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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 1/16

Ch. 6 Family and Friends

第6章 家族と友人たち(原書176~267頁)  

子煩悩な母

 誇り高い父

  愛する配偶者

   情熱的な恋人

    愛情溢れる姉妹

     頼りになる兄弟

      最高の友

       思いやりある従妹

        お気に入りの叔母

         陽気な叔父

          優しい祖母

           献身的な祖父

 これらの特別なひとびとが、彼らが愛する誰かに対して犯された暴力的な仕打ちの後で、苦しみ悩み、どうすることもできない無力な傍観者になってしまったとき、どんなことが起きるのだろう?彼らが襲撃そのものの、あるいはそれがもたらしたおぞましい余波の恐ろしい光景を目の当たりにすることを余儀なくされたとき、彼らの愛するひとが――そしてその人に対する彼らの関係が――運命の残忍な一撃によって、不意に、不条理に、不当に、そして取り返しようもなく様変わりさせられてしまったとき、どんなことが起きるのだろう?

 犯罪被害者の友人や血縁者にどんなことが起きるのか?

 単純な答えはない。じつに多くが、関わっているひとびと、犯罪のタイプ、被害者の肉体的、心理的な状態、その他の個々の状況に依存している。

 しかしひとつの事実だけは、犯罪被害者のすべての友人と血縁者に共通して変わることがない。彼らの人生は――「現実の」被害者の人生だけでなく――二度と元通りになることはないだろう。彼らもまた――少なくとも心理的なレベルでは――被害者なのである。 

 

 1982年3月15日まで、私の母のディビーナ・サルダナは抑えきれないほどの楽観主義者で、良い生活を送ってさえいればきっと報われると基本的に信じているような人だった。敬虔なカトリック教徒である彼女は教会の活動に積極的に関わり、ミサにもきちんと出席していた。

 襲撃の前まで、母は質素で世間の荒波から守られた生活を送っていた。富や名声を渇望したり頓着することもなく、彼女はいつでも家庭と家族のささやかな楽しみや喜びに心から満足していた。

 母はそんな稀な人間で、真に幸福で、自分自身に、世界に満足して平穏に生きていた。ひとびとが、とりわけ困ったときに互いを気遣い助けあうのは、彼女にしてみればまったく自然なことだった。

 人間が相手を傷つけたり苦しめたりするなどということは、彼女の理解を超えた事柄であった。ニュースを観たり読んだりして、ひとびとを苛んでいる痛み――とりわけ、いかなる種類のものであれ肉体的な暴力の結果としての――を知ると、彼女は涙を浮かべるのだった。

 苦痛や苦境のなかにある人たちに直接向き合ったときはいつでも、彼女は持てる限りの力を尽くして彼らをなだめ、慰め、手助けをした。他人――彼女が話で聞いたり読んだりはしたが実際に会ったことは一度もない人――については、彼女は彼らに回復への祈りと幸福を願う思いを送った、それ以上のことをすることができないのをもどかしく感じながら。

 彼女は私の妹と私に、ひとに対して親切で愛情をもって接していれば、神様は私たちのことを見ていて私たちを守ってくださると教えていた。そして彼女は、彼女が信を置いている神の心遣いと優しい庇護を頼りにして、私たちのことであまり心配しないように努めていた。

 しかし1982年3月15日、大天使ミカエルの命を受けた神聖なるミッションを実行したと主張するひとりの錯乱した男が、彼女の長女をナイフで刺し、済んでのところで殺害しかけたとの報せを受けたとき、母の丸ごとの生と母が信じていたいっさいのものは、粉々に砕け散ったのだった。

 誰かが現実にこんなことを故意に私に対して行ったという考えに、母の心は病んだ。私の命そのものが消えかかっていることを悟った母は、それまで一度もこんなに祈ったことはないというほどに祈った。しかし彼女は、既に起きてしまったおぞましい、不当な現実を、世界のあらゆる祈りは決して変えることができないということも承知していた。

 父の静かな支えに頼りつつ、彼女はあの最初の日々を乗り切っていった。彼女は自分のすべての思いと望みを、ただ私が生き続けることだけに向けて注ぎこんでいた。昼も夜も、彼女は何度も何度も繰り返し、こうささやき続けた、「あなたはきっと良くなるから、ね。きっとうまくいくから」。それはついに医師たちが彼女に同意する何日も前のことだった。

 少しの間、母は大きな喜びに包まれた。彼女は私が生きていることがただ嬉しくてありがたくて、感謝以外のいかなるものも彼女の心に入り込む余地がなかった。しかしその最初の安堵の大きな波が過ぎて、事件の衝撃が弱まりはじめたとき、恐ろしい疑問が彼女を責め苛むようになっていったのである。

 私たちを守ってくださるものと彼女が信頼を寄せ、頼ってきた慈悲深い神はどこにいるのか?主は見守ってくださるのではなかったのか?どうして主は私がこんな苦しみを味わうのを見過ごすことができたのか?私たちは――私たち家族全員は――この突然の、ほとんど死にも等しい罰を受けるに値するなにを犯したというのか?どうしてああも大勢のひとびとが、ジェフ・フェンが私を救うまでのあいだ、ただその場に立って眺めているだけでいられたのか?

 彼女の心に吹き荒れた疑問は、口に出すにはあまりに恐ろしく、心をかき乱すものであったので、母はその葛藤を自分の裡に押しとどめていた。

 母は不安ではあったものの、私を回復へ向けて元気づけ、家族が――そして自分自身が――この危機を乗り越えられるよう助けるためには、希望と楽観をともに失わないことが大切だと理解していた。彼女は、自分の心に湧きあがった疑問や葛藤に向き合う時間はまた後で来るだろうと自身に言い聞かせた。そして差し当たり彼女は自らを律して、彼女が呼び覚ますことのできるどんな僅かな勇気、楽観性、気力をも奮い起こそうとしていた。

 母は毎日病院の教会に通った。彼女は私の回復と、家族の安息を祈った。問題は相変わらず私たちを責め立て続けていたが、母は私の命が救われたことを神に感謝した。

 私がどうにか生き延びたことを、母はいつも変わることなく感謝していた。だがそれでも、私がほとんど人間の耐え得る限界を越えるほどに酷い肉体的、精神的な苦しみと格闘しているさまをただなすすべもなく見守ることは、彼女にとって心が押し潰されるほどにつらいことであった。

 「痛いの、ママ。とても痛い」、私は何度も何度も泣き叫んだ。そして母は、その痛みを消し去ってあげることができないのを歯がゆく思いながら、ちっちゃな子供だった頃のように私を抱きしめ、私の涙を拭った。

 彼女が目を向けるいたるところで、母は彼女の愛する人たちが苦しんでいる姿を見た。娘は痛みに苦しみ、恐怖に押し拉がれ、血なまぐさい悪夢のような幻覚に悩まされていた。義理の息子は不安と混乱に心を奪われ、崩壊の寸前で震えていた。彼女の下の娘は家族のほかの者の心を落ち着かせ、元気づけようと果敢に――しかし常に成功とはいかず――奮闘していた。そして彼女の夫は、学校の同級生だった頃から彼女が愛していたその人は、いっぺんに髪が灰色に変わってにわかに老け込み、健康状態は悪化し、心は千々に引き裂かれていた。娘の苦悶を止めるためなにかを――なんでもいいからしようと死にもの狂いになって、彼は檻に入れられた動物のように、病室のなかをただ行ったり来たりするばかりだった。

 母は、私たちの人生がこのおぞましいホラー映画に成り果てたさまをみて、なおも神と人間への信を固く守り続けようとした。しかし、痛みと幻滅のサイクルにまったく終わりはないようにみえた。

 つらいショッキングな事実が次から次へと明らかになった。加害者は逮捕されたが、いかなる反省もみせなかった。彼の唯一の後悔は私が死ななかったことだった。この知らせは、さらなる刃の一振りのように母の心に突き刺さった。

 さらに私たちは、たとえ彼が裁判にかけられ有罪を宣告されても、彼が受ける刑は最高で懲役20年だと教えられた。これとともにナイフはまた再びぐりぐりと心を抉った。

 母が彼女の感じる心の痛みを話そうとしたとき、彼女はしばしば「娘さんが生きていることにただ感謝なさい」といった類の意見に出くわした。そうして彼女は、一人きりで理解されず孤立させられている感覚を味わった。

 母の心の痛みに関して、神父は彼女に言った、「それは神の思し召し」だと。

 「神の思し召し?」――母は自分に問うた。「思し召し?私の子に生きたまま屠殺されるような仕打ちを耐え忍ばせることがどうして神の思し召しであり得るのか?」。このとき、ナイフは彼女の魂を刺し貫いたかにみえた。

 病院に閉じ込められたこれらの日々のなかで、母はどうにかして絶望へと陥ることなく踏みとどまっていた。彼女は自分の気力を、私が良くなるように手助けをすること、未来へ向けての計画を立てること、そして、恐ろしい状況のなかでも最善を尽くすことに振り向けていた。

 「テレサが生きていてくれて本当によかった」、彼女は日々、心のなかで何度もそう唱えた。そしてその考えは彼女を元気づけることにつながった。

 毎朝彼女は、たいてい私のための道具一式を腕に抱えて、私の部屋に慌ただしく入ってきた。活力を漲らせながら、彼女は私の髪を整え、私のために本を読み、空気枕を膨らませ、そして私がどれだけ可愛く素敵に見えるかを――いつでも――私に語った。

 「あなたが元気になったら」、「あなたが良くなったら」、「あなたがここを退院したら」――母は会話のあちこちに、私を刺激するそんなフレーズをちりばめていた。母が私の未来を、明るく健康な未来以外のなにかだと想像していると私に信じさせるようなことはただの一瞬たりともなかった。

 私は母の変わらぬ支えと励ましと元気なくして、あの拷問のような日々を決して乗り切ることはできなかっただろう。彼女は本当に驚異的だった。

 ちっちゃなカササギみたいに、母は私たちが待ち望んでいるあらゆることを、次から次へとしゃべり続けた。私が退院する日のこと、彼女が私のために開くつもりの誕生バーティーのこと、私たちがみんなで一緒に過ごすはずのクリスマス休暇のこと、そして、いつか私たちがこの危機を乗り越えたとき、私たちの行く手にひろがっているすべての楽しいことを。

 母は私の子犬のTotsieのしぐさを楽しそうに眺め、私の冗談やおふざけに笑い、看護師やほかの患者さんの家族たちと仲良くなった。私はからかい半分に、どんな人にも見境なく一方的に話しまくるのは止めてよと彼女に言ったものだった。でも本当のところは、シーダーズ・サイナイ・メディカルセンターでも映画テレビ基金病院でも、そこに集うスタッフは、患者は、その家族は、みな彼女を愛していた。彼女は私にとっても、周囲にいるほかの誰にとっても、良い刺激を与えてくれる人だった。

 けれども、彼女が6月にニューヨークの自宅に戻ってから、彼女のいっさいは劇的な変化を蒙った。当面の危機が去るとともに、彼女はとうとう、全貌を現した身の毛もよだつ現実へと、沈み込んでいくがままになったのである。先立つ数ヶ月の高揚した気分は、試練の最中にあって私を勇気づけ、彼女自身が持ちこたえるために必要なことだった。しかしいま彼女は、すべてを包み込む憂鬱に全面的に屈することになった。

 私が退院して飛行機でニューヨークへ帰ったとき、私は母の様子にショックを受けた。彼女の顔はやつれて張り詰め、生命力や幸福感のあらゆるしるしが消え失せていた。

 彼女の柔和な茶色の眼は、いつも澄んでいて、無垢で、希望に満ち、喜びや好意で溢れていた。いまその眼は曇り、うつろで、意気消沈していた――それは二つの暗く、深い、口に出されることのない悲惨と絶望の井戸だった。

 実家に着いた夜、私はなかなか寝つけなかった。お茶でも少し飲もうと思って階下に降りた私は、母がキッチンのテーブルに伏してひとりきりで涙を流しているのを見た。私たちは抱き合って泣いた。それから私たちは長い間ただいっしょに座ったままで、互いに寄り添い、見守りあいながら眠れぬ夜を過ごしていた。

 私は母の変わりように心配になった。彼女のブルックリン訛りの話し声はキャピキャピして明るくて甲高くて変化に富んでいて、ずっと若い女性の声のようだった。いまそれは、うつろで無表情で乾いて単調で、生きているというよりは死んでいるほうに近い、事務的な指示や要求を伝えるためだけに使われるような声だった。

 私がだいじょうぶかと尋ねたとき、母は「私はだいじょうぶよ、テレサ、本当にだいじょうぶ」と答えたものだが、そう言う彼女の口調に確信は含まれていなかった。

 母の歩き方や動作はたどたどしく、ふらついて、抑鬱と圧倒的な徒労感のせいで緩慢になっていた。彼女の口はすぼみ、閉ざされ、眉間には深いしわが寄り、肌はくすんで生気を失っていた。彼女は急にくたびれ果てて、言葉にならない惨めさでいっぱいの老女のようになってしまった。

 母はいつも家の階段を駆け上がり、駆け下りていた。いま彼女はそのひと続きの階段を上るのに永遠の時を要するかのようだった。一度私は、彼女が憔悴と困惑の表情を浮かべながら、階段のちょうど真ん中でしゃがみこんでいるのを見かけたことがある。

 「上ろうか下りようか決められなくなっちゃった」、そういう彼女の声は震えていた。

 そして、階段の途中で静止したままで母は言った、「テレサ、あの恐ろしい男があなたにしたことの後で、私はいったいどんな幸せを感じられるっていうのかしら?」。

 「ママ、私たちは幸せを感じるべきよ」、私は静かに答えた。「私はほとんど良くなっている、そして物事は本当にすぐもっと良くなるんだから」。それから私は母をなだめて、上に上がってしばらくいっしょにテレビを観ようよと誘った。

 あんな状態にある母の姿を見たことで、私は自分の家族がどれだけの苦しみを受けているかを思い知らされた。苦渋に満ちた事実は、加害者のふるった残忍な暴力が、暴行を受け苦しんでいる被害者の家族全体を巻き添えにし、不相応な抑鬱と絶望の泥沼をかき分けて進んでいくことを強いているということである。

 「事はずっと良くなっていくよ、ママ。私はもうすぐ完全に良くなる。最悪の時期は終わったの」、私は彼女に何度も何度もそう言った。しかし私の言葉にほとんど効果はなかった。母は自分の苦痛と怒りと恐怖を認めるために時間が必要だった。

 母がほとんど話さず、コミュニケーションを取ろうともしない日々が過ぎていった。静かにそして悲しげに、彼女は家のなかを漂っていた――雑用をしたり、本を読んだり、テレビを観たり、しかし熱意をまったく表すことなしに。

 ときどき彼女はぼんやりとして忘れっぽいふるまいをみせた。「ママ、そのテーブルは5分前に掃除してたよ」、私は彼女に知らせた。

 「ああ、そうだったね」、彼女は溜め息とともにそう言って、機械的に別の作業に移っていった。

 それから別の日に、彼女が明るい様子に見えることもあった。不意に彼女は大きな声で、「あらテレサ、あなたずっと良くなっているようにみえるじゃない!」と叫び、大げさに私を抱きしめた。そんな折に、私は彼女がいつも具えていたあの漲る活気の片鱗をみる思いがした。そしてそれは私に希望を抱かせた。

 幸いにも、家のなかの私の存在と、私がいま本当に快方へ向かっているという事実が、彼女を元気づけていったようだった。私のために大がかりな家族パーティーの企画を立てているとき、母は心からの喜びと高揚をみせた。お祝いの席で彼女はひとりでに輝いているみたいだった、あの事件以来最初の誕生日を、私がこうして本当に生きて迎えられたことの幸福感でいっぱいになって。

 巨大なピンクのバースデーケーキのろうそくを私が吹き消したとき、ママの目がパッと明るくなったのを私は見た。そしてずいぶんひさしぶりに彼女はお化粧をして、美容院で髪を整えてもらっていた。

 でも私たちがパーティーの後で部屋を片付けていたとき、彼女は手に持った溶けかけのろうそくをじっと見つめていた。「あなたの前回の誕生日のときに、あなたの身にこれから起きることを誰かが話したとしても、私はまるで信じようとはしなかったでしょうね」、悲しげに私を見上げながら、彼女は言った。

 「私もよ、ママ、私だってそう」、そう私は答えた。それから私たちは片づけの作業を続けた。

 ニューヨークでの一ヶ月のあと、私は妹のマリアとともにロサンゼルスへと経った。ママは最初私がこちらに着いたときよりはずっと具合が良さそうにみえたが、それでも私が彼女のことが心配で、まだ彼女がそんなに落ち込んでいるときに彼女のもとを去るのは嫌だと思っていた。でも母は、私に自分の人生を歩んでいってほしいと願い出ていた。

 空港で彼女は私に約束した、「クリスマスまでには私はもっと良くなっているよ、テレサ」。私は母をかたく抱きしめ、「そうなると私は知っているよ、ママ」と言った。そして私の妹と私は西部へ飛んだ。