PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 9/16

 私の妹のマリアが小さな少女だったころ、彼女はなにか問題が生じたときはいつでもヒステリックに笑っていたことを私は覚えている。例えばある日、隣家の住人のヨハンセン夫人が足を滑らせて階段を転げ落ちた。幸い彼女に怪我はなかったが、彼女が落ちるところを見た人は皆とても心配していた。ところが、そこにいたマリアは、どうすることもできない笑いの発作をこらえようと無駄な努力をしながら肩を震わせていたのだった。彼女はヨハンセン夫人のことを、地上でもっとも面白いものを目撃したかのような目で見下ろしていた。

 また別の折、私が我が家の家宝である美しい水晶の花瓶――私の母に、彼女の父から亡くなる前に贈られたものである――に誤ってぶつかってしまったことがあった。花瓶が無数の破片に砕け散ったのを見て、家じゅうの人が愕然とした。それが事故であることはみなが分かっていたが、それでもつらいことだった。

 ママは立ち尽くして、粉々になった水晶を怖い目で見つめていた。パパは溜め息をついて新聞紙に顔をうずめた。私は火がついたように泣き出した。そしてマリアは笑っていた――体全体を震わせながらの大爆笑状態で。

 私たちはみな、マリアのこのかなり奇妙な行動に当惑させられた。私たちはそのことで彼女をからかい、時には怒ることさえあった。でも妹はまったく変えることができないようだった。彼女にとってそれは自発的な反応だったのだ。彼女自身がすっ転んで実際に怪我をしたときでさえ、床にしゃがみこんで腫れた膝やら足首やらをさすりながら、その間ずっと彼女は笑っていたのである。

 ママは彼女の行動が誰かの感情を害するのではないかと心配して、その妙な反応のことでマリアを繰り返し叱った。しかしいま私は感じている――困ったときには笑ってしまうマリアの性癖が、襲撃事件後に彼女が私と過ごした、あの極度の苦痛と波乱に満ちた半年間を乗り切るうえで、ある程度彼女の役に立っていたのではないかと。

 マリアはあれらの日々のことをつねづね、「我が人生最悪の時」と呼んでいる。けれども私は、彼女が感じていた憂鬱にもかかわらず、マリアはユーモアのセンスをなお保持していたことを覚えている。

 私はその頃肉体的にも精神的にもそれはみじめな状態だったので、マリアが大半の物事の責任を負わねばならなかった。悪い知らせが届けられたときは、彼女がそれを最初に聞く役だった。電話が鳴って、マリアが笑いはじめたら、それは災いを意味していた。でもしばらくしてから、私はマリアとともに仕事をこなすようになった。つきまとってくる問題の数々に、私たちは心をかき乱されていた――集金人、医療処置、公判日の延期、私の弱々しい健康状態、知らない人の視線や粗野なふるまい、延々と繰り返される医師たちのもとへの訪問。しかし、マリアは最近になってこう言った――もしも私たちがしょっちゅう声に出して一緒に笑っていなかったら、私たちは自殺していたか、お互いに殺し合ってたでしょうね。

 私は公共の場を歩くことが恐ろしかったので、路上ではマリアがいつも私の側についていた。いまだ心的外傷後ストレスの苦しみのなかにあった私は極度に用心深く、恐ろしげな不審人物がいないか絶えず警戒を怠らなかった。マリアと私は符牒を編み出した。私がすべきことはただweirdo alert(ヘンなヤツ警報)とつぶやくことだけで、すると妹が急いで私を進路変更させて、近くのお店やレストランやそのほかの、通りから離れられる場所へと連れ込むわけである。そうして安全地帯への避難がひとたび完了すると、マリアは彼女のいつもながらの笑いの魔法に屈するのだった。

 私たちはお店の窓から外の様子を覗き、たいていの場合、あまり目つきのよろしくはない、あまり身なりの綺麗ではない、不審なというよりは不運な人物が、私たちがたった今、まるで悪魔そのものから逃げ出すかのような勢いで彼のもとから走り去っていったという事実のおそらくは一影響を受けて、力なくトボトボと歩いているのを目にした。多少の時が経ってから、たいていはまだ笑っている妹が私の腕をとって、私たちは再び目的地を目指して歩みはじめるのであった。

 マリアは当時の私の「イカレた」行動様式のひとつを思い出すといまでも笑い出す。路上で怪しげな人物に突然出くわしたとき――例えば、ヘンなヤツ警報を私が発令する暇もなく、胡乱な風采の誰かが私に接近してきたときはいつでも、私は見境なくノープランで道路の真ん中へと飛び出していったのである。私の理論的根拠は、絶え間なく車の行き交う車道の真ん中では、なんぴとたりとも私を襲うことなどできはしまいというものであった。もちろん私はたいていの場合、車に轢かれる危険に自分の身を曝すことになるわけであるが、また誰かに刺されるくらいなら車に跳ね飛ばされるほうがマシだと思っていたのだ。

 私は止めようがないくらいの物凄い勢いで車道へと飛び出していったのだとマリアは証言している。私は標的をめがけて滑空していく弾丸のようであった。もちろん彼女は空中で腕を振り振り車の向きを変えさせようと試みて、すぐさま私を連れ戻した。そして私の安全が確保されると、私のことを「人間ダーツ」と呼びながら、いつものように体をくの字に折り曲げ笑い転げるのだった。そんな日の夜に、彼女は電話で、私の最新の車道ダイブのもようを両親に詳しく報告した。もちろん彼らはゾッとして色を失った。しかし妹はそれをじつにゆかいなことだと考えていた。そして、私も事後的にはそう思った。私がこれを書いている今でも、賑やかな大通りの、車がビュンビュン走り回っている真っ只中に安全を探し求めていた自分の姿は私を笑わせずにはいられないのである。

 私たちの日中の時間はおおむね、ドクターとの約束や理学療法や装具の取り付けや長いドライブや永遠の待ち時間で満たされたおおいなる禍いの時であった。しかし夜は違っていた。マリアは晩の時間を「プレイタイム」と呼んでいて、私たちは日中なにが起きたかのいかんにかかわらず、夜はなにか楽しいことをしようという暗黙の合意に達していた。

 マリアはメキシコ料理が大好きで、グアダラハラという妙ちくりんなレストランを見つけてきた。午後5時から7時までは「ハッピーアワー」で、いつでも可能なときは、マリアは必ず私とそこにいるようにしていた。実際、そこは天国的に最高な所だった。私たちは両方とも金欠だった。そしてハッピーアワーになると、タコスやチップスやソース、チーズ、その他の軽食が無料になったのだ。しばしばそれが私たちの夕食で、それでも豪華なものであった。なによりも、マリアはフローズン・マルガリータを愛していた。彼女はちびちびやりながらそこに落ち着いていて、たしかに彼女にとってはそれが心から求めていたハッピーアワーに違いなかった。

 私たちは時には何時間も、スパイシーな食べ物をかじりつつおしゃべりを楽しみ、華やかなメキシコ風の装飾に囲まれながら一緒に笑い合っていた。マリアはウェイターといちゃついたり、ジュークボックスで好きな曲をかけたりして、まったくくつろいでいた。ときどき私たちは友人たちを呼び寄せて、小さなパーティーを開いたりもした。

 日中のマリアは概して静かでむっつりとしていた。しかし夜になるとプレッシャーが和らいで、昼間の出来事について軽口を叩きながらじつに楽しく過ごしていた。ときどき私は、夜の彼女を別人のように感じた。アルコールのせいではなかった――マリアはマルガリータを一、二杯より多く飲むことはまれで、私は彼女が酔っぱらっているところは一度も見たことがなかった。それはまさしく、楽しむための彼女自身の時間だった。

 妹と私は、私が入院中に母にとても親切にしてくれた私の友人のパトリシアをよく訪ねた。パティはマリアにとってのよい友達にもなっていた。私はマリアが彼女なりのスタイルで昼間の出来事についてパティに話しているのを、驚き呆れながら聞いていたものだった。マリアはピン芸人が漫才のネタを練習しているところかと錯覚を起こしそうなぐらいの様子で熱演していた。彼女は私たちの日々の基本的スケジュールを一大ドタバタ喜劇のごときものとして伝えることにどうやら成功したようであった。

 私はいつ薬を飲んだのか、あるいはそもそも飲んだんだったかどうだったかをしょっちゅう忘れてしまうので、マリアが錠剤を持ち歩いて私に配給していた。そのため彼女は自分のことを「麻薬密売人」と称して、私が「キメる」べき時間になったらいつでも私に知らせてくれた。

 たまにマリアはちょっとしたいたずらを人に仕掛けて気晴らしをすることもあった。たとえば、もしも誰かが私たちに絡んできたら、彼女は構えの姿勢をとって胸の前で腕を組み、その人物の顔を冷徹に凝視しながらこう言うのだ、「私はグレイ護衛官、サルダナさんのボディガードです。ここから立ち去りなさい、さもないと私は上司を呼ばねばならなくなるでしょう」。その人物はたいていコソコソと立ち去り、マリアは満足そうに笑みを浮かべるのだった。

 マリアにとって笑いは、悲惨さから逃れるための方法、背負った責任の束の間のひと休み、そして私との特別なきずなになった。いっしょに笑うことは、私たちの関係を維持するとともに、あのストレスに満ちた時期にあってはごく当然の難局の数々や恨みつらみを丸くおさめることに役立っていた。ユーモアは妹に健康な逃避手段を与えたのである。

 先日私は母と話して、私たちが経てきた試練に立ち向かっていくうえで、ユーモアがどのようにして彼女の助けになったかを尋ねた。はじめ彼女は質問に戸惑いをみせて、こう言った。「ねえテレサ、あれはほんとに悪夢のような時だったのよ。可笑しいことなんて本当になにひとつなかったわ」。

 「考えてみてよ、ママ」、私は食い下がった、入院しているあいだ、母が私のために元気な様子をみせようとどれだけ努力していたかを思い出しながら。

 あれこれ思案した末にママは言った、「そうねえ、私は時には自分で笑うようにしていたと思う。本当のところ、最初の数週間か数カ月くらいはとにかくあなたが生きているってことがそれはもうありがたくて、私は勝ち誇ったような気分や真の喜びをたしかに感じていたの」。

 「ときどき私があなたの病室に入っていくと、あなたは体じゅうに包帯やチューブや点滴の管をくっつけていて、するとそこに電話の鳴る音が普段のように聞こえてきて、あなたはセルマにこんなことを話してるのよ、『私は2、3週間のうちにゲスト出演ができるようになってるって確信してる。絶対にね!』。そんなとき、あなたの持ってる驚くほどの勇気に感心した私は顔いっぱいの笑顔を浮かべていた。あなたの闘争心は間違いなく私を元気づけていたわ」

 「私はいつでもどんな種類のルールにだって従ってきた――まあそれが私の性質だものね。だから子犬のTotsieをこっそり病院に持ち込んだり連れ出したりするのを手伝うのは、ちっちゃな女の子が大人に向かっていたずらしているような気分に私をさせた。あの子犬は本当に私たちみんなをひとつにして、どんな時にだって私たちを笑わせてくれていたね」

 「ある日、シーダーズ・サイナイのあなたの病室に私たちがTotsieを連れてきていたときに、病院のなにかすごい偉い人があなたに会いに来るって急に言ってきたことがあったわよね?あなたの妹が私の腕にTotsieを押しつけて、『トイレ!トイレ!』ってドアを開けながら小声でささやいてきた。偉い人がやって来て、そう、しばらくそこに居た。そのあいだじゅう私は数フィートしか離れていない狭い部屋に閉じ込められていた。Totsieがクンクン鳴きはじめたけど、私はどうしても静かにさせることができなかった」

 「偉い人はこのさっきからクンクンいっているのはなんですかって不思議がっていた。そしたら私はあなたがこう言ってるのを聞いたのよ、『ああ、それはそこにいるママです。彼女は今回のことで本当に打ちのめされてしまってるんです』って」

 「それを聞いて偉い人が『おや、では私はそろそろ失礼して、あなた方をご家族だけにしたほうがよさそうですね』と言った。彼は急いで去っていって、私は女子生徒みたいにバカ笑いしながらトイレから出ていった」

 「ああいったひとときは、あの頃の私たちにとって大きな救いだった。私たちはいつでも次から次へと問題に直面していた、それは確かなこと。でも私たちはたまには厄介事を忘れて、少しぐらいは楽しく笑う必要があった」

 「あなたが外出許可をもらって病院の外に出て、レストランで食事ができるぐらい良くなったとき、あなたは外では自分のことをテレサじゃなくアリシアと呼んでって私に言ってたでしょう?あなたは誰かが自分をまた傷つけようとするんじゃないかとまだ恐れていた。でも私はときどきあなたの偽名を緊張して忘れてしまって、こう尋ねていた、『あなたの名前はなんだっけ?もう一度言って』」

 「あなたは私に向かって首を振りながら『ママ!』って言う。ときどき隣のテーブルの人が、あなたが私にママって言って私があなたに『名前はなんですか?』って尋ねているのを聞いてたわけ。それが私には可笑しかった」

 「私はあなたがするばかげたことにスリルを感じてもいた。私には内緒であなたは友だちを説得して、ワインのボトルを一本買って持って来させていた。ある夜あなたが『ねえママ、私なにか飲みたくなってきた』って言うもんだから、『じゃあ看護婦さんのところへ行ってミルクでも貰ってくるわ』って私は答えた」

 「そしたらあなたは『いいえ気にしないで~』とか言って、枕の下からシャブリを引っ張り出してきたの。私はあなたがお酒を飲むのがそんなにいいことだとは思わなかったけれども、ピンクのレースのパジャマを着て病院の一室にいるあなたがボトルから直接ワインをグビグビ飲んでる絵をみて、笑わずにはいられなかった」

 「私はあなたを叱って看護婦にワインを取り上げさせるべきだったと考える人がいるかもしれない。でもあなたがまたいたずらっぽく生き生きしている様子を見て――そう、昔のあなたみたいにね――私は本当にほっとしたの。あの頃の私は、自分を励まして元気にしてくれるなにかを掴むことが必要だったんだと思う。あなたの心が元通りになっていってる様子を知ることは、あなたのばかげたふるまいを、たとえ賛成はできないときでも、ほほえみで受け入れる理由があるんだって私に感じさせたの」

 「映画テレビ基金病院で、あなたは自分が誰だかをひとに知られるのを嫌がっていた。ある日私は、車いすでうとうとしているあなたを押して建物の外に出ていた。年配のカップルが立ち止まって、あなたが誰なのか尋ねてきた。いつものとおり私は答えたの、『これは娘のアリシア・ミッチェルズです。彼女の父はディレクターです』ってね」

 「このときあなたは胸元の開いたローブを着ていたから傷が少し見えていたの。『彼女になにがあったんですか?』って彼らは心配して聞いてきた。私はうわ~神様助けてって思いながら『心臓発作です』って言った。『でもその傷は?それに腕のギプスはどうなさったんですか?』、彼らはなおも尋ねてきた」

 「あなたは目を閉じて、静かに車いすに座っていた。急にあなたは姿勢を正すと早口でまくし立てた、『心臓発作を起こしたとき私は高層ビルの2階にいて、よろけてガラス窓を突き破って下の地面に落っこちたんです。それで腕も折ってしまったんです』。そんなことをあなたは信じられないくらいスラスラとしゃべった」

 「まあ、なんてことだ、なんと気の毒な人だろうあなたは!」、カップルは息を呑んでそう言って、あなたの幸運と健康を祈りながら足早にコテージへ取って返して行った。あなたを部屋まで車いすで押していきながら、私たちは二人のいたずらっ子みたいに笑い合ってたわね」

 「いま改めて考えてみると、ユーモアのセンスが役に立つ瞬間が本当にたくさんあったんだってことを私は思い出してきた。どんよりとして絶望的な状態で毎日をずっと生きていくなんてあり得ないものね。私はあなたのために、そして私自身のために、ポジティブであり続けなくてはならなかった――その事実を知っていたから、私は時には少しぐらい笑ってもいいんだって考えることができた。たまには多少気軽になることを自分に許していなかったら、人は楽観的な希望をもつことなんてできっこないんだから」

 犯罪被害者、かれらの愛する人々、専門家、皆が以下のことに同意している――ユーモアは苦痛をやわらげることができる。試練を切り抜けていくことは、実際にひとびとの関係をいっそう深める。そして絶望の只中の笑いは、愛と友情の絆をいっそう強いものにする。