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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 5 Pain 1/10

第5章 痛み(118~175頁)

 なぜ蛇が邪悪さやあるいは死の象徴にしばしば用いられるのか、私はよく理解できる。襲撃後の悪夢のような日々に、とぐろを巻いた、鋭い歯の、テラテラした生き物のイメージが私の意識に浮かんでは消えていったのだった。

 私はあれらの日々の苦痛を、静かで、致命的で、脅威的な――なにか蛇のようなものとして覚えている。その邪悪な存在が私を強力な顎のなかに捕らえ、全身を呑み尽さんとして私を脅かし、私を圧倒していた。

 苦痛は至るところにあった。それは私のもっとも外側の層で止まることなく、小さな孔から私のなかに忍び込み、さらに深い層へと、表皮を、骨を、筋肉を、神経を押し分け進んでいった。悪意に満ちた苦悶はそこでも止まることはなかった。それはなお深い、私の肉体的な存在の遥かな下方、遥か向こう側まで掘り進み、ついに私の心と魂の中核へとその鋭い牙を突き立てたのである。

 私の心の奥底は、おぞましい幻覚を産み出す沃野であった。小さな蛇たちがどこからともなく現れ、その尖った舌先を直接私に向けてきた。不気味なささやき声が私を嘲った。「お前は苦痛のせいで死ぬよ。俺たちは苦痛だ、そしてお前は死ぬ」。それから彼らはズルズルと這いずり去っていった、異様な甲高い笑い声を立てながら。

 私がこれらの邪悪な嘲り声を聞いたと信じた瞬間はいくらでもあった。私の苦痛はあまりにもはげしく、私はたとえ苦痛が私を殺さなくても、それは間違いなく私を狂気へと運び去るだろうと信じはじめていた。

 次の鎮痛剤投与の前の最後の半時間に、私はもっとも脆弱だった。「この苦痛に耐えられない。私は狂ってしまう」、私は泣き、頭を前後に揺り動かし、そこらじゅうにいるようにみえた蛇のごとき生き物から後ずさりしていた。

 力なく私はそこに横たわり、幻覚が消えることを待ち望んでいた。恐ろしいイメージがようやく過ぎ去っていくと、私は暗く落ち窪んだ眼から外界を覗き込み、ベッドサイドで静かに私を見守り続けている母の心強い姿にほっとするのだった。私たちは同じ苦痛の腕に捕らえられて、お互いの目を見つめ合い、束の間の休息の訪れることを祈った。やがてそれは、デメロールの投与というかたちをとってやって来た。私は母にもそれが投与されることをしばしば願った。しかし、あの効能確かな催眠剤でさえも、彼女のなかの奥深くに横たわる傷にはほとんど触れることはできなかっただろう。

 

あらゆる人々の人生に雨が降りかかることがある Into all lives some rain must fall.

あらゆる人々の人生に苦痛が降りかかることがある Into all lives some pain must fall.

 

 薬が苦痛をほんの少しばかり和らげると、この単調な詩の韻律が頭のなかをぐるぐると巡った。この歌は一種の子守歌になった。薬が私を短いがしかし歓迎すべきうたた寝へと誘うとき、私はしょちゅう、目を閉じて心のなかでその歌を唱えながら眠りについた。

 私の悲惨は際限を知らなかった。私は自分の両の眼を、そこから私の内と外にひろがるみじめな苦悩の世界が覗き見える「地獄への穴」だと思っていた。安寧と平常の大地への苦悶のなかからの一瞥は、ほとんど慰めにならなかった。私が見ることのできたものすべては、私自身のこの恐ろしい、毒の蔓延した世界から遥か遠く隔たっているようにみえたのだ。

 そんな風にして私は何日間も生きていた。苦痛から逃れたり、隠れたりすることのできる場所はどこにもなかった。そこで私はしばらくの間、そいつのやりたい放題にさせた。瞬きもせず私は蛇を見つめた。私は彼らを受け入れ、私の肉体を射抜く痛みの衝撃を受け入れた。それから私は眼を閉じ、ドローンのように続く歌へと自分を没入させていった。

 

あらゆる人々の人生に雨が降りかかることがある Into all lives some rain must fall.

あらゆる人々の人生に苦痛が降りかかることがある Into all lives some pain must fall.

 

 アルコール中毒者更生会は、「一日一日を」という、すばらしく効果的な哲学をもっている。アルコール中毒者は、彼らのつらい禁酒への道のりを、そのつどの24時間に意識を集中することによって耐えている。その先にさらに続いていく困難な日々を思うことは、彼らの課題を乗り越え不能のものにみせてしまうのだ。

 私の最悪の、もっとも苦痛に満ちた時期を、私は鎮静剤の注射から次の注射までのまさに3時間ごとをやっとのことで生き抜いていた。もしも私が次回の投与よりさらにずっと先を考えてしまったら、私を待ち受けている苦しい数週間や数ヵ月の展望に耐えられなかったに違いない。

 そうして、そのつどの3時間ごとを生きていくことにより、私は嫌らしい苦痛の毒牙が噛む力を弱めるまで、生き延びることができたのだった。

 その後の長い苦しみの期間はそれまでとはまったく異なるものになった。過ぎ去ったのは幻覚であった、ぞっとするいやらしいささやき声であった。いまや苦痛はより具体的なレベルで私の生に入り込んでいた。

 ある面で、薬漬けの悪夢から私の能力を損なうことなく目覚めることができたのは救いであった。しかしある面で、苦痛は私をいっそう激しく苛んだ。私の感覚はより鋭敏になり、苦痛をより強く感じるようになったからである。しかし私に逃げ道はなかった。私はもはや苦痛に満ちた夢に向き合うことはなくなっていたが、同じくらい苦痛に満ちた現実に対峙することになったのである。

 

 多くの犯罪被害者は、苦痛が領し、安らぎが後景へと退いている世界へと放り込まれた自分自身に気がつく。この状態は、自分自身になんの咎もないのに自分はそこにいるという事実によって、なおいっそうおぞましいものになる。

 多くの被害者にとって、心の痛みと体の痛みは連関しあうようになっていく。たとえその人の肉体が実際の犯罪の過程で傷を受けていなかったとしても、被害に遭ったあとの心の苦悩はしばしば肉体をも衰えさせる。

 犯罪被害者の行く手には苦難の時期が待ち構えている。そこから容易に脱け出る方法はない。おそらく、私が言うことのできるもっとも励ましになる事柄は、何千人もの被害者が、もっともおぞましく長期にわたる苦しみをもなんとかして乗り切ってきたという事実である。多くの場合において、改善への歩みはのろのろとして途切れ途切れであった。しかし私たちは、試行錯誤を繰り返しつつ、自分自身の苦しみに立ち向かうにあたってなにが助けになるか――なにが害になるか――を発見していったのだ。

 苦痛の知覚のされ方や許容範囲は人により千差万別である。それゆえ傷ついた人は、自分の苦しみを緩和し、それとともに生きていくことの助けになる、自分に固有の方法を探し求め、実践していかねばならない。

 私はよく人がこう言うのを聞いた、「いったんそれが終わったら、あなたは苦痛を全然思い出すことができないでしょう」。それはまったくの間違いだと私は知っている。私の体のあらゆる部分がどれだけ痛んだか、私の心と魂がどれだけの苦痛で満たされていたかを私は思い出すことができる。じじつ、私はそのことをあまり頻繁に考えないように努めている。あのいっさいの苦しみを考えるだけでも私を傷つけるからである。

 多くのひとが私に言った。「私はあなたがしたように苦痛を耐えることは決してできない。私は気がふれるか自殺してしまうでしょう」。私が彼らに言えることはこれだけである。「私もそう思っていました。でも、あなたが恐ろしい状況のなかに否応なしに送り込まれたとき、あなたは自分が可能だと考えていたよりもずっとたくさんのことができることに気づくんです」。

 

 襲撃の後、私の母は当然のことながら心配げな様子だった。彼女は私がちっちゃな少女のころから、妹やいとこや同年齢のほかの子供たちより痛みに敏感だったことを思い出した。些細な擦り傷や切り傷すらも、私に何時間もつづく苦悶の泣き声をあげさせた。歯医者の診察を受けるときはいつでも、私は治療の前にも最中にも後にもみじめなありさまだった。私はただ注射針を見ただけで金切り声をあげて泣き出し、歯科医院や救急外来へと物理的に引きずられていかなくてはならなかった。私がいかなる種類の痛みに対しても非常にわずかな耐性しか持っていないことは明らかだった。

 ティーンのころにも大人になっても、この傾向はまったく改善されなかった。それどころか悪くなった。私は痛みに関しては赤ん坊みたいで、みっともないったらありゃしなかった。

 私が20歳のとき、私の代理人が歯に冠をかぶせることを奨めた。私は映画でのキャリアを積んでいこうと決めていたので、「まぶしいばかりの笑顔」は私の心に訴えるものがあった。そこで私は「スターのための歯科医」として評判の高いグレゴリオ先生のところへ行った。

 ああ、先生は私のような類の人物にはこれまで一度も出くわしたことがなかった!私は12歳ごろからこのかた、歯科医院の椅子に座ったことはなかった。彼が鋼製のなにかを突っつくような尖ったものを手に私のほうに近寄ってきた途端、私は木の葉のように震えはじめた。涙が私の顔を流れ落ち、彼が何本かのたいしたことのない虫歯の治療をしている間、私は哀れっぽいうめき声をあげて泣いた。彼は私の極端な反応に困惑し、不安になった――私が彼の患者を待合室から追い払ってしまうのではないかと彼は恐れていたに違いない――しかし彼は、笑気ガスだとかの麻酔薬を自分は信頼していないのだと説明した。それから彼は、私の前歯に仮の冠をかぶせられるように前歯を少し削る作業を次回からはじめるので、来院前に軽い精神安定剤を飲んでおいてくださいと私に言った。

 一週間後、軽い鎮静剤の効果で心地よくぼんやりとしながら、私は友人とともに医院に着いた。しかしドリルが回転しだした途端、私は震えはじめ、冷や汗をかきはじめ、そして泣きはじめた。ただし今回は前よりずっとひどい状態だった。悪感が背中を駆け巡り、私は文字どおり泣き叫びはじめた。ドクターは私に止めさせることができなかった。彼がドリルを使い続けるにつれ、私はますますヒステリー状態に近づいていった。彼は4本の歯に処理を施す予定でいたが、慌てて1本の歯だけの作業を終えて仮の冠をかぶせると、私に別の歯科医の名刺を渡した。いまだにすすり泣きながら私は名刺に目を落とし、「ドクター・ハリー・ハンブルグ全身麻酔のもとでの歯科医療」の文字を見た。涙をこらえ、しゃっくりをしながら私はグレゴリオ先生にお礼を言い、こそこそと逃げるように医院を出た。ほかの患者は私を見つめて首を振っていた。

 そういうわけで私はハンブルグ先生によって歯に冠をかぶせてもらうことになった。彼は陽気な人物で、医院の壁は彼が最近出版した『麻酔のよろこび』という本のブックジャケットを収めた額で覆われていた。

 2週間ごとに私はハンブルグ先生の医院に行き、そのつど数本の歯に冠をかぶせてもらった。そこの待合室に私といるのは、歯医者につきもののドリルによる猛攻撃に耐えることのできないひとびとだった。ある人は、私と同じく、単純に痛いことの大嫌いな人だった。しかし大半は、なんらかの深刻な肉体的あるいは精神的な問題により、通常の歯科医療を受けることが不可能な人だった。

 私の順番になると、私は長い手術台に上り、袖をまくり上げて、ハンブルグ先生が私の腕に静脈点滴の針を挿入するのを観察していた。すぐに、ペントタールナトリウムが私の静脈に流れ込んでいった。私は十まで数えようとして、四までいったところで意識を失った。意識を回復するたびに、私の口のなかには白く輝くクラウン付きの歯が新たに2本追加されていた。

 だから、襲撃の後で私の母が、痛みが私の気を狂わせ自殺に追いやってしまうのではないかと心配したのはもっともなことだった。私は彼女が涙ながらに父にささやいているのを聞いたものだ。「トニー、この子がどうやってこれを乗り越えられるのか見当もつかない。だってこの子は小さなひっかき傷にだって耐えられなかったのよ」。