PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 6/16

 「私の家族に感謝――私がもっともよく口にし、考えている言葉はそれです。私たちはいつもお互いに対してまったく誠実であることができました。時には意見が合わないこともありますが、私たちは常に互いを支え合っています」

 「ユタへの旅行は子供たちがまだ小さかった頃以来、私たちが揃って一緒に過ごす初めての休暇です。私たちはとても待ちきれません。たぶん、中にはこんなことを言う家族もいるだろうと思います、『えーっ、あなた達全員は7日間キャンピングカーのなかに閉じ込められているってわけ?あり得ないね!』。でも、私たちがやりたいと思っているのはまさにこの種のことなんです」

 「もしも家族の仲が良くなかったら、このような悲劇はいっそう関係を悪くしてしまうだろうと思います。でも、お互いに対するたくさんの愛と思いやりをもとから持っていた家族にとっては、この恐ろしい出来事のいっさいから得られるひとつ良いことは、自分たちがおのずと互いに手を差し伸べ、その間ずっと助け合っていくようになることです。その結果として、家族はいっそう親密になり、愛情が深まっていくのです」

 多くの人々はカイリー一家が置かれている状況を一瞥して、彼らに言い知れぬ憐みと悲しみを覚えるだろう。しかしヴェラ・カイリーと話したあとで、私は本心からこう信じている――彼らが甘んじて受け入れなければならなかった悲劇にもかかわらず、カイリー一家は、危機のあいだじゅうお互いに手を差し伸べあうことによって、その悲劇からある前向きで肯定的ななにかを得ることができたのだと。家族の絆、そして彼らがお互いに対して抱いている愛が育まれ、強まっていったことがそれである。

 

***

 

 最近私はダイアン・クレインの内部サークルを構成していた人々と話す機会をもった。「恐怖」の章でみたように、ダイアンは木の板で激しく撲られ、連れ去られて、死んだものとして道端に打ち棄てられた被害者である。

 事件直後からダイアンのことで責任を引き受けていた二人の人物は、彼女をそばで見守るためワイオミングから飛んできた母のアグネス・マーラーと、ダイアンが5年にわたって共に暮らしているトニー・クルーズであった。加えて、マーラー夫人とトニーの両者はダイアンの姉のバーバラと常に電話で連絡を取り合っていた。距離は離れているとはいえ、バーバラはダイアンの内部サークルの重要なメンバーになった。

 トニーはダイアンの身元を確認したばかりの病院から最初の連絡を受けた。病院側は彼に事態に関する大ざっぱな情報を知らせたのみだったが、ダイアンの容態が危機的なものであることは強調した。ただちに病院へ向かうと(病院は2時間以上離れた距離にあった)看護師に約束したのち、彼は急いでワイオミングのダイアンの母の番号をダイヤルした。

 「私もすぐそっちに行くわ、トニー」、必死に涙をこらえながらアグネスは言った。一時間足らずののちに、彼女と彼女の夫はシカゴ行きのボーイング727に乗り込んでいた。

 「それは私がこれまで生きてきたなかでもっとも長い3時間でした」、マーラー夫人は振り返って言った。「その間ずっと、私はダイアンがどうなっているのか、彼女がまだ生きているのかさえもまったく分からなかった。私は胸元までこみ上げてくる猛烈にムカムカした気分以外に、そのときの自分の感情を言い表す言葉が見つかりません。これはシカゴの静かな郊外じゃなくって、テレビの中の人間に起きるような種類の出来事でした」

 ようやく飛行機が着いた。マーラー夫妻がタクシーで病院へ向かうと、廊下でトニーが彼らを出迎えた。

 「彼女は良い状態には見えませんが、本人にはそれを悟らせないようにしてください」、彼は静かに言った。それから彼らはダイアンに会うため部屋に入った。

 「彼女は酷い有様でした」、マーラー夫人が言った。「痣ができて包帯を巻かれて、幽霊みたいに蒼白でした。そして彼女の眼は心底恐怖に怯えているようだった。それでも私は彼女が生きてそこにいるのが見れただけで、本当にほっとしました」。

 「彼女を一目見た瞬間、さまざまな感情がいっぺんに押し寄せてくるのを私は感じました。落ち着かなくちゃ、私は自分に言い聞かせました。ダイアンの前では気丈にふるまわなければ、って」

 「それで私は意識的に自分の感情をコントロールするように努めて、なにも表に出しませんでした。結局のところ、これはいつもの私のパターンなんです。私は事態が本当にたいへんなうちはわりとうまくやって、後で破綻を来たすんです」

 「私の最初の夫が死んだときの私の反応もそんな感じでした。そしてダイアンが襲われた後も、私は同様のことをしました。私は100パーセント娘のためにそこにいて、試練の期間をとおして気を強く持ち続けました」

 「のちにワイオミングの家に帰ってから、私はその代償を長引く憂鬱と不安によって支払うことになりました。でも、少なくとも私は娘の前では持ちこたえて、私ができるかぎりの手助けを彼女にすることができた。これはなによりも大切なことです」

 「ダイアンの母として、私は彼女の面倒をみることについての責任の多くをただちに請け負いました。ですが私はトニーという素晴らしい人によって支えられていました」

 「トニーと私は以前に数回ちょっとだけ会ったことはありましたが、本当のところ私たちは、一応知ってはいるという程度の付き合いだったんです。この出来事を経験していくなかで私は、彼がどれだけ素敵な若者なのかを知ることになりました」

 「ダイアナが愛し、信頼しているほかの誰かがそばにいるというのは心強いことでした。なによりも彼はしっかりしていて、頼りになり、思いやりに溢れていました」

 「その当時の私は自分自身がサポートを必要としているとは思っていなかったんですが、なにより彼が私の気持ちを理解してくれていることに、私が感謝していたことは間違いありません。ただトニーと話すだけでも私にとっては救いでした。私の家族の人間は容易に泣いたり取り乱したりはしません。代わりに私たちは言葉で感情を表します。夫は彼なりの流儀で素晴らしい貢献をしてくれましたが、彼はダイアンのことを深く知っていませんでした。でも彼女のボーイフレンドのトニーは、あらゆる方法で彼女を助けただけではなく、喜んで彼女の言うことを聞き、彼女に話しかけたのです」

 「私の娘を心から愛し、私に対して親切で敬意をもって接してくれる仲間がここにいる。私たちが直面しているような危機の只中で、それは本当に心強い救いの手です」

 「トニーと私はすぐに、ダイアンのもとを訪れ世話をするための、かなり規則的な行動パターンに落ち着きました」

 「基本的に、私は朝の8時ごろから午後6時半くらいまで、日中をずっと彼女と過ごしていました。それから、仕事を終えたトニーがやって来て、夜遅くまで残ります。そうしてダイアンは、起きている間は常に誰かの付き添いを受けていました。それと同時に、私は夜休むことができ、日中は私がダイアンを看護していることを知っているトニーは気兼ねなく仕事に打ち込むことができました」

 「最初の数週間、ダイアンの要求はとりわけ激しかった。心配で吐きそうになりながら、私たちは彼女にとってプラスになるできるだけのことをしました。一番の不安は彼女がどの程度深刻な障害を受けているのかでした。頭部の傷は予測がとても難しいんです。お医者さんが言うことは基本的に『様子を見守りましょう』でした」

 「でも、ただ『様子を見守っている』のはとてもつらかった、なぜなら彼女の行動から、娘の性格が劇的に変わってしまっていることは明らかだったからです。それが脳の損傷のせいで、私がいつも知っているあのダイアンには二度と戻らないんじゃないかと思って私は恐ろしかった。彼女はまるで別人みたいに、突拍子のない、不合理なふるまいをしていました」

 「ある日看護婦さんがやって来て言ったんです、『ハーイ、私の名前はアミー』って。そしたらダイアナは冷たく静かに繰り返しはじめたんです、『ここから出ていって。ここから出ていって。私はこの人と一緒にいたくない、出ていってもらって』って」

 「私はダイアンをなだめようとしましたが、彼女は聞く耳を持ちませんでした。とうとう看護婦さんは出ていくことに応じて、娘に『どうしてなの、ダイアン?』と尋ねました」

 「彼女は私に向かって言いました、『それは私の車を買うって電話をかけてきた<<女>>の名前なの。犯人が私をそこに誘い出すために使った偽名なのよ』」

 「私はそこでダイアンがなぜそんなに動揺したのか理解しましたが、それでもなおショックでした。私はあんなに冷淡で、計算づくの怒りを一度も耳にしたことがなかった。彼女の声は氷のように冷たくて人間味がなかった。彼女の態度はあまりにもきつくて、奇妙で、本人ではないみたいだった」

 「ほかにも変わった点がありました。彼女はおそろしく要求が多くなり、ずっと苛立っていて、いつもなにかについて文句を言っていました。娘は過去にこんな不平屋だったことは一度もなかったですし、彼女の苛立ちの原因の多くは取るに足らない些細なことでした。彼女は髪を洗おうとしませんでした。シャワーも浴びませんでした。彼女はそんなにも気難しい子になってしまったのです」

 「私たちは彼女のドクターに尋ねました、『彼女はずっとこんなに非理性的なままなんでしょうか?』。彼らはなんとも言えないと答えました。トラウマを生むひどい暴力と重篤な頭部の損傷が相まって、一生治らない性格の変化が生じることは実際にあり得るのです。時が経たなければどうなるか分かりません。この知らせは大きな打撃でした」

 「ダイアンの行動やコンディションは本当に気まぐれに変化したので、私は大きなシーソーに乗っているような気分でした。シーソーがどちらに傾くかはダイアンの行動によって決まるわけです」

 「ある日、ダイアンは以前の陽気で機知に富んだ彼女とほとんど変わらないように見えました。別の日、彼女は鈍い目をして物憂げで無反応でした。そんな日の終わりには、脳の障害がやっぱり本当に深刻なのに違いないと私は思って、深く落ち込みました。その夜はなかなか眠れませんでした。私はトニーを呼んで、ダイアンの行動について私たちが記録したノートを比較しました。ときには彼が、昼のあいだ私といた時のダイアンが、かつて彼女がそうだったのとほとんど同じ様子であったことに気つきました。別の時には彼が私に、自分と一緒だった時のダイアンは目に見えて明るくなり、反応もするようになっていたと教えてくれました。どちらの場合でも、私の考えていることを正確に分かっているトニーと話すことは助けになりました」

 「私たち二人はほとんど同じ立場にありました。私たちは両方ともダイアンを愛していて、彼女の状態をひどく心配していて、いかなる方法でも彼女を助けようと全力を尽くしていた。私たちは、強さや落ち着きの印象を示す必要といったことも含めて、たくさんの同じ思いを共有していました」

 「母として、私は娘が経験していることにいたたまれず、恐ろしい思いをしていました。なかでも最悪たっだのは無力感でした。私はキスをするだけで娘の傷を消し去って、彼女にアイスクリームを食べに行かせることもできなかった。私は彼女に新しいドレスを約束することもできなかった。私は彼女に『こんなことはもう二度と起こらないから』と言うことさえできなかった。このような恐ろしい、とんでもないことが毎日のように起きているからです。私は彼女の母です。でも私は彼女に解決策を授けることも、彼女を再び健康にすることもできなかった。私は彼女の痛みを取り去ってあげることもできなかった」

 「もしもトニーがいなかったら、私はすべてのことにこれほどうまく対処できたかどうか分かりません。ある意味で、彼は成長したダイアンのことを私よりもよく知っています。彼は大人になった彼女と5年間もともに暮らしているんですから。ときどき彼は、ある特定の場面でどう対応するのがベストか、どんなやり方をすれば娘が受け入れてくれるかなどについて私にアドバイスさえしてくれました。もちろん、母の愛はまったく特別で唯一無二のものですから、彼女の回復に自分が果たす役割を私が軽視するようなことはありませんでしたが」

 「でもトニーは私たちと彼女のために多くのことをしてくれました。彼は二人の友人たちや、私の家族のメンバーにさえ電話をして、ダイアンの状態を彼らに詳しく知らせました。私が彼を必要とする場面では、いつでも彼は私のためにそこにいました。彼は強く、辛抱強く、多くの責任を進んで引き受けてくれました。そして彼は、ダイアンのことや私自身の気がかりについて喜んで私と話してくれました。トニーの助けには感謝してもしきれません」

 「私の夫のジョーダンは、彼自身のやり方で素晴らしかった。彼は私とともに何度もダイアンのもとを訪れ、私たちの両方に対して心から同情的でした。彼が自分の思いを表すやり方は、彼の怒りのすべてを加害者にぶつけるというものでした。私はジョーダンがあんなにも怒り、敵意をむき出しにしている様子をこれまで一度も見たことがありませんでした。ある意味それは怖ろしかった。でも私は、加害者を罵倒することによって彼は自分のなかに貯め込まれていた怒りのマグマを発散させることができているんだと理解していて、だからそれは基本的には健康な反応だと思っていました。少なくとも彼は自分の怒りの標的を持っていたわけです」

 「私たちはダイアンのきょうだいとも電話で連絡をとっていました。彼らはみな別の州に住んでいます。バーバラ――彼女は多発性硬化症を患っているのですが――はもっとも感情を露わにしていました。私たちはほとんど毎日のように話しました」

 「これも大いに助けとなりました。私の娘たちがどれだけ互いを気遣いあっていたか、ダイアンが彼女の姉にとってどれだけ大切な存在だったのかを知るのは素晴らしいことでした」  

 「バーバラは日々欠かさず電話をかけてきて、どんなかたちであれ助けになりたいと申し出てくれました。彼女は飛行機でこちらに来ることを切望していましたが、彼女の体の状態がそれを許しませんでした。私の子供たちがダイアンと私のもとに集まってきてくれていると感じることは励みになりました。彼女はここに来ることはできなかったけれども、私はバーバラとのコンタクトが私に癒しをもたらしてくれるのを感じていました」