PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 4/16

危機の後に

 おそらくは3日か4日以内に――死のおそれが続いているのでなければ――事態は落ち着きをみせはじめる。この時点で被害者はなおも多くの格別な配慮と注意を必要としているが、それでも自分の周囲に今までより少しだけ関心を向けられるようになってきているだろう。今こそは、内部サークルのメンバーと被害者自身が自分の感情とニーズに関してできる限りオープンになるべき時である。

 このプロセスを開始させるためのよい方法は、被害者に以下のような二、三の簡単な質問をしてみることである。

「今日はずいぶん休めているようにみえるね――すこし気分は良くなってきた?」

「いっぺんにあまり沢山の人が訪れるとあなたはナーバスになってしまうかしら?」

「今日の朝ヘレナおばさんと話してみるつもりはある?」

「この注射は大きな苦痛を引き起こすものなのかな?」

「代わりに明日スティーブに戻ってきてもらうほうがいい?」

 ひとたび内部サークルのメンバーが、被害者の基本的な考えや要望をある程度確かめることができたら、彼らは自分自身の感情を被害者と分かち合うことができるようになる。たとえば――

「キム、私はとても疲れた。今夜は少し早く帰っても構わないかな?」

「心が全く落ち着かないんだ。私は今週、牧師さんに私が感じていることについて話をする必要があると思っている。あなたも彼に来てもらいたいと思う?」

「母さんはいっさいの事に打ちひしがれている。彼女は2、3日家に帰ったほうがいいと思うんだ。それについてどう思う?」

「本当に恐ろしい出来事だと思う。私たちがあなたのためにもっとしてあげられることはない?」

 大事なのは注意しながら慎重に事を進めていくことである。あなたが被害者に、起こった事で非常に気が動転していてなかなか眠ることができないと伝えるのはかまわない。被害者の目の前で崩れ落ちたり、被害者の腕にすがってヒステリックにすすり泣いたりするのはよろしくない。そんなことをされても被害者は心の準備ができていないのである。

 内部サークルのメンバーは、彼らの感情を被害者とゆっくり分かち合っていくことが肝要である。大量の苦悩や感情のほとばしりを容赦なく浴びせかけて、被害者を――そしてお互い同士も――圧倒してしまわないように気をつけなくてはいけない。

 襲撃の後で被害者はしばしば、無力感、混乱、恐怖、憂鬱、疎外感を感じている。以前と同じものはひとつもなくなってしまったように思えることもある。友人、家族、仕事、家庭との関係のすべては、理不尽なまでに様変わりさせられてしまった。自分は凍り付いて静止しているいっぽうで、ひとびとや出来事は狂ったように自分の周りをぐるぐる回っている、そんな感覚を犯罪被害者が抱くのは珍しいことではない。

 内部サークルのメンバーは、状況に対処し被害者の要求に応えるべく最善を尽くしているはずだが、彼らがなにをしていて、どのようにふるまっているかに関する被害者の側の受け止め方はいくぶん歪んだものになることがある。

 危機の時期に、被害者の精神状態は――そしてしばしば肉体の状態も――脆く壊れやすくなっている。精神を攻撃され、自分の存在を丸ごと脅かされたばかりの被害者は、しばしばしば世界をおぞましく恐ろしい場所として捉えるようになる。そして、自身を取り巻く環境についてのこの認識の変貌とともに、その中にいるひとびとについての認識も変化していくのである。

 しばらくの間、被害者の心は、起きたばかりの恐ろしい出来事と、起きたことを克服するべく取り組んでいくかれの努力とによって占拠される。ちゃんと食べたり、休息をとったり、支払いを済ませたり、スケジュールにしたがったりといたような日々の生活の現実は、無関係で無駄なものにみえるだろう。襲撃それ自体とその余波に直接結びついていないいかなることに注意を向けるのも難しい。そして被害者は、かれに関わっている人々のニーズやスケジュールが、彼らにとっては重要で考慮に値することなのだという点を理解することも、困難になるかもしれないのである。

 内部サークルのメンバーは、被害者の手助けをするだけでなく、社会のなかでも真っ当な生活を送らなければならない。しかし被害者にとって、「ふつうの生活」を回復することなどまだはるか遠い先の話であるため、かれの最も大切な人々はいまや――かれの目からすると――無意味なことばかりしているようにみえてしまいかねないのだ。

 いっぽうで内部サークルのメンバーは、被害者の肉体的、精神的な要求に応えようとして文字どおり右往左往した挙句に、被害者から無反応、あるいはことによると敵意をもって返されたとき、被害者のことを「恩知らず」、「甘ったれ」、「利己的」、あるいはもっと非道い何かだと考えてしまいかねない。

 私が襲われてからまだ数日後のある朝、私の体温は39度を超え、痛みが神経を苛み、私は恐慌状態だった。なお悪いことに、犯行現場で見つけた私の服の何点かを持って、警察官がやって来ることになっていた。彼がちょうど来ていたとき、母が私の毛布を直そうとして不注意に点滴のポールを押し動かした。私は痛みで叫び声をあげた――「ママ!お願いだからこういうことする時は先に言ってよ!」。

 母は私の声の刺々しさにたじろぎ、警察官は彼女に言った、「奥さん、これが私の娘だったら私は殺してますよ」。

 「いえ、そんなことはないでしょう」と母は静かに言って、彼を部屋の外へ送り出した。

 ママに向かって怒鳴ってしまったことで私はひどく嫌な気分になった。そして警察官の台詞は、私を傷つけると同時に申し訳ない気分にもさせた。私はベッドに横たわったまま、みじめな思いで泣き、母に謝った。

 「テレサ」、彼女は言った、「分かった。痛いのはあなたなんだから。私はなにかを直したりするときはあなたに教えるべきだった」。ママが怒っていないのを知って私の気分はちょっぴり良くなった。だがあの警官の言葉は、なおも私にビンタを食らったかのような思いを感じさせていた。

 幸いにも私の内部サークルの人たちは理解があって、私が感情を爆発させたことで自分に罪悪感や嫌悪感を覚えたりすることがないように配慮していた。しかし多くの場合、家族のメンバーは、警察官が私にしたような性急で偏った判断をくだしてしまうものである。

 友人や家族が犯罪被害者と長期にわたって関係を保っていくための最善の、そしておそらく唯一の効果的な方法は、被害者のややひねくれた、意地の悪い反応を、恐ろしい状況下における正常な行動として理解し、そしてなによりも、襲撃後早期の段階で現れるこの極端なストレスや怒り、苦痛は一過性のものだと認識するよう心がけることである。

 彼らが愛し、大切にしている人は今もそこにいる――そしてかれは、襲撃前にそうだったような、温かく、愛情深く、思いやりがあり、思慮に富み、感謝を忘れない人間であることができるのである。ただ、今この時点では、被害者の心と体のメカニズムは100%の機能を発揮できていない。そしてかれが元々の機能レベルを回復するには、しばらくの時間を要するのである。

 誰にとっても、犯罪被害に遭うことは途方もない打撃である――しばしば理不尽で、予見し得ない、言いようもなく苦しくつらい打撃である。直面する事態の恐ろしさが心を疑いや恐怖、不安で曇らせ、眠っていた否定的な感情を呼び覚まし、蔓延させる。そして一時的に、希望や幸福や感謝や喜びを感じる人間の能力は死滅してしまう。

 不幸なことに犯罪被害は、被害者の極端な性格の変化、気分の変動、かれの周囲の人々との関わり合いかたに確実な影響を及ぼすほどの深い絶望を引き起こし得る。被害者のこの劇的で好ましからざる変化は、ありがたいことにほとんどの場合一時的なものである。

 被害者の怒りに満ちた、敵意を孕んだ、意気消沈した行動が内部サークルのメンバーにとってつらいものであるのならば、それは被害者自身にとってなおいっそう苦痛に満ち、困惑を呼び、心をかき乱すものである。そのため被害者は、しばしば自分自身の行動を抑えこんだり変えようと試みる。その結果は突然で劇的な気分の変動である。

 襲撃に関連した不快な問題に直面したとき――警察からの穏やかならざる電話や、唖然とするほどの医療費の請求書や、苦痛を伴う医療処置の必要など――、被害者は単純に自制心を失い、激昂したり、延々と泣き続けたり、あるいはむっつりと不機嫌に押し黙ったりすることがある。こうした反応は、被害者の個性やかれがどれぐらい動揺したかの程度に応じて、数日、数時間、あるいはほんの数分間持続する。

 被害者の怒りや敵意は一時的なものであるとは言え、それでも内部サークルのメンバーがそれに向き合うのは苦痛なことである。そこで彼らは、被害者を不快に思ったり、あるいは場合によってはかれを見捨ててしまうことのないように、被害者のふるまいに応じて彼らの側に引き起こされる感情に対処していくことが大切である。

 犯罪被害者の内部サークルは、そこに一メンバーとして加わるファンクラブではもちろんない。そこに属する人々は、被害者自身に対してだけではなく、お互いに対してとてつもなく大きな助けとなり得るのである――苦痛やトラウマを分かちあうことによって、そして望むらくは、恐ろしい試練を乗り越えて勝利したことの満足感と誇りを分かち合うことによって。

 

専門家の援助

 おそらく、内部サークルのメンバーが検討すべきもっとも重要な問いは、「この試練の初期段階を乗り切っていくうえで、われわれは専門家の助けを仰ぐべきだろうか?」である。

 被害者を導いてつらい時期を乗り越えさせることと、被害者の家族や友人に、かれが何を必要としているのかをアドバイスすることの両方をできる精神医療の専門家のもとで被害者がケアを受けられるということは、内部サークルのメンバーにとって安心感につうじるものである。しかし被害者の心理状態を考慮しなくてはいけない。被害者がセラピストのコンサルティングを求めているか、同意しているか、または少なくともその可能性を考慮しているのであればよい。しかしもし被害者がセラピストに会うことを拒否しているのならば、被害者の気分や行動が深刻に損なわれ、危険であり、自殺の兆候が表れはじめているといった様子がみてとれるのでないかぎり、少なくとも最初の時点では被害者の希望に添うのが得策である。

 被害者の心理的ケアの問題への対応が済んだ後で、内部サークルのメンバーは、彼らのうちの一部もしくは全員が、グループとして、あるいは個人単位でセラピーの恩恵を受けるかどうかを検討すべきである。

 家族もしくは友人の少なくとも一人のメンバーが、彼ら自身で危機に対処するのはあまりに力が不足していた一群の人々が土壇場で繰り出す最後の手段としてではなく、恐ろしい試練の最中の積極的で健康的な一ステップとして、セラピーを求めることの意義を唱えることが重要である。

 

スケジューリング

 日が経つにつれて、グループの力を協調させ、方向づけるスケジュールを立てることが――特に被害者が入院している場合は――ますます重要になる。これは被害者を助けるとともに、内部サークルのメンバーの個々のニーズに着実に応えることにもなる。

 被害者の内部サークルに属する人々が形式張らない会合を開くことはよい考えである。もっとも単純な問題からもっとも込み入った問題までどんなことでも話し合える。そうした会合の日時は、関係者全員のニーズやスケジュール、住んでいる場所によって決まる。個人の家や病院の会議室などの静かな所が理想的である。

 

 ニーナは36歳の専業主婦で、強盗に撃たれて重体に陥った。以下は彼女の内部サークルのメンバーが直面していた問題のいくつかの例である。

  • マリー(ニーナの母)は、毎日病院を訪れ9時から6時まで娘に付き添うことができるが、毎晩家まで車で送ってもらう必要がある。
  • ジョン(ニーナの夫)は、日中はずっと仕事をしており、妻と一緒にいられるのは夜の訪問時間のあいだである。彼は8歳の娘とまだ赤ん坊の息子の子守をしてくれる人を必要としている。
  • カイ(家族の親しい友人)はインフルエンザに罹っており、ニーナのもとを訪問するべきではない。しかし彼女は電話をかけて、ニーナが必要とするもの――将来の看護や理学療法士――に関する問い合わせをすることができる。また、犯罪被害者・目撃者支援プログラムからの支援を仰ぐこともできる。
  • ジョーン(被害者の親友で隣家の住人)は、結婚生活で深刻な問題を抱えている。このため、ニーナを訪問できるのは週に2回のみである。しかし彼女はジョンと子供たちに、毎晩彼が病院に出かける前に手作りの夕食を届けることを約束している。
  • ジュリー(ニーナとジョンの8歳の娘)は、悪夢に悩まされ、学校の成績が芳しくない。誰かが学校の先生と相談して、彼女をスクールガイダンスのカウンセラーか児童心理学者のところへ連れていくことを話し合わなければならない。
  • ヘザー(被害者の姉)は、彼女自身の3人の小さな子供を抱えている。彼女は生後5ヶ月のビリーを自分の家に連れていき、ニーナが退院して回復するまで彼の面倒をみると申し出ている。

 夫のジョンは、既に自分が燃え尽きたように感じてストレス過多の状態にある。彼は仕事に集中できない。休職を勧める人もいる。しかしジョンは、家族には彼の仕事で得られる収入が是が非にでも必要だと思っている。そこで彼は一週間の休暇を貰い、仕事に戻るまでに十分な休養を取ることにした。

 母のマリーは罪悪感と怖ろしさを感じている。彼女はニーナと関わることがだんだん困難になりつつあることに気づいている。彼女のふだんなら物静かで控えめな娘は、今では憤慨し、腹を立て、大声でしょっちゅう怒りを露わにしている。おおぜいの人が手助けをしたいと思っているが、このほとばしる怒りにうろたえさせられている。彼女は娘の前で泣かずにいることが難しくなってきた。彼女はセラピストに診てもらうことをこれまで一度も考えたことがなかったが、姉のヘザーが彼女に付き添って心理学者のところへ相談を受けに行こうと言ってくれたことに感謝している。

 

 幸い、この被害者の家族と友人は互いに十分なコミュニケーションを取り、責任を分担することができている。一般論として、ふだんはお互いのことに無関心であったり、あるいは場合によっては露骨に反目しあってさえいた一群の人々が、事件の後で、被害者と彼ら自身を支え助ける目的のために「団結する」ことがしばしばあるのは事実である。

 しかし、内部サークルに属する人々が相手のことを構う気がなかったり、あるいはそれをすることができない場合はどうすればいいだろうか?ひとつの解決策は、ソーシャルワーカーやセラピストに頼んでグループセッションを一、二度行い、空気を一掃して各自に責任を負わせるか、あるいは少なくともメンバーがお互いの言い分に耳を傾けるようにしていくことである。しかしそれが不可能な場合、内部サークルを2つか3つの小さなグループに分けて、相容れない人たちを分離するのが次善の策である。おのおのの小グループに属する少なくとも一人の人間がほかのグループと電話で連絡を取り、時間のかかる各種の仕事を重複して行わないようにすることが求められる。

 それぞれの内部グループの動態や雰囲気のいかんによらず、メンバーのなかの一人や二人に過剰な負担を強いることのないようにすることが大切である。血縁者や被害者のもっとも親しい友人はより多くの責任を自然に受け入れようとするものだが、彼らにほぼすべてのことをやってもらうことを期待するのは公平ではない。内部サークルの中では全員が、うまくこなせる範囲でできるかぎりのことを――ただしできる以上のことではなく――するように心がけなくてはいけない。

 内部サークルの輪の外の人間も、最大限のことをしている人々のために代行でなにかを行うことによって、被害者や被害者の愛する人々にとってかけがえのない存在となり得る。知人や隣人が親切に助けを申し出てくれたら、感謝とともに受け取ろう。内部サークルのメンバーがするには及ばない目先の作業はじつにたくさんある。例えば――町の外に住んでいる親類を病院に送り迎えすること、被害者の家族のためにスーパーで買い物をすること、手入れをされていない被害者の家の庭に水をまくこと、被害者の飼っている犬や猫に餌をやることなど。この種のちょっとした雑用は時間と労力――被害者の内部サークルのメンバーにとってもっとも不足しがちだろうと思われる二つの事柄――を要するものである。

 恐ろしい状況下にあっても、関係者全員がときには休みも必要だと心得ておくのが賢明である。ときどき手助けをしているが大きな負担は負っていない親類や友人は、本当に疲労困憊している人が週に1、2度午前中は休みを取れるように取り計らってやるとよい。あるいは被害者の配偶者の代わりに病院を訪れる役を買って出て、その間彼は子供といっしょに公園に行くことができるようにしてやるとよい。

 被害者が肉体的、精神的に準備が整うと、かれは友人や血縁者のサークルで進行中の活動に積極的な役割を果たしたいと思うかもしれない。もしそうなら、かれはただ単に自分の感情や考え、欲求を伝えるだけで、大きな貢献を果たし得るだろう。これによって内部サークルは即座のフィードバックを得ることになり、被害者がなにを必要としているか、欲しているかを推測しなくてもよくなる。

 内部サークルのメンバーが被害者の話に耳を傾けることは非常に重要である。かれが必要だとあなたが考えているものを、かれが常に必要としているわけではないかもしれない。被害者は本心では朝のひとときだとかを一人きりで過ごしたいと願っているかもしれない。あるいは今度受ける手術の後に、安らぎや静けさではなく、かれの気を紛らわせてくれる多数の訪問客を実際は求めているかもしれない。

 もちろん、犯罪被害者は人によりまちまちである。ある被害者は、友人や家族に自分の前で彼らの感じていることや問題について話してもらって、進行している事態の一角を自分も占めているという感覚を持ちたいと思っているかもしれない。別の被害者――特に襲撃によって大きな傷を負ったり、精神的なダメージを受けた人――は、自身の回復と自身の精神状態に一人で集中して取り組んでいくことを必要としているかもしれない。かれは、少なくともはじめのうちは、自分のことに関する意思決定は他人に任せて、彼ら自身の抱える問題や不安をしばらくの間、かれから遠ざけておいてくれるほうを好むだろう。