PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 14/16

 シーラは夫との合同セラピーのいっぽうで、ひきつづきナンシー・クレスと個人でも会っていた。個別と合同のセッションはそれぞれ別の理由で有効であることに彼女は気づいた。個別のセッションでシーラは彼女の心の奥底へと分け入り、彼女のもっとも深いところにある要求、恐怖、問題に注意を向けた。自分自身を気遣うこうした時間を持つことによりシーラは解放され、合同のセッションでは彼らの結婚生活を脅かしている問題にもっぱら力を注ぎこむことができるようになり、マーティンとのよりよいコミュニケーションのとりかたを学んでいった。

 やがてシーラは、マーティンが彼女の要求をだんだん受け入れるようになり、それどころか彼自身のセキュリティ意識も高まり、自分を取り巻く環境に注意を払うようになったことに気がついた。快くというには程遠いとしても、マーティンはついにシーラの変化を受け入れ、彼の怒りをある程度忘れることができたのである。彼らの口論は減り、互いの差異をかんしゃくを起こすことなく話し合うことができるようになった。セラピー開始から2カ月を経て、事件に関連した問題はまだ多少続いてはいるものの、もはや結婚生活を脅かすような状態にはないと彼らは認めるに到った。

 シーラと私の長い対話のあとで、彼女は私をひろびろとして快適な夫の仕事場へ案内した。そこらじゅう本だらけだった。マーティンは私がふかふかしたソファに腰を下ろすまでタイプを続けていた。それから彼はばかでかい机越しに私のほうを見た。

 私はひとつの質問で会話をはじめた、「あなたにとってセラピーはどのように役立ちましたか?」。

 「そうですね」、マーティンは応じた。「セラピーは、シーラが絶えず抱いている危機感に対して僕が大幅に順応することの役に立ったと思います。妻の考え方は極端に用心深いですし、たいていの人は用心深すぎると言うでしょうが、それでもそこにはある程度の合理的理由が根拠としてあるんだということに僕は気がついたんです。危険は実際そこに潜んでいるんです。さらに、僕はセキュリティのことで今でも妻に困らされてはいるものの、セラピー以後は、シーラが経てきたあらゆる変化や、彼女が安心感を得るために今やらざるを得ないもろもろの手順を腹立たしく思うことがずっと少なくなったんです」。

 「僕の怒りはこみいっていたし、今でもそうです」、マーティンは続けた。「まず最初に僕はこう思いました、あのクズ野郎はよくも俺の人生をこうまでメチャクチャにしてくれたなって。僕の怒りはまず、捕まっていない、誰だかも分からない犯人へと向かったんです。自分が自警団の役を演じている空想にふけることさえしました、チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』風に犯罪者を追い詰めていってね。でももちろん、そんなことを現実にするのはありえない話だってことは分かってます」

 「その後、こういうことをした輩への怒りに加えて、僕は妻に並々ならぬ憤りを感じるようになりました。彼女の極度に高まった不安がどうも不合理に思えたんです。ナンシー・クレスは、僕がシーラの不安に向き合って生きていかなければならないんだということ、そして、彼女の不安は部分的には不合理だけれども、彼女が経験したことと、この世に存在する非常に現実的な危険に照らし合わせてみれば、実際に合理的な面もあるんだということをはっきりさせてくれました」

 「ある意味で、社会が考えるところの夫の果たすべき典型的な役割は、僕には不向きなものでした。僕に面倒をみてほしい、保護者になってほしい、危険や暴力に対する注意を払ってほしいという彼女の突然の要求に、僕は反感を抱いたのです。僕は彼女のあれこれの要求と、危険や恐怖や用心といったことにばかり焦点が当てられることで、事件の前に僕が抱いていた、自分はそんなこととは無縁だろうという感覚がいくらか奪い去られていったという事実に嫌気がさしたんです」

 「セラピーで、僕は自分が社会で現実に起きていることにある意味まったく無関心だったことに思い至りました。人はこの種のことが自分や自分の愛する人に起きるまで、そんな犯罪はテレビでしか起きないんとだと思いがちです。そして僕もそう思っていたんです」

 「僕たちが受けたセラピーは現実指向でした。僕はシーラと、僕らの置かれている状況を見つめ、物事を評価することができました。僕は妻を深く見つめ直し、彼女が僕にとっていつでも本当に特別な存在だったことを理解しました。僕は彼女を失いたくなかった」

 「そして僕は取り組みはじめた。僕は彼女の要求にもっと敏感であるように努めました、そして、恐ろしい事件のあとでおのずと様変わりした彼女の視点から物事を見るように努めました」

 「僕は妻の変化に順応していかなければならなかった。これらの変化を彼女が経験したことの自然な結果としてみることは、そのための助けになりました。しかしそれは簡単なことではありませんでした」

 「シーラは僕が知っているもっとも勇気のある人間のひとりだったんです。彼女は仕事のためであれ遊びのためであれ、近所のどんな怪しげな場所にも出かけていって、午前1時とか2時に一人で帰ってくることもしょっちゅうだった――あの事件が起きる前まではね。彼女は恐れを知らずどんなところにも行っていたんです」

 「今はすべてが変わってしまいました。夜になると彼女はまったく別人のようです――脅えきっています。本当に忌まわしい屈辱です。あの男がシーラにやったことだけでも十分に酷い。ですがあいつが彼女から自由や活動性を奪い去ったことは、ある意味でさらに酷いことです」

 「シーラの変化で僕が特に腹立たしく思うのは、それが僕たちのライフスタイルを異常なものにしてしまったことです。鍵やらかんぬきやらゲートやらアラームがそこらじゅうにあります。彼女は僕と一緒でさえも外出することを恐れています。シーラは実質的にどこにでも、グループかほかのカップルとともに出かけることを主張しています」

 「僕たちは以前は二人で楽しく旅行していたものでした。それが今では4人連れでのお出かけですよ。僕たちがおおいに享受していた自発性は完全に破壊されてしまいました」

 「シーラと僕はこの家を、人目につかず、離れて立っていて、安心できるという理由で購入したんです。今ではその同じ特徴がシーラにとってはまったく別のことを意味するようになりました。彼女はこの場所がまったく人目につかないがために、人知れず追い詰められて襲われるんじゃないかと考えているんです。だから僕たちはいずれこの家を売ることになるかもしれません」

 「もとはと言うと、僕は電流ゲートの設置を嫌がって反対したんです。まるで僕らが囚人になったみたいじゃないかって感じたわけです。でも僕は今彼女の言うことを聞いてよかったと思っています。ここの敷地に入り込んでうろうろしている人がときどきいまして、妙なことだなといつも僕は思ってたんです。彼らのほぼ全員は、道に迷ってしまって途方に暮れている人に違いなかろうと僕は思います。しかしなかには泥棒かなにかのため下見に来ている奴がいないとも限らない。しかし今僕は心配する必要はありません。ここは安全です。シーラは気が楽になり、完全なるプライバシーがここにはあります。僕は招かれざる訪問者に策を講じる必要も、彼らが本当は良からぬことを企てているんではないかと心配する必要も、まったくありません」

 「事件の後で、僕は自分の安心感を保ち続けたいと思いました。結局のところ、通常の生活を送りたいと望むなら、ある時点で自分にこう言い聞かせなければならないんです――オーケー、世の中ではいろいろなことが起きてはいるが、統計的に考えて誰もが自分に危害を加えようとしているわけじゃない」

 「この考え方は僕にとってはたいへん結構なものなんですが、セラピーで、僕はシーラがあの事件の後でそういう考え方を受け入れる用意がない、あるいはできないんだということを理解したんです。そのことで僕が彼女に腹を立てたりとやかく言うのは無益なことです。単に、彼女ができないことを彼女に期待するわけにはいかないんです。望むらくは、時が経てばやがて彼女はそれほど怖がらなくなるだろうと思います」

 「僕は妻をおおいに敬服しています。彼女には度胸がある。もしも彼女があれだけ長く叫び声を上げ、犯人と格闘を続けていなかったら、彼女は今日ここにいなかったでしょう。彼女は過酷な試練を乗り越えました。そして彼女は僕の愛する女性です」

 「最近、シーラと僕は街から引っ越すことにほぼ決めました。これは僕にとってはまったく問題ありません。僕は物書きの仕事ですから常時人のそばにいる必要はないですし、シーラは都会生活から離れればより安心感を得られます。だから僕らはこの件では考えが一致していて、快適にやっていけるでしょう」

 マーティンと私が議論を終えるとシーラも加わり、私たちはしばらく一緒に会話を交わした。その時までに、私はセラピーがコベル夫妻の結婚生活の維持に多大な役割を果たしたことを確信していただけでなく、そのことを嬉しくも思っていた。シーラへの暴力行為、脅迫電話、セキュリティへの要求などの、事件の結果として彼らのあいだに今でも存在している問題にもかかわらず、このカップルはなおも逞しく、愛情に溢れていて、そんな彼らを知ることは喜びであった。

 「セラピーに感謝ですね!」、お別れに際して私は言った。

 「そのとおり」、シーラは言った。彼女の夫も同意してうなずいていた。

 私は車に乗り込み、急な坂道をゆっくり下っていった。私はコベル家の擁する資産の中でしばらく待機していた。それから重たい鉄製のゲートがうなりを上げて開き、私は外に走り出した。

 

 コベル家を訪ねて彼らの成功譚を聞いた私は、おのずと自分自身の結婚生活を振り返ることになった。もしも私たちが事件後すぐに合同セラピーの助けを受けていたら、私たちの結婚生活は守られていただろうか、私はそのことをよく考える。

 私たちの破局の主な理由は、事件が私をあまりにも変えてしまったことにあると私は信じている。フレッドは、彼のずっと知っていて愛していたテレサで私があってほしいと痛切に願っていた。しかしあのテレサは――はつらつとした健康を発散していた、誰をも信頼していた、怖れることなく歩き回っていた、善は常に悪に打ち勝つと信じていたテレサは、存在することを止めていた。そして彼女がいた場所には別の人間がいた――傷つき、幻滅し、心と体が麻痺し、人類への信頼を欠いた人物が。

 フレッドはただ彼女の妻に戻ってきてほしかった。そしてこれは彼を困惑させ、私を憤慨させた。

 私はもはや以前と同じではない、そしてそれは私のせいではない――私は苦々しげに心のなかで思っていた。

 私の肉体はまったくぼろぼろになり、私はすべての意識を治癒へと向けなくてはならなかった。それゆえに私には、フレッドのことや彼の抱える問題に振り向けるべき時間や活力がほとんどなかった。

 彼が日増しに張り詰め、不安そうで、ふさぎこんだ様子になっていくのに気づいた私は、彼にセラピストを薦めた。しかしフレッドは、事を自分だけでこなしていきたいと言い張った。

 振り返ってみて、私はフレッドとの合同でセッションを考えていたら――いやむしろ強く主張していたら、と思う。お互いを傷つけないようにと思って、彼と私が心の裡にしまいこんでいたことがたくさんあった。

 たとえばフレッドは、自分の苦痛やトラウマが無視されているとの思いを抱いていた。しかし彼はそれを私に話すことで私が苦しむのではないかと恐れていた。

 私のほうは、事件前にそうだったのと同じ状態に私が戻ってほしいという彼の、私が考えるところの理想主義的な願望に対する嫌悪感を隠していた。こうして私たちは、自分の考えや憤懣を自分の中に閉じ込めていた。

 もしも私たちが一緒にセラピストとのセッションに臨んでいたら、おそらくフレッドと私は自分の感情をさらけ出し、それについて話し合い、解決へ向けて取り組んでいっただろう。しかし、誰の援助を仰ぐこともしなかった私たちは、自分の思いや憤りをずっと隠したままだった。これは習慣になっていて、時を置かずして守るべき秘密はいや増しに増えていった。私たちは一般論で話すようになり、ほとんど機械的な手順で互いにやりとりをしていた。

 フレッドと私がそのときその場で必要としていたのは、他者の介在であった。その代わりに私たちは自分だけで乗り切ろうと悪戦苦闘していた。しかし日ごとに私たちの距離は隔たっていくように思われた。私たちはともにではなくひとりきりで傷を舐めるようになっていった。ほどなくして私たちは互いにほどんと共感を覚えなくなった。

 私の退院後、フレッドと私は互いに会い続けていた。しかし私たちはもう二度と夫と妻として一緒に暮らすことはなかった。私たちが結婚カウンセラーの援助を求めた時には、もはやあまりにも手遅れだった。私たちのあいだに開いた溝は既に、もう後戻りできないほど大きくなっていたのである。

 セラピーで私たちは、自分の問題をもう一度さらけ出し、改善へ向けて取り組んでいこうとした。しかし数週のうちに、私はそれが不毛だと感じ出した。私はもはや夫としてフレッドに関わることができなかった。私は本当に彼を愛していた、彼に敬意を抱いていた、しかし私はもう、妻とそのパートナーの親密さを感じなかった。悲しみとともに、私はまず自分自身に、次いでフレッドに告げた、私たちの関係はもはや修復不能のダメージを受けていると。

 私の具合が悪かった頃、フレッドと私は互いのコミュニケーションに多大な問題を抱えていたので、私は自分自身や両親やほかの人たちに援助や交流や愛情を求めて頼るようになっていった。夫と妻を結ぶ絆はゆるやかに、しかし確実に、切れる限界まで引き伸ばされていった。奇妙なことに、私たちがそれを公言するずっと前から、私は既に自分が元妻であるかのように感じはじめていた。

 フレッドと私はもう後戻りができない。だが私は、もし自分たちが早い段階で援助を求めていたら、私たちが今日まで夫婦でいることもできたかもしれないと感じている。

 以上の理由から、それと私が、犯罪被害のあとでじつに多くの関係が萎れていくありさまをみてきたことから、私は関係性に問題を抱えているすべてのカップルに、セラピーによる援助を求めることを強く薦める。事態が「落ち着く」まで待ってみようとついしたくなるものだが、フレッドと私の場合のように、その時点で単にもう手遅れということも往々にしてあり得るのである。