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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 5 Pain 7/10

ほかのひとに手を差し伸べる

 襲撃からほどなくして私は、自分の体につけられた傷から完全に自由になることは二度とないだろうという厳しい現実の認識と向き合うことになった。しかし私は残りの人生を、あのおぞましい一日の記憶を呼び覚ます、凄惨な眺めの、やみくもに刻み込まれた、三日月のような形の傷跡とともに生きていくことを受け入れはしなかった。

 そこで事件から半年後に、私はナイフの傷跡を、滑らかでか細くて目立たない手術跡に置き換える整形手術を模索しはじめた。ロスに住んでいることは大きなボーナスだった。美容整形外科医は至るところにいた。私は妹のマリアを引き連れて、整形外科医めぐりに出かけた――ビバリーヒルズ、エンシノ、シャーマンオークス、サンタモニカ、ハリウッド、そしてさらに遠く。私は1ダースを越える人数の、この分野でもっともすぐれた専門家に相談をした。やがて私は、信頼する友人が強く薦めていたドクター・ハロルド・クラビンに決めた。クラビン先生は若いが非常に評判が良く、私は彼の考え方が気に入った。私の体のひとつひとつの傷跡を残さず治したいという私の心理的欲求を、彼は完全に理解してくれた。彼は私に対して単刀直入で率直だった――顕著な改善はみられるだろう、しかし彼は魔法使いではない、傷跡は簡単には消えてなくならない。

 傷は私の体の非常に多くの部位にひろがっていたので、クラビン先生は最初は脚、次い胸といった具合に、ある程度の期間をかけて施術を行うことを薦めた。しかし私はすべてをいっぺんにやりたいと思っているのだということを、クラビン先生に納得させた。私はこれらの憎むべき傷跡とともにじゅうぶんに長いあいだ生きてきた。私はそれらのおのおのを可能なかぎり早く治したかったのだ。そうした大がかりな手術はおそらく千針を超える縫合を伴うだろうとクラビン先生は警告した。しかし私はそれを行うことを決意した。

 検査のあいだに、私は自分の最初の手術医であるスタイン先生にもうすぐ行われる手術のことを話した。彼は、最初の胸部外科手術に際して私の胸骨を留めるために用いた針金を、私が手術を受けているあいだに取り除くことができるだろうと言った。私の頭に最初に浮かんだ考えは「さらなる苦痛」だったが、私が口にしたのは「ついでだからやっときましょう」の一言だけだった。ここ最近、私の胸の針金は突出しはじめていた。胸にできた小さなこぶのような隆起は、じっさい非常に変な見た目と違和感をもたらしていたのだ。

 1983年1月5日、私は再びシーダーズ・サイナイの入院患者になった。母が付き添いのためニューヨークから飛んできた。彼女が病院で寝泊りできるように、簡易ベッドが私の病室に運び込まれた。私は手術を控えて神経質にはなっていたけれども、同時に高揚した気分も感じていた。私は長いことこれを待ち望んでいたのだ。

 その日の朝、強い手術前鎮静剤が私に投与された。

 私は心地よくハイになり、いたずらっぽい気分になった。手術室へと台車で運ばれていくとき、私はこんなジョークを言って母を不安にさせた、「ママ、もしうまくいかなかったら、私のためにピンクの棺桶とピンクの薔薇を用意してね」。

 スタイン先生が私の胸を再び開いて針金を除去した。それからクラビン先生が仕事に取りかかった。何時間もかけて彼は辛抱強く私の体の傷のひとつひとつを切開し、修正し、再縫合していった。

 彼の見積もりは正しかった。手術には、体の外側と内側に千針を越える縫合が必要となった。

 目を覚ましたとき、最初に私の心に飛び込んできた言葉は「痛み」だった。私の肌に火がついていた!新たに切開され、縫い合わされたばかりの傷という傷が燃え上っているかのように感じられた。私の腕、私の足、私の上体、そしてもっとも酷いのは、私の胸。

 私は自分の哀れなうめき声を聞いた。「ああ神様、こんなのもう耐えられない、とても我慢できない」。涙が顔を流れ落ちた。これほど言いようのない苦悶を感じたのは久しぶりだった。過去に味わった恐怖といま現在味わっている痛みとが私を席巻し、私はひたすら泣き続けた。

 いつものように私の母が救いの手を差し伸べた。彼女は急いで助けを求め、キビキビした有能そうな看護師が私にデメロールを注射した。私はこの強力な薬とは何ヶ月もご無沙汰だった。私はすぐに――むしろ心地よい気分で――デメロールの雲の上を漂っていた。

 私はデメロールでふわふわしながら、私のお気に入りのもうひとつの鎮痛剤の力も借りることにした――電話である。ゆっくりと私は、その当時Victims for Victimsの副理事長だったアイリス・ウィソーンの番号を回した。団体が発足してからその時点でやっと2ヶ月といったところだったが、メディアの露出をとおして、われわれはロスの市民のあいだでにわかに注目を集めていた。助けを求める人たち、そして助けを必要としている人たちからの電話が殺到していた。私も既にピアカウンセラーとして1ダースを上回る人数の被害者の相談に乗り、さらに多くが順番待ちをしていた。10人のボランティアが、危機介入の方法を学ぶ訓練を受けようとしているところだった。

 私たちは巣立ちしたばかりの団体だったが、事態は既に翼を羽ばたかせて飛び回っていた。

 私はそこに横たわり、すっかり慣れ親しんだ病院仕様の受話器を抱きかかえて、コンタクトを取ろうとしていた。パシフィック・ベル経由で私は手を差し伸ばし、アイリスの電話が1回、2回、3回鳴った。私がフラストレーションで受話器を置こうとしたまさにその時アイリスが、息を切らせてちょっとむっとした様子で電話口に出た。「どちら様?」、彼女は言った。

 「私よ!あなたのお気に入りの犯罪被害者」

 「テレサ?あなたは手術中なんじゃなかったの?」

 「ええ――そうだった。いま終わったところ。なにか変わったことはなかった?」

 「信じられないわ。ちょうどいまあなたのところへ行こうとしてたの」

 「まあ、来てよ来てよ!」

 「いまから行く」

 アイリスが着いたときには私はぐっすり寝入っていた。彼女は座って母と話し、母は私が眠りに落ちる直前に語っていたことを繰り返した――Victims for Victimsの仕事を続け、この病室でクライアントに会いたいという私の考えを。

 アイリスと母は多少心配していた。活動的であることと、クレージーであることとは別のことだった。彼らはともに、私が起きたときにはさっき言っていた話の内容を忘れていることを望んだ。

 アイリスと私は団体の初の公開ミーティングの直後にチームを組んだ。彼女は私たちのグループに関心を持っていた心理学者の夫、ハワードとともにやって来た。アイリスは犯罪被害者ではなかったが、最近、身体機能を奪う発作の症状を長期にわたって経験していた。苦痛や疎外感、孤独を味わうのがどういうことか、彼女は分かっていた。彼女は鬼神のごとくに働いた。彼女なくして私は、自分のたちあげた団体をこれほど速やかに軌道に乗せることはできなかっただろう。私の整形手術の日は彼女と知り合ってからまだ7週めだったが、私たちは既に強固な友情で結ばれていた。

 私が次に目を覚ましたとき、痛みはまた戻ってきたが、鈍いうなり声ほどのレベルだった。そして次の「注射時間」が訪れるまでにはまだあと2時間ほどの間があった。そこで私はアイリスに、スケジュール帳を取り出して次週の予定を立てる手伝いをしてくれるように頼んだ。アイリスは言った、「テレサ、あなたは少なくとも一週間はここに入院してるんでしょう。あなたは休まなくちゃ。体が痛くはないの?」。

 「ええ痛いわ」、私は答えた。「じっさい私は、ここに横になって一日じゅうそのことばかり考えているとおかしくなりそうなの」。

 アイリスは母と顔を見合わせ、「たぶんテレサはいちばんよいやり方を知っている」と母が言った。ため息をついてアイリスは同意し、カレンダーを取り出した。

 私たちはさまざまな会合や活動の依頼のリストをじっくり眺めた。やるべきことがじつにたくさんあった!アイリスと私が優先順位を決めてスケジュールを組み立てていくあいだに、痛みは着実に悪化していった。私の額に汗の玉が浮かんだ。しかし私はじっと我慢し、お茶などをすすりつつ、目の前の作業に取り組み続けた。ようやくすべての差し迫った事案が決まり、ひとまずここで終わりにしようということになった。私のナイトガウンは汗でびしょびしょだった。時計を見ると、次の鎮痛剤投与はなお一時間先だった。

 私はできあがった日程表に視線を落とした。そのなかには次の項目が含まれていた。

 

  1. われわれの5人からなる運営委員会は、明日の晩にシーダーズの私の病室で会合をひらく
  2. 女優で最近犯罪被害に遭ったジェリー・ケラーが、私との一対一のセッションのため訪れる
  3. 地域の別の犯罪被害者グループの代表が意見交換のため病院の私に会いに来る
  4. 前の夫により暴行を受けた女性が、被害者影響報告書を書く際の助言を求めて私のもとを訪れる

 

 アイリスは、そんなにたくさんの活動をこなせる自信があるのかと私に聞いた。私は彼女を見て言った、「私はそれをする必要があるの」。そこで彼女は、必要な電話をかけるため家に帰っていった。

 かみそりのように鋭い痛みが私を何度も何度も襲い、私の肉を焼き、焦がした。アイリスがここにいるあいだ、私は自分たちの仕事や会話に没頭していた。私の意識はスケジュールや会合や、助けを必要とするひとびとへともっぱら向けられていた。いま、ここに横たわって自分自身に思いをめぐらせる段になると、状況はまったく変わってしまった。私は自分の考えを痛みからそらすことができなかった。じじつ私は、やっとのことでそれに耐えている状態だった。

 私は自分に言い聞かせようとした――テレサ、あなたは痛みを忘れなくちゃいけない。私は母に頼んで雑誌を持ってきてもらい、そのつやつやしたカラフルな紙面に我を――そして痛みを――忘れようとした。しかしどうもそれはうまくいかないようだった。たしかに、雑誌に見入るのはひとつの活動であるが、それは基本的に、単なる活動のための活動の様相を呈していたのである。

 襲撃直後の日々には、単純な気散じが痛みに対処するための手段として私には有効だった。私はその当時、「システム過負荷状態」を経験していた。私は未だあの恐ろしい体験を自分のなかに組み込むことができていなかった。私の心はそれを把握する用意が100%整っていなかった。私は十分に集中することができず、当然ながら、だれか他の人間の苦しみに専念することはまだできなかった。その時点では 気晴らしがよい鎮痛剤になったのである。

 今はしかし、それから何ヶ月もが経過していた。私の心は常に鋭敏で、常に活動を必要としていた。私は他人を助けること、改善へ向けての貢献をすること、なんらかの積極的な目標に向けてつねに活動していること、毎分毎分を有効に活用すること、これらの必要性を強く意識するようになっていた。雑誌の広告や記事をパラパラめくっていることは、私にとってもほかの誰にとっても、いかなる有用な、積極的な目的の役にも立たなかった。それは単なる気散じであった。私は意味のある活動から(少なくとも私にとっては)無意味な活動へと転じたため、私の痛みのレベルは跳ね上がったのだった。

 アイリスが去ってから私は一時間近く辛抱を続けていたが、無駄であった。彼女の辞去から正確に55分後、私は看護師を呼び出し、彼女は私にすばらしく感覚を麻痺させてくれる鎮痛剤の注射を恵んでくれた。救いはただちに訪れた。私はぐったりとして長い眠りへと落ちていった。

 翌朝、私は胸の痛みで目を覚ました。お馴染みの、胸が引き裂かれていくかのような不快な感覚が戻ってきた。この恐ろしくも不穏な感覚を、私は最初に傷を負った直後の日々以来経験していなかった。顔をゆがめてうめき声をあげながら、私は呼び出しボタンに手を伸ばした。

 やって来た日勤の看護師に、私は注射ではなく錠剤を注文した。まだ午前7時だった。今日が長い、長い一日になることは分かっていた。その日の晩には、Victims for Victims運営委員会の第3回会合が控えていた。グループの将来に関わる重要な決定がそこでなされることになっていた。私は起きることすべてを掌握し、委員会のメンバーとやり取りを交わすことができなければならなかった。これらの人たちは団体の創立メンバーだった。私はリーダーとしてまた一個人として、彼らが必要とするものを得られるように彼ら――その多くは自身の問題とニーズを抱える犯罪被害者だった――を手助けしなくてはならなかった。これらすべてのことを行うために、私は自分の力をコントロールできる状態を保っている必要があった。それで私は作用のより穏やかな鎮痛剤を選んだのである。 

 その日の午前と午後をとおして、私は効き目のあまり強くない経口薬を摂り続けた。そこそこの不快感を感じたが、耐えられる範囲内だった。午前の中頃に、私を本当に元気づける薬が送り届けられた。高い評価を受けているとあるクライシス・クリニックを率いるアデル・ヘッセが電話をよこしたのである。私たちは長いおしゃべりをして、そのなかで彼女が、私たちの10人のボランティアを彼女のところで無料で実地訓練させることに同意してくれた。そして彼らは訓練の成果を生かして、VIctims for Victimsのカウンセラーになるというわけである。夢が実現したのだ。上機嫌になった私はそれからの数時間をデメロールなしで乗り切ることができた。

 1時までに、私は冷や汗をかき、震えて、鎮痛剤の注射を切望するようになっていた。しかし会談が2時にあることを私は知っていた。私は頭が冴えた状態でなければいけなかった。

 一時間後、リビー・ゴールディングがやって来た。彼女は地元で犯罪被害者のための小さなグループを運営していた。私たちは主として、それぞれのアイディアやプランや経験を共有してネットワークづくりをするため、ここに集まったのである。私の応対は朗らかというわけにはいかなかったが、有益な時間を過ごすことができた。彼女はさまざまなクライアントのことについて私と話し合い、彼女の成功譚をいくつか語ってくれた。しかし彼女は私が消耗して神経質な様子なのを見て、会談を短めに切り上げた。

 彼女が辞去してからすぐに、クラビン先生がやって来て術後の状態をチェックし、たいへん順調に回復しつつあると所見を述べた。しかし私はあまりに痛みがひどくて、わずかばかりの喜びしか示すことができなかった。

 母は私がやろうとしていることを話して聞かせ、若い医師は私を穏やかにたしなめた。「いいですか、これらの会合が有用なものなのであれば、私は否定はしません」、彼は心配しながらもそう言った。「ですが、痛みがひどいときは、鎮痛剤の注射はあなたのためになることですよ」。私は弱々しく肯き、それについて考えてみると彼に伝えた。「私はあなたを信用してますから、ね」と彼は言って、回診の残りを済ませるために出ていった。

 横になったままで、私は自分が背伸びし過ぎていたのかもしれないと感じはじめていた。もちろん、今まで――午後3時――比較的弱い錠剤だけで持ちこたえてきたのは結構なことではあるが、私はつい昨日、千針縫ったばかりなのだ!私は自分に対してちょっと厳しすぎたのかもしれない、そう思った。それで、多少の罪悪感を覚えつつも、私は鎮痛剤の注射を頼んだ。ほんのすぐ後に、私は自分が降参したことでこのうえなくハッピーになっていた。母は正しかった。ストイックであることと、クレージーであることは別物なのだ。薬がもたらした心地よさのなかで、私はクッションに沈み込んだ。「う~ん」と安堵のつぶやきが漏れた。私は午後いっぱいを眠って過ごしていた。