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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 5 Pain 2/10

Ch. 5 Pain

 事態の厳しく冷酷な現実は「私に選択の余地はない」だった。過去において、苦痛が私の前に現れたとき、私は種々様々な手を見つけ出してそれを避けるか弱めるかしていた。しかし襲撃の後、私はそこのベッドの上に囚われ、多数の刺し傷とつらい医療処置の結果とその余波に耐えることを強いられていた。

 もしも私が苦痛を否定しようとしたら、あるいはそれと無益に戦おうとしたら、私は間違いなく狂気へと追いやられていただろう。人は現実を否定することが現実にはできず、なおも現実の世界にとどまり続ける。あるものはあるのである。そしてその痛みはあった。私が苦痛とともに生き、やがてそれにうまく対処できるようになるための唯一の方法はそれを現実として受け入れることだと、私は本能的に悟った。そして私はまさにそれを行ったのであった。それは地獄のように痛んだ。それは私にみじめさで涙を流させた。そしてそれは私を苦しみの恐るべき深みへ連れ込んだ。しかし私はそれを否定することを拒んだ。私はそれを受け入れ、それを感じ、それを憎みさえした。しかし私はそれがそこにあることを許した。私はドクターやほかの皆が言ったことは真実だという認識に固くしがみついた――「物事は良くなっていく、だから苦痛だって良くなる」。

 時おり私は、私のなかの弱々しい小さな声が「こんなの私は乗り越えられないよ~。あまりにも痛すぎるよ~」とネズミみたいな鳴き声を発してぶるぶる震えているのと戦わねばならなかった。そんなとき私は自分に向かって唱えた、「いやお前はできる。お前はできるしそれをやる」。

 日が経つにつれて、私は試行錯誤により苦痛に対してある程度の力をふるうことができるようになっていた。そしてこの力は私の心のなかにあった。私の苦しみの強さは、苦しみに対する私の心構えや認識の仕方によって変わり得るのだということを私は知った。私が苦痛を、憤りに満ちた否定的な眼で見たとき、それはなおいっそう痛んだ。しかし私がそれを治癒へと向かう前進の一サインとして見たとき、それはさほど私を悩ませなかった。痛みは消え失せはしなかったが、それが私に及ぼす影響力は大きく減退した。要するに私は、痛みに私をいいようにコントロールさせるがままにするのではなく、私がそれをコントロールするすべを学んでいったのだ。

 私はしょっちゅう行われる苦痛を伴う医療処置に、まったく異なる心構えで向き合うようになった。私は注射や まさに何百本もの縫合糸の抜糸、採血、その他いっさいを、こう自分に言い聞かせることによって耐え忍んだ――「それは痛い。けれども私はそれに耐えることができる。このすべては私が良くなるのを助けてくれるのだ」。

 もちろん私は、この種の思考法を機械的に会得したわけではなかった。苦痛の受け取り方をコントロールするための力を奮い起こすことのできない日はまだ数多くあった。そんな日には単に、私の心がおのれの身に降りかかったすべてのネガティブな事柄に対して反抗を試みていたのである。私はわめき散らし、激昂し、苦痛と戦った。そして不幸にも、これは私の痛みをいっそうひどいものにするのだった。

 私は自分の肉体的な苦しみに対処するためにしたのと同じくらい熱心に、心理的苦痛に対処すべく取り組んでいかねばならなかった。私の頭と心の傷は、私の肉体を損なう深い切り傷と同じくらい、否定しようのないものだった。しかし、私の肉体に宿る痛みを制御するすべを学ぶことで、私の不安もいくらか取り除かれた。心と体の両方における私の痛みの認識を意識的に変化させることにより、コントロールを取り戻すこと、それは私に劇的な効果をもたらした。私の全般的な体調は――そして心の状態は――飛躍的に改善されたのだった。

 精神的にも肉体的にも活発であることが有益だと私は気づいた。私の心が――そしていくぶん制限された範囲内ではあるが私の肉体が、なにかしら生産的な活動に従事しているとき、私の関心は痛みから引き離された。

 私のもっとも効果的な鎮痛剤のひとつは電話だった。フレッシュな声(望むらくは病院と疾患の世界から完全に無縁の人)と話すことによって、私はしばらくの間、自分の思考と関心を彼らの現実へと向けることができた。時には、他愛ないおしゃべりが楽しく効果的な気散じになった。別の日には、私のマネージャーや代理人とビジネスの件で議論したり、俳優の友だちと仕事の話をするのを私は好んだ。

 私はそれまで熱心にテレビを観るほうでは決してなかったが、療養期間中に私は「ブラウン管」がときには私を傷つけるものから私のエネルギーを反らすのに有効であるのを知った。退屈な病院の日々に、私はよく朝と晩のニュース番組を観た。それは三つの点で有用だった。まず、私の心を私の困難事から引き離すこと。さらに、「あちら側」で起こっていることに私がついていけるようにして、自分が今でも社会の一員だという気分を私に抱かせること。そして、多くの人間が――あるいは国中の人間さえもが――少なくとも私と同じぐらい苦しんでいると私に気づかせてくれること。

 からっぽの時間がどこまでも私の前にひろがっていた回復の初期段階の日々に、私は本の山を次から次へ読破して、文学作品の世界に自分を没入させたいと熱望していた。だが残念ながら襲撃直後の時期は、薬と痛みの複合作用により、私にとって読むという作業は極度に困難だった。私は友人や家族に、短編や、詩や、あるいは雑誌の最新号や新聞でみかけた記事のなかでおもしろいものを朗読してくれるように頼んだ。彼らが私の好きそうな、しかし私が読むにはあまりに長すぎる記事を見つけたとき、彼らはよくそれを切り抜いて、私がそのためだけに用意しておいたフォルダーに挟み込んでおいてくれた。そういうわけで、のちに私がようやく自分でものを読むことができるようになったとき、私は手始めに読むべき興味深い素材をじつに大量に保有していたのである。

 単純なゲームも気散じになった。私は特に、パーチージやスクラブルのようなボードゲームや、ラミーやあるいはハーツのようなカードゲームをするのが好きだった。私はそれらを私の腕のギプスの上や、私のぬいぐるみのひとつの上に置いた。お客が来ていないときは、ひとりで出来るトランプゲームを次々にやって楽しんでいた。

 これらのちょっとした心理的な気散じは、いずれも込み入ったものではなかった。私の心はまだ、長時間にわたり集中力を要するような事柄をするにはあまりにも朦朧としていたのだ。ただ私にとって肝腎なのは、私の考えを私の手や胸や頭など、私を苦しめているもろもろいっさいから反らすことができる点だった。

 ICUから一般病棟へと移ってからまもなく後に、私は多少の自足を取り戻しはじめた。ただしそれは、その頃の私の生活の支配因子である肉体的な痛みによって制限されていた。体のほとんどあらゆる部位が痛み、私の運動能力はごく限られていたのである。

 長期間にわたって、私は多くの事柄をひとりで行うことができなかった。しかし、怪我を負った状態にもかかわらず、私があの時あの場ですることのできる事柄もあった。

 もっともありふれた日常の動作をすることも、私にとってはチャレンジだった。私の左腕は完全に動かすことができず、私の右の人差し指はおかしな格好に添え木を当てられ、包帯が巻かれていた。しかし多くの訓練と忍耐(それは私の場合つねに不足がちであった)とによって、私は右手の無傷な4本の指を驚くべき器用さで使いこなすことができるようになっていった。

 私が第二の「手」を必要とするときは、ヘアピンや鉛筆のようなものを掴むために自分の口を使った。体が麻痺して、ほとんど存在しないも同然の運動能力にもかからわず、あらゆる種類の活動を巧みに行うことができるようになったひとびとについての本や映画を私はみてきた。そして私は自分がまったく同じことをしているのに気がついた。私の右手がひどく痛んだとき、私は口を使ってさまざまなものを拾ったり持ったりした。そうしている私のことを訪問者が同情の目で眺めていると、私は不具の烙印を押されたような困惑の念を感じた。しかし、私がどんな風に見えているかだとか、人がそれをどう思うかについての心配よりも、ひとりでなにかをすることへの欲求が上回ったのである。

 そのうえ、手助けなしで肉体的な作業をやり遂げようと励めば励むほど、痛みそれ自体に私の意識の大部分が傾けられている時間は減っていった。私の心と体を再訓練のプロセスに従事させることは、私の痛みや苦しみのレベルを下げたのである。

 まもなく私は、髪をとかしたり、歯を磨いたり、メイクをしたり、電話のダイヤルを回したり受話器を持ったり、パジャマのボタンを留めたりひもを締めたり、食べるものを切り分けたりができるようになった。そして私はうれしさを感じた。自分自身を完全な依存状態ではなく、ひとりで機能している状態として認識するのは素晴らしいことだった。

 襲撃から早くも3週間後に、私は運動をしたいという差し迫った欲求を感じた。私はそれまでの人生でずっとダンスを習ってきたので、私の脚の筋肉はおおいに発達していたのだった。数週間の病院暮らしの後、私はふくらはぎやももの筋肉の張りが消えていることに気がついた。そのたるんだ外観に嫌気がさして、私はスタイン先生になにか適度な運動をしてもいいかと尋ねた。彼は即座に了承したが、目をキラキラさせつつ、下の階のそんなに活発ではない患者をびっくりさせるので、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、つま先立ちでクルクルと踊ったりはしないようにと私に警告した。

 そこで私はベッドの上で、腕を牽引されて吊られた状態のままで、一日二回の脚の運動を開始した。たった数日のうちに目に見える変化が表われた。そしてそれは私を爽快な気分にさせた。数週が経過するにつれ、私はおのおのの運動の反復回数を増やしていった。さらに私は右腕を動かすことにも取り組み始め、上腕の筋肉を収縮させたり、小さなものを持ち上げたり、体育の授業で習ったとおりに注意深く腕を回したりをした。

 一日二回の脚と腕の運動をするようになってから、私の全般的な肉体の痛みと苦しみが大幅に弱まっていったのを私は認めた。私の肉体に働きかけて、健康な状態へと首尾よく誘導していくことで、私はやればできる、私は自分自身を掌握している、私はまともに機能しているという気分になることができた。それに加えて、適度な、心地よい肉体への負荷は精神的、感情的な高揚を私にもたらした。適度な運動は強力な薬だった。私は運動することによって、痛みを効果的に抑制するエンドルフィンの分泌を私の肉体に強いていたのだと学んだのはのちのことである。

 重たいギプスが取り外されると、私は手の治療を担当していた医師と相談し、彼は私の左腕のためのごく軽い運動一式の実践を認めた。左腕の筋肉は不使用のせいで退化していたので、まずは私の理学療法士のフィルの監視のもとで運動をはじめた。しかし短期間のうちに私は、それをひとりでやっても問題なかろうとの信頼を得られるほど十分に習熟していった。

 私がしっかりと立ったり歩いたりできるようになってからは、部屋のなかで運動をはじめた。スタイン先生は私の運動療法を容認していたが、私は映画テレビ基金病院のスタッフはそうではないのではと不安になった。そこで私はフレッドか母を監視に立たせ、ドアを閉め切って、極秘裏に運動を行った。

 フレッドは家から私のレオタードやダンスシューズ、ダンス用の音楽テープまで持ってきた。そして私は椅子の背を掴み、それをバール代わりに用いながら、簡単なバレーのウォーミングアップをやり始めた。

 私は自分の体にガイドの役をさせて、いまだ非常にデリケートな状態にある私の傷をぶつけたりして刺激しないよう気をつけていた。しかしこれらのちょっとした個人「授業」は、私をより強く、より幸せで、より自分自身と仲良しにさせた。

 映画テレビ基金病院への入院中の大半の期間、私はダンスを踊り続け、私のバレーの練習を素敵な秘密だと思っていた。フレッドか母がドアを鋭く2回たたくと、それは「誰かが来る」という合図であった。急いで私は自分のローブを羽織るとベッドに飛び込み、ダンスシューズを毛布で隠した。看護師の誰一人として、私が自分の部屋でたった1回のプリエやストレッチを演じている光景すら目にしたことはなかった。ただし数人は、私が急にクラシック音楽への衰えぬ情熱を抱きはじめた件について言い及んでいたが。

 映画テレビ基金病院の入院期間の終わりまでに、私は柔軟性と筋肉の張りと体力を相当程度に――特に脚については――取り戻していた。そして私は、それを自分が内緒でやり遂げたことを嬉しく思った。私が退院するとき、看護師であり友人でもあるジェーンが私にさよならのメッセージカードを手渡した。数時間後、ニューヨークへと向かう飛行機のなかで私は読んだ。「テレサ、Jウイングはあなたの笑い声とあなたのおしゃべり、そしてあなたのジェーン・フォンダ・スタイルの体力トレーニングを決して忘れません!」。私はそれを見て本当に大笑いしたが、あの数週間のあいだずっと、彼らがとやかく言ったりからかうことなく、私のエクササイズを黙認してくれていたことにジーンとなった。

 いま振り返ってみて、私はあの忌まわしい刺傷を負ったあとで、重要な選択をしていたことに気づく。生と健全さを抱擁するか、それとも死と狂気を抱擁するか。そしてそこで私は、苦痛のちりばめられた道を選んだ。しかし、その行程のあらゆる途上において、私はたとえそれがいかにつらいものだとしても、価値あるものだということを分かっていた。

 私は自分があたかも見事な勝利を勝ち得たかのように感じた。私がその過程で多くのことを学んだことは間違いない。私のなかには、必要がないうちは蓋をされて使われることのなかった、人間に宿る力の井戸が存在することを私は知った。そして私は毎日そこから水を汲みだすようになったのである。

 私は主に向かって祈った、私は友人や愛するひとに向かって援助と励ましを求めた、私は鎮痛剤の慰めを知った、私は精神科医に助けを求めた、私は傷を負ったほかのひとびとが実践していた方法を試してみた、私は自分のためのさまざまな対処メカニズムを私的に考案した――そして私は、かつて私が可能だと思っていたよりもよりきびしい苦痛を乗り越えることができた。

 痛みに対する私の耐性の低さ――それは今日も私を悩ませているのだが――については、歯医者さんに聞いてみてください!私のような人間がきびしく、そして長期にわたる苦しみに対処することができるのであれば、ほぼどんな人間でもそれができると私は信じている。