PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

はじめに:テレサ・サルダナと冨田真由さん

BS

2016年6月6日に亡くなったアメリカの女優Theresa Saldanaの1986年出版の著書、Beyond Survival(『生き残ることのその先へ』)を全訳することにした。

 

1954年8月20日にニューヨークのブルックリンで生まれたテレサ・サルダナは、10代の頃に地元のアマチュア劇団で女優としてのキャリアを歩み始め、のちに映画やテレビの仕事のためにロサンゼルスに移り住んだ。1982年の時点で彼女は、ロバート・デ・ニーロ主演のマーティン・スコセッシ監督作品『レイジング・ブル』をはじめとする多数の映画やテレビドラマで主演や助演、ゲスト出演を務める伸び盛りの若手女優だった。

 

しかしその年の3月15日の朝、ウエスト・ハリウッドの自宅を出て家の前の通りに停めてあった車に乗り込もうとしたとき、テレサ・サルダナは以前から彼女に目をつけていたストーカーの男に刃渡り14センチのナイフで突然切り付けられた。彼女が受けた刺し傷は10箇所に及び、そのうちの4箇所は肺にまで突き刺さる非常に深いものだった。さらに彼女は犯人の攻撃を食い止めるために左手でナイフを(柄ではなく刀身を)強く握りしめたので、中指と薬指が動かなくなるほどの大きな怪我を左手にも負った。現場近くにたまたま居合わせた水配達業者のジェフ・フェンがなおも凶行を続けようとする男を取り押さえ、テレサは最寄りのシーダーズ・サイナイ・メディカルセンターに搬送されて、全身の傷の応急手当と、とりわけ重篤な胸部の傷の4時間半にも及ぶ緊急手術の末にかろうじて一命を取り止めた。さらにその10日後には2時間半にわたって左手の手術を受けた。

 

ただ呼吸をするだけで激痛が走るような過酷な状態からはじまった彼女の治療の日々は長く険しい道のりだった。これだけひどい状況にもかかわらず、事件からわずか2週間後に裁判所に呼び出され、ついこないだ自分をメッタ刺しにした犯人にじかに面通しさせられるという、ほとんど非人道的な試練まで味わっている。それでも、心身両面にわたる手厚い医療ケアと、家族の献身的な看護、友人たちのさまざまな手助けのもとに彼女は少しずつ回復への道を歩んでいき、事件から3カ月強を経た6月23日に退院。そしてその年の11月には女優業への復帰を果たし(最初の仕事はCBSの『掠奪された七人の花嫁』TV版のゲスト出演の野外ロケだった)、それとほぼ同時期に、暴力的犯罪の被害者が互いに手を取り合い協力しあっていくための支援団体Victims for Victimsを正式に立ち上げている。まさに天翔けるフェニックスのような人である。

 

事件から4年後の1986年に書肆Bantam Booksから出版されたBeyond Survivalを、テレサ・サルダナは既に入院中から書き始めていた。病院のベッドの上で、まだ十分な身動きもままならない状態にあった彼女が執筆を思い立ったきっかけを、その本のなかでこう振り返っている。「私のなかの創造的な部分ははけ口を渇望していた。私が常に愛していた別の表現手段は書くことだった。じじつ、本を書くことはいつでも私にとってのひそかな夢だった。ただ仕事の忙しさのため、そのための時間を私はこれまでもてなかったのである。いまはおそらく書くことが、私の芸術的充足の必要性に対する答えだった。私の心のなかにアイディアが駆け巡りはじめた。私がなし得るもっとも有益な事柄は、私の体験を人々に伝えること、このおぞましい犯罪が私と私の家族にもたらした影響について語ることだという考えが浮かんだ。不意に私の無力感は霧散した」。もっともその当時の彼女の右手には添え木が当てられ包帯が巻かれ、ペンを持つことすら出来なかったので、「執筆」はテープ・レコーダーに向かって彼女が話した言葉を友人が文字起こしするというかたちで始められた。

 

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書影。古書であればAmazonやAbe Booksなどで、おおむね3000円程度で入手することができる。270頁の本文中に図版は含まれていない。章立ては以下のとおりである。

 

Prologue プロローグ

Chapter 1 The Attack 襲撃

Chapter 2 The Aftermath その後

Chapter 3 Fear 恐怖

Chapter 4 Anger 怒り

Chapter 5 Pain 痛み

Chapter 6 Family and Friends 家族と友人たち

Epilogue エピローグ

 

手始めに、PrologueからChapter 2まで(原書の44頁まで)の訳を公開する。冒頭の2章で彼女は、襲撃の予兆のあらわれはじめた1982年3月のはじめから、3月15日の襲撃を経て、6月23日の退院に至るまでの約3カ月半の、波乱に満ち満ちた苦闘と再起の日々を時系列に沿って綴っている。3章以降、この本のトーンはやや変わり、犯罪被害がもたらす個別の問題に沿って、彼女自身だけではなく、彼女が退院後に精力的に取り組んでいった支援活動のなかで接したほかの暴力的犯罪の被害者の体験談に多くの頁が割かれるようになっていく。残りの章についても、翻訳作業が終わり次第順次公開していく予定である。

 

PM

5月21日以来、冨田真由さんのことが気になってしょうがないという2016年の私の大前提。 私は事件が起きるまで冨田さんのことは存じ上げていなかったという小前提。ゆえに私は、

 

ゆえに私は、冨田さんのお名前でしょっちゅう検索をかけて、ガセネタの汚穢のなかから僅かな信頼できる情報の欠片を拾い集めたり、たまーに週刊誌に記事が出ればすぐに買って来て読んだりしている。

 

なんだかな。これでは興味本位でゴシップを漁り回っているゲス野郎とやっていることは実質的に変わらないではないか。冨田さんにとって私は赤の他人であるが、赤の他人なりになにかもう少しマシなことができないものか。

 

冨田さんが意識を回復したときの報道で「みなの思いがつながった」、「祈りがつうじた」といった言葉が語られていたように、誰かのことをただ思い続けるだけでもその当の人にとってのなにかしらの力となるはずだという基礎レベルの支援(しかしこれは本当に支援になっているのか)に加えて、私の知るかぎり少なくとも3つのより具体的な、不特定多数の参加可能な取り組みがあった。

 

  • 回復を祈り千羽鶴を折る
  • カンパを募る
  • シーツに寄せ書きをする

 

カンパのための募金箱が置かれている港区のイタリアンの店の場所を私は把握したものの、そのもようを伝える報道映像を見返しながら、私はパスタを食べるついでにカンパをするのではなく、カンパをするついでにパスタを食べなければならなくなりそうだななどとぼんやり考えていた。また、映像で映し出された簡易式募金箱のペットボトルは、私が考えている金額を投入するにはあまりに入口が狭すぎるようにみえた。

 

寄せ書きを書きに行くことは考えたが、結局それもできなかった。Beyond Survivalのなかのテレサ・サルダナの言葉を引くと、「utter horror at being harmed - almost killed - by a personひとりの人間によって傷つけられる――ほとんど殺されかけることの比類のない恐怖」と苦痛と絶望を生き延びた人にどんな言葉を掛ければよいものなのか、私はまったく見当がつかなかったのである。「がんばれ」的なことを普通に言ってしまってよいものなのか。「冨田さんは人生のイヤなことを一括先払いしたので、この先はウンザリするくらいいいことばかりが続くと思います」といったような、「止まない雨はない」「朝の来ない夜はない」式の怪しげな楽観主義の甘味料を敢えて添付すべきなのか。とにもかくにも奇蹟の生還を果たしたことを讃え、労うにとどめておいたほうがいいのか。

 

よくよく振り返ってみると、そもそも私は冨田さんに向かって「がんばれ」と声をかける立場であるというよりは、むしろ冨田さんから「いやいやお前ががんばれよ」と日々励ましを受けているほうの立場であった。再びテレサ・サルダナの言葉を引けば、「If a girl can get through being butchered almost to death, if one can do that, then almost anything is surmountable. もしもひとりの女の子が死にそうになるほど何度も刺されて、それでもそれを乗り越えられたのならば、それが出来たのならば、どんなことだって克服できる」ということである。冨田さんが立ち向かわなければならなかった途方もない困難と比べれば、私を煩わせているような種々の厄介ごとは例外なく「その程度のこと」だった。このところの私は冨田さんという凛々しい規範のおかげで、いろいろなことに対してこれまでほどには弱音を吐かずに踏ん張れるようになっている。その思いを素直に伝えるとすれば、「このグウタラな私を日々叱咤激励していただきありがとうございます。いつもたいへんお世話になっております」といった感じになるが、しかしこんなことを書いても、「だ、誰だこいつ?いつ私が世話をした?」と冨田さんをおおいに不気味がらせてしまうだけだろう。

 

 *

 

Yahooのニュース記事でちらっと目にして以来、心の片隅に残っていたテレサ・サルダナのことを改めて思い返してみた。

 

http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160609-00058622/

 

テレサが34年前に彼女の命を救ったシーダーズ・サイナイ・メディカルセンターで息を引き取ったのは今年の6月6日で、日本時間に直せば7日である。冨田さんの意識が回復したとの報道がいっせいに伝えられたのは、その同じ7日のことだった。冨田さんは実際には報道のあった数日前から徐々に意識を取り戻しつつあったようだが、いずれにせよ、こちら側の人々が冨田さんに向かってくちぐちに「お帰りなさい」と声を掛けていたちょうどその頃、テレサ・サルダナはひとりあちら側へと旅立っていったことになる。まるで冨田さんの帰還を見届けてから旅装を整えたかのように。

 

暴力的犯罪の被害者支援の活動に尽力したテレサ・サルダナは、その生涯のなかで数多くの犯罪被害者と交流してきたが、冨田さんほどに自身の境遇と重なり合う人はおそらくそのなかにもほとんどいなかったのではないかと思う。冨田さんとテレサはともに、ひとりの異常なストーカーの男によって、同じ凶器で傷付けられた。そして事件当時ふたりはともに若い女優だった。

 

*

 

「女優」についての補足。冨田さんはメディアの杜撰な報道によって肩書すらも正しく伝えてもらえず、それが大きな二次被害の源泉になっている。事件直後にメディアはおそらく警察の広報にしたがって冨田さんをアイドルだと一斉に報じ、その後しばらくして、シンガーソングライター、芸能活動をしていた女子大生などへ呼称を変えていった。しかし冨田さんは実績ベースでは、メディアがほとんどふれていない女優として舞台やドラマ、映画でキャリアを積んできた人である。冨田さんの唯一のアイドル活動と言えるシークレットガールズも、少女漫画雑誌『ちゃお』付録のDVDに収録された連続ドラマで演じるアイドルの「役」から派生した一過性の活動だった。シークレットガールズ後の冨田さんの女優としての仕事はそのごく一部を以下のDVDで観ることができる。

 

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映画『ボクが修学旅行に行けなかった理由』監督:草野翔吾(2013年)

冨田さんの映画初出演作品。冒頭で冨田さんは初音ミクのように長ネギを振りかざしている(ネギちゃんこと根岸さんの役なので)が、後半ではネギをピック代わりの10円玉に持ち替えて、ギターを弾き歌を歌っている。

 

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舞台『タイムポンポン』作:園田英樹/演出:粟島瑞丸(2014年)

冨田さんの役どころの和音は心臓病を患う少女であるが、訳あって時間局局長の要職の座についてもいるので、時にはスーツに身を固め部下を引き連れて、一般庶民らに滔々と物事の道理を説いたりもしている。

 

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舞台『たりない写真、歌えなかった唄のために』作・演出:乃木太郎(2015年)

この作品で冨田さんはギターの腕前を買われてギター女子の役で登場する。冨田さんがお客さんの前でギターを弾くのはこの舞台がはじめての経験だった。

 

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舞台『Romance(ロマンス)』脚本・演出:園田英樹(2015年)

初の主演舞台で冨田さんが演じたのは「生き延びた人」の役であった。生き延びた人が、生き延びたがゆえに向き合わなければならないもの――たとえば「大きなさみしさ」のようなものと、生き延びたからこそできることについての劇。観るたびに泣ける。

 

冨田さんはこうした女優としての活動に加えて、2015年9月から自作曲のギター弾き語りによるライブ活動をはじめる。それ以降、冨田さんはほぼ月一度のペースでライブに出演し、2016年5月に8度目のライブを行う予定だった。

 

*

 

話を元に戻す。ここから先は私のやや感傷的な妄想である。5月の下旬から6月のはじめにかけての、日本風に言えば麦秋の候に、冨田さんとテルサ・サルダナはともに、わたしたちのほとんどがまだ赴いたことのない遥か遠い土地を旅していたのだと思うが、その過程で、あるいは二人の軌跡が交錯するひとときが訪れたのかもしれない。そしてその場でなにかしらの言葉が交わされたのかもしれない。もしかしたらテレサ・サルダナの最後のミッションは、かつての自分と同じように深く傷ついた日本の若いアクトレスを生者たちのもとに送り返すことだったのではないかと私は思っている。残照に燦めく川面を背に立ちはだかるテレサのシルエットが見えるような気がする。「あなたをこの先へは行かせない。あなたはまだここへ来るような人じゃない。あなたにはまだやることがたくさんあるのでしょう?あなたはそれが出来る。私はそのことを知っているの。ねえ、私の話をよく聞いて」。

 

「私の話を聞いて」。テレサ・サルダナは彼女の本Beyond Survivalをとおして、誰に向けて語りかけていたのだろうか。プロローグで彼女が述べているように、この本は「ほかの人たち」に「それがどんなものであるかを知ってもらう」ことをひとつの目的として書かれた。それは、私のように自分が刺されたこともなければ自分のそばにいるたいせつな人が刺された経験も持ったことのない人間に、この想像を絶する苦境から人はどのようにして立ち直っていくものなのかを具体的に教えてくれる本である。また、自分のたいせつな人が犯罪被害に遭ってしまった人に対しては、被害者とどう向き合い、どう接すればよいのかについての、彼女自身が被害者だったからこそ書くことのできる数々の貴重なアドバイスを授けてくれる本である。

 

そのいっぽうで彼女は、この本を書いているあいだ、自分と同じような体験をくぐり抜けてきた、「そこにいる」ひとびととの、ほとんど触知できるほどの絆を感じていたとも語っている。襲撃直後の日々のなかで、彼女は自分が冷たい海の上を漂う氷山にたった一人取り残された遭難者になったかのような、言いようのない孤独感を深めていった。彼女の周りにはいつでも彼女を支えてくれる多くの人たちがいた。彼らはくちぐちにこう言った、あなたはとても強い人だ、あなたはきっとこれを乗り越えることができる、そのことを私たちは「知って」いるんだと。だが、そう言って彼女を励ましてくれる誰ひとりとして、他の人間に刺され、済んでのところで殺されかけた経験を味わったことのある人はいなかったのである。お手本となる人物を彼女は渇望していた。自分と同じような目に遭いながらもそれを克服し、いまでは健康で幸福な毎日を送っているかつての犯罪被害者をである。と同時に彼女は、未来の犯罪被害者に対して、自分自身が手本とならねばならないという使命をも感じていた。「あなたは決して一人ではない――たくさんの、たくさんのひとびとが、あなた自身が経験したような途轍もない試練をくぐり抜け、さまざまなやり方で恐怖や窮状を乗り越え、くじけることなく前を向き歩き続けている」。彼女は自分の言葉が、傷ついた犯罪被害者を分厚く包囲する闇を照らし出す一条の光となることを心から願いながら、この本を書き進めていったのだった。

 

テレサ・サルダナがその生涯に幕を下したいま、もはや何人たりとも揺るがしようのない、明白な事実がある。34年前にテレサを襲った凶行は、彼女の女優としてのキャリアに終わりを告げるようなものではなかった。ましてや彼女の人生に終止符を打たせるようなものでは決してなかった。

 

既に述べたように、彼女は退院後すぐに暴力的犯罪の被害者のための支援団体を立ち上げ、反ストーカー法案の成立に尽力し、事件からわずか2年後にテレビ放映された再現ドラマで自身の役を演じるなどの取り組みをとおして、犯罪被害者を取り巻く環境の改善と、ストーカー犯罪に対する社会全体の意識向上に大きな貢献を果たした。

 

本業の女優業でも、彼女は襲撃前と変わらず多くの映画やテレビドラマで役を演じ、特に1991年から96年にかけて第5シーズンまで制作されたABC制作の刑事ドラマ『The Commishザ・コミッシュ』の演技で、ゴールデングローブ賞のミニシリーズ・テレビ映画部門の助演女優賞にノミネートされている。アメリカ人のあいだでテルサ・サルダナは、往年の名画『レイジング・ブル』の脇役としてよりも、90年代の人気テレビドラマで主人公のふとっちょの刑事の奥さん役を演じていた女優として記憶に残っているだろう。

 

襲撃被害が招いたあらゆる傷が元通りに癒えたわけではなかった。当時の配偶者だったフレッドとは、入院期間中の、被害を受けた当事者だけでなくその家族にとっても多大な心労を伴う苦難の時期に生じた心の行き違いが原因で、まもなく離婚に到っている(そのつらい顛末はBeyond Survivalにも書かれている)。しかし1989年に彼女はフィル・ピーターズと再婚し、その年に一人娘のティアナさんが誕生している。彼女はいまダンサーとして活躍中である。2005年以降、テレサは女優業の一線からは退いたようだが、2008年にThe Almost Murder and Other Storiesと題された短編集を上梓して、54歳の作家デビューを果たしている。

 

テレサ・サルダナ。この強く、勇敢な女性は、34年前に彼女を死の淵へと力ずくで引きずり込もうとした暴力の悪夢からフェニックスのように蘇り、美しくも大きな花を咲かせ、たしかな足跡をこの世界に残して旅立っていった。彼女は襲撃がもたらした計り知れない苦痛、恐怖、怒りと戦い、打ち勝ち、ただ生き残ることのその先の、喜びに満ちた、充実した生(a joyous, fulfilling life beyond survival)を全うしたのである。かつての自分と同じように心と体に深い傷を負い、絶望と無力感の暗闇のなかでもがいている犯罪被害者に、テレサ・サルダナは今日も力強くこう語りかけている。私はそれが出来た。だからあなたもそれが出来る。この平行関係はbeautifully clearであると。