PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 16/16

 ボズレー氏の反応は、ある種ガチガチの禁欲主義だった。はじめ彼は加害者に対する恨みと怒りを露わにし、「奴の足をへし折ってやる」と脅し文句を口にした。その後彼は、強固にして静かなる行動パターンへと落ち着いた。彼は妻が頼りにすることのできる人間としてそこにいたものの、レイプの問題についてのあからさまないかなる議論も避けていた。初期のトラウマが過ぎたあと、ボズレー氏は基本的に、物事ができるかぎり速く鎮まることを欲していた。妻と娘が起こったことにこだわり続けているのを彼はまったく理解しがたく思った。しかし彼はいざとなれば助け舟を出し、するべきことをなんでもする用意はしていた。

 ボズレー一家に常態への速やかで容易な復帰への道はなかった。彼らの息子はふだんどおりに仕事をこなしていたものの、サラの身に起きたことと、それが彼ら全員に引き起こした変化に深く動揺していた。彼らの娘は悩み、惨めな様子で、苦しんでいた。ボズレー夫人は表には出さずとも意気消沈し、千々に心乱れていた。彼女の夫はむっつりとして物思わしげにふるまっていた。彼らの生活の調和も円滑さも、すべて剥ぎとられていた。

 そして事件から2週間後、サラは両親に、家のそばにあるレイプクライシスセンターに支援を求めに行くつもりだと語った。

 ボズレー夫人はこれを聞いて複雑な心境を抱いた。彼女は常日頃、人は自分の問題を自分で解決できなければいけないという考えを持っていた。「セラピーに行って苦痛や問題をほじくり返すことは、惨めな思いをいっそう長引かせることにはならないかしら」、彼女はそう懸念した。しかし娘が、自分は外部の人間の手助けが必要だと真剣に感じているのだと説明したとき、クレア・ボズレーと彼女の夫はただちに協力的になった。

 ボズレー夫人はいま、レイプクライシスセンターへ行くことはサラにとって、したがって家族全体にとって、疑問の余地なく重要で前向きなステップだったと信じている。第一に、サラが専門家の手引きを受けていると知ることは、彼らにとって安堵につながった。サラを手助けすることについてのすべての責任がクレアの肩にかかっているわけではもはやなくなったのである。

 「こんな事件が起きるまでは」、ボズレー夫人は言った、「このようなセンターが存在することを私はまったく知りませんでした。でもサラが私たちに、この問題についてすべてを知っている人たちと話をすることがどれだけ心強くて役に立つかを話してくれたとき、私たちは完全に納得がいったのです。私たちはもちろんこの件に関して専門知識を持っていませんでしたので、自分たちがやっていることについて知識のある誰かがいると知るのは良いことだったのです」。

 サラは何ヶ月にもわたって治療を受け、起こったことすべてによりよく対処できるようになっていった。彼女は自分のもっとも暗い感情のはけ口としてセンターという場所を得たので、家族に対して以前ほど無口になったり、腹立たしさを覚えたりすることはなくなった。物事はレイピストの裁判の日までスムーズに進んでいった。

 サラの証言の日、センターから来たせラピストが付き添い、彼女を法廷へ連れていった。サラの両親も彼女をサポートするためその場にいた。二人はサラを心配して神経質になっていた。彼らは公判手続きがどんなものなのか、サラがレイピストのいる前での証言でどうふるまうのか、まったく見当がつかなかった。

 レイプクライシスセンターでサラをカウンセリングしてきたグレース・モレラに、ボズレー夫妻ははじめて対面した。セラピストの存在は、サラだけでなく彼女の母をも落ち着かせる効果があった。ボズレー夫人は、セラピストが娘の必要とするものや抱える問題への深い理解を持っていることを感じとった。

 会話の途中でグレースはクレアに名刺を手渡し、電話でサラのことだけでなく、事件に関連した彼女自身の思いや問題も話してみるように薦めた。グレースはクレアとじかに会うことも喜んですると言った。

 ボズレー家の人々は、サラの証言の順番が回ってくるのを何時間も待った。昼に彼らは翌日また来るように言われた。苛立ちと疲労を覚えながら、サラと彼女の家族は裁判所を後にした。全員にとって不安な、眠れぬ夜であった。午前8時半に、彼らは全員が前日よりはるかに不安な心境を抱きつつ裁判所に戻って来た。クレア・ボズレーは、グレースの手を握りしめながら座っている娘の姿を見やった。ついに廷吏が「サラ・ボズレー」と名を呼び、若い女性が証言台へと進み出た。

 サラの姿を見守りながら彼女の証言を聞くことは、ボズレー夫妻にとって恐ろしい試練だった。彼女と彼女の夫は、彼らの娘のレイプについての、微に入り細にわたるおぞましい現実に突如直面させられたのだ。彼らは事件のおおまかなところは既に聞いていたが、あの性的暴行の最中に彼女の体と心になにが起きたのかに関する、ここまでの秒刻みの真実をサラが彼らに話して聞かせたことはなかった。

 サラは彼女の証言と反対尋問の試練を乗り切った。後に検事は彼女のことを「完璧な証人」と呼んだ。ボズレー夫人も賛成した。彼女は私に、公選弁護人の質問が配慮のあるものとは言えなかったときのサラの反応は「まったく小生意気」だったと語った。

 やがてレイピストは判決を言い渡され、かなり厳しい懲役刑を受けた。

 しかしボズレー夫人は、サラの証言が呼び起こしたぞっとするイメージを心から振り払うことができなかった。彼女のなかで猛威をふるう悲嘆や苦痛を取り除くことができなかった。裁判から数日後、彼女はグレース・モレラに電話をかけ、セラピストに会う約束を取りつけた。

 サラの事件以来はじめて、クレアはサラや家族のほかの皆の気持ちを気にすることなく、自分自身の感情を打ち明けることができた。彼女は泣くことも、起こったことに怒りをぶちまけることも、恐怖を表に示すこともできた。グレースとの数回のセッションは、クレア・ボズレーに申し分のない解放感をもたらした。

 彼女の個人的な感情について話すことに加えて、クレアはどのようにしてサラと接していくのがベストかについての助言をグレースに求めた。両親は娘にあまり沢山のアドバイスを与えて圧倒してしまったり、物事を自分で決めることをさせなかったりすることがないよう留意して、娘が自分自身をコントロールしているという感覚を取り戻していけるよう導いてやるのが望ましいというグレースの言葉に、彼女は熱心に聞き入った。犯罪被害者の多くの両親は、彼らの成長した子供を再び抱き締め、いま一度家庭の庇護のもとに誘い入れたいという同じ衝動を感じるものなのだとグレースはクレアに知らせた。しかしサラの場合、ボズレー夫妻が時として娘に彼らへのあからさまな依存を促しているようにグレースは感じることがあった。彼らはいつも彼女に物事を自分たちと一緒にやるよう誘っていた――教会の式典に付き添ったり、ともに旅行へ行ったり、コンサートに行ったり、一日中ショッピングにふけったり、といったように。明らかに、彼らはサラに自分たちが彼女のためにそこにいるのだと分かってもらいたがっていた。

 しかし現実には、サラはいま自分の時間と空間をある程度必要としていた。彼女にとって重要なのは立ち直ることだった。彼女はもはや少女ではなく、レイプによって一時的に損なわれている自立心と自制心を取り戻すことが必要だった。クレアは話に聞き入り、グレースの助言に従うことにした。

 その時から、ボズレー夫人はサラの自主性をより許容するようになった。彼女は必要とされたときはサラのそばにいるようにしたが、通常の家族の水準を上回るようなふれあいをもちかけたり、あるいは強要したりはしないようにした。彼女はまた、娘が再び自分で意思決定をするようになるための一助として、サラへのアドバイスをあまり強い口調で言わないようにも努めた。

 グレースとの数回のセッションの後で、クレアは状況全般の顕著な改善を実感したので、そこで面会を終わりにした。しかし彼女は、その後生じた個々の問題や懸念について、しょっちゅうグレースに電話で助言やサポートを仰いだ。

 事件から約一年後、サラが両親に、レイプクライシスセンターの慈善講演に来ないかと尋ねた。彼らはすぐに同意した。その後、予定の行事が開かれる少し前に、サラはセンターから、講演に来た六百人の聴衆の前で行われるインタビューで自分の思いを語ってくれないかとの誘いを受けた。サラは母親にもインタビューに加わることを強く求め、クレアは娘のために、いくぶんためらいがちに同意した。その6月の夜、何百人もの聴衆の前でクレアとサラは、彼らの性的暴行の体験について、そしてそれが家族にどう影響を及ぼしたのかについて、思うがままに語った。母と娘が、二人を共に苛んでいた苦痛、恐怖、苦悩を認めたという点で、このインタビューはある意味セラピーのさらなる延長であった。

 ボズレー夫妻はセンターの行事への支援、参加を続けた。その関わり合いをつうじて、彼らは共に、レイプをめぐる現実についてのより深い認識を得るに到った――影響を受ける人や家族の数、それが被害者や被害者の大切な人々に引き起こすトラウマ、そうした暴行の衝撃的に高い発生率。

 ある晩、クレアとその夫はセンターへ行き、5人のレイプ被害者が彼らの受けた性的暴行について話し合うパネルディスカッションに出席した。年齢も背景も異なるこれらの女性の話はボズレー氏の意識に突き刺さり、サラのレイプについての彼の考え方、話し方を180度転換させた。それまでボズレー氏は、試練を経た娘をいかなる方法でも助けるためにベストを尽くそうとしてきたが、単純にレイプというものとそれがもたらす余波を理解していなかった。彼は娘に同情していたものの、彼が性的暴行への「執着」だと考えていたものを受け入れることは、彼には困難だった。「なんてこった」、彼は時々苛立ちながらそう言ったものだった、「いったいいつになったら私たちはこれらすべてを忘れることができるんだろう?」。

 そのパネルディスカッションで5人のレイプ被害者全員の考え方を聞いたあとで、ボズレー氏はようやく、レイプの被害に遭った大半の女性が取り組んでいかなければならない、長期にわたって残存する問題を理解したのだった。この率直でつらい討論に立ち会うことによってボズレー氏は、レイプ後のサラのトラウマが消えるまでに長い時間を要するのはまったく正常なことであるという事実を、そしていまこの時点でも、サラは彼女が経てきた悪夢を完全に忘れているはずなどないだろうという事実を受け入れるに到った。

 ボズレー氏は実際にはいかなるセラピーのセッションにも出たことはなかったけれども、そこでボズレー家全体が啓蒙やカウンセリングや同情を受けているセンターの開催するプログラムから、彼はたしかに恩恵を得ていた。そして、レイプ被害者のほかの家族とのあいだに、ボズレー家はある種の共感と理解を分かち合っていた。

 今日、この恐ろしい試練をくぐり抜けたあとで、ボズレー一家ははるかに親密な家族になっている。

 

 セラピーは無条件に万人のためのものではないだろう。しかし、ほとんどすべての種類の犯罪を乗り越えてきた被害者たち、そしてかれの内部サークルのメンバーとの、私の度重なるインタビューに照らし合わせてみるならば、セラピーは、被害者の内部サークルのすべてのメンバーが起こったことのより完全な理解に達するための、被害者とどう接していくのがもっとも効果的であるかについてのよりすぐれた認識に達するための、内部サークルのメンバーが自分自身の感情や考えについての――それとともに自分自身を救うためにはどうするのがベストであるかについての――より深い理解へと達するための、効果的な、信頼できる手段であるようにみえると私は言わねばならない。