PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Epilogue

エピローグ(原書268~270頁)

 私が今日を生きていることを感謝することなく過ぎていく日は一日もない。

 私がいま送っている生は、私が事件の前に送っていた生とはたしかに異なっている。それは変貌した生である。複雑化した生である。いくらかのやや普通ならざる問題と、数多くの責任とで満たされた生である。しかし多くの点で、それはより豊かな、より充実した生である。

 地獄のような、残酷な、しばしば恐ろしくつらい試練をくぐり抜けようとして苦闘することは、決して容易なことではなかった。絶望のなかで、私が自らにこう問いかけたことは幾度となくあった――これはそれだけの価値のあることなのか?

 しかしいつでも答えは同じであった、そしていまでも変わらない――「イエス!」である。

 暴力を生き延びた犯罪被害者たちは、人間精神の強さと不屈さの生き証人なのである。彼らは人間の残忍さに、肉体的、精神的な苦悩に、圧倒的な絶望に向き合うことを強いられてきた。

 それらいっさいを前にして、彼らはこう言ってきた、「私は前に進み続ける」と。そして彼らはただ続けるだけでなく、花を咲かせてきた。

 これこそは、この本に収められた、私自身のものを含む苦痛に満ちた物語を、人間はほとんどどんなことでも乗り越えられる――そして悪夢の終わりには幸福と欠けるところのない全き回復が待っていることの証明だと私が考える所以である。

 感謝すべきことに、犯罪被害者は近年、以前と比べていくぶんかの気配りをもって遇されるようになってきている。victimというまさにその言葉にまつわるタブーのいくつかも取り除かれつつある。人々はようやくのことで、大多数の被害者が「自業自得」なのではなく、すべての被害者が配慮と支援を必要としていることを認めはじめたのである。少なくともこうした認識は芽生えてきている。向こう何年かのうちに、暴力的犯罪の被害者であるとはどういうことなのかについての全般的な理解が深まっていくことを、私は望んでいる。

 被害者のためのサービスは増えつつあり、今では国じゅうの町々に、多くの私的、公的な援助グループが存在している。

 私が伝えたいと思っているもっともたいせつなメッセージは、たとえもっともむごたらしい犯罪被害の後でさえも、希望や幸福、健康は存在し得るのだということである。そこに到るまでには数週間、数カ月、場合によっては数年を要するかもしれないが、被害に遭った人は完全な回復を成し遂げることができる。それはただ、どれだけ長いあいだ挫けることなく頑張りとおせるか、どれだけ懸命に戦うことができるかの問題である。

 犯罪被害者が彼らの試練を無傷で切り抜けられることは滅多にないが、私たちはもはや、恥辱のうちに、あるいは沈黙のうちに苦しむ必要はない。

 「あなたにとってあの事件はもう終わったことなの?」、これは私が時おり受ける質問である。

 私の正直なところの答えはこうである、「ええ、そしていいえ」。

 私にとって事件は完全に終わってはいない、なぜならあの事件の記憶は、私が生きているかぎり私の心に残り続けるだろうから。そしてあのときの記憶が呼び覚ます恐ろしいイメージは、時として私を十二分に悲しませ、憂鬱にさせるのだ。

 しかしある意味で、私にとって事件は終わっている、なぜならそれはもはや私を苛むことはなく、私を破壊しようと脅かすことはなく、私の生活の質を損なうことはないからである。一言で言ってそれは、悪い記憶、遠い夢、暗い影である。私はあまり拘泥しないようにしている。

 私が病院のベッドに横たわっていた4年前に母が予想したとおり、いま私は演じ、ダンスを踊り、歌を歌い、走っている。そしてそれらのことをするたびごとに、私は感謝と驚異の両方の念を感じている。

 腕の装具は消え失せた。ギプスは消え失せた。取りつかれたような、やつれたまなざしは消え失せた。そしていま、暴力を生き延びてきたほかの多くの人たちと同じように、私はついに再び幸福であり、かつ健康である。

 犯罪被害に遭ったひとびとは、たとえそれがどれだけ恐ろしい体験であったとしても、痛みと恐怖と怒りをくぐり抜け、生き残ることのその先の、喜びに溢れる充実した生をこの手に取り返すことができる、私はそう心から信じている。