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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 13/16

 私のリクエストで、クレア氏は私を、彼女が犯罪被害後のカウンセリングをしているシーラ&マーティン・コベルのカップルに引き合わせてくれた。彼らは私をブランチの席に招待し、その後私は一人ひとりと個別にインタビューを行った。

 約束の日の朝に、私はビバリーヒルズの美しく閑静な一角にある瀟洒な家に向かった。長身でエレガントなシーラ・コベルは、魅力的で上品な雰囲気と同時に、真の温かさを発散していた。彼女の声音や所作は柔らかな調子を帯びていたが、私はすぐに、シーラが強さと決断力を具えた女性であるのを感じとった。彼女は私を家に招き入れ、夫のマーティンを紹介した。手作りの美味しい食事を前にしながら、彼らは自分たちのことを私に話してくれた。

 シーラは農場で生まれ育ち、ティーンの時に女優になるため家を出た。何年ものあいだ、彼女は舞台や映画の仕事と、今は大きくなっている娘を育てることの二つに時間を捧げていた。彼女とマーティンは共に前にも結婚していたことがあり、二人は夫婦になって20年だった。

 劇作家で脚本家のマーティンは、締まった体つきの知的な男性である。彼は他人といるときは楽しく会話を交わして外向的だが、本当はむしろ一人きりで思索や内省にふけり、なによりも書きものをしたいのではないか、人はそんな印象を彼から受ける。

 シーラとマーティンはともに強気な個性と考えの持ち主で、いつでも意見が合うわけではなかったが、もちろん彼らはお互いをとても愛しあい、尊敬しあっている。

 ブランチのあと、マーティンは仕事のため退出し、私はシーラについて広々として明るい彼女の居間へ行った。私たちはしばらくそこでおしゃべりをし、それからシーラが彼女を襲った事件の詳細を私に語ってくれた。

 約15カ月前、シーラは彼女のチョコレートブラウンのメルセデスの盗難防止対策を講じることに決めた。車にアラームを取り付けに行った際、彼女はハンドルの下に「パニックボタン」なるものを設置した。車中にいてなにかトラブルが発生した場合、手動で警報を鳴らすことのできるしくみである。

 シーラのしたことを聞いて、友人たちは彼女のことをからかった。彼らの大半は、彼女の用心深さをばかげたものに感じていた。しかし、日常的に一人で外出する――それもしばしば突飛な時間に――ことの多いシーラは、それを賢い投資だと思っていた。

 1月のとある寒い晩にシーラは車を運転して、彼女がライティングの講習を受けている近くの大学のキャンパスに古典映画の上映を観に行った。

 映画が終わり、シーラは親しい大学の警備員の一人に彼女の車まで案内してもらった。街路樹の立ち並ぶキャンパスの道路を走っているとき、シーラは車のトランクが開いているのに気づいた。彼女はいったん車を止め、トランクを閉めに行った。

 シーラが車のそばを歩いているとき、若い男が背後の茂みから現れ、彼女に向かってまっすぐ近づいてきた。強い恐怖の感情がシーラを襲った。彼女は一瞬その場で竦んだあと、車内に戻ろうとした。しかし遅すぎた。男は彼女を乱暴に車の中へ押し込んだ。そして彼は狂った獣のように彼女に飛びかかり、「ブッ殺してやる!」とわめき散らした。

 男が彼女の顔面に拳を繰り返し打ち付けるたびに、シーラの頭のなかに爆発的な痛みが沸き起こった。

 「ブッ殺してやる、ブッ殺す、ブッ殺す!」、彼は繰り返した。

 激しい殴打を受け続けながらも、シーラは叫び、抵抗し、蹴りを入れ、もがいた。

 「ああ神様、こんなのやめて」、覗き込んだ男の眼に殺意の光が宿っているのをみてとったシーラはそう自分に向かってつぶやいた。それから彼女は声を限りに叫びはじめ、静かな夜の空気をけたたましい悲鳴がつんざいた。

 彼女の叫びを耳にした二人の警備員は、声の出どころを探して草の生い茂るキャンパスを必死に走り回った。絶望的な叫び声は徐々に弱まっていくようだった。どちらの警備員も悲鳴がどこから発せられているのか特定できなかった。

 車の中で、シーラは抵抗する力を失いつつあった。そのとき、急速に薄れていく彼女の意識のなかに、かすかな希望の光が飛び込んできた。

 ボタン、ボタン……彼女は心のなかでそう思った。最後の力を振り絞り、シーラは腕を振りほどくと、ハンドルの下のパニックボタンを押すことに成功した。

 アラームの耳をつんざくような機械音がけたたましく鳴り響いた。警備員はサイレンを頼りにメルセデスに辿り着いた。

 足音が近づいてくるのを聞いた犯人はシーラを放して車から転がり出た。警備員の一人がシーラのもとへ駆けつけた。もう一人は血だらけの男に飛びかかり、地面にねじ伏せ、頭に拳銃を押し付けた。男は銃を払いのけ、警備員を振りほどくと、甲高い笑い声をあげながら逃げ去った。

 警備員は逃げていく男に向けて2回発砲したが、いずれも的をそれた。男はそのまま走り去り、二度と捕まることはなかった。

 警備員の助けで彼女は車から這い出した。酷く腫れた目のせいでほとんどものが見えなかった。折れた鼻から血が滴り落ち、顔中が痣や傷だらけだった。

 間もなくして救急車が到着し、彼女を最寄りの救急治療室へ運んでいった。その後の日々でぼんやりと覚えているのは医師と検査と手術だった。骨は整復され、辛抱強いエキスパートが彼女の顔の手術を行った。

 肉体的な苦痛にもかかわらず、シーラは前向きで高揚した気分を感じていた。彼女の心は多幸感の心地よい雲の上を漂っていた。命にかかわる暴力を受けながら生き延びたことに彼女は興奮し、気持ちが浮き立っていた。

 シーラは自分自身の力と生きる意志が彼女を死から守り、犯人に立ち向かわせていたことを分かっていた。彼女は戦い、そして勝った。友人たちが冷笑していたアラームはまさしく彼女の命を救う役割を果たした。あれがなければ警備員は彼女を見つけられず、手遅れになっていたかもしれなかった。シーラは自分がいかにラッキーだったかを実感した。

 マーティンはその間ずっと彼女のそばにいて、全面的に彼女をサポートしていた。彼女が生きていることを夫がどれほど深く感謝しているかをシーラは感じとっていた。

 事件後の数週間、シーラは真の生還者の感覚を味わい続けていた。彼女の顔の切り傷や痣や縫い跡は、彼女にとっては勇気の印だった。そしてその印が癒えていくことも彼女は分かっていた。

 シーラは事件の顛末を、苦渋に満ちた嘆き節としてではなく勝利の英雄譚として何度も何度も繰り返し話している自分に気がついた。彼女は力と自信を漲らせていたけれども、彼女の車のアラームが発揮した効果をひとつの報せとして受け取り、さまざまな防犯装置――特に室内や家の周りで使用するもの――への投資を始めていた。

 3カ月が何事もなく過ぎた。新たな防犯対策や防犯グッズへの関心は顕著に高まっていたが、シーラの性格や行動、ライフスタイルに変わりはなかった。彼女の顔は順調に回復していき、彼女とマーティンは、事件前にそうだったのとほとんど同じ生活のパターンへとすぐに落ち着いていった。

 事件はまったく無差別な犯行だと確信していたシーラは、犯人がまだ捕まっていないからといって恐怖を感じることはなかった。彼女を殺そうとした男はクスリでもやっていたかキチガイか、あるいはその両方だろうと彼女は信じていた。あの男が報復に来るとか彼女のことを探し出そうとするなどといったことを、彼女が一瞬たりとも考えることはなかった。

 そして事件から約12週めのこと、シーラの私用の回線に不気味な電話がかかってきた。はじめ男の話し手はわいせつな内容のほら話のようなものを長々とまくし立てていた。そのモノローグの最後に怒気を孕んだ中傷の言葉を発すると、彼はすぐに電話を切った。

 狼狽したシーラは警察に相談した。彼らは脅えるシーラにこの種のひわいな電話はじつによくあることだと話して、彼女をいくぶん落ち着かせた。シーラは動揺はしていたが、電話の主のことを心の外に追い払うことにした。再び生活はいつも通りに戻った。

 数日後、シーラは自分の車を防犯装置の点検に出した。技術者が彼女に、誰かが車の中に入ってすべてのアラームの接続を切っていると伝えた。ぞっとしたシーラは家に取って返し、マーティンにそのことを知らせた。彼もまた心配していた。不可解なニュースだった。しかし、それに関してできることはあまりなさそうだった。

 

 シーラを完全なパニックに陥れ、彼ら二人の生活を一変させることになるあの電話がかかってきたのはその後である。

 ある午後早くに電話を受けたシーラは、受話器の向こうの声を恐怖のなかで聞いた。

 「俺はお前をブッ殺すぞ、クソ女」、男の声がうなっていた。「まあ待ってろよ。お前がどこにいるか、どうすりゃお前のところに辿り着けるか、俺は正確に知っている。逃げられると思うなよ。お前はもう死んでいる」、そして身の毛のよだつ邪悪な笑い声を短く発すると、電話は切れた。

 シーラは受話器を手にしたまま、抑えようもなく体を震わせて立ち竦んでいた。その一本のおぞましい電話とともに、彼女が手にしていたはずの安全や信頼は一片残らず彼女のもとを立ち去った。

 彼女は残忍な暴力に打ち勝ち、自身の生還によってさらに強くなったとすら感じていた。しかし彼女は、どこからきたとも知れず彼女の殺害を予告する、この悪意に満ちた声に対処することはできなかった。

 それは彼女を素手で殴り殺そうとして阻止された、あの同じ男なのか?彼は本当に彼女を見つけ出して死の任務を全うするのか?彼女はまた再び安心を感じることができるのか?

 シーラは私用の電話番号をただちに変えた。しかしダメージは既に生じていた。シーラにとって、心の平穏は過去のものであった。シーラ・コベルとマーティン・コベルの結婚生活に問題が発生したのはその時であった。

 シーラの恐怖は、彼女の身の安全に対する病的なこだわりへと彼女を導いた。事件前にシーラは用心深く、事件後にシーラはとても用心深かったのに対し、死の脅迫電話を経た後のシーラは、大方の人が過剰なセキュリティ意識と評するだろう状態になっていた。

 錠や掛け金や車のアラームはもはや十分ではなかった。彼らが住んでいる、よそから隔離された閑静な環境の相対的な安全性と平穏さにもかかわらず、シーラは防犯ゲート設置の必要ありとの考えを持った。マーティンは反対した。彼は物事があまりに度を越していると感じて、シーラを被害妄想になっていると言って咎めた。そのうえマーティンは、妻と、そのライフスタイルの変化を不快に思っていた。以前のシーラはどこにでも一人で行き、恐れを知らない独立精神を持っていた。いまの彼女は、かつての彼女がそうだった人の影のごときものであった。彼女は滅多に家を出ず、夜間には夫と一緒であっても外出を怖がった。

 シーラが要求する数々の防犯対策が課することになる出費にマーティンが尻込みしたとき、妻は激昂した。彼女は夫を「冷たい」人間だと決めつけ、現代社会におけるまったく現実的な危険についてあなたは無知なのだと言って彼を責めた。

 シーラは自分でお金を溜めて、寝室に鉄製の防犯ゲートを設置するための費用に宛てた。彼女は射撃のコースに通い、同じことを夫もするようしつこく誘った。彼女はサバイバルについての膨大な本を読み、他人が――しばしば自分の家の中で――経験したショッキングな試練の顛末を、えんえんとマーティンに語り聞かせた。

 シーラのオブセッションとそれが彼に引き起こした不安は、マーティンをみじめな気持ちにさせた。妻の恐怖が実体化した罠がそこらじゅうに仕掛けられていた。警報システム、ブザー、ゲート、インターコム、脱出プラン。彼女言うところのこれらの「予防措置」が二人の生活を支配していた。

 彼らは激しく言い争った。マーティンはシーラが過激論者で偏執狂だと感じており、シーラは彼が、現実から目をそらそうとしている鈍感な人間だと感じていた。

 共に寄り添ってきた20年のなかで初めてマーティンは言った、「この結婚はうまくいっていないようだね。君は僕の人生をどうしようもないものにしてしまう」。

 世界が彼女の周りで崩れ落ちたような感覚を覚えて、シーラは専門家の助けを求めた。知人をとおして彼女はナンシー・クレスを紹介され、犯罪被害者センターで彼女と一対一のセラピーをはじめた。セッションの場でシーラは自分の恐怖、安全への要求、そして、マーティンが理解してくれないことへの怒りについて語った。彼女は彼に責任を負い、自分を守ってほしかった。せめて彼女の安全への要求に協力的であってほしかった。しかしそのどれも起こらなかった。彼女の夫は苛立ち、彼女を憎んでいるようにみえた。そして彼女は彼の理解の欠如によって、いっそうの被害を蒙っていた。

 二人の関係がいま深刻な危機にあることをみてとったナンシー・クレスは、マーティンにもセラピーに来ることを考えてくれるよう頼んだ。

 マーティンはこの提案を受け入れた。彼は妻を深く愛していて、ここ最近の不和にもかかわらず、問題が解決されることを切望していた。彼はナンシー・クレスに一人で会うことからはじめ、妻と合同でのセッションにも参加した。シーラとマーティンはともに、セラピストの前で自分たちの思いや相違点について話し合うのが有益であることを発見した。その場に第三者がいることによって、物事がより客観的な枠組みのもとに置かれたのである。

 シーラの安全への要求にあまりにも多大な彼のエネルギーが費やされてしまう状況にはなおも憤りを感じていたけれども、犯罪被害者が事件の最中やその後にどんな経験を経ているのかに関するナンシー・クレスの説明を受けて、マーティンは少なくともシーラの要求がどこから来るものであるかをよりよく理解できるようになった。

 犯罪被害への知的な理解が高まったことで、マーティンは安全を求める妻の要求に寛大になることができた。コベル夫婦の結婚生活は八方塞がりの状態を脱して、安定した、うまくやっていけそうな関係を取り戻した。シーラはマーティンがセラピーをとおして、攻撃が起こり得る、それも二度めが起こることだってあり得る世界の現実に目と耳を開くことができるようになったのを感じていた。

 危険はそこらじゅうに潜んでいるわけではないという統計上の事実はなおも主張し続けていたものの、それでもマーティンは、あの電話と警報システムへの細工を踏まえると、たしかに彼が考えていたよりは大きな危険が存在しているようだという点を認めるようになっていった。その結果マーティンの目には、シーラの恐怖が妄想というよりはむしろいくらかの事実に基づいているものと映るようになった。

 ナンシー・クレスは、コベル夫妻のおのおのが双方の感情と要求を、たとえそれが劇的に異なっていても理解したと感じられるように導いていった。こうしておのおのは、相手の思いや意見に妥当性があることに同意するようになった。

 シーラが特に効果的だと思った課題は、カップルが向き合って交互に聞き役に回り、なんであれ相手が言わんとすることに100パーセント注意して耳を傾けるというものであった。

 もしもマーティンが、スポーツや執筆やセキュリティ関連の話題に飽き飽きしていることやヨーロッパへの移住や新作の映画について語りたいときは、シーラはおとなしく話を聞いた。たとえ彼女の心になにか差し迫ったものが浮かんでも、彼女はすべての注意と配慮をマーティンのためだけに集中することを習った。それから彼らは役割を交代した。

 マーティンは、シーラが田舎への旅行や新しいよりすぐれた家庭用警報システムやひとりきりでいることへの彼女の恐怖やマーティンが彼の車のためにアラームを買うことを拒否していることへの懸念について話すのを、じっと注意深く聞いた。この課題は彼らがお互いの言うことに心から耳を傾けることの助けになった。