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PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 4/9

 フランクはいつもいたずらを楽しんでいた。それも時にはけっこうワイルドなやつを。ある朝、若い看護師が小さな黒いプラスチックのバッグを持ってフランクの部屋へ入ってきた。静かに、そしてややこっそりと、彼女はそれをベッドサイドの机の引き出しに入れた。興味を覚えてフランクが密閉されたバッグを取り出すと、そこには彼の名前が書かれていた。引き裂いて開けてみると中には黒い髪の毛の塊が入っていて、彼はそれが自分の髪であることに気づいた。笑い出して彼は言った、「これはなにかのジョークなの?」。

 看護師は答えた、「いいえ」。

 フランクは尋ねた、「これはなんのためのものなの?僕が死んだときに、葬式用に頭にくっつけ直すってわけ?」。

 若い看護師はきまり悪そうに横を向き、モゴモゴとつぶやいた、「まあその、正直に言えば、そうです」。

 これを聞いてフランクは吠えた。とともに、彼はもし自分が死んだら、笑いとともにこの世を去ってやろうと心に決めた。そこで彼はヘレンを説得して、ブロンドのかつらを買って持ってこさせた。彼はかつらの髪を切って、自分の髪の代わりにバッグに入れておいた。

 最近フランクはこの一件を私に説明して言った、「まあ死ぬことができるのは1回なわけで、その1回をブロンドで死んだって別にいいだろう?」。

 それらを彼が笑いに変えることによって、彼のまわりのひとびとが、彼や彼の傷についてずっとくつろいだ気分になることをひとたびフランクが学ぶと、彼は「マンハッタンでもっともおもしろい犯罪被害者」を目指すようになった。そして彼はじつにうまくやった。実際彼は、かつてこれほどまでに人を笑わせた経験を、ティーンの頃にスタンドアップ・コメディアンとして活動していた短い期間も含めてまったく思い出すことができなかった。

 フランクのユーモアのブランドは明らかにブラックで、しばしば苦みを帯びている。しかしそれは彼を活気づけ生き生きとさせる。ユーモアは彼の煮えくりかえる怒りを鎮め、先行きの覚束ない生に対する自殺したいほどの絶望へと沈み込んでいくことから彼を守ってくれるのである。

 フランクは彼自身のためのおかしなニックネームや、彼の傷を言い表すおかしな用語を考え出した。彼は自分のことをBullet Brain(ジュウダン・ブレイン)と呼び始めた。そして彼はヘレンを説得して、彼が病院で着ているガウンの一枚にHOLE IN THE HEADと名前を入れされた。人が彼をからかったり、看護師が彼を困らせたときはこう言った、「おいおい、そんな風に僕を扱わないでよ!僕は脳障害持ちなんだよ!」。(訳注、というか私的な感想:アメリカンジョークのツボがどうもいまいちよく分からん……)

 ある日、フランクの友だちで日蓮正宗仏教徒でもあるカーラが電話をかけてきて、しばらくの間彼と話した。突然彼女は言った、「ねえ、私は友だちといるの。今からあなたのところへ行って、お経を聞かせてあげる。それはあなたにとって必要なことなのよ!」。彼が返事をしようとする前にカーラは電話を切った。カーラが彼に、お経をしに行ってもいいかどうかの伺いを立てようともしなかったという事実が彼を苛立たせた。そして彼はいま、ドローンのごとき南無妙法蓮華経の読経を聞きたい気分ではなかった。

 フランクはしばらくのあいだ憤慨してそこに座っていた。そのとき彼は名案を思いついた。彼の隣のベッドには二週間にわたって昏睡状態の男性がいた。彼はピクリとも動かず、いっけんグッスリと寝入っているようにみえた。

 友人とともに現れたカーラは、フランクのベッド脇にやって来て数珠を取り出し、お経の用意をはじめた。しかしフランクは深い思慮の表情を浮かべつつ、彼らに向かってシーッと合図をし、こうささやいた。「カーラ、僕の隣にいる彼はそれはひどい苦痛のなかにあってね、何週間も寝ていなかったんだよ。いま彼ははじめて寝ることができたんだ。どうかお願いだから、僕のためのお経は僕の家でやってくれないかな」。

 慈悲の心で読経志願者たちは肯き、抜き足差し足で部屋から去っていった。彼らが行ってしまったあと、フランクは自分に向かって、楽し気に声を立てて笑った。

 最近フランクは私に、もしもかれがユーモアのセンスを保っていなかったら、彼は完全に憎しみと怒りの感情に支配されてしまっていただろうと語った。退院してからしばらくの間、彼はあまりにも怒りと絶望でいっぱいになって、ユーモアが一時的に彼のもとから去っていってしまったことがあった。しかし、苦痛と向き合い危機を生き延びたあとで、彼のはつらつとした気質、活力、そしてユーモアのセンスは全面的に復活を遂げた。

 フランクは今でも撃たれた体験や彼の頭のなかの銃弾についてしょっちゅうジョークを飛ばしている。そしてそれは本当のところ、彼のことを知る私たち皆が、彼とともに笑うことによって、彼の先行きの不確かさ対する私たちの苦痛と怒りからいくらか解放されることに役だっているのである。

 ある日、私たちが会ってからすぐに、フランクは私の家に電話をかけてきた。私は誰かと尋ね、彼は「フランク」と答えた。私は一瞬混乱した。すると彼は言った、「僕を知ってるだろう、テレサ。僕だよ――フランク・頭に弾丸入りの・ギャレットだよ」。

 この種のギャグは、まったく容認できるものだしまったく何気ないものであって、おかげで私も含めた彼の友だちの多くは、こんなことを気軽に言うことができるのである――「ねえフランク、私はあなたが頭のなかに弾丸入れてることは知ってるけど、それはあなたが40分も遅刻したことの言い訳にはならないわよ」。

 ユーモアを保つことで、フランクはくじけずに済んでいる。そしてそれは、銃撃への、彼の健康の先行きのあやふやさへの、まだ捕まっていない加害者への、なおも存在する怒りに彼が対応していくことの役にも立っている。フランクはいまもここにいて、いまも正気で、少なくとも苦痛と同じだけの喜びに溢れた人生をいまも楽しむことができている。

 

 笑いを共有することは、犯罪被害者であることの苦痛、怒り、疎外感を和らげる助けとなり得る。ほとんどあらゆる状況に宿っているアイロニカルなユーモアをともに認めあうことで、怒りの体験を分かち合い、理解することはより容易になる。怒りをユーモアで調節することは有効である。不安げな笑いでさえも、怒りの噴出のあとの死んだような沈黙に比べれば遥かに好ましい。

 ここ数年間で、私は怒りのより明るい側面に目を向けることを自分に課してきた。爆発的に怒ったり叫んだあとはほとんどいつでも、笑いやジョークに出番を与えることにしている。

 最近のことであるが、私たちの友人である犯罪被害者の公判延期の知らせを、私たちは四度続けて聞かされた。次の予定日には彼女とともに法廷にいることができるように、私たちのなかの代表のグループが準備を行った。会社に病気欠勤を届け出た人もいた。私たちは車の相乗りの手はずを整えた。記者にも報せた。そして前日の午後5時、Victims for Victimsの理事会の最中に、またしても延期の知らせが届いた。

 なんてこと!私は手近にある危険でない物体――それはたまたまVictims for VictimsのTシャツだった――を掴むと、部屋の向こう側に放り投げた。シャツはそこにいた私のちっちゃな4ポンドの子犬の上に舞い降りた。Totsieはキャンキャン吠えながら、シャツをのっけたままで慌てふためいて駆け回った。私は噴き出し、ほかのメンバーに言った、「TotsieのためにもTシャツを作らないといけないわね。私は被害者の、被害者のための被害者だもの」。このちょっとした軽口が部屋の緊張を和らげた。私たちはそれぞれ、教えられた、どうせまた延期されるだろう次回公判の日付を書き留めて、自分たちの仕事に戻った。

 

 ユーモアのセンスを取り戻すことは簡単ではないだろう。あなたは自分を駆り立て、促して、それを求めていくように心がけなくてはならないだろう。あなたは再び笑うことを学ばなくてはいけないだろう。

 悲劇の後で、私たちはあまりにも多くの時間を泣くことや嘆くことや苦しむことに費やしてしまい、楽しいときを過ごすにはどうすればよかったのか、時宜を得たジョークを楽しむにはどうすればよかったのか、日々の楽しみを享受するにはどうすればよかったのかを忘れてしまう。私たちはその点に関してまさに腕がなまってしまっているのである。

 あなたのトラウマがどれほど酷いものだとしても、あなたは再び楽しむことを自分に許すことができる。あなたは思いがけない可笑しなできごとや、皮肉に富んだウィットのひとかけらや、暗闇のより明るいほうを探し求めるために時間を割くことができる。あなたは怒りの吠え声のいくばくかを笑いの真珠に変えることができる。

 ユーモアが、苦痛あるいは怒りや苦しさや悲しみを、魔法のようにどこかへやってしまうことはないだろう。しかしそれはますます多くのなぐさめの時間をもたらし、やがてあなたは、喜びが再び自分の人生に帰ってきたことに気づくだろう。