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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 5 Pain 3/10

Ch. 5 Pain
セラピー

 最近私は、疼痛管理の分野の3人のエキスパートに同時に会う光栄な機会を得た。ロサンゼルス・セント・ヴィンセント病院のペインリハビリテーション・プログラム(ペインスクールあるいはペインセンターの名でも知られている)のディレクターであるマイケル・スコラロ博士、彼のクリニックの同僚で精神薬理学(脳化学)と神経生物学を学んできたトム・カッペラー博士、ロスのバイオフィードバック研究所の所長であるマージョリー・トゥーミン博士である。

 スコラロ博士はペインリハビリテーション・プログラムについての若干の予備知識を私に語ることからはじめた。「それは慢性の痛みを抱えた患者を治療し、機能的で生産的な生活の回復に向けた手助けをする、包括的な、専従の、3カ月にわたるプログラムです。センターの患者は最初の一週間を入院患者として、残りの期間を外来患者としてケアを受けます」。

 私たちはクリニックで行われているセラピーの具体的な方法だけでなく、痛みそのものについても議論することで同意した。すなわち、痛みの生理学的、心理学的な原因について、痛みが個々の人間に与えるさまざまな影響、痛みの体験に影響する文化的、社会学的要因および環境要因についてである。

 ペインスクールでは、痛みについて学ぶこともセラピーの一部である。患者が痛みについての理解を育んでいくことで、自身の苦しみを制御し軽減するためのずっと優れた力が備わっていく。プログラムは特に、慢性の痛みを抱える患者――痛みの体験と、彼らの被った病気、怪我、暴行への執心があまりに強く、生産的なレベルで機能を発揮することの不可能な患者――を治療する目的のために設計された。スコラロ、カッペラー両博士によって採用されているアイディアやテクニックをいくつか聞いた私は、彼らの手法がある程度の一時的あるいは慢性的な苦痛とともに生きていかなければならない誰にとっても有益なものであろうことをただちに了解した。

 スコラロ博士に会うやいなや、私はなぜ彼の患者が彼の助言や援助にとてもよく反応するのかを理解した。快活にして精力的で、彼は自分が治療しているひとびとへの心からの関心、配慮、思いやりの空気を発散させている。しかし私はスコラロ博士が、彼の患者への心配りと同時に、彼の指揮のもとでスタッフたちが休みなく働くことを期待している、強い、断固たるリーダーでもあるのを感じ取った。

 彼の厖大な体験は彼に、痛みを抱えている人は自分の窮状に対して無力感と絶望感を募らせていくものであることを教えた。「多くの場合」、彼は語った、「彼らは自分の大きく損なわれた身体能力にあまりに意気消沈して、もっとも基本的な技能すらしようとしなくなってしまいます。モチベーションは最低レベル、もしくはまったく失われています」。

 患者が最初にペインセンターを訪れたとき、スコラロ博士は彼らに向かって単刀直入に、今からは彼らが彼ら自身の改善と回復に対して責任を負うようにならなければならないと伝える。そう、彼らは恐ろしい試練――原因は病気であれ事故であり暴力被害であれ――を経てきた。しかし事実は変わらずそこにある――彼らは苦痛のなかにある、そして彼らだけが、それに克服して生き続けていくすべを身につけることができる。そのために、彼らは自分で自分を助けるようにならなくてはいけない。

 スコラロ先生の話は疼痛管理における自立精神の大切さを物語っている。振り返ってみると、入院中に極度の苦痛に陥っていた時、私はほかの健康な人間たちに対する絶え間ない憤りを感じていた。私は彼らに私を助けてほしかった、私の面倒をみてほしかった。私はこんなにも酷く不当に攻撃されたのだから、世界は私になにかしらの借りがあるのだ、私は心の奥底でそう信じていた。私の置かれた状況は不公平で、私の受けている苦痛は悲惨なもので、私は他人にそれを取り除いてもらいたかった、あるいは、生きることを私にとってより容易なものにするために、彼らの力でできるあらゆることをしてもらいたかったのだ。

 これは痛みに苦しむひとたちが抱くごくありふれた感情のように思われる。しかしスコラロ博士によると――「痛みを抱えたひとが自分の状況を受け入れ、さらに、それが公平であるか否かによらず、彼らが自分自身を助けるようにしなければならないと認識することはたいへん重要です」。

 スコラロ博士は続ける、「私たちが真っ先に、声を大にして患者に伝えることは、あなたがどれだけ長いあいだ苦悶のなかにあったとしても、半年だったとしても、二年、あるいは十年にも及んでいたとしても、希望はあるということです。トンネルの終わりには生があります。開かれつつある窓があります」。

 「私たちは彼らにこう言います――あなたはあなたを無力感の状態に陥らせる状況を経験してきました。あなたの衰退の極にあります。そしていま、私たちは別のアプローチを提示します――希望のアプローチです。あなたは痛みを管理し、あなたの人生を再び築いていくことができるようになります」

 「それは本当に驚くべきことです!時として、否定的傾向と無力感にすっかり慣れ切ってしまった人に、言葉による希望の陽の光を差し出すだけで、ほんの少しの間に痛みがほとんど消え失せることもあります」

 スコラロ博士は苦痛の原因について話しはじめた。「ほとんどの場合、苦痛のなかにある人は具体的な痛みの原因(たとえば実際の事故、襲撃、病気)を指し示すことができます。しかしそれに加えて、文化的、社会的な要因、環境要因も状況をさらに悪化させていることがあります。このため、ペインスクールの患者は「全体」として捉えられます。彼らの痛みはそのもともとの原因からだけではなく、そのほかのすべての寄与因子を加味した視点のもとで眺められるのです」。

 私がスコラロ博士に、ドクターたちは痛みの具体的なレベル(重い、中程度、軽い)をどのようにして判断できるのかと尋ねたところ、彼は中核にある重要な判断材料は次のようなものだと私に説明した――「この人物の痛みがどれほどかれを無能力にし、心理的に衰弱させているか?それはどれほど抗いがたいものか?その影響がどれほど広範囲に及んでいるか?」。

 この時点でカッペラー博士が会話に加わった。ペインセンターでの彼の主な責務は、おのおのの患者の脳の生物学的機能の評価と、それと苦痛、不安感、抑鬱、そして――究極的には――回復とのあいだの関係の評価である。

 カッペラー博士は初期段階での介入と心理面のマネジメント――たとえそれが単に助言や相談というかたちであったとしても――の必要性を主張した。なぜならそれは、患者がのちに慢性の痛みに苦しめられることになるか否かに関して劇的な差異をもたらし得るからである。「個々の患者の苦痛とストレスの問題に取り組むことが重要です」、カッペラー博士は述べた。「さらに痛みが彼をどのように感じさせるかということも。そのうえで、短期と長期の両面でそれに対処していくための、実行可能で個人的な方法が模索されるべきです。もしこれが襲撃や怪我の後すぐに行われると、かれがのちに慢性の苦痛を抱え込む可能性は大幅に低下します」。

 ドクターたちは、痛みは実際には多くの因子の総和であり、それがどのように足しあわされているかがひとりの人間の苦しみの度合いを決定するのだとたびたび指摘していた。にもかかわらず、私たちはなんとしばしば人がこんなことを言うのを聞いたものだろうか――「彼女は自分の腕のことでちょっとばかり泣き言を言い過ぎのようだね。私が自分の腕の骨を折ったときは、ただギプスを巻いただけで、なにごとも無かったかのように暮らしていたものだよ」、あるいは、「彼はまったく馬鹿げてる。彼は風邪を引いただけで、肺炎なんかじゃないよ」、あるいは犯罪被害者の場合は、どれだけしょっしゅうこんな意見を聞かされたことか。「ねえお願い、あの事件からもう3年経ってるのよ。彼女がまだあのことで苦しんでるなんて話を私にしないで!」。

 カッペラー博士は、犯罪被害者が感じる付加的なストレスの問題を取り上げた。「予期せぬ凶悪な攻撃は」、彼は言う、「極度にストレスのかかるもので、しばしば人を、服従的な状態で生きていくよう導いてしまいます。あるいは、なにかを見越している状態と言うべきでしょうか。彼らは一面ではなにか悪いことが起こるだろうと期待しているのです。この状況は痛みの閾値を低下させます。するとその人は、警戒心を保ち、攻撃に対して用心することを自分自身が忘れないようするために、肉体的、精神的な苦痛にすがり始めるでしょう」。

 彼は私に、退院後の最初の数週間の、私が再び町の通りを歩き始めた頃のことを思い起こさせた。心臓を激しく鼓動させ、さまざまな考えを頭に駆け巡らせて、私は足早に歩き、悪いほうの腕を堅く自分の体に押し付けていた。不安でいっぱいになりながら、私はあらゆる方向を必死にこそこそ見回し、私がいかなる瞬間にも襲われることはあり得ると――あるいはありそうだとさえ――確信していた。

 私の心と体は緊張でピンと張りつめ、苦痛に満ちていた。私は全ての筋肉、神経、思念を駆使して警戒していた。その結果、私が感じるいかなる苦痛も――それが私のズキズキ痛む手や指であれ、私のまだ回復途上の傷であれ、私の傷つき破壊された精神であれ――大幅に強まったのだった。

 このような反応は私のような酷いトラウマを経験した後ではよくあることなのだと知ることは、後になってからでも助けになる。たぶん、私がこの洞察をもって当時の私の行動を吟味することができていたら、私は容易にそれに順応することができていた――か、あるいは少なくともそれを理解することができていただろう。

 続いてドクターは、私がそれまで知らなかった、苦痛の体験に大きく関わる問題をとりあげた。哲学である。アメリカに住む私たちの多くは明らかに西洋的な哲学を具えている。私たちは物事をあるがままに受け入れようとはせず、それらに立ち向かっていき、それらを変えようとする傾向がある。私たちにはいつでも多くの選択肢がひらかれている、私たちはそう信じるように教えられている。私たちは自分の運命を多かれ少なかれコントロールする強い力を発揮することができると信じている。

 東洋的な哲学の影響のもとで育ったひとびとは往々にして、起こったことを受け入れることのみをとおしてひとは自分の置かれた状況をコントロールすることができるようになると教えられている。基本的な考え方は、ひとは外部の世界を変えようとするのではなく、環境に順応して自己を変えるのだというものである。

 スコラロ博士は言った、「この受容と順応の傾向ゆえに、東洋人の苦痛への耐性は西洋人のそれよりもしばしばずっと高くなっていると私たちは考えるようになりました。東洋人は自分の苦痛を感じ、それを避けることのできない現実として受け入れ、それに順応しようと模索していくのです」。

 「西洋人が暴力的に攻撃されたとき、かれはただちに、起こったことを変える方法はまったくないのだということを知ります――かれは被害者になります。問題の事柄についてなんらの選択の余地もありません、いかなるオプションも与えられていません。肉体的および/または精神的な苦痛を避けたり消し去ったりする手段はありません。『もしもお前がそれを好まないのなら、お前はそれを変えることができる(お前がそのために努力するかぎりは)』という西洋の哲学の基本が突如として無効化されます」

 「その結果はしばしば深刻な抑鬱の状態です。そして、この弱った状態のもとで私たちは苦痛への耐性を失います。比較的小さな苦しみでさえも、心理的には顕著な敗北のしるしになります。そしてそれがさらに苦痛を増すのです」

 スコラロ博士とカッペラー博士はペインセンターで、患者にトラウマを受け入れ、それを否定しようとしたり、消し去ろうとするのを止めることを課している。プログラムはあらゆる点で現実指向である。患者は繰り返し、あるがままの現状に向き合わされる。彼らは障害から逃げ去ったり、それらに挑むことを避けたりするのを許されていない。ペインスクールでは甘やかしは認められないのである。患者はこう教えられる、「もしあなたがなにかを好まないのならば、あなたがそれを認識する仕方を変えなくてはいけない、そしてそれから、困難な状況のもとで最善を尽くさなくてはいけない」。言い換えると、焦点は自分自身を変えることによって苦しみを減らす方向へとシフトしているのである。

 既に起こってしまったことを被害者が操作する手段はない。しかしかれは、その出来事がその後のかれを荒廃させる度合いを操作することはできる。リハビリに積極的に取り組み、かれの苦痛にかれの人生を破壊する力を与えることを拒否することによって、かれは勝利を勝ち取ることができるのだ。

 目標設定はペインリハビリテーション・プログラムの重要な一角であり、とりわけ、自分の力で困難な時期を乗り越えていかねばならないひとびとの助けになる。それは、痛みに苦しむ人が学習性無力感を募らせていくことを回避するのにも役立つ。

 痛みのなかにある人が、そこに向かって取り組んでいくべく選ぶことのできる目標は無数に存在する。深刻なダメージを受けた肢の機能を回復することを目標に決めてもよいし、車いすで大学に通うこと、自分の経験についての詩を書くこと、教会やコミュニティーで積極的に活動すること、ボランティア活動をすること、ペットを飼って世話をすること、義足をつけて使いこなすこと、盲導犬とともに生活することでもよい。

 目標を設定し、それに向かって取り組み始めたとき、かれは自分の人生を操る力をある程度回復している。過去を変えることはできない、トラウマを消し去ることはできないということをかれは受け入れる。しかしかれは、その後において自分の心と体を立て直そうと挑戦もするのである。目標設定は自尊心を高める作用をもたらすとともに、苦痛の耐性レベルを高めてくれる。それは意識の焦点を苦痛から遠ざけ、目先の課題へと向かわせるからである。

 バイオフィードバック研究所所長のトゥーミン博士はセラピーへの統合的アプローチを信条とする心理学者である。彼女は疼痛性障害やストレス障害の治療においてバイオフィードバックと、求めがあれば心理療法を活用する。バイオフィードバック研究所における彼女の仕事はさまざまな患者を対象としているが、トゥーミン博士は痛みに苦しむ人、および、襲撃が招いた問題を抱えて彼女のもとを訪れた犯罪被害者とのあいだで多数の経験を積んできている。

 「バイオフィードバックの計器を用いることで、患者は筋肉をリラックスさせたり発作を消散させたりといった自分の努力の結果を、感じるだけではなく見ることが可能になり、体の動かし方を調節することができるようになっていきます」、トゥーミン博士はそう指摘した。

 「バイオフィードバックを適切に用いることで、患者は自分の体を制御しているという感覚を得ることができます。計器自体は、どのテクニックがある個人に最も適しているかを知るために使う、単なる道具です。ひとたび患者が自分にとって最も有益な方法を理解したら、かれは計器の助けなしで実践してもかまいません」

 私が自身の回復期間中に学んだように、被害者の心がトラウマ――事件がもたらした痛みや犯人についてのことなど――に支配されているとき、肉体的、精神的な回復を成し遂げることはなおいっそう困難になる。バイオフィードバックは、自身の緊張の度合いや肉体の機能をリアルタイムで示すグラフに被害者の注意を向けさせることで、まったく新たな視点をかれに与える。被害者は不快で心かき乱される過去ではなく、現在における達成度やポジティブな結果へと意識を集中することができるようになっていくのである。

 トゥーミン博士は説明した、「バイオフィードバックの計器の助けを借りることで、患者は自分がいつ興奮し、あるいは動揺するか、対照的にいつリラックスするかを知ることができるようになる。そうして患者は、私たちがタイピングや水泳やその他のあらゆることを学ぶときとまったく同様に、別の適切な反応を産み出すことができるよう自分の体をトレーニングしていくことができます。ストレスと苦しみをともに減退させる癒しやリラクゼーションのテクニックを活用できるようになります」。

 「適度な運動は、痛みを抱える患者にとって間違いなく非常に有益です」、トゥーミン博士は言った。「バイオフィードバックは、個々の患者にとってどの程度の運動が有益なのかを見定めることの役に立ちます。筋肉がまだ十分に力を取り戻していない時点で急に過度な運動をすると、痙攣状態に陥ります。その結果はなおいっそうの痛みです。もし患者が計器でモニタリングされていたら、はじめはごくゆっくりと体を動かし、徐々に痙攣が引き起こされるぎりぎりの地点まで運動を激しくしていくといったこともできるようになります。そして、自分のストレスのレベルが上昇しつつあるのを計器で確認したら、運動を止め、ストレッチをするか、もしくはあとほんの少しだけ運動を続けるかといった判断をすることができます」

 「肉体的と精神的の両方のレベルで疼痛患者と協働していくことが重要です」、彼女は続けた。「患者が自身のトラウマのことを考えながらもリラックスした状態を保つことができるように私たちが手助けをすると、かれはモニター上に示されている結果を実際に見て、こんなことを言うことができるようになります――ちょっと待って、その話をしているときにぼくの手は冷たくなっていってるね。いったん戻ってもう一度ぼくにやらせてください。その反応を別な風にするためにはなにをすればいいんだろう?どうやったらぼくはそれをコントロールできるのだろう?」

 「したがって本質的に、私たちは自分の体を、恐怖やストレス、痛みを減退させるために用いているのです。そのなかのあるものは単純な行動の修正で、またあるものは、苦しみを減らすために、それについてどのように考えるかを変えていくことです」