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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 8/9

Ch.4 Anger

セラピー

 私たちが自分の怒りに向き合い、それを克服しようとしている時、すぐれたセラピストの存在ははかりしれない財産となるだろう。彼または彼女は、怒りを表現し、それを方向づけ、私たちの利益になるようそれを活用すらするための方法を教示することができる。

 私たちの親友やもっとも近い親類も含めた多くのひとびとは、怒りに対してうまく対応することができないので、私たちがそこに行き、自分の怒りについて率直な議論を交わし、それを分析し、ときにはそれを曝け出すことのできるような場をもつことは助けになる。さらにセラピストは、私たちの怒りに対するほかの人々の反応に対して対処するすべをも教えてくれる。

 セラピーの場で、自分の怒りを否定したり抑え込んだりする必要はない。それに対して申し訳なさを感じる必要もない。優しく微笑んで「ご心配なく、わたしはだいじょうぶです」などと言う必要もない。私たちが必要としていることは、私たちの抱える怒りに建設的に取り組んでいくことである。よいセラピストは怒りをただちに消し去ろうとはしないものである。そうではなく、怒りに向き合い、それを吟味し、それを受け入れ、そしてそれを乗り越えていくように私たちを励ましてくれる。

 私の精神科医の助けなくして、襲撃の後の夏から秋までの期間を私が切り抜けることはほとんど不可能だったろうと思う。怒りが私を呑み尽くし、私をまるで歩く時限爆弾のような気分にさせていた。

 私の妹のマリアと私は、親友のマリア・スミスと彼女の2歳になるルーク(私は彼の名付け親である)のもとに引っ越していた。病院生活から離れるのは素晴らしいことだった。いま再び取り戻した自由が私を高揚させ、現実世界の一員に再び加わることを私は切望していた。しかし私はむしろ、不快な事実の只中で目覚めることになったのである。

 それからの半年間は、私の人生のなかでもっとも困難で――そしてもっとも怒りに満ちた――時期になった。体を鍛え上げて、完全な回復へ向かい取り組んでいくことは、決して容易な課題ではなかった――特に私を守ってくれる病院生活という庇護のない条件のもとでは。ほどなくして世界は辛辣で冷たい現実によって私の頬を打ったのである。

 多くのひとは、私から溢れ出す怒りを理解できなかった。結局のところ、彼らはこう言うのである――あなたは退院した、あなたの健康は回復してきている、そしてあなたの妹はあなたを助けるためそこにいる、あなたの人生は上向きである、そうなんじゃないの?それを聞いて私は首を振り、自分の怒りを秘しておこうと誓いを立てる。しかしそれから私は息苦しくなり、惨めになり、以前よりいっそう怒りを覚えるようにすらなるのだった。

 私は自分の変わってしまった人生と肉体とのあいだの争いに捕らえられていた。受け入れることはまだ遠い先の話で、私は怒りを表出し、怒りについて話すことを必要としていた。しかし人々は聞くことに疲れていた。

 私の怒りを認めてもらえなかったことは私をいっそう怒り狂わせた。私は何時間ものあいだただじっとして苛立ちながら、心のなかで腹立たしげにこう思っていた。「もしも彼らが10回刺されたら、もしも彼らが一生消えることのない傷を負ったら、もしも彼らが自分を殺そうとしているイカれた人間につきまとわれていたら、彼らだって怒るはずだ!」。私は自分がまったく誤解されていると感じ、混乱し、罪悪感すら覚えた。

 セラピーにおいて、私は自分の怒りと苦痛が受け入れられ理解してもらえる場所を見つけた。そこでは私の心の動揺は、私が置かれている状況に対する、筋の通った妥当な反応だとみなされていた。

 ウェインゴールド先生は、私が怒りでいっぱいになるのにはいちいちもっともな理由があるのだと、私がそう感じるからといって私は赤ん坊でもガキんちょでも「クレージー」でもないのだということを、繰り返し私に言って聞かせた。彼と、理解しようと努めてくれるほかの人々との両方に対して、自分の怒りについて語り、それを表に出すことを、彼は私に促してくれた。そして彼は、時がたてば私の怒りは大きく弱まっていくと私が信じることができるように、助けてくれた。しかしまずはそれに向き合わねばいけなかった。

 ウェインゴールド先生は、犯罪被害者の権利のために活動することへの私の関心を、怒りを建設的に表出するための一手段として、後押ししてくれた。彼はいかにして自分の怒りに対処するかについての私の考えに耳を傾け、彼自身のいくつかの意見を述べた。ウェインゴールド先生のアプローチは、多岐にわたる手段を駆使して私を支援するものだった。彼は私を過保護に扱うのではなく、自分自身の怒りを抱擁し、受け入れるのに十分なだけの心の安心感を私に与えてくれた。

 退院直後の日々には多くの事柄が私の怒りの感情の触発に寄与していたが、なかでも最も私を怒らせたのは、巷ですれ違う人々が私に関わり、私のことを見るそのやりかただった。

 入院期間中の最後の数週間に、私はほかの患者との比較においては肉体的に強そうに見えていた(そしてしばしば私もそう感じた)。しかしこの現実世界で、ひとびとは私をか弱く、無力で、儚い小さな花のごとくに扱った。私はほかの人が私を見るのと同じように自分自身のことを見るようになっていった――青ざめて、やせ衰え、のろのろと動く私。私はその頃まだ、巨大で奇妙な見た目の金属製の装具を手と腕に付け、上体には傷の拡大を防ぐためのゴワゴワした加圧装置を着用していた。これらの装具と加圧装置の組み合わせによって、私はふつうに運動し、歩き回ることができるようになっていたのだ。

 その頃の私は健康そうな見た目の人間ではまったくなかった。私のことを口を開けぽかんとして見つめていたひとびと、ささやき合い、論評し合っていた人々、忍び笑いを浮かべ、時には声を出して笑い出しさえしたひとびと。私はそれを決して忘れることができない。私は彼らに向かって叫びたかった、「私を一人にさせて!私のことを見ないで!お願いだからあっちへ行って!」。

 ある時、レストランのトイレで、若い女の子が大胆にも私のほうへ歩み寄ってきてこう言った、「ねえ、それどうしたんですか?犬に噛まれたとか?」。それから彼女は甲高い、引きつった笑い声を立てた。怒りと屈辱の涙が私の目に溢れてきた。私は彼女に平手打ちを食らわしてやりたい衝動に駆られた――彼女に、私に対して不親切で無神経だったすべての人間に反撃してやりたい。しかし私がしたのは、彼女のことを、トイレを出ていくまで黙って睨んでいることだけだった。私はなんとかして自分の理性を取り戻してテーブルに戻り、家に帰るまで怒りを自分のなかにしまいこんでいた。帰宅した家で私は怒りを爆発させ、夜になるまで延々とヒステリックに泣き叫んでいた。

 退院してから1カ月が過ぎるまでに、私は既に数々のその種の遭遇を耐え忍んでいた。そして私はパニックになり、自分が知らない人間の一団に出くわさなくてはいけないと知ったときはいつでも落ち着きを失うようになった。

 見知らぬ人々の只中で私はまともにやっていけるのかについての疑いが私の心を覆った。もしも誰かとりわけ無慈悲な人間がいて、私が怒りのあまりその人を本当に打ってしまったらどうなるのだろう?

 私の体からすべての装具類が取り外される日までどこかに引きこもっていることを考えた。しかし私はそれがほぼ一年先のことであるのを知っていた。そして私は、自分自身を社会から隔絶することで、これまでよりなおいっそう、私が自分の運命の囚人であるかのように感じてしまうだろうと思った。

 私の精神科医と私はこの窮状についての議論を交わした。私はウェインゴールド先生もまた、知らない人たちが私をどのように扱い、彼らの反応に私がどう応じるかについて心配しているのを感じた。私はいまだに精神面で非常にデリケートであり、彼は私が、ここまで私の培ってきた心の健康のレベルから後退したり、それを失うところを見たくはなかった。そして私たちのどちらも、私が病院やその他の「隠れ家」に退却することを望んでいなかった。

 ウェインゴールド先生は、私の直面している現実を甘いものに変えることは決してできなかったが、それでも彼は、他人の示す反応を私が理解することができるようになるための手伝いに力を尽くしてくれた。ハンディキャップを負った人をじろじろ凝視したり、ぽかんと見たり、ひそひそ話をしたり、乱暴な言葉を口にしてしまう人間の傾向について、彼は何時間もかけて私に話した。そして彼は、一般的にこの種の行動は彼らが問題を抱えていることから生じてくるのだと私に説いた。これらの人々は、自分と「違う」人間に接する機会をほとんどもしくはまったく持ったことがなかったのだ。彼らはどうふるまい、なにを言えばよいのかが分からなかった。彼らは車いすに乗り、装具をつけ、体にギプスを当てられている誰かを単純にひとりの人間として扱うことができるということを理解していなかった。ほとんどの場合において、私が出くわした無神経さは残酷さよりはむしろ無関心の結果であった。

 私たちのセッションのなかで、ウェインゴールド先生は人々の不適切な反応に私が対処することを可能にする方法を提案した。驚くべきことに、彼は私に無遠慮で率直であることを促した。彼らの行動が私を怒らせるのだと知らしめる全面的な権利が私にはあるのだという点を、彼は私に留意させた。ウェインゴールド先生は、これらの人々に対する単刀直入なアプローチの目的は、彼らに恥をかかせることでも、彼らに仕返しをすることでもないと説明した。むしろ要点は、私が自分の怒りを直接的に表現することである――自分自身の心の健康のために。それに加えて、彼らの行動が私にどんな影響を与えているかをこれらの人々に伝えることは、彼らを学ばせることにつながる。それは彼らに、彼らの行動が粗野で不適切で腹立たしいものであることをはっきりと知らしめることになるのである。

 そこで私はウェインゴールド先生の助言を聞き入れ、それを実地に適用しはじめた。ある晩のパーティーで、中年の女性が一時間以上も私のことをあからさまに見つめ、私が誰なのか、何が起きたのか、あの金属の道具はどういう目的のものなのかなどを、聞こえるぐらいの声であれこれ詮索し続けていた。

 やがて私は我慢の限界に達した。私は女性のもとへつかつかと歩み寄り、大声で言った、「お願いですから、奥さん、私のことをそんなにじろじろ見るのはやめていただけませんか。それは私をとても嫌な気分にするんです。それからもしあなたが私のことでなにか質問があるのでしたら――私が付けているこの装具のこととか――私は喜んでお答えしますよ」。

 その女性は慌ててすぐに謝り、逃げるように去っていった。私は肩をすくめて友人たちのところへ戻った。それ以上のことはなにも起こらなかった、そして私はパーティの残りの時間をリラックスして楽しく過ごすことができた。

 直接的なアプローチは実際よく機能した。私が身につけている装具を見て、ひとはしばしば「お座りなさい、さあ、お座りなさい」と私を急かしてきた。私はそれに対して微笑みとともに、「いえいえ結構です。これは傷ついた私の腕と胸のためのもので、足じゃあないんです」と言うことができるようになった。

 ある日、トークショーの出演前に控室で待機していたとき、騒々しい中年の男に絡まれたことがあった。彼は飲み物を手にしながら私のほうに近づいてきてこう言った、「おいおい、こりゃまたヘンテコな見た目のガラクタみたいなのをあんたは背負いこんでるね、へへへ。熊を捕まえるときの罠みたいに俺には見えるね!」。

 私は一瞬たじろいた――横で聞いていたゲストの何人かも。それから私は彼の目をまっすぐに見て、素っ気なく言った。「いいえ、これはどう見ても、熊捕獲用の罠ではありません、そして私はなおさらどう見ても、熊ではありません。あなたはそれにしても本当にガサツな人ですね。あなたの無神経な批評を誰かに浴びせかける前に、多少のマナーを学ぶことをお薦めしますわ!」。その言葉とともに、私は踵を返して歩き去った。その男性は、そばで聞いていたひとびとの視線のなかでビーツのように真っ赤になっていったが、私は良い気分だった。

 この男性のような人物に対しては断固として単刀直入に対処せよとのウェインゴールド先生の忠告を得る前の私は、自分の感情を心のうちに沈め、頼りなげな応対をして、家に帰ってから何時間も泣いたり、私の怒りを哀れな妹にぶつけたりしていた。代わって私は、私の怒りや非難を、それを向けるのにふさわしい人に対して露わにするようになった。そして私はその場で即座に怒りから解放されるのだ!