聞かせることで、狂ってしまうことから自分を守っていた。「これは永遠ではない」と固く信じさえすれば、ほとんどどんなことも私は対処することができた。

 私の厄介事は一時的なものだという私のゆるぎない肯定に加えて、私は自分を悲惨さから連れ出すテクニックとしてのある種の「ゲーム」を考え出していた。そのプロセスをなんと呼ぶべきかに困って、私は「forward thinking」という用語を思いついた。

 振り返ってみると、私は死に瀕して家の床に横たわっていた襲撃直後の時点からforward thinkingを本能的に用いていた。体と心の苦痛はあまりにも苛烈で、私がそれに耐えうる唯一の方法は、この苦痛が終わる未来の時を心に思い描くことだけだった。「これは永遠ではない」、刻々とひろがっていく自分の血溜まりのなかに横たわっていたときでさえそう考えることで、私はなんとか生の希望の最後のひとかけらにしがみつくことができた。

 回復期に私が恐怖や怒りに駆られたり、痛みを感じたり、あるいはただ単に退屈していたとき、私は耐え難い現在の現実から想像上の素敵な未来へと、自分を心のなかで移動させた。どうやって?実際それはすばらしく簡単なことだった。未来の時を想う――1週間後か2週間後、あるいは半年後の遠い先、ことによると1年後――そして私は、今自分が抱え込んでいるどんな問題からも自由になった、完全で健康な私自身を心に思い描くのである。

 この「ゲーム」は、私が恐れているときにしばしば有効だった。なにかの特別な出来事に応じて怯えた状態に陥ったとき、私は恐怖は一過性のものだと認めて、私の想像のなかの、恐怖なき未来に意識を集中することで、自分を落ち着かせることができた。

 ある日、映画テレビ基金病院からの外出の折、看護師たちの何人かに贈るプレゼントを買おうと思って、私は母と近くのショップに行った。それは私が外出したはじめての機会ではなく、あちこちに人はいたけれども、私は比較的落ち着いた気分で通路を歩き回り、興味のある品物数点を買い物かごに入れていった。不意に私は誰かに見られている感覚を感じた。警戒して右のほうをちらっと見ると、10代半ばくらいの、黒い革のジャケットと破けたジーンズを着たひとりの少年が目に入った。彼は臆面もなく私をじっと見つめていた。私の額に汗の玉が浮かんだ。彼は何をしたいのか?私の母はどこにいる?私はどうすればいいのか?私はその場で凍り付き、息ができなかった。私はその少年がいまこの瞬間にも私に向かって襲いかかってくると信じた。変質者に追われているかのように、私は店から外に駆けだした。私の様子を見ていた人は、私が完全におかしくなったと確信したはずである。大きな金属製の添え具を身につけて、通路を駆け抜け外に飛び出していく私は馬鹿のように見えたに違いない。息を切らせながら、私は付き添いの人が待っている病院のバンに辿り着いた。彼は優しく私を車内に招き入れ、なにが起こったのかと尋ねた。私はただ前方を凝視していた。

 まもなくして私の母が、途方に暮れ心配して私のところへやって来た。彼女もまた、なにが起きたのかを知りたがった。私は黙って首を振っていたが、母はもう、恐ろしい出来事のあとに私の目を覆いつくす明らかな恐怖のしるしが表われていることに気づいていた。

 私はバンの車中に30分間座っていた。私は震えて落ち着かず、なおも恐れていた。私は理性では、その少年が女優として演じている私のことを見たことがあるか、あるいはただ単に厚かましくて粗野なガキであるかのどちらかだということを理解していた。それでも私は恐怖に震えが止まらなかった。

 私は自分に言い聞かせた。「テレサ、あなたが傷つけられてからまだ3カ月しか経っていない。あなたには怖がる権利がある。こんなことは永遠には続かない」。そして私は、今から一年後の同じようなショッピングのお出かけがどんな具合になるか、想像をたくましくしてみた。

 私はこんなシナリオを思い浮かべた――私は妹のマリアとブロックスのデパートに入る。マリアは化粧品売り場をあれこれ物色していて、その間私は宝石売り場のカウンターに留まって、優雅な真珠のイヤリングを眺めている。自分が見られているのを感じて私は視線を上げ、あの同じ少年の姿を見る。一瞬、私の心臓は激しく高鳴り、私は震えはじめる。それから私は心を静めてこう考える。「ちょっと待って。この子は15歳。お母さんはたぶん彼の学校の制服を買いに行ってる。たぶん彼はただのファンなのよ」。

 私はゴクリと唾を飲み、少年をちらっと見て少し微笑み、こう言う、「私を怖がらせないでよ」。不意に彼は自分のスニーカーに視線を落とし、バツが悪そうに横を向き、私のことを振り返って出し抜けにこう言う、「ねえ、映画かなにかに出ていなかった?」。私は彼に大きな笑顔を見せて言う、「ええ」。

 あっと言う間に彼はあどけない少年に変わる。「やっぱり。知ってたよ!」と彼は叫び、母親に知らせるため走り去っていく。私は安堵の溜め息をつき、売り場の女性にイヤリングを見せてくれと頼む。

 私が投影した未来のショッピングの光景は非現実的なものではなかった――決して実現することのない楽しいバラ色の未来をめぐる、寓話的な夢物語ではなかったのだ。あなたが現実に起こり得ると信じられるような未来を思い描くことが肝要である。これはforward thinkingを成功に導く鍵である。

 想像のなかの未来の旅から戻ってきた私は、バンの中でずっと気分が落ち着いてきた。あのティーンエイジャーを無害な子供として思い描くことは私の不安を和らげた。私はいずれこの種の状況を、私が先ほど現実にとったやり方ではなく、私がたった今想像したやり方でさばくことができるだろうと私は信じた。

 Forward thinkingのすぐれた一面は、それがあなたに時間を友だちにすることを可能にしてくれる点である。退屈な病院での日々やひどい抑鬱の時期に、時は進んでいくということを認識することはなぐさめになる。そして過ぎていく一日ごとに、あなたは肉体的、精神的な治癒への道のりを前に進むことができるのである。

 積極的な、より輝かしい未来を思い描くことは、目標を設定するためのひとつの手段である。もしあなたがこれらの「ビジョン」が現実となることを望むのなら、それらに向かって行動を起こすしかない。私がインタビューした、いま現在つつがなく生きていて、幸福で、精神的にも健全な犯罪被害者の大多数は、なんらかのかたちでこのforward thinkingを実践していた。

 

 シャイナ(バスから降りるときにナイフで5回刺された女性)は彼女が襲われるわずか2週間前に、ハワイ行きのチケットを2枚手に入れていた。病院で術後の回復を図っているあいだ、彼女は自分がマウイで太陽の光を浴び、ピニャ・コラーダをちびちび飲みながらくつろいでいる様子を心に描き続けていた。銀行の仕事に復帰するまでに何週間もの回復期間を費やさなくてはならないことをシャイナは理解していた。ゆっくり休んで健康を取り戻すのに、エキゾチックな熱帯の島よりも良い場所があるだろうか?それで彼女は、未来を思い描くだけでなく、彼女といっしょにハワイに行くことになっていた女友達に、予約を確認しておいてくれるように頼んだ。

 今日でもシャイナは、「今から3週間後には、そうそう、あんたはフラダンスを踊っているわよ」と自分で自分に信じ込ませることで、医療処置だとか手術の縫い痕だとか理学療法だとかの不快感をやり過ごすのがどれほど容易になったかを覚えている。

 いっぽうでこの手法は、犯人の公判前聴聞の際にも役に立った。法廷に座っているあいだ、シャイナは神経を鎮めるためにforward thinkingを用いた。加害者の姿を見て恐怖でめまいを起こしそうになったとき、シャイナはこう考えて自分を落ち着かせた、「こんなことは一時間以内に終わる。そのあと私はボーイフレンドに会ってお気に入りのレストランでランチをとる」。これはまさしく彼女がしたことだった。そして数週間後に、彼女は病院に拘束された陰鬱な日々に思い描いていた美しいハワイのビーチにいた

 もちろん、すべての犯罪被害者が熱帯行きの航空券をハンドバッグのなかに忍ばせているわけではない。しかしシャイナは、襲撃後のこの恐ろしい、混沌に支配された日々に、ハワイ旅行のことなど忘れるか、あるいはそれをずっと後の日付に延期する決断をくだすことも容易にできた。彼女は休暇旅行なんて肉体的にも精神的にも不可能事になるくらいまで、襲撃後の抑鬱が彼女を圧倒するがままにさせておくこともできた。彼女はチケットを誰かにあげて手放したり、医療費支払いの足しにするためそれを売ることもできた。だがその代わり、彼女は自分の想像力とforward thinkingを、このもっともきびしい時期を彼女が乗り切るための役に立てたのである。

 シャイナは腕に巨大なギプスを巻いた状態でハワイへと出発した(私はその様子を見たが、あれはたいていのギプスよりでかくてかさばって邪魔そうなものだったと請け合える)。ギプスは彼女の左腕を肩のすぐ下から覆い、ひじのところで曲がって、すべての指を包み込んでいた。息を呑むほどに美しいハワイのビーチで、ギプスは耐え難いほど痛み、そして我慢できないほど蒸れて暑かった。シャイナは傷を負った腕をどうにかして注意深く支えていなければならず、彼女のずきずきと脈打つ汗まみれの腕は、ハワイでの楽しみをおおかた損なわせた。しかしシャイナは、不快感が彼女のバカンスを駄目にすることを認めなかった。彼女は自分の考えを未来へと漂わせていき、痒くて腫れあがった腕にスースーするオイルを塗ったらどんなに気持ちいいだろうなどと想像していた。そして彼女は、ギプスを一カ月以内に外せることはなんてラッキーなんだろうと繰り返し自分に言い聞かせていた。 

 Forward thinkingによるあなたの進歩の度合いを確認するための最良の方法のひとつは、テープ・レコーダーを使うことである。たとえば、もしあなたが自分の車に乗っているとき強盗に遭い危害を加えられて、再びドライブするなんて絶対に考えられないと思ったら、ただレコーダーの録音ボタンを押して、日付を言い、あなたの感情をとことん話してみればよい。たとえば、「私は怯えている。私のカマロをまた運転できるなんてとてもできそうにない。車に乗るのが怖い」。それからあなたは未来の自分を思い描き、あなたが可能だと思う現実を探して、それをテープ・レコーダーに話してみる。「今から6カ月後、私は一人で車を運転したいと思うようになっている。私は自分が車を運転してお気に入りのレストランへ夫に会いに行き、美味しいシャンパンのボトルで私の勇敢なる『ひとりドライブ』を祝っている光景を見る」。

 6カ月後、あなたはテープを再生させ、あなたのforward thinkingをあなたが予想していたよりもいっそう早く現実のものとしていたことを発見するかもしれない。あるいはそこまでの過程で、あなたの愛するカマロを恐ろしい記憶を呼び覚ますからという理由で売ることに決めてしまっていたかもしれない。あなたは代わりにティーンエイジの妹が乗り回していたフォルクスワーゲンを運転しているかもしれない。最初の数回の単独ドライブでは、手が汗でじとじとして脈が速まったりしたかもしれない。しかし、あなたが一生懸命に取り組んでいれば、恐怖を乗り越えてこれらの想像された未来を現実に生きることができるようになっていることはおおいにあり得るだろう。

 

 今日の医学的知見の限界のもとでは、かれらの深刻な傷や障害が一生残ってしまうような人はおおぜいいる。そんな人たちにとってもforward thinkingは有効な方法である。つまり、障害とよりよく付き合っていくようになる、障害をより受け入れるようになっている、障害があってもなお偉業を成し遂げる、そんな未来を思い描いてみるということである。歯で挟んだペンで絵や文字を描く四肢麻痺の人もいれば、車いすのすぐれたアスリートである対麻痺の人もいて、癌に苛まれながらも他人の手助けをする人もあり、彼らはそうして生産的な人生を生き抜いていく。人間の順応性は特筆すべきもので、私たちのほとんどすべてが、恐ろしい現在の現実を実り多い充実した未来へと変えることができるようになるのである。

 あなたが自分の障害とよりよく付き合っていくことができるようになる未来を想像することに加えて、あなたは医学があなたの存命中になし得る大きな進歩や発見を予想してみることもできる。近い将来に、深刻な脊髄の損傷を完全に治す技術や、現在は治療不能とされている疾患の治療法や、広範囲にまたがる傷跡を消す方法を研究者が見つけ出すということはまったくあり得ることである。

 あなたの忌まわしい現在の状況を忘れることは、すべてが荒涼として恐怖に満ちているようにみえるときに「これは永遠ではない」と自分に言い聞かせることは、おそろしく困難なことにみえる。しかし、ほかの人たちも悲惨な状況に立ち向かいそれを乗り越えてきたのだということを心に留めておけば、よりよい明日のイメージを心のなかに創り出し、それを目指して行動していくことによって、現在から逃れることができることにあなたは気づくだろう。

Beyond Survival - Chapter 3 Fear 6/6

Ch.3 Fear

セラピー

 今日、私の生活が恐怖から完全に自由であると言ったら嘘をついていることになる。しかし私は私の恐怖と向き合い、それを分析し、それに対処するすべを学んだ。恐怖は私の生活の一部であるが、それはかつてのように私を支配してはいない。私にとってセラピーは、暴力的犯罪によって劇的に変化してしまった生活のありかたに正面から取り組むために必要な手段だった。

 私はセラピーの価値を直接には自分が受けた被害の後で発見し、それから過去数年にわたる私の活動のなかで、ほかの犯罪被害者に対するその有効性を目にしてきた。もしも患者とそのカウンセラー(あるいは精神科医ソーシャルワーカーなど)が相性のよいコンビだったら、セラピーは被害者やその家族、そのほかの大切な人々にとっても治癒効果があり有益であり得る。襲撃後の、感情が葛藤状態にあって、関わり合いのある誰もが怖れ混乱するような時期に、セラピーはとりわけ効果的である。

 私はすべてのセラピストがすべての被害者にとって良い影響をもたらすと言うつもりはない。あるいはセラピーが、恐怖を拭い去り被害者を数日のうちに立ち直らせる、なにか魔法のような万能薬であると言うつもりもない。その逆に、多くの被害者にとって恐怖の影響からの回復の成就は、多くのごくちいさな前進と、それとほとんど同じ数だけの退却、後退からなる、過酷で厳しい戦いである。

 いかなる精神医療の専門家であっても、あなたのためにあらゆることをしてくれると期待することはできない。彼はあなたに手引きをし、過酷な時期には頼りにすることもできる存在としてそこにいるが、精神面での回復過程においてもっとも積極的な役割を果たさなくてはいけないのは被害者自身である。ハードワークと個人的な努力は、襲撃後の恐怖からの解放を早める目覚ましいはたらきをする。

 多くの犯罪被害者を苦しめる心的外傷後ストレスの一結果として、私は何カ月ものあいだ過度に用心深くなっていた。ごく近所の通りを散歩することでさえ、私にとっては地雷だらけの戦争地帯をゆくのと同じくらい恐ろしいことだった。

 私の恐怖についてウェインゴールド先生と議論したとき、彼は私が経験していることをいつでも――人間的なレベルと臨床的なレベルの両方で――理解した。彼は私の不安のレベルがなぜそんなにも高いのかを説明し、今置かれている状況に照らし合わせてみれば私の反応は正常なのだということを私に気づかせてくれた。専門家から受けたこの支援と励ましは、自分が「おかしくなりつつある」という恐怖を和らげてくれた。心的外傷後ストレスという現実的な診断を与えられることは大きな救いであった。

 ウェインゴールド先生は、私が心の健康を取り戻すまでの旅路において積極的な役割を担っていた。私たちは恐怖に対処するためのさまざまな方法を話し合った。彼は決して私のニーズを軽視せず、その代わりに、私には怖がる権利があると私が感じられるよう促した。と同時に彼は私に、トンネルの先には希望があるのだと知らしめようと努めていた。彼は再三再四、私が感じている恐怖は非常にリアルなものであるとともに、(少なくとも部分的には)一過性のものであることを指摘した。私はよく彼に尋ねた、「でも私はいつ物事を一人でできるようになるんでしょうか?いつ私は恐怖をあまり感じなくなるんでしょうか?」。

 そして彼は言った、「あなたがいつ、あなたの恐怖をある程度忘れることができるほど落ち着いた気分になれるのか、それを知っているのはあなたですよ」。

 私が自分でなんらかの進展を成し遂げたときはいつでも、それを私の精神科医に報告するのが待ち遠しかった。クリスマス休暇の期間中、私はニューヨークの家族を訪ねた。マンハッタンの通りは犯罪被害者になったことのない人間にとっても恐怖を与えうるものである。私にとっては、もちろんそれは恐ろしいものだった。しかし襲撃から9カ月の時が経って、私は怖がることに疲れていた。私は休暇で実家に帰っているあいだに前に進むことを決心した。

 ある晴れた寒い午後、私はイーストサイドの住宅街を旧友のボブ・アーキャロと歩いていた。その頃までに、私に近しい人は誰でも、私がどこへ行くにも付き添いを必要としていることを心得ていた。彼らは私が自分の恐怖について語っているのを聞くだけではなく、彼らの多くがそれをじかに体験していた――特に彼らが私とともに公共の場にいた時に。

 私は目の前につづく、街路樹の並ぶ静かな通りに目を向け、そこをひとりで歩きたいという抑えきれない欲求を感じた。私は言った、「ボブ、そこの角で会いましょう」。

 友人は心配そうに私を見て言った、「大丈夫かい?」。私の強い求めで彼は肩越しに振り返り私のほうへ視線を投げかけつつ、角のほうに向かった。彼が遠くへ、遠くへと離れていくにつれて、私の膚に鳥肌が浮かんだ。私はこそこそと辺りの様子をうかがい、通り過ぎる誰に対しても震えていた。しかし私は分かっていた、自分がこの通りに勝って、私の恐怖の一部を克服したいと願っていることを。

 私は前方に目を向け、街区の終わりにボブが立って私を待っているのを見た。9カ月間ではじめて、私は公共の場をひとりで歩くのだ。

 はじめのうち、私は足を一歩先に踏み出すことすら思うようにできず、まるでスローモーションのように前進していた。私の拳は固く握られ、爪が手のひらに食い込んでいた。息はあまりに速くなって、ほとんど過呼吸を起こしそうなほどだった。私は自分に言い聞かせようとした――「お前ならできる、お前ならできる。進め、進め、進め!」。鉛のように重い私の足を鼓舞して私は歩くペースを速めた。冷涼な空気が私の髪を肩の上で靡かせた。私の顔はピリピリして赤味を帯びてきた。私の周りに空いたスペースと私の側に人がいないことが、私の気分を軽くした。私は自分に向かって思った、「お前は自由だ!」。そして私は走り出した。

 数秒後、私はボブの腕の中にいた。私たちは静かに抱き合い、この瞬間の大切さを分かち合っていた。その通りを一人で歩いた後に私が感じた勝利の喜びは、何日間も私の気分を高揚させた。翌週、ウェインゴールド先生に話をしたとき、彼は私のために喜んでくれたが、驚きはしなかった。それ以来、私は新たな熱意とともに自分の恐怖に挑みはじめた。

 私が自分の恐怖を自分だけで、あるいは友人や親類の支えだけで克服していくことも可能だったのかもしれない。しかし正直言って私は、専門家の手引きなしで私がそれをなし得たとは思っていない。家族や友人といった内輪のサークルの外側にいて、偏見なしに私の感情やふるまいを評価することのできる人を持っていることは私にとって大きなプラスであった。

 ウェインゴールド先生は彼の貢献に対価を支払われていたので、私は彼に負担をかけたり彼の気分を害することで恐縮することはなかった。私は彼が、純粋にひとりの人間として私のことを気にかけていると感じていたが、彼の気づかいは彼のプロフェッショナリズムによって制御されているとも感じていた。私たちのセッションは、私の進歩を記録し浮き彫りにするための、基準となる枠組みでもあった。私は一週間が経過した後で私が変化――たいていはポジティブな――を経てきていることを知った。

 私が恐怖に脅えたり、ヒステリックになったり、抑えが利かなくなったときは、ウェインゴールド先生に私か私の家族が電話をして助けを求めることができた。私たちは彼の判断を信頼するようになっていて、通常それにしたがって行動していた。私がウェインゴールド先生のセラピーを受けていたのはたかだか一年ほどだったが、セラピーの終わりまでに彼は、私が健全になり自分に自信を持てるように、私を導いてくれていた。私は彼のような素晴らしい精神科医にめぐり会えて幸運だったと感じている。しかし私は、犯罪被害者を治療し手助けするのに必要な専門的ノウハウと思いやりをともに持ち合わせている多くの専門家がいることもみてきている。

 

 多くの種類のセラピストがいる。被害者にとって、自分や自分の家族に適した人物を見つけるだけでなく、自分にもっとも合ったセラピーのやり方を見つけることはきわめて重要である。しかしそのためにはどうすればいいのだろう?

 友人や信頼できる医師の薦めはしばしば有益だが、通常はあなたの直観が、あなたにふさわしいセラピストを見つける際の最良のガイドである。もしも被害者が、セラピーに関することを自分で判断するにはあまりにも肉体的、精神的にうちのめされていた場合は、かれの周りの人がその責を負うことになる。

 最初のカウンセリングにおいて、このカウンセラー(や精神科医ソーシャルワーカー)が唯一の選択肢ではないということをはっきりさせておく必要がある。もしも被害者がなんらかの理由であるセラピストに対して居心地の悪さや不安感を覚えたら、誰といっしょにやっていくかを決める前に、他の候補者とも会ってみることがベストである。多くの場合、被害者は手助けをしてもらえることにとても感謝していて、一般に認められた、優れた精神医療の専門家のほとんど誰にでも共感を覚え、共にやっていくことができる。

 被害者の個人的な嗜好、懐具合、住んでいる場所といったことは皆、どんな種類のセラピストを選ぶべきかに関わってくる。精神科医、心理学者、ソーシャルワーカー、カウンセラー、ピアカウンセラー、クライシスワーカー、ボランティアなど。もっとも重要なファクターは、セラピストが肯定的、行動指向的で思いやりのある人物だということである。学歴のみが精神医療の専門家の全般的な価値と有用性を決めることはまれである。もっとも大切なのはセラピストと患者の良好な化学反応である。

 被害者の周囲のひとびとがセラピーに対して示す態度は、被害者がセラピーにどれだけよく応じるかに一役買っている。励ましはとても大事である。恐怖にとらわれている被害者は、かれの愛するひとたちがセラピーを、かれが精神のバランスを取り戻し、恐怖から自由になるための好ましい一手段だと考えていることを知っている必要がある。

 私は個人的に、全国の多くの病院や警察署で、心理面での支援が当然のこととして犯罪被害者に提案もされなければ提供もされていないことを不思議に思っている。被害者は個人的なレベルでは、セラピーの薦めを一度ならず受けていることは事実であるが、これらの提案は断片的で散発的なものである。被害者のなかには、かれらが接した警察官や病院の人間から、心理面での支援についてなにひとつ聞かされていない人もいる。そうして多くの被害者は恐怖のなかで生き続けることになる。

 事件の後につづく大混乱の状況ゆえに、心理面での手助けを受けるという考えはただ単純に、被害者やその家族の心に浮かんでこないかもしれない。事態に関わっているほとんどの人は、肉体的、経済的な影響に対処することにあまりにも忙しくて、精神的な影響に対する専門家のカウンセリングにまで思いをめぐらせることができないのである。外部の第三者からの助言がしばしば必要である。もしもその提案が病院勤務者や警察官のような権威ある人物からもたらされれば、それは通常、敬意と熟慮をもって迎えられるだろう。

 被害者やその家族にとってのセラピーの価値がひろく認識されるにつれて、専門家による心理的なケアを受けるようにとの提案が、病院や警察のひとたちから被害者に、例外なく示されるようになることを願うばかりである。私は困っている被害者に対して、精神衛生の専門家の援助が規定事項として提供されるようになるべきだと信じている。

 優れた、早期の心理的な援助は、残りの人生を恐怖のなかで生きていく被害者と、この感情を認識し、それを分析し、それと取り組み、やがてそれを乗り越えるかそれに対処できるようになっていく被害者との分かれ目になり得るものである。

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 1/9

Ch.4 Anger

第4章 怒り(原書75~117頁)

 襲撃後まもなくして人々が私のもとを訪れたとき、彼らは私が染みひとつない白い包帯にくるまれ、苦痛のベッドの上で青ざめながらも愛らしく、ありえないくらいの僅かな可能性で命を救われた「ラッキーガール」としての感謝の念からくる至福の微笑みをどうにかこうにか浮かべていることを期待していたと思う。要するに彼らは「聖テレサ」の姿が拝めるものとばかり思っていたのだ。私の生還が医師たちからも門外漢たちからも異口同音に「ほとんど奇蹟だ」と形容されていたことは事実であるが、にもかかわらず、私の経験は私を、この世のものとも思われない美徳の化身に昇華させたりはしなかった。私の訪問者たちは、幻滅すべきことに、はらわたを煮えくり返らせて、歯をむき出し、泣きわめき、怒鳴り散らしている、すさまじいばかりの怒れる犯罪被害者に対峙させられている自分自身を見出すことになったのである。

 その事実が私にばつの悪い思いをさせたときはいつでも、攻撃を受けた後で怒りを覚えない人間なんて考えられないと私は自分に言い聞かせている。事実を正直に受け入れよう、刺されたり撃たれたり犯されたり殴られたり脅されたり誘拐されたりすることは、あなたを怒らせるに決まっているのだ。

 ほかの人間があなたのもとに押しかけてきてあなたを肉体的かつ/あるいは精神的に傷つけたとき、あなたが完全な麻痺状態に陥っているのでもないかぎり、あなたは表に出てくる怒りやあるいは内なる怒りに反応を起こすだろう。自分の意志に反して干渉を受け、傷つけられたリ、虐待されたり、変えられることは、私たちを無力感の状態に置く。それが私たちに、世界や、加害者、神や、制度に対する怒りを抱かせる。

 私は襲われた後でもろもろ不自由な状態だったので、怒りのはけ口を見つけ出すことは私にとってとりわけ困難だった。私は出来なかった、

 

蹴ることが――足に包帯が巻かれていたから

泣くことが――泣き声をあげると傷を負った肺が痛んだから

物を投げることが――腕に添え木があてられていたから

叫ぶことが――胸が裂けてしまうだろうから

 

 私の沸騰する怒りは内側に貯め込まれていき、唯一の可能な解放手段は言語によるものだった。私がその当時再三にわたって口走っていたおそろしい事どもを誰もテープに録音などしていなかったことに感謝している。私が自分の言ったこと――その大半はきちがいじみた妄言と五十歩百歩のものである――を誇りに思う理由などあるはずもないが、しかし、口汚い罵りや自殺の脅しやその他の醜い発言の終わりなき奔流は、私のひどい怒りを解き放つ役には立ったのだった。

 看護師のなかには、私の憤激を叱責して、いかに自分が恵まれているかをよく考えるべきだと私を諭し、私の激しい毒舌について互いに舌打ちをするような人もいた。彼らの非難は私に罪悪感と恥ずかしさを抱かせた。しかし、振り返ってみて、私はあれらのやかましい、長たらしい、攻撃的な大演説にふけっていたことに関して、自分自身を許さざるを得ない。なぜなら、いま私がほかに選択肢はあったのかと自分に問うてみたとき、答えはノーだからである。

 

怒っている…しかし生きている!

 怒りの良いところは、それが命を注ぎ込まれた感情だという点である。怒りを体験することは被害者を元気づけることになり得る。怒りはかれに、自分がまだ生きていることを教えてくれる――蹴ったり、わめいたり、かんしゃくを起こしたり、苛立ったり、すねたりしているが、しかし生存してもいるというわけだ。怒りを感じることは、死んでしまってなにも感じなくなることより百万倍よいことなのである。

 私は自分が無感動になったとき――感情を失い、ただ流されていくがままの状態になったとき、自分のことを最も案じていたのを覚えている。そんな日々に、誰かがあるいは何かが自分をポジティブにであれネガティブにであれ刺激してくれたら、それは私にとってありがたいことであった。

 

***

 

 怒りはさまざまな形と大きさで姿を現す。それはあなたの中に潜伏していて、あまりにも静かなのでそこに存在していることにほとんど気づかないこともある。それはちっちゃな痛みのようなもので、日によってはそれが少しばかり煩わしいものに成長して、あなたをピンと張り詰めさせ、とげとげした気分にさせ、むっつり不機嫌にさせることもある。それは誰の目にもすさまじいほどに面食らうほどに明白で、終わりなどなさそうな激情のほとばしりとなって噴出し続けることもある。あるいはそれは、成長はしないが消え失せもしない、深い、不変の、陰鬱な不快感である場合もある。

 多くの犯罪被害者は襲撃後まもなく、怒りを表にあらわし、あるいは怒りの感情と付き合っていくことになる。平穏な心境や、生きていることの感謝の思いを一時的に感じることもある。だがしばしばこれは、諺で言うところの嵐の前の静けさである。怒りの時機やその対象は被害者によってまちまちだが、それはいずれ表面化する。そしてそうなったとき、それを無視してはいけない――注意を払わず放置していると、それはあなたを食い荒らして、おしまいにはあなたを敵意に満ちた否定的な人間に変えてしまうからである。

 もっとも速い、もっとも徹底的な回復を成し遂げる被害者は、自身の怒りを認識し、それに対応していく人である。この点にさらに踏み込んでいこう。あなたが最初に感じた怒りを受け入れ、それをあなたの「バイタルサイン」――あなたが生きており、あなたの置かれた状況に反応を示しているということの具体的な証拠とみなすことは、まったく健康的なことである。

 

今そこにある怒り

 今日、私は怒っているか?私の答えは断固たるイエスである。しかしそれは、2年前、あるいは1年前ですら感じていた、強烈でしばしば制御不能の怒りとは別種の怒りである。

 この頃の私は通常であればごく冷静である。私は非常に活発で、さまざまなことに関わり続けていて、つらい考えや記憶に拘泥することのないよう努めている。しかし時として、襲撃で負った体の古傷が鎌首をもたげ、私を思いがけず怒りへ駆り立てることがある。

 天候が変化して、回復不能な損傷を受けた私の指が痙攣し、痛み、カニのはさみみたいな醜い恰好に変形してしまったとき、私は怒りに駆られる。私はかつて自分の指がどれだけ優美でエレガントで痛みとは無縁だったかを思い出し、おなじみの怒りの気泡がふつふつと数を増していく。

 私がデパートの試着室で、蛍光灯の照明が無慈悲に照らし出している自分の体の傷に向き合ったとき、私は怒りに駆られる。そしてその怒りは、ショックを受けた売り子の哀れむような視線によっていっそう増幅されることもある。

 そうなのだ、服を買うこと――私はそれがとても好きなのだが――は、私の「怒りのボタン」のスイッチを押す行為でもあるのだ。もちろん私は、選ぶ服の種類を自分の傷(それは整形手術によって以前よりずっと目立たなくはなったものの、パンケーキのようなメイクで覆わないかぎり、いまだに目で見てわかる状態である)を隠すようなものにすることを余儀なくされている。

 洋服の陳列棚を見て回っているとき、傷を隠してくれると同時に洗練されて魅力的に見えるファッションを探すことは、既に私の第二の天性になっている。

 素敵な見た目の流行りの洋服を試着してみて、ほかのすべての点では申し分ないのに、ネックラインが私にはあまりにも低すぎたとき、私は怒りに駆られる。自分が二度とつけることのできない可愛いらしいビキニが列をなしている光景を前にして、私は怒りに駆られる。そして、かつては大好きだった肩ひものないイブニング・ガウンを目にしたとき、私は怒りに駆られる。

 そんな時に、私は自分が着ることのできる服を何着も試着して自分を慰めている。それからしょっちゅう自分にこう言い聞かせている、私は済んでのところで――名付けるとすれば――「お空の上のばかでかいショッピングプラザ」に通う羽目になるところだったのだと。

 ほとんどの場合、私は今でもお気に入りのブティックで楽しく過ごすことができている。そしてショッピングの最中に楽しさより怒りのほうを感じている自分に気づいた日には、私は売り場の棚から離れて、代わりになにかほかのことをすることにしている。

 

 ニューヨークやロサンゼルスのショッピングモールだけが私の「怒りのトリガー」ではない。ほとんど毎日、私は自分の日課のひとつとしてダンス教室に通っている。時にはバレーを踊り、時にはジャズダンスを、タップダンスを、エアロビクスを。私は熱心にダンスに取り組むことで得られる芸術的な満足感と肉体的な解放感をともに愛している。しかしこれらの授業の際に、私はしばしばつらいジレンマに直面することになる。

 大半のダンサーは、窮屈感が少なく上半身に綺麗なビジュアルラインを与えてくれる、胸元の大きく開いたVネックやスクープネックのレオタードを着用している。襲撃後に私は、動きを大きく制限することのない、高いネックラインの、可愛らしくモダンダンスウェアをなんとかして探し出していた。

 私は自分の華やかな色のレオタードに満足してはいるけれども、時として、バールに整列しているほかの女性を見回し、彼らのネックラインにどうしても視線が引き寄せられてしまうことがある。私の目は、むき出しになった鎖骨と上体とのあいだの、女性の体のなかでかくも美しい部分の、滑らかで無傷のラインに釘付けになる。そして私は眩暈をおぼえはじめる。私のなかに湧き上がってくるのはほかの女の子の愛らしい肢体への妬みではなく、加害者が私にやったことに対する純全たる怒りである。

 そんな時、私は自分が練習用のバールを握りしめ、歯を食いしばっていることに気づく。その滑らかで優美なネックラインと切れ込みの眺めは、私を一度ならず気絶寸前にまで追い込んだ。そのとき私は自分の内なる力を総動員して、今行っている課題に集中し、音楽に没頭し、ダンスが私をより良い心のありかたへと運んでいってくれるように心がけてみる。たまにそれはうまくいく。

 

ほかにどうすることもできない時

 私は自分の怒りをいつでも可能なときは建設的に利用するべく最善を尽くしているが、時には、私が鏡に見入り、自分が決して完全に振り払うことのできない傷を眼前にしているような日もある。私の体が決して元通りにはならないということを、ひとびとに対する私の純真で誠実な信頼が一人のいかれた男によって永久に奪い去られたことを、そしてこれは悪夢でも空想でもなく、厳しく冷酷で――何より悪いことには――取り消しようのない現実なのだということをつくづく噛みしめているような日もある。

 そんな折には、虚飾のない純全たる怒りが私に押し寄せる。もしも私がその怒りを回避したり、エネルギーを別のことに振り向けてそれを脇へそらすことができなかった場合、私は怒りに屈服させられて終わることになる。私はどこか人の来ない安全な場所を見つけて、怒りを露わにし、怒りに屈し、それが私の感情を溢れさせるがままに――一時的にではあるが――する。

 その際に私が何をするかは場合による。おおむね私は、古くさい空気枕をブン投げたり、長椅子を蹴っ飛ばしたり、叫んだり、がなったり、フラストレーションで泣いたり、私に振りかかった運命に対する怨嗟の声をあげる。私はそれを、自分が完全に疲れ果てるまでひたすら続ける。やり切った後すぐに私の気分はずっと良くなり、再び同じことをしたくなる強い衝動に駆られるまでにたいていは何カ月もかかる。

 だがもしも、怒りをぶちまけたいという圧倒的な欲求が、その種のいかなることをするのにも不向きな場所にいる時あなたを襲った場合には、どうすればいいのだろうか?数々の機会に、レストランや空港や事務所などの不適切な場において、四囲に轟きわたる長広舌をまくしたて始めて後で恥じ入った経験を重ねたあとで、私は「アングリー・ブック」と自分が呼んでいるものを対策として思いついた。私はハンドバッグの中に小さなメモ帳を入れて持ち歩いている。私がもし怒りで爆発しそうになっていて、そしてその憤怒のさまを周りの人に見せたくなかったとき、私は自分の怒りを紙に書き出すことにしたのである。私はただくだんのノートをさっと取り出し、私の頭の中のあらゆる下品な、どす黒い、おぞましい、嫌らしい、怖ろしい考えを猛然と書きつけていく。私のなかで進行しているものを書き終えた頃には、私はたいてい、帰宅するまでのあいだ真っ当にふるまっていられるくらいに落ち着いている。もし帰ってからもなお私が怒りでいらいらしていた場合には、私は吠え声とともにそれを吐き出させるのだ!

 

 最近私は、ほかの女性の痛みによって引き起こされた感情の爆発を経験した。Victims for Victimsでの活動をとおして、私は毎日のように犯罪被害の多くの実例に接している。電話口で、あるいは直接本人に会って、レイプや強盗、傷害、殺人の顛末を次から次へと聞いている。私は自分が関わるおのおのの人に感情移入をするが、自分自身の心の平衡を保ちつつ、彼らに助言をすることができるくらいに自分が強く明晰であるために、彼らの痛みから距離を置くためのある種の方法を編み出さねばならなかった。だが時として、ただ一人の被害者の物語を聞くことが、私を否応なしに激怒へと駆り立てることがある。

 ほんの数週間前、私は中西部に住むバーニスという女性と話した。彼女のかつてのボーイフレンドがバールで彼女に激しく襲い掛かり、彼女を殺害しようとした。彼女の英雄的な奮闘と生きる意志とによって、バーニスはかろうじて生きながらえたが、彼女の怪我と肉体の損傷は甚大だった。彼女の顔の大部分は回復不能の麻痺状態に陥り、彼女が頭部に受けた打撃は、頭皮を剥ぎ取られたといっても過言ではないほど酷いものであった。

 バーニスは大規模な整形手術を受けたが、彼女が自分の「もっとも美しい誇りと喜び」だったと私に語った、ふさふさしたつややかな黒髪は、大部分が二度と元のように生えてはこなかった。そのため襲撃以来、彼女はかつらを付けることを余儀なくされていた。

 バーニスは極度にふさぎ込んでいて、気持ちを奮い立たせることがままならず、強い自殺願望にとらわれている。彼女のかつてのボーイフレンドは今は獄中にいるが、数年のうちに仮釈放される予定である。彼女は私に、出所したら彼が自分につきまとい、殺そうとする――彼は親類をつうじてそのような趣旨のメッセージを送りつけていた――ことを心から確信していて、そのため痛みなく安らかに自殺したい誘惑にかられていると語った。折にふれてバーニスは、この狂った男が彼女のために準備している血まみれのむごたらしい死よりは、自分自身の手で穏やかに安らかに、眠るように死んでいきたいと感じているのである。

 バーニスとの会話の後で、私はあまりにも激しい怒りにとらわれ、受話器を置くのもやっとだった。私は壁を何度も何度も激しく叩き、この冷たく堅固な面に私の憤激をぶつけていた。私の心のなかにさまざまな問いが湧き出てきた。この気の毒な女性は、どうしてこんな絶望的な恐怖と悲惨のなかで生きていかねばならないのか?彼女を襲った邪悪な加害者はなぜこんなにも早く釈放されることになっているのか?人はどうしてこんなにも理不尽に、暴力的に、人を傷つけ殺そうとするのか?すぐに得られるような答えはなかった。それで私は、ぐったりと疲れてベッドに倒れこむまでずっと壁を叩き続けていた。

 この種の行動は大人げないように見えるかもしれないが、ほとんどの精神医療の専門家は、怒りを表にあらわすことは往々にして、怒りという悪魔から逃れるための効果的で健康的な手段だと考えている。もしあなたが誰も傷つけず、ただこのたまの解放にあなた自身だけを巻き込んでいるのであれば、それはあなたのなかの「怒りのエナジー」を一掃して、あなたが人生のなかで他のすべてのことをうまくやっていくための助けになるだろう。

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 2/9

Ch.4 Anger
前向きなはけ口

 もちろんあなたは、怒りの前向きなはけ口を探し求めなくてはいけない。あなたは口汚く罵ったり、ものを蹴ったり壊したりといった、一般的に言って鬼のごときふるまいを永遠に続けることはできない。どれだけ状況が酷いものであっても、またどれだけあなたがつらく感じていたとしても、コンスタントな怒りの表出が――最も怒れる被害者にとってさえも――マンネリ化して無益に感じられだす時がくるだろう。徐々にあなたは、あなた自身の凶暴な怒りとともに生き、それを自分で耳にすることにうんざりしてくるものである。もしあなたが長期にわたる、抑えきれない怒りの噴出の持続的なサイクルを打ち破ることができない場合は、専門家の支援を仰ぐのが賢明だろう。

 ひとたびあなたが、ただ単に怒りを吐き出すだけではもはや治療効果が期待できないとの見解に達したならば、あなたは次のような問いと向きあうことになる。「それでは私はこのいっさいの怒りに対してなにをすればよいのだろう?」。

 私は自分の怒りを箱に詰めて、私のなかのどこか深いところにそれを封印しておくことができればいいのにとしょっちゅう考えていた。一年に一度くらい私は山の頂上に行ってそれを解放する――それが箱を打ち破って、無限に向かって吠えまくるがままにさせる。

 あなたはどうして私が、私のいっさいの怒りを自分の奥底に封印しておくのではなく、それが永久に消え去ることを望まなかったのかと不思議に思うかもしれない。それはなぜかというと、私は自分が今日ここにいる理由のひとつが私の怒りだと感じているからである。私は私の怒りが、死や痛み、そして私を傷付けた人間の病的な欲望と戦い続けるための力を私に与えたと信じている。そしてもし私が、社会における犯罪被害者の待遇にこれほどの怒りを感じることがなかったら、私はVictims for Victimsを設立することもなければ、被害者支援に積極的に関わることもなかっただろう。疑問の余地なく、私の怒りはあるポジティブな結果をもたらしてきている。

 

リーダーシップと怒り

 怒りを建設的な方向へと導いていったひとびとの傑出した事例は数多く存在する。

 

  • マーティン・ルーサー・キングをはじめとする公民権運動の指導者は、黒人が被っていた不正に対して怒っていた。
  • 女性解放運動の先駆者たちは、社会のなかの女性の待遇に怒っていた。
  • MADD(飲酒運転根絶を目指す母親の会)のメンバーは、自分たちの子供を殺した酔っぱらいのドライバーに怒っていた。

 

 これらの運動の指導者たちは、不正に対してただ単に怒鳴り散らしていたのではなかった。彼らの強い、燃えるような怒りを客観的に捉え、注視し、それをよりよい社会のために活動することのために利用したのだ。

 あなたはこう言うかもしれない、「そりゃあキング牧師やグロリア・スタイネムについてはそうかもしれないけどね。彼らは飛び抜けた人間だもの。でも自分は社会運動に携わっているわけではないし、政治的指導者なんぞになりたくもない。そんな自分は怒りに対してなにをすることができるのだろうか?」。

 答えは一語に集約することができる――DISTR/ACTIONである。

 

気散じの行為(Distr/action)

 DISTR/ACTIONとはなにか?それは単純に、あなたのエネルギーをあなたの怒りからそらすために、なにか――なんでも――をすることである。怒りに対処するための唯一の方法がそれを爆発させることだけだというのは不健康で非現実的である。これらの時たまの感情の爆発と、怒りとつきあっていくための代替的な手段との釣り合いをとることが鍵である。

 私のなかに怒りの嵐が起ころうとしているのを感じたとき、私は自分自身に問いかけてみる。「テレサ、あなたはまた新たな噴火を起こしてみたい気分なの?」。たいていの場合、答えはノーである。この時点で私の原則は「家から出ること!」である。なぜか?狭い所に閉じこもって壁に囲まれている状態は、怒りと欲求不満を悪化させかねないからである。あなたを取り巻く環境は、怒りの引き金となるようなものを次から次にみせつけて、そもそもあなたが怒りを感じることになった、まさにその理由を与えていることが少なくない。

 時として、ただ目に入る風景を変えるだけでも、あなたのエネルギーと感情の方向を変えることに役だつ。

 ティーンエイジャーの頃、数学の試験やプロムのデートや、夏休みのバイトを見つけることのプレッシャーが私にのしかかってきたとき、私は地元の映画館に行って二本立てを通しで観たものだった。いま私はまったく同じやり方で私の怒りを散らすことができることを知っている。私がイライラを感じフツフツと怒りを覚えはじめたとき、そして私が怒りの爆発を――あるいはモールでのド派手な買い物の大散財を――回避したいとき、私は自分を映画に連れていく。

 コメディを観るにしても深刻なドラマを観るにしても、私は映画を観ることが、私の厄介事を忘れるのに役立つもっとも手っ取り早くもっともお金のかからない方法であることだと気づく。私はただそこに座って、私の前で明滅しているキャラクターの生きざまにのめり込んでいればよいのである。バターをまぶしたポップコーンの大きなカップをムシャムシャ食べているのも、ブルックリンのロウズ・アルピン・シネマの日曜の午後を思い出させてくれて気休めになる。

 私がDISTR/ACTIONを実践するもうひとつの方法は美術館に行くことである。私が好きでよく行く場所のひとつはニューヨークのメトロポリタン美術館である。展示から展示へと渉り歩いて壮麗な絵画や彫刻に見入り、その美しさに没頭するのは本当に心癒されることである。すぐれた美術を鑑賞する高度な視覚的――そして感情的――体験はほとんどいつでも、私をもっとも暗い心の状態からさえも連れ出してくれる。

 偉大な巨匠の多くが、さらには同時代の美術家たちの何人かも、彼らの芸術性の表現を、彼らの苦痛や怒り、あるいは狂気すらをも解放するための手段として用いているという事実に私は慰められることがある。それは私に、芸術家と私がどうにかして気心の合う者同士であるかのように感じさせる。

 メトロポリタンへの訪問は心理的なものだけではなく肉体的な解放も私に与えてくれる。そこはじつに広大で、たくさんの広い廊下を歩いていったり、装飾の施された大理石の階段を上っていくことそれ自体がほどよく刺激的な運動になり、一日の終わりには私を心地よく疲れさせ、リラックスさせるのである。

 どんなちょっとしたトリックがあなたの怒りを和らげるかを決定づけるのは、もちろんあなたの嗜好や好みである――スポーツやダンスのような肉体的活動、ギャラリーや美術館を訪れること、痛快な小説や偉大な文学作品を読むこと、ガレージでテーブルを造ること、友だちと話すこと、あなたのお気に入りの姪に大人びたレストランでランチをごちそうすること。あなたが何をするかは、それがあなたをどう感じさせるかほどには重要ではない。

 私と、そしてほかの多くの被害者に有効だった怒りの対処法は、「それを利用しろ!」である。怒りがあなたに与える力とアドレナリンを受け取って、あなたの怒りを行動へと導くのだ。

 私たちが恐怖に対処するのに用いた対処メカニズム――すなわち、ユーモア、他人に手を差し伸べること、先のことを考えること、セラピー――はここでも適用可能である。ただし怒りに関しては、あなたは一歩先に進んでいる。怒りは強い、力の籠った感情で、恐怖が具えているような「神秘的で」内向きの性質ははるかに希薄である。したがって、怒りを特定し、それに取り組み、怒りに注ぎ込まれていたエネルギーを前向きな、創造的な行為へと振り向けるにはどうしたら良いかを学ぶことはより容易なのである。

 

怒り狂っていることのなにがそうおもしろいのか?

 あなたは本当に怒っている人のふるまいを見たことがありますか?たとえ怒りの原因が非常に深刻なものである場合でも、かれらの仕草がかなりおもしろくみえることは往々にしてある。

 ちょっと考えてみよう。あなたがカンカンに怒っているとき、あなたはなにをするだろうか?

 

  • 檻のなかの動物みたいに行ったり来たりする?
  • 髪をかきむしる?
  • 赤ん坊のようにふくれっつらをする?
  • 飛び跳ねる?
  • 大量のチョコレートクッキーを口に詰め込む?
  • 叫ぶ?
  • 体を前後に揺する?
  • すべてを心のうちにしまっておく?

 

 時として、あなたが絶対的な怒りを実演している真っ最中にも、あなたはほんの刹那、あなたの感情のテーブルの向きを変えることができる。どうやって?ほんの一瞬でも自分のことを一瞥してみる、そして自分自身の行動にユーモラスなところが見つけられないかチェックしてみるのだ。

 

  • あなたはクリネックスティッシュの箱をズタズタにしていないか?
  • あなたの顔は、顔というものにあるまじき紫の色調を帯びていないか?
  • あなたは怒っているちっちゃなフェレットのように歯を剥き出しにしていないか?
  • あなたは泣きすぎてマスカラがアライグマのような輪っかになっていないか?
  • あるいはあなたは床にしゃがみこんで、2歳児のように足をバタバタさせ文句を並べていないか?

 

 あなたのふるまいが誘った笑いが、たとえ苦く、暗く、渋々のものだったとしても、少なくともそれはあなたに、怒りからのつかのまの休息をもたらしてくれるだろう。あなたは――少なくともいっときは――不機嫌な気分からはなれて自分のことを笑うこともできるかもしれない。

 あなたは友人や恋人と議論していて意見が合わず、怒鳴りたてたり部屋中を駆け回ったりするまでにエスカレートしていった経験がないだろうか?そのとき不意に、どちらかが相手のことを見てお互いの行動のバカバカしさに気づき、たとえ議論が深刻な問題だったとしても、ひとしきりちょっとした笑いを浮かべる。すぐに相手のほうも十中八九それに和して、いさかいは解消する。もちろん、あなたたちは二人とも論争の原因となった事柄についてはなおも強い拘りを抱いていて、それはどうにかして解決されねばならない。しかし少なくともあなたたちは、自分たちの行動のこっけいで人間的な側面を認めたのである。

 さて、タンゴは一人では踊れないが、笑うことに関しては必ずしもそうではない。「わめき散らしているいやな奴」が一人だけのケースも、ユーモアという目覚ましい手段によってしばしば治すことができる。ごく単純である。あなたがしなければならないのは、怒れるあなたのふるまいを、自分の心の目で眺めてみることだけである。

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 3/9

Ch.4 Anger

 私は自分がまだ車いす生活を余儀なくされていた頃の、映画テレビ基金病院でのある出来事を覚えている。私の左腕は石膏でくるまれていて、私は助けなしでは病院内のあちこちを動くことができなかった。私は自由なほうの腕で車いすの右車輪だけしか押すことができなかったので、車いすは前に進むというよりは弧を描いて回転したのだ。

 私は午前6時から起きていて、憂鬱で愚痴っぽくなり、退屈で気が散っていた。ようやく8時を回り、理学療法のために私が連れ出される時間になった。治療は苦痛だったけれども、殺風景な小部屋にただ座っているだけの単調さから逃れられるのを待ちわびていたのである。

 8時15分になっても私をトレーニングルームへ連れていくスタッフは現れず、私は呼び鈴を鳴らして看護師を呼んだ。しばらくして看護師がやって来て、人手が足りないので待ってもらわなくてはいけないと私に告げた。

 母はカフェテリアに朝食をとりに行っており、私はこの場に捕らえられた状態だった。のろのろと過ぎてゆく時間のなかで、私はどうすることもできずそこに座っていた。8時30分が来て、45分になり、それでもスタッフはやって来なかった。再び私は呼び鈴を鳴らした。キビキビした看護師がインターホンごしにきつい口調で言った、「テレサ、あなたは待ってなくてはいけません!」。

 私は檻に入れられた動物のような気分になった。怒りが私のなかにフツフツと沸き起こってきた。植物みたいにここでじっと座っていてたまるかと私は自分に向かって唱えた――自分ひとりでセラピーに行ってやろう。

 そして私は右手で車いすを押し始めた。車いすは左によろめいた。そこで私は右腕を自分の体越しに伸ばして――それはかなりの痛みを私に引き起こした――左の車輪を押した。今度は車いすは右に曲がった。

 私は右を押し、左を押し、また右を、左を押しを何度も繰り返した。押すごとに車いすはほんの数インチばかり前に進んだ。30分後、私はどうにかこうにか――ゼーゼーと息を切らしながら――部屋の外に転がり出て、人気のない廊下を数ヤードほど進むことに成功していた。トレーニングルームはさらに三本廊下を通ってからエレベーターに乗って下に下り、そこからさらに二本の長大な、紆余曲折の道のりを辿りきった地点にあった。重労働に汗まみれになって私は小休止し、このペースでノロノロと前進していった場合、トレーニングルームに辿り着くのにおおよそ4時間を要するとの見積もりを得た。この計算結果は私を激怒させ、そして私は完全にブチ切れた。私はバンバンバンと車いすのひじ掛けをぶっ叩き、右の車輪をひっ掴むと怒り狂いながら何度も何度も押しまくった。車いすは左旋回し、私は目まいを起こしそうな、激情に満ち満ちた円を描いてクルクルとその場で回転した。繰り返し私は押し、繰り返し私は回った。Jウイングの廊下の真ん中で、私は狂気のコマのごとき大回転に及んだのである。

 それから、目の回る回転の何周目かで、ある考えが私をおそった、「いやちょっと待て、私はあほのようにみえているに違いない」。私はその場で動きを止めると、笑い転げた。私は自分の怒りがいかにバカバカしい様式をとって表われていたかに気づいた。私の演じていたスペクタクルを思い返してみた――怒りで眉間にしわを寄せ、ピンクのネグリジェを疾風にパタパタとはためかせ、およそ馬鹿げた大立腹の発作で時間と体力を浪費している、車いすに乗せられたイスラムの旋舞教団。

 私は体を折り曲げて笑いこけ、ナースキャップの女性たちがナースステーションから私のことを見つめていないかを確認した。じきにスタッフが私のほうに歩いてきてこう言った、「もう下に降りる準備ができてる?」。私はうなずいて再び大笑いをはじめた。スタッフは言った、「あれ?なんだか今朝は機嫌がよさそうだね」。

 もしも私が自分がばかっぽい――そして笑える――行動をしていると、スタッフがやって来る前に気づいて我に返っていなかったら、私は哀れなスタッフに食ってかかり、号泣していたことだろう。代わりに私は事の顛末を彼に話して、私たちはクスクス笑い合った。彼は遅れたことを詫びたが、その日は二人のスタッフが病欠していたのだと釈明した。不必要な大噴火はこうして避けられた。

 怒りの可笑しな側面をみつけようとするすべての試みがうまくいくと期待することはできない。しかし、確かにそれは試してみる価値がある。

 

 深刻な病気にかかっている人やハンディキャップを負った人だけでなく犯罪被害者も、自分の陥った苦境や、あるいは自分の不幸な状況をコントロールできないことに対する無力感からくる怒りの感情を抱くことがしばしばある。この怒りは辛辣で意地の悪い気質や、病的な不満、嘆きの表明や、怖ろしい怒りの発作となって顕在化する。しかしなかには、自分の怒りをユーモアをとおして表現するすべを――多くの場合試行錯誤を経て――身につけている人もいる。そんな人々は、かれらの外観、かれらの受けた暴行、かれらを食い荒らしている癌細胞、かれらの期待薄な結婚の見込み、かれらの使い物にならなくなった肢、そのほかかれらの窮状に関連するいかなることも、皮肉っぽい可笑しさをこめて言い表し、かれら自身やほかの人々を楽しませるのだ。かれらは怒りに対処するために、笑いがかれらの――そしてほかの人々の――役に立つことを知っている。私は少なくとも時々は、そうした人間のひとりである。私の友人のフランクもそうである。

 

***

 

 フランク・ギャレットはゆかいな、ゆかいな人物である。かつてはバレー団に所属していたダンサーだった彼はいま、意欲的なディレクターにしてライターである。そして彼はまた犯罪被害者でもある。

 1984年の8月、フランクはいつもの朝のように、「生きるための」タクシー・ドライバーの仕事に向かうべく、Fラインでバーゲン・ストリートまで乗って行った。地下鉄の駅を出て、小さな街区を二つ歩けばタクシー会社の車庫だった。ちょうど朝日が昇りはじめたころだった。

 フランクが10ヤードも歩いたか歩かないうちに、彼は背後でキーがジャラジャラいう金属的な音を聞いた。その音が悪夢のはじまりを告げるしらせだった。

 フランクは振り向いて後ろに誰がいるのか見ようとしたが、10代後半の少年が素早く彼の脇に回り、こめかみに銃を押し付けた。数秒の間、フランクは背後にいる誰かが彼のポケットをまさぐっているのを感じた。そして――バーン!銃が炸裂した。

 フランクは自分が地面に横たわっているのに気がついた。なんの痛みもなかった。首から下はまったく感覚がなかった。「なんてこった、僕は麻痺してしまった」、彼は思った。フランクはなにか濡れたものが顔を流れ落ちていくのを感じた。彼のなかの声が言った、「僕は死んでいく。僕はバーゲン・ストリートで死んでいく」。彼の死の確からしさは、彼が横たわっている舗道ほどにも堅く冷たかった。

 不意にフランクは動きたいという切迫した衝動を感じた。トランス様の麻痺状態のなかで彼はなんとかして足を動かした。彼は自分がまったく麻痺などしていないことに気がついた。妙な具合に感覚を失い、しびれていただけだったのだ。

 彼のそばに一人の男性が現れ、彼の手を取って言った、「安心してください、私の妻が警察を呼びましたから」。フランクは瞬きもせず、その知らない人を見つめた。その人は親切だった。しかし彼が、フランクの頭部に空いた、小さな致命的な銃口を目にすることからくるゾッとするような悪感を抑え込もうと格闘していることは明らかだった。そこらじゅうが血だらけだった。

 フランクは男性に寄り掛かって、どうにか前へと進んだ。ほんの5、6歩歩いたところで警察が到着した。それからマッド・レースがはじまった。担当者がフランクを病院へといそぎ運んだ。数分後に車はサイレンを鳴らしながら緊急出入り口に乗り入れた。

 フランクは警察官とともに走って入っていった。彼のへなへなの脚は自発的に動いているようだった。そして彼の口も。彼はしゃべることを止めることができなかった。「ヘレンを呼んでくれ」、彼は何度も何度も繰り返した。「ヘレンを呼んで。僕は死ぬんだろう?ヘレンを呼んでくれ」、彼は服を脱がされ、カテーテルを挿入され、輸血の管を取り付けられ、X線検査をされながらもなおしゃべり続けていた。繰り返し彼は叫んだ、「ヘレンを呼んでくれ」。

 ついいヘレンが到着した、過去からの――銃弾に撃たれる前彼が生きていた世界からのパズルの1ピースのように。彼らは付き合いだしてから8カ月以上が経ち、実質的に共に暮らしていて、深く愛し合い、日ごとに親密さを増していた。

 フランクは絶望的な気分で彼女にしがみついた。「僕は死ぬのかい、ヘレン?」。彼女は青ざめ、表情はこわばり、涙ぐんでいた。彼女は彼を赤ん坊のように抱きしめ、優しくささやいた、「あなたはきっと良くなるわ」。フランクは彼女を信じようとした。

 神経外科医が到着して、ドクター・アイザックスだと自己紹介した。彼は親切で誠実そうだった。フランクは尋ねた、「弾丸はどこにありますか?」。

 ドクターは「見てみましょう」と答えて、CATスキャンを手配した。

 検査の後かれらが待っているあいだ、湧き上がる感情がフランクのなかを駆け巡った。彼は自分を、肉体的に頑健で、精力的で、立ち直りも速い人間だと感じていた。しかし彼の頭は「ボーッとしてフワフワして」、彼の心は別の惑星上にあるかのようだった。

 X線装置が運び込まれた。アイザックス先生ははっきりと分かる白い点を指して、シンプルに「これです」と言った。

 フランクは信じられない思いでじっと見つめた。部屋は沈黙した。言葉に表されることはない、ぞっとするような恐怖が空気を満たしていた。弾丸は彼の脳のど真ん中に留まっていた。

 フランクは震える声で尋ねた、「それを摘出することはできますか?」。

 ドクターの声は、反響室から聞こえてくるかのように、彼のなかで繰り返し鳴り響いた。

Nooooooooooooooooooo

  Noooooooooooooo

   Nooooooooo

 アイザックス先生はこの先起きることを説明した。手術。弾丸を摘出するためではない――それは取り出すにはあまりにも深く埋まりこんでしまっている。しかし、アイザックス先生がフランクに説明するところによると、弾丸が頭蓋に侵入していったとき、それは骨の破片や髪の毛や皮膚をいっしょに引き入れてしまっていた。手術の目的はそれらのものをできる限り除去することであった。

 午前10時。弾丸がフランクの脳に突入してから4時間が経っていた。髪の毛が短く剃られた。冷たく痺れた感覚を感じた。

 フランクはぐったりとして麻酔師を横目で見上げながら、手術前検査室に横たわっていた。

 「チャンスはどれくらいですか?」

 「およそ75パーセント」

 「オー!ゴッド!」

 麻酔薬が効果を顕しはじめた。フランクは部屋のなかのひとびとを見回した。彼らに対する言い知れぬ愛を彼は覚え、彼らが彼を応援し、彼を生き延びさせようとしているのを感じとった。彼は懸命に涙をこらえて、「あなたたち皆の幸運を祈ります」と言った。それから彼は意識を失った。

 何時間もの後フランクは目を覚まし、自分がこの危機を乗り越えられたことに驚いた。そして、病院での一週間の生活がはじまった。ヘレンはそこに昼も夜もいた、天使のように、主からの贈り物のように、優しく、愛情に満ち、彼の支えとなって。友人だちがやって来て、彼らはみなフランクがどれだけ「ラッキー」だったかを力説した。

 しかしドクターらはフランクのチャンスに関して率直だった。彼が百歳まで生きることは可能である、もしも副作用や苦痛を伴う症状が、生じたとしてもごくわずかであれば。しかし腫瘍が形成されてしまったら、フランクはいつでも死に到るおそれがあった。「脳についてはあまりにも少ししか分かっていないんです」と彼らは嘆息した。

 ドクターができることは、弾丸が移動しないこと、そして感染症が起こらないことを願うことだけだった。フランクができることは、体力を回復するよう励むとともに、彼の新たな現実に順応するよう努力することだけだった。彼の脳のなかには取り出すことのできない銃弾がある。彼の人生は明日にも、あるいは今日にも終わりを迎えるかもしれない。以前と同じものはなにもなかった。

 襲撃後のフランクの日々は、困難できびしいものであった。しかし二つのものによって、彼は活力とたたかう気持ちを保ち続けることができた――彼の怒りとユーモアのセンスである。

 彼の身に起こった出来事の苦さと、彼の人生を支配している恐ろしい不確かさがフランクの心をいっぱいにしていた。彼は自分を打ちのめした銃撃者に激しく憤った。彼は突然の、抑えきれない怒りの爆発におそわれ、挙句の果てに消耗しきってぐったりとし、震えていることもあった。

 しかし彼はすぐに、彼の怒りや苦痛にまわりのひとびとが対処することは難しいという事実に気がついた。もしも彼が怒りの発作を、それと同じだけの数の笑いの発作に読み替えていったら、そのほうが彼自身にとっても、ヘレンにとっても、ほかの人々にとっても、ずっと楽だということを彼は理解したのである。フランクが苦痛にもかかわらず笑うようになった時、彼は自分が何も失ってなどいないことに気づいた。彼はなおも考えることができ、なおも人生を楽しむことができ、彼のありのままの、痛烈な機知をもってひとと接することができたのである。

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 4/9

Ch.4 Anger

 フランクはいつもいたずらを楽しんでいた。それも時にはけっこうワイルドなやつを。ある朝、若い看護師が小さな黒いプラスチックのバッグを持ってフランクの部屋へ入ってきた。静かに、そしてややこっそりと、彼女はそれをベッドサイドの机の引き出しに入れた。興味を覚えてフランクが密閉されたバッグを取り出すと、そこには彼の名前が書かれていた。引き裂いて開けてみると中には黒い髪の毛の塊が入っていて、彼はそれが自分の髪であることに気づいた。笑い出して彼は言った、「これはなにかのジョークなの?」。

 看護師は答えた、「いいえ」。

 フランクは尋ねた、「これはなんのためのものなの?僕が死んだときに、葬式用に頭にくっつけ直すってわけ?」。

 若い看護師はきまり悪そうに横を向き、モゴモゴとつぶやいた、「まあその、正直に言えば、そうです」。

 これを聞いてフランクは吠えた。とともに、彼はもし自分が死んだら、笑いとともにこの世を去ってやろうと心に決めた。そこで彼はヘレンを説得して、ブロンドのかつらを買って持ってこさせた。彼はかつらの髪を切って、自分の髪の代わりにバッグに入れておいた。

 最近フランクはこの一件を私に説明して言った、「まあ死ぬことができるのは1回なわけで、その1回をブロンドで死んだって別にいいだろう?」。

 それらを彼が笑いに変えることによって、彼のまわりのひとびとが、彼や彼の傷についてずっとくつろいだ気分になることをひとたびフランクが学ぶと、彼は「マンハッタンでもっともおもしろい犯罪被害者」を目指すようになった。そして彼はじつにうまくやった。実際彼は、かつてこれほどまでに人を笑わせた経験を、ティーンの頃にスタンドアップ・コメディアンとして活動していた短い期間も含めてまったく思い出すことができなかった。

 フランクのユーモアのブランドは明らかにブラックで、しばしば苦みを帯びている。しかしそれは彼を活気づけ生き生きとさせる。ユーモアは彼の煮えくりかえる怒りを鎮め、先行きの覚束ない生に対する自殺したいほどの絶望へと沈み込んでいくことから彼を守ってくれるのである。

 フランクは彼自身のためのおかしなニックネームや、彼の傷を言い表すおかしな用語を考え出した。彼は自分のことをBullet Brain(ジュウダン・ブレイン)と呼び始めた。そして彼はヘレンを説得して、彼が病院で着ているガウンの一枚にHOLE IN THE HEADと名前を入れされた。人が彼をからかったり、看護師が彼を困らせたときはこう言った、「おいおい、そんな風に僕を扱わないでよ!僕は脳障害持ちなんだよ!」。(訳注、というか私的な感想:アメリカンジョークのツボがどうもいまいちよく分からん……)

 ある日、フランクの友だちで日蓮正宗仏教徒でもあるカーラが電話をかけてきて、しばらくの間彼と話した。突然彼女は言った、「ねえ、私は友だちといるの。今からあなたのところへ行って、お経を聞かせてあげる。それはあなたにとって必要なことなのよ!」。彼が返事をしようとする前にカーラは電話を切った。カーラが彼に、お経をしに行ってもいいかどうかの伺いを立てようともしなかったという事実が彼を苛立たせた。そして彼はいま、ドローンのごとき南無妙法蓮華経の読経を聞きたい気分ではなかった。

 フランクはしばらくのあいだ憤慨してそこに座っていた。そのとき彼は名案を思いついた。彼の隣のベッドには二週間にわたって昏睡状態の男性がいた。彼はピクリとも動かず、いっけんグッスリと寝入っているようにみえた。

 友人とともに現れたカーラは、フランクのベッド脇にやって来て数珠を取り出し、お経の用意をはじめた。しかしフランクは深い思慮の表情を浮かべつつ、彼らに向かってシーッと合図をし、こうささやいた。「カーラ、僕の隣にいる彼はそれはひどい苦痛のなかにあってね、何週間も寝ていなかったんだよ。いま彼ははじめて寝ることができたんだ。どうかお願いだから、僕のためのお経は僕の家でやってくれないかな」。

 慈悲の心で読経志願者たちは肯き、抜き足差し足で部屋から去っていった。彼らが行ってしまったあと、フランクは自分に向かって、楽し気に声を立てて笑った。

 最近フランクは私に、もしもかれがユーモアのセンスを保っていなかったら、彼は完全に憎しみと怒りの感情に支配されてしまっていただろうと語った。退院してからしばらくの間、彼はあまりにも怒りと絶望でいっぱいになって、ユーモアが一時的に彼のもとから去っていってしまったことがあった。しかし、苦痛と向き合い危機を生き延びたあとで、彼のはつらつとした気質、活力、そしてユーモアのセンスは全面的に復活を遂げた。

 フランクは今でも撃たれた体験や彼の頭のなかの銃弾についてしょっちゅうジョークを飛ばしている。そしてそれは本当のところ、彼のことを知る私たち皆が、彼とともに笑うことによって、彼の先行きの不確かさ対する私たちの苦痛と怒りからいくらか解放されることに役だっているのである。

 ある日、私たちが会ってからすぐに、フランクは私の家に電話をかけてきた。私は誰かと尋ね、彼は「フランク」と答えた。私は一瞬混乱した。すると彼は言った、「僕を知ってるだろう、テレサ。僕だよ――フランク・頭に弾丸入りの・ギャレットだよ」。

 この種のギャグは、まったく容認できるものだしまったく何気ないものであって、おかげで私も含めた彼の友だちの多くは、こんなことを気軽に言うことができるのである――「ねえフランク、私はあなたが頭のなかに弾丸入れてることは知ってるけど、それはあなたが40分も遅刻したことの言い訳にはならないわよ」。

 ユーモアを保つことで、フランクはくじけずに済んでいる。そしてそれは、銃撃への、彼の健康の先行きのあやふやさへの、まだ捕まっていない加害者への、なおも存在する怒りに彼が対応していくことの役にも立っている。フランクはいまもここにいて、いまも正気で、少なくとも苦痛と同じだけの喜びに溢れた人生をいまも楽しむことができている。

 

 笑いを共有することは、犯罪被害者であることの苦痛、怒り、疎外感を和らげる助けとなり得る。ほとんどあらゆる状況に宿っているアイロニカルなユーモアをともに認めあうことで、怒りの体験を分かち合い、理解することはより容易になる。怒りをユーモアで調節することは有効である。不安げな笑いでさえも、怒りの噴出のあとの死んだような沈黙に比べれば遥かに好ましい。

 ここ数年間で、私は怒りのより明るい側面に目を向けることを自分に課してきた。爆発的に怒ったり叫んだあとはほとんどいつでも、笑いやジョークに出番を与えることにしている。

 最近のことであるが、私たちの友人である犯罪被害者の公判延期の知らせを、私たちは四度続けて聞かされた。次の予定日には彼女とともに法廷にいることができるように、私たちのなかの代表のグループが準備を行った。会社に病気欠勤を届け出た人もいた。私たちは車の相乗りの手はずを整えた。記者にも報せた。そして前日の午後5時、Victims for Victimsの理事会の最中に、またしても延期の知らせが届いた。

 なんてこと!私は手近にある危険でない物体――それはたまたまVictims for VictimsのTシャツだった――を掴むと、部屋の向こう側に放り投げた。シャツはそこにいた私のちっちゃな4ポンドの子犬の上に舞い降りた。Totsieはキャンキャン吠えながら、シャツをのっけたままで慌てふためいて駆け回った。私は噴き出し、ほかのメンバーに言った、「TotsieのためにもTシャツを作らないといけないわね。私は被害者の、被害者のための被害者だもの」。このちょっとした軽口が部屋の緊張を和らげた。私たちはそれぞれ、教えられた、どうせまた延期されるだろう次回公判の日付を書き留めて、自分たちの仕事に戻った。

 

 ユーモアのセンスを取り戻すことは簡単ではないだろう。あなたは自分を駆り立て、促して、それを求めていくように心がけなくてはならないだろう。あなたは再び笑うことを学ばなくてはいけないだろう。

 悲劇の後で、私たちはあまりにも多くの時間を泣くことや嘆くことや苦しむことに費やしてしまい、楽しいときを過ごすにはどうすればよかったのか、時宜を得たジョークを楽しむにはどうすればよかったのか、日々の楽しみを享受するにはどうすればよかったのかを忘れてしまう。私たちはその点に関してまさに腕がなまってしまっているのである。

 あなたのトラウマがどれほど酷いものだとしても、あなたは再び楽しむことを自分に許すことができる。あなたは思いがけない可笑しなできごとや、皮肉に富んだウィットのひとかけらや、暗闇のより明るいほうを探し求めるために時間を割くことができる。あなたは怒りの吠え声のいくばくかを笑いの真珠に変えることができる。

 ユーモアが、苦痛あるいは怒りや苦しさや悲しみを、魔法のようにどこかへやってしまうことはないだろう。しかしそれはますます多くのなぐさめの時間をもたらし、やがてあなたは、喜びが再び自分の人生に帰ってきたことに気づくだろう。