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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 3/16

Ch. 6 Family and Friends
内部サークル

 犯罪被害者の内部サークル(inner circle)は、すべての血縁者、愛する人たち、被害者の人生に重要な役割を果たしている友人たちで構成される。これらは襲撃の後でもっとも頻繁に被害者が関わるだろう人々である。そして彼らはその肩に、被害者の世話をすることと、襲撃の結果生じた自分自身の問題に対処することの二つの重荷を負っている人でもある。内部サークルの積極的なメンバーであることは容易ではない。もしも、事件が起こった後で、サークルのメンバーを結ぶ関係性がただ生き延びること――あるいは場合によってはさらに深刻ななにか――であった場合は、共に味わうことになる大きな苦痛を耐え忍び、対処していかねばならない。

 被害者の内部サークルの人々、とりわけ被害者の日々の日常的ケアに最も大きな責任を負っている人がお互いにコミュニケーションを取り合うことは、なによりも重要である。犯罪直後には、起こったことに対する大きな混乱、不安、苦痛が生じるだろう。被害者自身がたいへんな混迷の只中にあり、また、内部サークルのメンバーは自身の個人的で複雑な反応への対応を迫られているだろう。じっくり考え、計画を練り、未来を考慮する時間はない。人々は主に「自動操縦のパイロット」のように、必要とされることを最大限の力を尽くして機械的手順でこなしていき、起こった出来事の引き起こした恐怖になんとかして立ち向かっていこうとする。

 しかし、この混沌とした状態にもかかわらず、被害者だけでなく被害者を取り巻く人々をも利する支援体制を創り出すことは可能である。

 危機的な時期には、自分が愛されていて、守られていて、安心できると被害者に可能な限り感じさせるように、家族のメンバーや友人が力を出し合い、一丸となって行動することが非常に大切である。おそらく被害者の気分や行動は不安定で気まぐれに変化し、適切に対応していくことは困難である。そこで、少なくとも初期の段階において、内部サークルのメンバーの最善の行動様式は、来たるべきあらゆる物事に耳を傾け、注意を向け、受け入れることである。

 事件後最初の数日のあいだ、血縁者や友人は楽観的な姿勢をおもてに表すよう努めるべきである。犯罪被害者が傷を負った直後にもっとも望んでいないものは、かれの愛する人々の苦痛や不安を目にすることからくるさらなるストレスである。これはかれに、罪の意識、恥の意識、そして、かれのもっとも大切な人々の苦しみに対する自責の念を抱かせてしまう。そしてこうした感情は、かれの愛する人々を守らんがために、かれ自身の苦痛を抑圧したり否定しようとする方向にかれを導いてしまうのである。

 

 20代半ばの魅力的な重役秘書であるサラ・ボズレーは、ほかの二人の若い女性とともに大きなアパートメントに住んでいた。ルームメートがともに外出していたある夜、サラはベッドのなかで目を覚ました。見上げると、大柄で筋肉質なひとりの男が彼女を見下ろしていた。

 サラは悲鳴をあげようとしたが、男はスカーフで猿ぐつわをして、今度声をあげたら殺すと彼女に警告した。男は彼女をレイプし始め、その間ずっと、事が終わったら彼女を殺すと脅し続けた。

 そこに横たわっているサラの心は、混乱と嫌悪と殺されることへの恐怖のもつれ合った塊だった。彼女は目覚まし時計が時を刻んでいる音を聞き、その一定した、止むことのない単調なリズムに意識を集中して、起こっている出来事の恐怖を遮断しようとしていた。

 ようやくその無慈悲な暴行を終えた男は、部屋に侵入した時と同じ寝室の窓をくぐって逃走した。

 震えて、ヒステリー状態の寸前で、サラは警察に通報した。警官はすぐに来て、彼女を検査のため病院に連れていった。

 サラの心は完全に麻痺していた。彼女はすべてを他人事のように感じながら、医師や看護師が検査を行うがままにさせていた。

 警察から連絡を受けたサラのボーイフレンドともっとも親しい女友達が病院に彼女を迎えに来て、アパートメントへと連れ帰った。いまだ放心状態で、彼女は近くの町に住む両親に電話した。彼らは、彼女を迎えに行き自分たちの家に連れて帰ろうと提案したが、二人の友だちと自分の家にいるほうを望んだサラは申し出を断った。

 その週の週末に、サラと彼女の両親と兄のジェームスは、一緒に飛行機でいとこの結婚式に向かう予定だった。起こった事件のために、彼ら全員が予定を取りやめることに同意した。彼らの誰ひとりとして、結婚式のお祝いごとに出席したい気分の者はいなかった。

 サラの両親は娘を助けたかった。それで、皆で家に留まるかわりに、ボズレー夫妻はその週末に息子と娘を海辺のリゾートに連れ出した。

 サラはその三日間を、ギクシャクしたみじめな時間として覚えている。「それは異様な感じでした」、彼女は最近私にそう語った。「私の家族は善かれと思ってそうしたんです、でも彼らのうちの誰かが、私に直接『あなたは本当はどう感じているの?』と尋ねたことなんて一度もなかった。代わりにそこにあったのは、沢山の伏し目がちな眼と沢山の沈黙でした。彼らはこう考えてるみたいだった――サラをどこか遠くへ連れ出して、どうにかして彼女の気分が良くなるようにしよう、でも、あのことで彼女があれこれと思い悩むことはなるべくさせないようにしよう。両親は、それについて話し合うことは苦痛をもっと呼び起こしてしまうと考えてるみたいだった。でも苦痛はそこにあって、私たちがどうしようとも、いつでも私たちのあいだにぶら下がっていたんです」。

 「私は息苦しさを感じました。凍ってしまったみたい。私は彼らに話したかった。でも、彼らは私のことをとても愛しているとしても、私の身に起こった出来事の詳細なんて本当に聞きたくないんだろうと私は悟ってしまった。彼らは私が経験したことについての事実を聞く心の準備ができていなかったんです。彼らはたまに『ねえ、具合はどう?』みたいなことを聞いてきたけれども、私はそう言う彼らの眼が、どうかあまり踏み込んだ答えなんかしないでねと私に懇願しているのを見てとってしまったんです」

 「それで私は口をつぐみました。私は自分の感情を捕まえては私の中の深いところに押し込んでいって、おしまいには無感覚になるまでそうし続けました。そして私はロボットみたいに歩き回っていました」

 「父がその週末に私の写真を何枚か撮ったんですが、それは酷いものでした。私の眼は完全にどんよりとしてうつろでした。私は憔悴してぼんやりして、まったく生気を失っていた」

 「心の奥底では、私は今でもなおあの時のことに腹を立てているんです、いちばん近い血縁者とともに田舎に行って、私が感じた苦痛を打ち明けて彼らに知らせることができなかったことを。私は彼らが既にどれだけ傷ついていたかを知っていた、それで私は、彼らをいっそう嫌な気分にさせてしまうことに対する責任を負うことができなかった。そしてそれと同時に、私は彼らに腹を立てていることへの罪悪感も感じていた。私は本当に混乱していた」

 「私は叫びたかった、あなた達が私の問題にまったく向き合うことができないのなら、どうして私をあなた達といっしょに遠くへ連れ出したの?って。でも私は彼らを傷つけたくなかった、それで私はなにも言いませんでした」

 「私がレイプされる前に私たちが送っていた人生は、絵に描いたように完璧なものでした。私の兄と私は理想的な子供だった。私たちははきはきして素直で気立てが良かった。概してボズレー一家は、幸せな模範的家族でした。あのことが起こって、私の両親は打ちのめされ、私たちがずっとその中で暮らしていたしゃぼん玉がはじけ散ったんです」

 「彼らにとってそれがどれだけつらいことだったかも、彼らが自分たちのできるベストを尽くしたんだってことも、私は理解しています。でも私は、もしも私がレイプの後すぐに、家族の前にいるときはいつでも私の苦悩を抑え込み、沈黙していなければならないようなプレッシャーを感じていなかったら、そのほうが私にとって本当にずっと助けになっていただろうってことを認めないわけにはいかない。やがて彼らは心を開き、性犯罪の問題について多くを学びました。彼らは私の大きな支えになり、この経験をとおして本当に成長しました」

 

誰が配慮を受けるか――そしていつ?

 犯罪被害者の友人や血縁者がひどく苦しんでいるのは事実であるが、大部分のケースにおいて、誰よりも苦しんでいるのは実際に暴行を受けた人、すなわち被害者本人である。したがって、とりわけ事件の直後の時期には、内部サークルの注意と配慮は被害者に集中的に向けられるべきである。

 犯罪被害者のケアに取り組む機会の多いセラピストのナンシー・クレスは、患者の一人が遭遇した状況を紹介した。犯罪の被害に遭った彼女の内部サークル――この場合は母と叔母――が彼ら自身のヒステリーに長時間のめり込んでしまい、被害者のニーズを無視するまでに到ったという例である。

 20代後半の内気な女性のローナ・ペレズは、ニューメキシコの小さな町の彼女の実家からテキサス州ヒューストンに移り住んだ。新しいアパートに落ち着いて、新しく栄養士の仕事をはじめてからわずか2週間後に、彼女はバス停で強盗に襲われた。

 二人の犯人は彼女の持ち物をすべて奪い、金属パイプで彼女を殴って気絶させた。襲撃後しばらくして、彼女は巡回の警察官によって発見され、病院へ運ばれた。幸いローナは軽い脳震盪で済んだ。彼女は経過観察のため一晩病院に留まり、翌日退院した。

 ローナは仕事の上司に電話をして事情を説明した。彼は心配して、週の残りを休むよう彼女に薦めた。ヒスパニックの子供思いの家庭の出である彼女は実家に電話をかけた。

 親族がどれだけ心配するか分かっていたので、ローナは電話口で平静にふるまい、本当に大丈夫だからと強調した。しかし彼女の母はパニックになった。娘の反対にもかかわらず、彼女は翌日ローナの叔母とともに飛行機でヒューストンへ向かうと言い張った。

 母と叔母の到着にローナは複雑な感情を抱いた。彼女は27歳にしてようやく両親の家から離れ、一人暮らしを始めたところだった。彼女は一面では、スタートしたばかりの自立生活を手放さざるを得なくなったことへの敗北感を覚えた。と同時にローナは、家具も疎らにしか置かれていない彼女のアパートにひとりきりではなくなったことに安堵した。怪我をした頭はズキズキ痛み、パニックと恐怖の波を振り払おうと彼女は格闘していた。どれだけローラが努めても、彼女を襲った男が浮かべていた薄ら笑いを忘れることはできなかった。

 親族がやって来た瞬間から、ローラの気分はいっそう悪くなった。母と叔母は両方とも極度に取り乱してヒステリックで、彼女が口を挟む隙もないほどだった。ローラの話を聞き、落ち着かせる代わりに、二人の女性は泣き、嘆き、自分たちの苦痛を語る言葉を声高にまくしたてた。

 ローナはまったく無視されていると感じた。二人の女性が注意を向けた唯一のものは彼女の額の大きな切り傷だった。そしてその傷に目を向けるたびに、彼らのヒステリーはなおいっそう昂進した。最悪だったのは、彼らがローナに荷物をまとめて自分たちと一緒に実家に戻れと再三にわたって頼みこんでくることだった。

 何度かローラは、起こったことに対する恐怖や彼女の心の奥底の思いを親族たちに打ち明けようと試みた。しかしそれを聞いた彼らがしたのは、彼女の口にした苦痛の表現を、彼女が街を去るべきだとするさらなる理由に数え上げることぐらいだった。二人の年上の女性はあまりにも動揺していたため、ローラのほうが彼らの世話をして、彼らの気分を改善させようと四苦八苦していたのだった。

 「万事問題ないから、ママ」、「心配しないでおばさん、私はだいじょうぶ――ねえ落ち着いて」、彼女は自分がそんな言葉を何度も何度も繰り返しているのを聞いた。

 心のなかで、ローラは腹を立てていた――傷つけられたのは私だ、なんで彼らは私のことを気遣おうとしないんだろう?しかし表向き彼女は黙っていた。

 ローナは、心の平安は言うに及ばず、強さと自主性の感覚を取り戻すことを是が非にでも必要としていた。しかし彼女が彼らに予定よりも早くヒューストンを経つことを薦めると、彼らはそれを侮辱と受けとるのだった。 

 かたくなに彼らは拒否した。二人の女性はともに、自分がローナのもっともためになることをしていると思っていた――料理をして、掃除をして、彼女のアパートを「片づけ」、実家に戻る話をして、彼女に帰る気を起こさせること。

 ようやく彼らが帰ったとき、ローラは神経が張り詰め、疲れきっていて、自分が助けを必要としているのを感じた。職場の同僚がセラピストのナンシー・クレスを紹介してくれたことに彼女は感謝した。

 クレス氏とのセッションで、ローナは彼女が心の奥に封じ込めていた苦痛を解き放った。次第に彼女は、心的外傷後ストレス反応と、彼女の親族たちに関する心の葛藤の両方に対処するすべを学んでいった。

 

 一般的に言って、被害者と直接的に接する場では、できるだけ落ち着いて前向きな態度を保っていることが望ましい。これは被害者の内部サークルのメンバーに、彼ら自身の感情を否定したり抑圧したりして悩み苦しめということを意味しているわけではない。その反対に、すべての関係者は、自分の苦痛や怒り、混乱を実際に表に出したほうがよりうまくいくはずである。問題は、どこで彼らは自分自身にとって必要不可欠のサポートを受けるべきかということである。

 彼らの恐怖や対立するさまざまな感情をもっともよく理解していると思われる人々は、内部サークルの別のメンバーである。彼らがお互いに助け合うのはたいへんよい考えだろう。メンバーのうちの二人かあるいはもっと多くが、誰かの家などに集まって、感じていることを分かち合い、援助と慰めを求めてお互いに頼り合うことは可能である。

 最近、私の親友のパトリシアは、私がまだ危機的な状態にあったとき、私の内部サークルにおいて彼女やほかの人が果たしていた役割を話してくれた。

 パトリシアはそれまで私の母に会ったことはなかったが、紹介された瞬間に、彼女は母の姿に心を奪われた。恐怖に打ちひしがれ、あまりに儚げな、その灰色の髪のとても小柄な女性を見て、パトリシアはこの試練の期間をとおして彼女を助けていこうと心に誓った。

 私の友人の優しさと誠実さを感じとった母は、パティの前では心を打ち明け、彼女に慰めを求めるようになった。二人の女性はしばしば、私の病室の外の廊下に小さくなって寄り添っていた。静かにパトリシアはママの手を握り、母が涙をみせることも、私の前ではひた隠しにしていた恐怖や苦悩を口にすることも受け入れてくれた。

 私の母にとってパトリシアは、彼女の苦痛や不安を抑えてくれる「思いやりのある聞き手」の役を担っていた。その後、ときにはそのすぐ後に、パティは役割を完全に逆転させることを必要としている自分に気がついた。

 いったんママが落ち着いてきたとパトリシアが感じると、彼女は母のもとを離れ、私の夫のフレッドを探しに行った。彼は初期の危機的な時期を、かなりしっかりとした状態で持ちこたえていた。フレッドを病院のどこかに――たいていはカフェテリアの泥のようなコーヒーのカップを手にかがんでいるところを――見つけると、パトリシアは彼に助けを求め、彼の腕のなかでやるせない涙にくれ、彼女の苦痛を彼と分け合うのだった。

 フレッドの支えに慰められたパトリシアは、私の病室をなにげなくぶらっと訪れるだけの心の強さを得て、再び平常心で、希望や陽気さを態度に表すことができたのだった。

 事件の前にパトリシアは母に会ったこともなかったし、フレッドと特別親しいわけでもなかったが、慰めを与えることと求めることを交互に繰り返すことによって、彼女は困難な時期を持ちこたえ、母の助けになることができたのである。