Beyond Survival - Chapter 1 The Attack 1/2
第1章 襲撃(原書1~9頁)
十代の前半から私ははっきりとキャリア志向だった。私はまずニューヨークの舞台女優から始めて、そののち映画やテレビの仕事のためにロサンゼルスへと移った。
襲撃の前までに、私はDefiance(ジャン=マイケル・ヴィンセントの相手役)、ユニバーサル・スタジオ制作のI Wanna Hold Your HandやNunzio、ブライアン・デ・パルマ監督のHome Moviesといった映画の主演や助演をつとめていた。数多くのテレビ番組にしばしばゲスト出演し、Gangster Chroniclesでは準レギュラーの役を担い、NBC制作の映画Sophia Loren: Her Own Storyではソフィア・ローレンの妹役を演じた。ただ1982年3月の時点で、私はたぶんマーティン・スコセッシ監督『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロの義理の妹の役でもっとも名前を知られていた。
仕事と家庭生活とのあいだで、私はいつも極度に忙しかった。私の夫のFred Felicianoはアルコール依存症者や薬物常習者のカウンセラーで、ウエスト・ハリウッド近郊の快適な一角に住んでいた。フレッドは私に負けず劣らず活動的で、日中はずっと働き、夜にはUCLAの授業に出席していた。彼は私のハードワークぶりを誇りに思っていて、私の仕事を応援してくれていた。
でも1982年の3月8日にすべてが変わりはじめた。フレッドと私が夕食をとっていた6時ごろに、私の母がニューヨークから電話をかけてきた。興奮した様子で、彼女はたった今マーティン・スコセッシのアシスタントから電話を受けたのだと話した。スコセッシさんはどうやらロンドンにいて、私と至急連絡をとることを必要としている。母はそのアシスタントに私の電話番号を伝えたが、彼は私の住所も教えてくれと言ってきた。彼の説明によると英国では電話回線がダウンしていて、スコセッシ氏は私に電報を送らなければならなくなるかもしれないとのことだった。電話の主があまりにしつこく熱心に求めてきたので、母は彼に改めて私のマネージャーのところへ電話をかけ直させたりするよりも、じかに情報を教えたほうが得策だろうと判断した。仕事上のコンタクトで母が私の住所を誰かに知らせたりすることはこれまでに一度もなかったけれども、彼女は電話の相手がスコセッシのアシスタントであると信じこんでいた。とにもかくにもスコセッシの事務所は、電話帳には載っていない私の両親の家の電話番号を知っていたわけだが、母は電話の主がそこにいる誰かから伝え聞いたのだろうと思っていた(あとで私たちは、彼が探偵を雇って私のことを調べていたのだと知ることになる)。
私も母と同じく、スコセッシがそんなにも急に私と連絡を取りたがっていることに興奮するとともに、不思議に思いもした。
母からの電話のあとの半時間のことを私は鮮明に覚えている。私はフレッドにニュースを伝えた。私の母や私がそうだったように、彼も不思議がると同時に喜んでいた。スコセッシが別の映画の役に私を抜擢したんだと確信して、私は歌い踊りながらそこらへんを跳ね回っていた。こんなにも高揚した気分なのに、まだ自分が荷造りもしていなければパスポートも取り出していなかったのは驚きだった。フレッドは私のふるまいをおもしろがっていたが、もうUCLAに出かけなくてはならない時間だった。かばんに本を詰め、私におめでとうのキスをして彼は出ていった。
しばらくして、私のマネージャーのセルマ・ルービンが電話をかけてきた。取り乱した調子で彼女は言った、「テレサ、あなたのことを嗅ぎまわっている奴がいるの。とても心配だわ」。セルマは続けてこう言った、彼女のところに男が4度電話をかけてきたのだと。そのつど別の名を名乗り、プロデューサーだ、写真家だ、代理人だ、出版社の人間だと称して。電話のたびに彼は私の住所と電話番号を教えるように彼女に求めてきた。セルマは情報を伝えることを断り、そして2度目の電話の最中に、電話をかけているのが同じ人物であることに気がついた。彼女をもっとも不安がらせたのは、4度目の電話の最中にその男がクスクスと笑いはじめ、錯乱した様子をみせたことだった。その時点でセルマは、二度と彼女のところへ電話をかけてこないよう彼に警告し、さもなければ警察に通報すると伝えた。
セルマが電話主の名乗っていた名前のひとつを私に告げたとき、私の体は恐怖でこわばった。それは私の母に電話をかけてきた「監督のアシスタント」の名だったのだ。
すぐさま私は彼女に、両親の家にかかってきた電話のことと、その電話の主が母から私の住所を聞きだしていたことを伝えた。一瞬の沈黙のあと、セルマは言った、「家から出なさい」。
ぞっとして私は受話器を置くと、ドアのところへ駆け寄り、覗き穴から外の様子をみた。私たちの家はウエスト・ハリウッドでは典型的な、中央にプールのある中庭つき住宅だった。覗き穴からは誰の姿も認めることはできなかったが、私の視界は限られていた。
心臓をドキドキさせながら、私はホールを挟んでほんの数フィートのところにあるお隣のハーンさんの家の戸口に駆けていった。戸を叩くと、年配の女性がすぐに私を中へ入れてくれた。
震えながら私は彼女にこれまでの事情を説明し、電話を貸してくれと頼んだ。まず私はUCLAにいる夫と連絡を取ろうとした。管理課、警備課、総合案内…と順にダイアルを回した。20分後、私は大学の警備課の人から、フレッドが正確にどの教室にいるのかが分からないかぎり、授業が終わるまで彼と連絡を取ることはできないと伝えられた。ハーン夫人は私に心配しないでと言った。私はフレッドが帰宅するまで彼女の家に居られることになった。
すると今度は、電話主がフレッドに危害を加えるのではないかと不安になった、そこで私たちは、家のドアの下からフレッド宛ての伝言を差し入れておくことにした。ハーン夫人は私についていくと言ってくれた。私たちは文字通りに家から駆け出し駆け戻り、フレッドへのメッセージを残してきた。
続いて私はウエスト・ハリウッドの保安官事務所に電話をかけ、当直の保安官に事情を説明して、パトロールカーをよこしてくれるように頼んだ。私は保安官から、実際に私がなんらかの迷惑行為を受けているのではないかぎり、彼らのほうから人員を派遣することは出来ないと知らされた。呆然として私は返事をした、「もし彼が私を殺しにきたらどうするんですか?」
保安官は私に、この種の電話はメディアに出るような人間にとってはよくあることなのだと言い聞かせた。たいていの場合、電話の主は単にファンレターを送るための住所を知りたがっているだけである。この電話の主が危険人物である可能性は僅かなものです、そう彼は説明した。受話器を置いた時までに私はすっかり安心して、これまでの一部始終にばつの悪い思いをしかけたくらいだった。それでも私はハーン夫人の家に留まっていた。
11時にフレッドが帰宅して、ハーン夫人の家に私を迎えに来た。安全な我が家のなかで、私たちはどうすべきかを話し合った。悲観的な結論へ飛びつくことは二人とも望んでいなかったが、ある種の危険性の要素が含まれていることは明らかだった。
フレッドは空手の黒帯の三段で、私たち二人をともに危害から守る彼の能力に私たちは信頼を置いていた。とはいえ彼が夜昼となく私のそばについているわけにもいかない。私たちは代替案を考える必要があった。
引っ越すことについても話し合った。しかしフレッドと私はこの家が好きだったし、家を出ることは性急かつ早急にすぎる判断だと思われた。友人に頼んでしばらく彼らの家に滞在させてもらうことも考えたが、誰だかも分からない電話主のせいで私たちがまんまと離れ離れにさせられるという考えは、私たち二人のどちらにとっても腹立たしいものだった。
疲れ切ったフレッドと私は、しばらく休んで朝になってから事を決めることで同意した。6時間後に私たちが目を覚ましたとき、前夜の出来事は差し迫った現実の脅威というよりは一場の不快な夢のように思われた。私たちはそのことで実際にお互いをからかい合ったりもしたけれども、私たちの笑いの下には不安が潜伏していた。私たちは、フレッドが家から私の車までと車から家までの間を私に付き添うようにすることと、彼が家にいない時はハーン夫人の家かほかの友人の家に私がいるようにすることを決めた。
その朝の歌の授業の終わったあとで、私は教授に起こった出来事を話した。教授は私に、事務局に行ってファイルから私の出欠記録を取り外し、誰かがそれを利用して私の行動を追跡できないようにすることを奨めた。電話主が大学に勤めているか出席している誰かだということはあり得ることだった。すぐさま私は事務局に赴いた。音楽科の責任者はとても理解のある人で、ただちに私の記録を外させてくれた。
授業のたびに、私は一人か二人の人に私のことを見張っていてくれるようにお願いした。その日の午後までに、私は少なくとも大学にいるあいだは安全だと感じるようになっていた。
その週の終りまでのあいだに、なにもおかしなことは起こらなかった。フレッドと私はともに、たぶん私たちは過剰に反応し過ぎていたのだと思い始めていた。結局のところ――私たちは自分自身に言い聞かせた――電話の主は私の電話番号と住所を知ってから5日間のあいだ、私に接触しようとするいかなる試みもすることがなかった。日中のほとんどを家で過ごしているハーン夫人は、建物の入り口を注意深く見張り続けてくれていた。フレッドと私は、外出するときはいつも中庭や車庫や路地をチェックしていた。私たちの誰ひとりとして、不審な人物を見かけるようなことはなかった。
* * *
母のもとに電話があってから一週間後、私はロサンゼルス・シティー・カレッジの音楽の授業に行くための支度をしていた。フレッドは今日の君は素敵だよと言ってくれた。私は自分の陽気な気分に合わせてマリンスタイルのシャツと赤白のストライプのセーラーブラウスを身につけていた――気分は上々だった。私は数日前にオーディションを受けたHill Street Bluesへのゲスト出演の役を得られるものと確信していた。そして私は二日前に教会へ行き、怖がることなく日々を生きていくと誓っていた。
私が持っていく本を集めていると、フレッドが私に、車まで付き添っていくから服を着るまでしばらく待っていてくれと頼んできた。私はフレッドにキスをすると、ベッドで休んでいてと彼に言った。外出する前に私が彼に言った最後の言葉は、「心配しないで、私はだいじょうぶだから」だった。
10時少し前に私は家を出た。明るい、お天気の日だった。入口の門をくぐって正面の階段を下りていくとき、私は自分自身に向かって「私はなにも恐れないし、いかなる危害も私のもとに振りかかることはない」と断言していた。
私の車は隣家の建物の前の通りに停めてあった。私がドアにキーを差し込んでいたとき、声がして、それ以来ずっと私の心のなかにこだましているあの言葉を言った――「テレサ・サルダナですか?」。私はあたりを見回し、一人の人物が私のすぐ左にいるのを見た。