PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 5 Pain 10/10

 その後リタとテリは週に2、3回会うようになった。彼らは殴打に関する本や記事を貸し合って読んだ。

 リタは、虐待された女性と、彼らがどうメディアで取り扱われているかをテーマとして修士論文を書くことにした(彼女は州立大学でコミュニケーション学を専攻していた)。

 学べば学ぶほど、彼女は深く問題に関わっていった。彼女は殴打だけではなくほかの種類の暴力的犯罪についても調べはじめた。

 テリとリタが互いの体験を分かちあってから約2ヶ月後、テリは仕事の都合で南カリフォルニアに移らなければならなくなった。お互いの友情と支え合いの日々を彼らは惜しんだが、二人がともに大きな成長を遂げていることも自覚していた。

 テリが引っ越したあと、リタは見つけた文献を片端から読み漁り、ひとりで問題を探究し続けた。学んだことが彼女を行動へと駆り立てた。何ヶ月も前の祈りに対していま神が、他者を助けるという方向を指し示すことで答えを教えてくれたことを彼女は悟った。彼女は本を読んで仕入れた新たな知識だけでなく彼女のつらい個人的体験を、ほかの被害者に手を差し伸べることによって役立てることができたのだった。

 リタは地元の弁護士事務所に電話をかけ、かれらの被害者・証人支援プログラムに自分がどう関われるかについて尋ねた。プログラムの代表はリタに、ボランティアの取りまとめ役のキャサリンデブリンに会いに来ることを勧めた。

 リタの個人的体験と、彼女が独力で行ってきた広範な調査研究の話を聞いたあとで、キャサリンはリタが支援プログラムの発展に重要な役割を果たしてくれるだろうとの考えを伝えた。犯罪被害者は法廷への同行や審理の場への送り迎え、作業の手伝いや情報提供、その他さまざまな手助けを必要としている。地方検事事務所の人々はそれらの求めに応じようと努めていたが、サービスの需要に応えきれるだけの人数のスタッフを擁してはいなかった。それに加えてキャサリンは、犯罪被害者権利週間が間近に迫っていることをリタに伝えた。インタビューに応じてくれる実際の犯罪被害者を探している新聞やテレビ、ラジオ局から、事務所はしょっちゅうコンタクトを受けていた。リタは魅力的で、知的で、喋りも達者だった。彼女は犯罪被害者としての個人的体験と、体験を裏付けるその後の学習による知見の両方を具えていた。

 「あなたはインタビューだとかの話す仕事に興味がありますか?」、キャサリンは期待をもって尋ねた。

 ためらうことなく、リサはええと答えた。その晩リサは祈り、彼女を正しい方向へと導いてくれたことで神に感謝を捧げた。

 そうしてリタは地方検事事務所のなじみの顔になった。リタはそこに週2、3回通い、可能なかぎりの情報を吸収した。新入りのボランティアにキャサリンはしょっちゅう手伝いを依頼した。

 クレア・ディレオという年配の女性が若い暴行犯にひどく撲られた。彼は社会保障小切手とほんのわずかな現金を盗んでいった。3ヶ月後、犯人がようやく逮捕された。キャサリンはリタに、クレアを公判前審問にエスコートすることを頼んだ。

 クレアの小さなアパートにリタは朝早く着いた。その小柄な女性は震えて、恐怖に脅え、裁判所に行く気がまったく起こらないようだった。リタは座ってしばらく彼女と話し、自分自身の体験についても少しばかりクレアに語った。法廷では身の安全は守られるということを、彼女はその年上の女性に請け合った。ついにクレアは行くことに同意した。リタは彼女を車で裁判所まで連れていき、彼女とともに待機し、審問の場ではすぐそばに付き添っていた。

 終わったあとの帰路の途中でクレアはリタに声を上げて言った。「これをやることを私に説得してくれてありがとう。私を傷つけた少年はお偉方みたいなふてぶてしい態度で座ってたわ、憎々しげな目で私を睨みつけながら。彼は罰を受けるに値する。そうすれば彼は別の誰かに同じことをやろうとはたぶんしなくなるでしょう」。

 その後、クレアは裁判に最後まで立ち合い、少年の公判で証言を行った。彼の若さのため、判決は比較的軽いものだった。しかし検事はクレアに、彼はもし彼女の証言がなければなんの罪にも問われることなく無罪放免になっていただろうと語った。 

 犯罪被害者権利週間が到来し、リタははじめて記者のインタビューに臨んだ。彼女はインタビュー内容に十分に精通し、十分な準備もしたつもりだったので、記者の質問にも余裕をもって答えることができた。インタビューはリタの事件について少しふれ、殴打と暴力的犯罪の問題に――そして被害者としてのリタの意見に――焦点を合わせていた。記事の終わりには、被害者が支援を受けられる場所のリストが掲げられていた。

 記事とそのなかの彼女のコメントに感銘を受けたひとびとが終日リタに電話をよこしてきた。仕事のあと、支援プログラムの事務所に彼女が立ち寄ると、スタッフが興奮した様子で彼女の周りに集まってきた。彼らはリタに、記事に対する反応の電話が一日じゅうかかってきていることを伝えた。ひとびとは援助と情報をともに求めてきた。リタは、支援を受ける道へと犯罪被害者たちを導く手助けをするうえで自分の果たした役割にぞくぞくした。

 はじめのうち、彼女自身の襲撃体験について話すことは難しかった。しかし話すたびごとに、彼女の体験を分かち合う行為は苦しさを減じていった。リタはただ同じ話の焼き直しを語っているのではなく、他人が問題をよりよく理解することの手助けとして、また、犯罪被害者に支援を求めることを促すための契機として、自分自身のつらい試練を活用しているのだという事実に彼女は意識を集中させた。彼女は殴打事件の被害者らにくりかえし、告訴をし、裁判をやり切り、沈黙を破って加害者に罰を受けさせることの必要性を説いた。

 彼女の通う教会の牧師はリタに集会の席で話をしてくれるように求め、彼女は快く応じた。教会に集う信者たちを前にした話のなかでリタは、彼女の試練からの再起において神の果たした役割を強調した。彼女は教会の信徒に、被害者のグループに関わり、すすんで時間と奉仕を提供することを促した。彼女は彼らに、自分が接する人々のなかに襲われた経験のある人が含まれているかもしれない可能性に向けて耳と心を開いておくことを求めた。そして彼女は彼らに、沈黙は答えではないのだということを知らしめた。

 集会の場で話すことは解放感があった。彼らの反応は暖かく、オープンであった。リタは自分の危機の最中に、教会に集う人々のコミュニティーのことを気にかける余裕がなかったのを申し訳なく思った。しかし彼女はいま自分がそこにいることが嬉しかった。何人ものティーンエイジャーや女性がどうしたら手助けができるのかを尋ねてきた。リタは彼らに詳細を伝えた。こんなによい気分になったのは久しぶりのことだった。

 ある晩、リタがデート相手のロンと自宅でくつろいでいるとき、彼らは誰かが「He’s gonna kill me」と叫んでいるのを聞いた。彼女とロンは外に駆け出て、小さな赤ん坊を腕に抱いた若い女性を見つけた。彼女の顔は腫れあがっていた。

 リタはすぐに彼女を自宅へ招き入れた。デニスと名乗るその脅えた女性は、震えながら、なおかつ困惑もしているようだった。リタは赤ん坊を抱き、怖がる女性をなだめて話を促した。

 しばらくしてデニスは、彼女の夫のハルがここ数カ月でますます粗暴にふるまい、怒りっぽくなってきているのだと説明した。はじめ彼は彼女を言葉でなじっているだけだった。しかし今では事態はずっと悪くなっていた。先週だけでもハルは彼女を3回にわたって殴っていた。今夜彼は、彼女が床に叩きつけられるほど烈しく彼女を打っていた――さらに悪いことに、彼はまだ歩けない息子に危害を加えようと脅すことまでした。

 リタはデニスに同情し、これは恐ろしいことだがよくある問題なのだと彼女に教えた。彼女は自分もまた暴行を受けた経験があるのだと説明した。デニスは、もし自分が家に戻ったら夫が彼女かもしくは赤ちゃんを殺害するのではないかととても恐れていると言った。リタは彼女に、警察を呼んで助けを求めるようにとアドバイスをした。デニスはそれをすることに不安を感じていたが、ほかに選択肢はなかった。

 彼らは地元の警察に通報し、二人の署員がすぐに到着した。聴取のあとで彼らはデニスの家を見に行ったが、夫は見つけられなかった。目で見て分かる怪我はなかったので、警察はデニスに、もしも彼女が彼に対する告訴を固持したいのならば、夫のもとを去らなければならないだろうと助言した。「そうします」、険しい顔で彼女は言った。「彼は私をぶったことでは罰せられないかもしれないけれど、自分自身の赤ん坊を脅かすような男とはいっしょに住めません」。

 警察は二、三の女性避難所をあたってみたが、どれも一杯であった。リタはデニスを自分の家に招き入れ、彼女はありがたく誘いを受けた。しかし翌朝になると、まさに隣の家に隠れている彼女のことをハルが見つけるのではないかとデニスは怯えはじめた。デニスは叔父と叔母に電話をかけて、事情を説明した。幸運なことに、彼らは姪とその赤ん坊にしばらく自分たちのところで暮らすようにと誘ってくれた。まもなくして、彼女の叔母さんがやって来て彼らを拾っていった。

 リタはその後の数カ月のあいだに何度もデニスから連絡を受けた。リタの薦めでデニスはカウンセリングに行き、そこで素晴らしいサポートを得ていた。デニスは当初の考えどおりに告訴し、刑事訴訟手続きが始まる前から法的にハルと別れた。彼には前科がなく、判決は執行猶予付きであった。しかし彼はデニスのそばに近寄ることを法的に制限され、小さな息子との面会はきびしい監視のもとでのみ許された。

 デニスはリタにたびたび電話し、危機と試練の痛みを分かちあった。やがて彼女は、ハルの執行猶予が明けたあと、彼と結婚カウンセラーのもとを訪れることに同意した。彼女は言った、「リタ、あの人にも希望はあると思う。でも私は、彼を暴力に走らせていたものから彼が癒えたと心から確信できないかぎり、戻ることはない。そうでないかぎり、赤ちゃんと私は自分たちだけでなんとかやっていかなくちゃならないだろうと思っている」。

 

 リタは殴打や暴行の被害者への支援を続けている。彼女は教会や団体の会合での人気の話し手で、この仕事に大きな報いを感じている。

 ここまでの道のりで、リタの心のなかの苦痛の恐ろしい結び目は緩んできた。他人に手を差し伸べることは、彼女自身の個人的な苦悩を解消することにも役立っている。彼女は自分の仕事と、自分が助けることのできた人々を心から愛している。

 リタは殴打の暴力をふるう男性についても多くを学んできた。彼らの多くはカウンセリングをとおして実際に助けることもできるということを彼女は知った。正常で暴力のない関係を女性と結ぶところまで行く人もいる。しかしリタはなおも固く信じている、暴行を受けた女性は告訴しなければいけないと、また、彼らは自分を傷つけた男のもとを去るべきだと――彼が自分自身をコントロールして暴力を控えることができるようにならない限りは。

 

***

 

 手を差し伸べることへの動因が自身の苦悩や絶望から来るにせよ、災厄の意味を理解することの必要から来るにせよ、あるいはリタの場合のように深い宗教的な信念から来るものであるにせよ、それは紛れもなく有益なことである。私たちの体と心の傷は、私たちが自分の体験や苦痛を他者と分かち合ったとき、ずっと速く癒えていくものである。

 良い望みと、良い考えと、良い助言と、そして望むらくは良い手本をほかの誰かに分け与えることは、あなたが充実感と報いを感じ、そして苦しみのほうははるかに少なく感じるようになるための助けになる。

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 1/16

第6章 家族と友人たち(原書176~267頁)  

子煩悩な母

 誇り高い父

  愛する配偶者

   情熱的な恋人

    愛情溢れる姉妹

     頼りになる兄弟

      最高の友

       思いやりある従妹

        お気に入りの叔母

         陽気な叔父

          優しい祖母

           献身的な祖父

 これらの特別なひとびとが、彼らが愛する誰かに対して犯された暴力的な仕打ちの後で、苦しみ悩み、どうすることもできない無力な傍観者になってしまったとき、どんなことが起きるのだろう?彼らが襲撃そのものの、あるいはそれがもたらしたおぞましい余波の恐ろしい光景を目の当たりにすることを余儀なくされたとき、彼らの愛するひとが――そしてその人に対する彼らの関係が――運命の残忍な一撃によって、不意に、不条理に、不当に、そして取り返しようもなく様変わりさせられてしまったとき、どんなことが起きるのだろう?

 犯罪被害者の友人や血縁者にどんなことが起きるのか?

 単純な答えはない。じつに多くが、関わっているひとびと、犯罪のタイプ、被害者の肉体的、心理的な状態、その他の個々の状況に依存している。

 しかしひとつの事実だけは、犯罪被害者のすべての友人と血縁者に共通して変わることがない。彼らの人生は――「現実の」被害者の人生だけでなく――二度と元通りになることはないだろう。彼らもまた――少なくとも心理的なレベルでは――被害者なのである。 

 

 1982年3月15日まで、私の母のディビーナ・サルダナは抑えきれないほどの楽観主義者で、良い生活を送ってさえいればきっと報われると基本的に信じているような人だった。敬虔なカトリック教徒である彼女は教会の活動に積極的に関わり、ミサにもきちんと出席していた。

 襲撃の前まで、母は質素で世間の荒波から守られた生活を送っていた。富や名声を渇望したり頓着することもなく、彼女はいつでも家庭と家族のささやかな楽しみや喜びに心から満足していた。

 母はそんな稀な人間で、真に幸福で、自分自身に、世界に満足して平穏に生きていた。ひとびとが、とりわけ困ったときに互いを気遣い助けあうのは、彼女にしてみればまったく自然なことだった。

 人間が相手を傷つけたり苦しめたりするなどということは、彼女の理解を超えた事柄であった。ニュースを観たり読んだりして、ひとびとを苛んでいる痛み――とりわけ、いかなる種類のものであれ肉体的な暴力の結果としての――を知ると、彼女は涙を浮かべるのだった。

 苦痛や苦境のなかにある人たちに直接向き合ったときはいつでも、彼女は持てる限りの力を尽くして彼らをなだめ、慰め、手助けをした。他人――彼女が話で聞いたり読んだりはしたが実際に会ったことは一度もない人――については、彼女は彼らに回復への祈りと幸福を願う思いを送った、それ以上のことをすることができないのをもどかしく感じながら。

 彼女は私の妹と私に、ひとに対して親切で愛情をもって接していれば、神様は私たちのことを見ていて私たちを守ってくださると教えていた。そして彼女は、彼女が信を置いている神の心遣いと優しい庇護を頼りにして、私たちのことであまり心配しないように努めていた。

 しかし1982年3月15日、大天使ミカエルの命を受けた神聖なるミッションを実行したと主張するひとりの錯乱した男が、彼女の長女をナイフで刺し、済んでのところで殺害しかけたとの報せを受けたとき、母の丸ごとの生と母が信じていたいっさいのものは、粉々に砕け散ったのだった。

 誰かが現実にこんなことを故意に私に対して行ったという考えに、母の心は病んだ。私の命そのものが消えかかっていることを悟った母は、それまで一度もこんなに祈ったことはないというほどに祈った。しかし彼女は、既に起きてしまったおぞましい、不当な現実を、世界のあらゆる祈りは決して変えることができないということも承知していた。

 父の静かな支えに頼りつつ、彼女はあの最初の日々を乗り切っていった。彼女は自分のすべての思いと望みを、ただ私が生き続けることだけに向けて注ぎこんでいた。昼も夜も、彼女は何度も何度も繰り返し、こうささやき続けた、「あなたはきっと良くなるから、ね。きっとうまくいくから」。それはついに医師たちが彼女に同意する何日も前のことだった。

 少しの間、母は大きな喜びに包まれた。彼女は私が生きていることがただ嬉しくてありがたくて、感謝以外のいかなるものも彼女の心に入り込む余地がなかった。しかしその最初の安堵の大きな波が過ぎて、事件の衝撃が弱まりはじめたとき、恐ろしい疑問が彼女を責め苛むようになっていったのである。

 私たちを守ってくださるものと彼女が信頼を寄せ、頼ってきた慈悲深い神はどこにいるのか?主は見守ってくださるのではなかったのか?どうして主は私がこんな苦しみを味わうのを見過ごすことができたのか?私たちは――私たち家族全員は――この突然の、ほとんど死にも等しい罰を受けるに値するなにを犯したというのか?どうしてああも大勢のひとびとが、ジェフ・フェンが私を救うまでのあいだ、ただその場に立って眺めているだけでいられたのか?

 彼女の心に吹き荒れた疑問は、口に出すにはあまりに恐ろしく、心をかき乱すものであったので、母はその葛藤を自分の裡に押しとどめていた。

 母は不安ではあったものの、私を回復へ向けて元気づけ、家族が――そして自分自身が――この危機を乗り越えられるよう助けるためには、希望と楽観をともに失わないことが大切だと理解していた。彼女は、自分の心に湧きあがった疑問や葛藤に向き合う時間はまた後で来るだろうと自身に言い聞かせた。そして差し当たり彼女は自らを律して、彼女が呼び覚ますことのできるどんな僅かな勇気、楽観性、気力をも奮い起こそうとしていた。

 母は毎日病院の教会に通った。彼女は私の回復と、家族の安息を祈った。問題は相変わらず私たちを責め立て続けていたが、母は私の命が救われたことを神に感謝した。

 私がどうにか生き延びたことを、母はいつも変わることなく感謝していた。だがそれでも、私がほとんど人間の耐え得る限界を越えるほどに酷い肉体的、精神的な苦しみと格闘しているさまをただなすすべもなく見守ることは、彼女にとって心が押し潰されるほどにつらいことであった。

 「痛いの、ママ。とても痛い」、私は何度も何度も泣き叫んだ。そして母は、その痛みを消し去ってあげることができないのを歯がゆく思いながら、ちっちゃな子供だった頃のように私を抱きしめ、私の涙を拭った。

 彼女が目を向けるいたるところで、母は彼女の愛する人たちが苦しんでいる姿を見た。娘は痛みに苦しみ、恐怖に押し拉がれ、血なまぐさい悪夢のような幻覚に悩まされていた。義理の息子は不安と混乱に心を奪われ、崩壊の寸前で震えていた。彼女の下の娘は家族のほかの者の心を落ち着かせ、元気づけようと果敢に――しかし常に成功とはいかず――奮闘していた。そして彼女の夫は、学校の同級生だった頃から彼女が愛していたその人は、いっぺんに髪が灰色に変わってにわかに老け込み、健康状態は悪化し、心は千々に引き裂かれていた。娘の苦悶を止めるためなにかを――なんでもいいからしようと死にもの狂いになって、彼は檻に入れられた動物のように、病室のなかをただ行ったり来たりするばかりだった。

 母は、私たちの人生がこのおぞましいホラー映画に成り果てたさまをみて、なおも神と人間への信を固く守り続けようとした。しかし、痛みと幻滅のサイクルにまったく終わりはないようにみえた。

 つらいショッキングな事実が次から次へと明らかになった。加害者は逮捕されたが、いかなる反省もみせなかった。彼の唯一の後悔は私が死ななかったことだった。この知らせは、さらなる刃の一振りのように母の心に突き刺さった。

 さらに私たちは、たとえ彼が裁判にかけられ有罪を宣告されても、彼が受ける刑は最高で懲役20年だと教えられた。これとともにナイフはまた再びぐりぐりと心を抉った。

 母が彼女の感じる心の痛みを話そうとしたとき、彼女はしばしば「娘さんが生きていることにただ感謝なさい」といった類の意見に出くわした。そうして彼女は、一人きりで理解されず孤立させられている感覚を味わった。

 母の心の痛みに関して、神父は彼女に言った、「それは神の思し召し」だと。

 「神の思し召し?」――母は自分に問うた。「思し召し?私の子に生きたまま屠殺されるような仕打ちを耐え忍ばせることがどうして神の思し召しであり得るのか?」。このとき、ナイフは彼女の魂を刺し貫いたかにみえた。

 病院に閉じ込められたこれらの日々のなかで、母はどうにかして絶望へと陥ることなく踏みとどまっていた。彼女は自分の気力を、私が良くなるように手助けをすること、未来へ向けての計画を立てること、そして、恐ろしい状況のなかでも最善を尽くすことに振り向けていた。

 「テレサが生きていてくれて本当によかった」、彼女は日々、心のなかで何度もそう唱えた。そしてその考えは彼女を元気づけることにつながった。

 毎朝彼女は、たいてい私のための道具一式を腕に抱えて、私の部屋に慌ただしく入ってきた。活力を漲らせながら、彼女は私の髪を整え、私のために本を読み、空気枕を膨らませ、そして私がどれだけ可愛く素敵に見えるかを――いつでも――私に語った。

 「あなたが元気になったら」、「あなたが良くなったら」、「あなたがここを退院したら」――母は会話のあちこちに、私を刺激するそんなフレーズをちりばめていた。母が私の未来を、明るく健康な未来以外のなにかだと想像していると私に信じさせるようなことはただの一瞬たりともなかった。

 私は母の変わらぬ支えと励ましと元気なくして、あの拷問のような日々を決して乗り切ることはできなかっただろう。彼女は本当に驚異的だった。

 ちっちゃなカササギみたいに、母は私たちが待ち望んでいるあらゆることを、次から次へとしゃべり続けた。私が退院する日のこと、彼女が私のために開くつもりの誕生バーティーのこと、私たちがみんなで一緒に過ごすはずのクリスマス休暇のこと、そして、いつか私たちがこの危機を乗り越えたとき、私たちの行く手にひろがっているすべての楽しいことを。

 母は私の子犬のTotsieのしぐさを楽しそうに眺め、私の冗談やおふざけに笑い、看護師やほかの患者さんの家族たちと仲良くなった。私はからかい半分に、どんな人にも見境なく一方的に話しまくるのは止めてよと彼女に言ったものだった。でも本当のところは、シーダーズ・サイナイ・メディカルセンターでも映画テレビ基金病院でも、そこに集うスタッフは、患者は、その家族は、みな彼女を愛していた。彼女は私にとっても、周囲にいるほかの誰にとっても、良い刺激を与えてくれる人だった。

 けれども、彼女が6月にニューヨークの自宅に戻ってから、彼女のいっさいは劇的な変化を蒙った。当面の危機が去るとともに、彼女はとうとう、全貌を現した身の毛もよだつ現実へと、沈み込んでいくがままになったのである。先立つ数ヶ月の高揚した気分は、試練の最中にあって私を勇気づけ、彼女自身が持ちこたえるために必要なことだった。しかしいま彼女は、すべてを包み込む憂鬱に全面的に屈することになった。

 私が退院して飛行機でニューヨークへ帰ったとき、私は母の様子にショックを受けた。彼女の顔はやつれて張り詰め、生命力や幸福感のあらゆるしるしが消え失せていた。

 彼女の柔和な茶色の眼は、いつも澄んでいて、無垢で、希望に満ち、喜びや好意で溢れていた。いまその眼は曇り、うつろで、意気消沈していた――それは二つの暗く、深い、口に出されることのない悲惨と絶望の井戸だった。

 実家に着いた夜、私はなかなか寝つけなかった。お茶でも少し飲もうと思って階下に降りた私は、母がキッチンのテーブルに伏してひとりきりで涙を流しているのを見た。私たちは抱き合って泣いた。それから私たちは長い間ただいっしょに座ったままで、互いに寄り添い、見守りあいながら眠れぬ夜を過ごしていた。

 私は母の変わりように心配になった。彼女のブルックリン訛りの話し声はキャピキャピして明るくて甲高くて変化に富んでいて、ずっと若い女性の声のようだった。いまそれは、うつろで無表情で乾いて単調で、生きているというよりは死んでいるほうに近い、事務的な指示や要求を伝えるためだけに使われるような声だった。

 私がだいじょうぶかと尋ねたとき、母は「私はだいじょうぶよ、テレサ、本当にだいじょうぶ」と答えたものだが、そう言う彼女の口調に確信は含まれていなかった。

 母の歩き方や動作はたどたどしく、ふらついて、抑鬱と圧倒的な徒労感のせいで緩慢になっていた。彼女の口はすぼみ、閉ざされ、眉間には深いしわが寄り、肌はくすんで生気を失っていた。彼女は急にくたびれ果てて、言葉にならない惨めさでいっぱいの老女のようになってしまった。

 母はいつも家の階段を駆け上がり、駆け下りていた。いま彼女はそのひと続きの階段を上るのに永遠の時を要するかのようだった。一度私は、彼女が憔悴と困惑の表情を浮かべながら、階段のちょうど真ん中でしゃがみこんでいるのを見かけたことがある。

 「上ろうか下りようか決められなくなっちゃった」、そういう彼女の声は震えていた。

 そして、階段の途中で静止したままで母は言った、「テレサ、あの恐ろしい男があなたにしたことの後で、私はいったいどんな幸せを感じられるっていうのかしら?」。

 「ママ、私たちは幸せを感じるべきよ」、私は静かに答えた。「私はほとんど良くなっている、そして物事は本当にすぐもっと良くなるんだから」。それから私は母をなだめて、上に上がってしばらくいっしょにテレビを観ようよと誘った。

 あんな状態にある母の姿を見たことで、私は自分の家族がどれだけの苦しみを受けているかを思い知らされた。苦渋に満ちた事実は、加害者のふるった残忍な暴力が、暴行を受け苦しんでいる被害者の家族全体を巻き添えにし、不相応な抑鬱と絶望の泥沼をかき分けて進んでいくことを強いているということである。

 「事はずっと良くなっていくよ、ママ。私はもうすぐ完全に良くなる。最悪の時期は終わったの」、私は彼女に何度も何度もそう言った。しかし私の言葉にほとんど効果はなかった。母は自分の苦痛と怒りと恐怖を認めるために時間が必要だった。

 母がほとんど話さず、コミュニケーションを取ろうともしない日々が過ぎていった。静かにそして悲しげに、彼女は家のなかを漂っていた――雑用をしたり、本を読んだり、テレビを観たり、しかし熱意をまったく表すことなしに。

 ときどき彼女はぼんやりとして忘れっぽいふるまいをみせた。「ママ、そのテーブルは5分前に掃除してたよ」、私は彼女に知らせた。

 「ああ、そうだったね」、彼女は溜め息とともにそう言って、機械的に別の作業に移っていった。

 それから別の日に、彼女が明るい様子に見えることもあった。不意に彼女は大きな声で、「あらテレサ、あなたずっと良くなっているようにみえるじゃない!」と叫び、大げさに私を抱きしめた。そんな折に、私は彼女がいつも具えていたあの漲る活気の片鱗をみる思いがした。そしてそれは私に希望を抱かせた。

 幸いにも、家のなかの私の存在と、私がいま本当に快方へ向かっているという事実が、彼女を元気づけていったようだった。私のために大がかりな家族パーティーの企画を立てているとき、母は心からの喜びと高揚をみせた。お祝いの席で彼女はひとりでに輝いているみたいだった、あの事件以来最初の誕生日を、私がこうして本当に生きて迎えられたことの幸福感でいっぱいになって。

 巨大なピンクのバースデーケーキのろうそくを私が吹き消したとき、ママの目がパッと明るくなったのを私は見た。そしてずいぶんひさしぶりに彼女はお化粧をして、美容院で髪を整えてもらっていた。

 でも私たちがパーティーの後で部屋を片付けていたとき、彼女は手に持った溶けかけのろうそくをじっと見つめていた。「あなたの前回の誕生日のときに、あなたの身にこれから起きることを誰かが話したとしても、私はまるで信じようとはしなかったでしょうね」、悲しげに私を見上げながら、彼女は言った。

 「私もよ、ママ、私だってそう」、そう私は答えた。それから私たちは片づけの作業を続けた。

 ニューヨークでの一ヶ月のあと、私は妹のマリアとともにロサンゼルスへと経った。ママは最初私がこちらに着いたときよりはずっと具合が良さそうにみえたが、それでも私が彼女のことが心配で、まだ彼女がそんなに落ち込んでいるときに彼女のもとを去るのは嫌だと思っていた。でも母は、私に自分の人生を歩んでいってほしいと願い出ていた。

 空港で彼女は私に約束した、「クリスマスまでには私はもっと良くなっているよ、テレサ」。私は母をかたく抱きしめ、「そうなると私は知っているよ、ママ」と言った。そして私の妹と私は西部へ飛んだ。

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 2/16

 私たちがいなくなってから、母はこれまでより時間を持て余すようになった。折にふれて彼女の考えは事件とその余波のほうへと向かった。ママは自分の感じていることを人と分かち合いたいと切望していたが、ほとんどの人は、彼女の心を蝕んでいる不穏な事柄を聞かされることに耐えられなかった。

 母ともっとも親しい数人の人々は彼女に手を差し伸べたが、ずっと多くの人は逃げ腰で、彼女の苦痛と向き合うことを拒んだ。しばしば人々は、ただ彼女にこう促した、「みんな忘れてしまいなさいよ――考えないようにしなさい」。

 その種のアドバイスはストレスの溜まるものだったが、母をそれより遥かに悲しませたのは、あらゆる友人のなかでももっとも親しい人だと思って頼りにしていた数人が、彼女の最悪の苦難の時期に、ただ彼女の前から姿を消していたことである。

 

 母の抑鬱の時期と歩調を合わせるように、私たち家族は刑事司法制度への対応を長期にわたって経験することになった。裁判と最終的な加害者への判決に関わるほとんどすべての事柄が、母の失意の感情を悪化させた。

 母ディビーナの視点、そして家族の残りの者の視点からすると、すべての配慮、すべての保護、そして正義それ自体までもがひとりの人間、すなわち犯人に与えられているようにみえるのだった。

 驚きと怒りと混乱の混ざり合った声の調子で母は繰り返し続けた、「正義なんてどこにもない、正義なんてどこにもない」と。私たちのうち同意しない者はいなかった。アメリカの刑事司法制度は――そのあらゆる抜け穴、先送り、被害者への配慮の無さ、馬鹿げているほど軽い判決の仕組みによって、私たち家族の苦しみをおちょくっているようにみえたのである。

 判決から何ヶ月も経ってから私たちは、裁判官が陪審説示を省略したため、私の加害者への有罪判決は第1級の殺人未遂から第2級の殺人未遂へと軽減されたのだということを知らされた。

 「どうして第2級で人を10回も刺せるっていうの?」、私の母は詰問した。しかし、いつものとおり、なんの答えも帰ってこなかった。

 加害者が服役するのは判決の半分の期間だけで、仮出所にあたっての審理すら行われず1988年に釈放されるだろうと私たちが教えられたのはさらに後のことである。

 愕然として母は疑問を口にした、あの残忍な攻撃の壊滅的影響から私たちは自由になることなんてできないのかと。

 

***

 

 何ヶ月もの時を要したが、母は憂鬱の落とし穴からどうにか這い上がってきた。私は何度も彼女にセラピーを薦めたが、彼女は神への信、夫と娘たちへの愛、そして私がたしかに生き延びたことへの感謝にすがり、自分で自分を癒していくことを望んだ。

 時が経つにつれて、母の精神状態と私のそれは高度にシンクロするようになっていった。私が一歩前進したときはいつでも、母のほうも勢いづいているようにみえた。

 11月、私がついに事件後最初の女優の仕事を務めることになった時、母の気分は舞い上がった。私がまったく普通で健常な生活に手が届くところまで回復したと信じてもいいと母が最初に認めたのがその時だったと私は思う。このことを知って、彼女は自分に取り憑いていた苦痛や不安をいくらか振り払い、彼女のもともとの信頼心や楽観主義を取り戻すことができたのだった。

 「パパと私で撮影現場を見に行ってもいいですか?」、私がロケ先から電話したとき、彼女はおどけた調子でそう尋ねた。

 「もちろんよ、ママ、そのためにカリフォルニアまで飛行機で飛んで来るつもりがあるんだったらね」、私は答えた。

 「そうか……じゃあまたの機会にしとこうかな……あ、でもいとこのために役者さんのサインを貰ってきてよ」、彼女は返事をした。彼女がそんなに楽しそうに話しているのを再び聞くことができて、私は心が弾んだ。

 数日後、パパはマリアと私に、ママは大喜びで近所じゅうを駆け回って、もうすぐ娘をまたテレビで観れるようになりますからと皆に宣伝していたよと教えてくれた。

 クリスマス前に、マリアと私が休暇のために飛行機で実家に帰ったとき、ママはずっと、ずっと良くなっていた。凛とした冷たい空気と、クリスマスシーズンの興奮と、あの春の恐怖から私たちを遠ざける時の経過が癒しの効果をもたらしているようだった。

 私たちは素晴らしい、幸せなクリスマスのお祝いの時間を持った。私たちがいっしょになって刈り揃えた木に点るとりどりの色の光の瞬きのもとで、私はママのほうを見やった。彼女は長いリボンのひもでTotsieをじゃらしていて、犬がピョンと跳ねて何度もリボンに飛びついてくるそのたびに笑っていた。

 歳月は彼女の顔貌からはがれ落ちたようだった。蒼白さは消え、彼女の眼は明るく輝いていた。

 私は妹とパパもママのことを見守っているのに気がついた。私たち三人は、みな同じ幸福感と安堵のまなざしを彼女に注いでいた。 

 

***

 

 あの殺人未遂は、私の家族全員に――とりわけ私の母に、終わることのない影響を及ぼした。それは彼女に、罪のない無垢な人間は必ずしも守られ、報われるわけではないということを、危険は潜んでいて、いかなるときにでも襲いかかってくるのだということを知らしめた。

 しかしもっとも苦痛に満ちた教訓は、善はいつでも悪に打ち勝つわけではないということだった。私たちの裁判の、そしてほかの多くの類似の案件の結末は茶番劇にほかならないと母は思っている。加害者に12年の刑を言い渡し、たったの6年だけ服役させるというのは、母の意見では、「さあ街に繰り出して人を刺すなりなんなりしてきなさい、どうせほとんど罰せられることなんざ無いんだから」と言っているようなものだった。

 4年以上の時が過ぎた。母は壊れた欠片をひとつひとつ拾い集めて彼女の人生を元通りにしようとしていたが、多くの破片が失われてしまっていた。

 そう、母は再び微笑むことができるようになった。しかし、今のそれはもの思わしげな微笑みで、かつて彼女の顔全体を照らし出していた、屈託のない、周りの人もつられて笑ってしまうようなあのにこやかな笑顔ではない。

 彼女はひきつづきミサに出席し、聖餐を受けているが、彼女のなかになおも時おり沸き起こる怒りと絶望によって、そして、決して適切な答えの与えられることのない宗教的な疑問によって、苛まれ、心乱されている。

 私の母は、かつて彼女が所有していた心の静かなやすらぎや疑うことを知らない信仰心をもはや持ち合わせていない。彼女はいまでも教会に、神に慰めを見いだしているが、時として疑問や葛藤が内なる心の動揺を引き起こすのである。

 あの犯罪が私の母に植えつけたもっとも悲しく、もっとも長引く影響は、根強い徒労感と絶望感である。「なんになるっていうの?」、かつてそんな言葉を母が口にすることは決してなかった。しかし事件後何ヶ月ものあいだ、彼女はこの問いをさまざまな場面に応じて絶えず発していた。彼女の気分があれだけ劇的な好転を遂げたクリスマスの後でさえ、母は時として以前の状態に後戻りすることがあった。

 1983年の2月、私はいま再びニューヨークの家族のもとを訪れた。ママの気分は比較的明るく落ち着いているようだった。父と妹と私は、母といっしょに家族でお出かけをすることに決めて、ブロードウェイのミュージカル『思い出のブライトン・ビーチ』の昼の部のチケットを買い求めた。

 劇場で、私たちはみなママのことをチラチラと横目で見やって、彼女がお芝居を本当に楽しんでいる様子なのを見てとるたびに嬉しさを感じていた。このところあまり目にすることのなかったちっちゃな微笑みが、彼女の口の両端をずっと持ち上げつづけていた。その後、高揚した気分のままで私たちはみな「ママ・レオーネ」のレストランへ行った。

 注文の後、私たちは、とても体格のよいソプラノの歌手が歌うアリアを陽気に楽しんでいた。ママは前菜をパクパク食べて、食事とレストランの華やいだ雰囲気をともに楽しんでいるようだった。

 でもママの良い気分は、隣のテーブルにいた誰かがこう言っているのを彼女が耳にした途端、消え失せてしまった――「ほらあそこ、刺された子がいるよ」。

 ママの目は涙で溢れ、微笑んでいた彼女の口元は下がり、そして彼女は黙って目の前のお皿を見つめていた。「こんなものなんになるっていうの?」、彼女は言った。「私は決して忘れることができない」。彼女はもう食事に手をつけようとはしなかった。私たちはみなすぐに家路についた。

 両親は私の子犬のTotsieをとても愛していたので、マリアと私は遊び好きな白いコッカプーの子犬をプレゼントした。Snowballと名づけられたその犬は、今では父の親友にして遊び相手である。母は犬を飼うことに伴って増える雑用の件で異を唱えていたが、いまではすっかりちっちゃなSnowyを溺愛して可愛がっている。子犬を飼って面倒をみることによって、母は自分の注意を向けられるものを自分の外側に得たのである。

 ゆっくりと、しかし確実に、彼女は苦痛を克服していった。いま再び、彼女は人生を楽しむことのできる、満ち足りた、陽気な女性になった。

 私たちは冗談を言い合い、休暇をともに過ごし、家族で外出し――事件前に私たちが家族としてともに行ってきたあらゆることを分かちあっている。そして、ともに苦しみを経てきたことで、私たちはのきずなは多くの点でより深まっている。私はそのことを神に感謝している。

 私は犯人を、私の母に負わせた苦しみのゆえに憎んでいる。だが感謝すべきことに、彼女は勇気をもって彼女の絶望を克服し、夫と二人の娘とともに愛情に満ちた人生を送っている。

 私の母は――ほかの多くの罪のない被害者の母と同じように――自分自身のことは一顧だにせず、このうえなく献身的だった。彼女は私たちの誰よりも傷つき苦しんでいたに違いないと私は思う。だが彼女は今日、ここにいる。そして、私にとってこの地上でもっとも美しい光景は、母の――微笑んでいる母の顔である。

 

 以下はさまざまなタイプの犯罪の被害者をめぐる発言からの抜粋である。

 「私がもっとも嫌だったのは、夫の顔に浮かぶ苦痛の表情でした。それは決して消え去ることがありませんでした」

「私の娘はいまも悪夢のなかにいます。彼女はごみを出しに行くことさえ怖がっています。私が犯した性的暴行のせいで彼女は少年も成人の男性も、彼女自身のいとこさえも恐れるようになりました。彼女はまだ9歳です」

「もっともショックを受けていたのは私の父でした。彼は3週間誰ともしゃべりませんでした。一ヶ月後、彼は重い心臓発作を起こしました」

「私の親友のベッシーは私が襲われたあと毎日私のところへ来てくれました。彼女は私の家族の頼れる支柱でした。その後彼女はほとんど神経衰弱に近い状態になり、一年以上にわたってセラピーを受けました」

「私はこの犯人が私の愛する家族に対してやったことを決して許さない」

  これらの抜粋は問題の二つの面を指し示している。第一に、家族や友人は、時には肉体的な破綻に到るほどまでに、本当に酷く苦しむものなのだということ。

 第二に、実際の犯罪被害者は、彼または彼女が被害に遭ったことが、彼または彼女がもっとも大切に思っているひとびとを精神的に苦しめているという事実に――ほかのあらゆる問題に加えて――向き合わなくてはいけないのだということである。

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 3/16

内部サークル

 犯罪被害者の内部サークル(inner circle)は、すべての血縁者、愛する人たち、被害者の人生に重要な役割を果たしている友人たちで構成される。これらは襲撃の後でもっとも頻繁に被害者が関わるだろう人々である。そして彼らはその肩に、被害者の世話をすることと、襲撃の結果生じた自分自身の問題に対処することの二つの重荷を負っている人でもある。内部サークルの積極的なメンバーであることは容易ではない。もしも、事件が起こった後で、サークルのメンバーを結ぶ関係性がただ生き延びること――あるいは場合によってはさらに深刻ななにか――であった場合は、共に味わうことになる大きな苦痛を耐え忍び、対処していかねばならない。

 被害者の内部サークルの人々、とりわけ被害者の日々の日常的ケアに最も大きな責任を負っている人がお互いにコミュニケーションを取り合うことは、なによりも重要である。犯罪直後には、起こったことに対する大きな混乱、不安、苦痛が生じるだろう。被害者自身がたいへんな混迷の只中にあり、また、内部サークルのメンバーは自身の個人的で複雑な反応への対応を迫られているだろう。じっくり考え、計画を練り、未来を考慮する時間はない。人々は主に「自動操縦のパイロット」のように、必要とされることを最大限の力を尽くして機械的手順でこなしていき、起こった出来事の引き起こした恐怖になんとかして立ち向かっていこうとする。

 しかし、この混沌とした状態にもかかわらず、被害者だけでなく被害者を取り巻く人々をも利する支援体制を創り出すことは可能である。

 危機的な時期には、自分が愛されていて、守られていて、安心できると被害者に可能な限り感じさせるように、家族のメンバーや友人が力を出し合い、一丸となって行動することが非常に大切である。おそらく被害者の気分や行動は不安定で気まぐれに変化し、適切に対応していくことは困難である。そこで、少なくとも初期の段階において、内部サークルのメンバーの最善の行動様式は、来たるべきあらゆる物事に耳を傾け、注意を向け、受け入れることである。

 事件後最初の数日のあいだ、血縁者や友人は楽観的な姿勢をおもてに表すよう努めるべきである。犯罪被害者が傷を負った直後にもっとも望んでいないものは、かれの愛する人々の苦痛や不安を目にすることからくるさらなるストレスである。これはかれに、罪の意識、恥の意識、そして、かれのもっとも大切な人々の苦しみに対する自責の念を抱かせてしまう。そしてこうした感情は、かれの愛する人々を守らんがために、かれ自身の苦痛を抑圧したり否定しようとする方向にかれを導いてしまうのである。

 

 20代半ばの魅力的な重役秘書であるサラ・ボズレーは、ほかの二人の若い女性とともに大きなアパートメントに住んでいた。ルームメートがともに外出していたある夜、サラはベッドのなかで目を覚ました。見上げると、大柄で筋肉質なひとりの男が彼女を見下ろしていた。

 サラは悲鳴をあげようとしたが、男はスカーフで猿ぐつわをして、今度声をあげたら殺すと彼女に警告した。男は彼女をレイプし始め、その間ずっと、事が終わったら彼女を殺すと脅し続けた。

 そこに横たわっているサラの心は、混乱と嫌悪と殺されることへの恐怖のもつれ合った塊だった。彼女は目覚まし時計が時を刻んでいる音を聞き、その一定した、止むことのない単調なリズムに意識を集中して、起こっている出来事の恐怖を遮断しようとしていた。

 ようやくその無慈悲な暴行を終えた男は、部屋に侵入した時と同じ寝室の窓をくぐって逃走した。

 震えて、ヒステリー状態の寸前で、サラは警察に通報した。警官はすぐに来て、彼女を検査のため病院に連れていった。

 サラの心は完全に麻痺していた。彼女はすべてを他人事のように感じながら、医師や看護師が検査を行うがままにさせていた。

 警察から連絡を受けたサラのボーイフレンドともっとも親しい女友達が病院に彼女を迎えに来て、アパートメントへと連れ帰った。いまだ放心状態で、彼女は近くの町に住む両親に電話した。彼らは、彼女を迎えに行き自分たちの家に連れて帰ろうと提案したが、二人の友だちと自分の家にいるほうを望んだサラは申し出を断った。

 その週の週末に、サラと彼女の両親と兄のジェームスは、一緒に飛行機でいとこの結婚式に向かう予定だった。起こった事件のために、彼ら全員が予定を取りやめることに同意した。彼らの誰ひとりとして、結婚式のお祝いごとに出席したい気分の者はいなかった。

 サラの両親は娘を助けたかった。それで、皆で家に留まるかわりに、ボズレー夫妻はその週末に息子と娘を海辺のリゾートに連れ出した。

 サラはその三日間を、ギクシャクしたみじめな時間として覚えている。「それは異様な感じでした」、彼女は最近私にそう語った。「私の家族は善かれと思ってそうしたんです、でも彼らのうちの誰かが、私に直接『あなたは本当はどう感じているの?』と尋ねたことなんて一度もなかった。代わりにそこにあったのは、沢山の伏し目がちな眼と沢山の沈黙でした。彼らはこう考えてるみたいだった――サラをどこか遠くへ連れ出して、どうにかして彼女の気分が良くなるようにしよう、でも、あのことで彼女があれこれと思い悩むことはなるべくさせないようにしよう。両親は、それについて話し合うことは苦痛をもっと呼び起こしてしまうと考えてるみたいだった。でも苦痛はそこにあって、私たちがどうしようとも、いつでも私たちのあいだにぶら下がっていたんです」。

 「私は息苦しさを感じました。凍ってしまったみたい。私は彼らに話したかった。でも、彼らは私のことをとても愛しているとしても、私の身に起こった出来事の詳細なんて本当に聞きたくないんだろうと私は悟ってしまった。彼らは私が経験したことについての事実を聞く心の準備ができていなかったんです。彼らはたまに『ねえ、具合はどう?』みたいなことを聞いてきたけれども、私はそう言う彼らの眼が、どうかあまり踏み込んだ答えなんかしないでねと私に懇願しているのを見てとってしまったんです」

 「それで私は口をつぐみました。私は自分の感情を捕まえては私の中の深いところに押し込んでいって、おしまいには無感覚になるまでそうし続けました。そして私はロボットみたいに歩き回っていました」

 「父がその週末に私の写真を何枚か撮ったんですが、それは酷いものでした。私の眼は完全にどんよりとしてうつろでした。私は憔悴してぼんやりして、まったく生気を失っていた」

 「心の奥底では、私は今でもなおあの時のことに腹を立てているんです、いちばん近い血縁者とともに田舎に行って、私が感じた苦痛を打ち明けて彼らに知らせることができなかったことを。私は彼らが既にどれだけ傷ついていたかを知っていた、それで私は、彼らをいっそう嫌な気分にさせてしまうことに対する責任を負うことができなかった。そしてそれと同時に、私は彼らに腹を立てていることへの罪悪感も感じていた。私は本当に混乱していた」

 「私は叫びたかった、あなた達が私の問題にまったく向き合うことができないのなら、どうして私をあなた達といっしょに遠くへ連れ出したの?って。でも私は彼らを傷つけたくなかった、それで私はなにも言いませんでした」

 「私がレイプされる前に私たちが送っていた人生は、絵に描いたように完璧なものでした。私の兄と私は理想的な子供だった。私たちははきはきして素直で気立てが良かった。概してボズレー一家は、幸せな模範的家族でした。あのことが起こって、私の両親は打ちのめされ、私たちがずっとその中で暮らしていたしゃぼん玉がはじけ散ったんです」

 「彼らにとってそれがどれだけつらいことだったかも、彼らが自分たちのできるベストを尽くしたんだってことも、私は理解しています。でも私は、もしも私がレイプの後すぐに、家族の前にいるときはいつでも私の苦悩を抑え込み、沈黙していなければならないようなプレッシャーを感じていなかったら、そのほうが私にとって本当にずっと助けになっていただろうってことを認めないわけにはいかない。やがて彼らは心を開き、性犯罪の問題について多くを学びました。彼らは私の大きな支えになり、この経験をとおして本当に成長しました」

 

誰が配慮を受けるか――そしていつ?

 犯罪被害者の友人や血縁者がひどく苦しんでいるのは事実であるが、大部分のケースにおいて、誰よりも苦しんでいるのは実際に暴行を受けた人、すなわち被害者本人である。したがって、とりわけ事件の直後の時期には、内部サークルの注意と配慮は被害者に集中的に向けられるべきである。

 犯罪被害者のケアに取り組む機会の多いセラピストのナンシー・クレスは、患者の一人が遭遇した状況を紹介した。犯罪の被害に遭った彼女の内部サークル――この場合は母と叔母――が彼ら自身のヒステリーに長時間のめり込んでしまい、被害者のニーズを無視するまでに到ったという例である。

 20代後半の内気な女性のローナ・ペレズは、ニューメキシコの小さな町の彼女の実家からテキサス州ヒューストンに移り住んだ。新しいアパートに落ち着いて、新しく栄養士の仕事をはじめてからわずか2週間後に、彼女はバス停で強盗に襲われた。

 二人の犯人は彼女の持ち物をすべて奪い、金属パイプで彼女を殴って気絶させた。襲撃後しばらくして、彼女は巡回の警察官によって発見され、病院へ運ばれた。幸いローナは軽い脳震盪で済んだ。彼女は経過観察のため一晩病院に留まり、翌日退院した。

 ローナは仕事の上司に電話をして事情を説明した。彼は心配して、週の残りを休むよう彼女に薦めた。ヒスパニックの子供思いの家庭の出である彼女は実家に電話をかけた。

 親族がどれだけ心配するか分かっていたので、ローナは電話口で平静にふるまい、本当に大丈夫だからと強調した。しかし彼女の母はパニックになった。娘の反対にもかかわらず、彼女は翌日ローナの叔母とともに飛行機でヒューストンへ向かうと言い張った。

 母と叔母の到着にローナは複雑な感情を抱いた。彼女は27歳にしてようやく両親の家から離れ、一人暮らしを始めたところだった。彼女は一面では、スタートしたばかりの自立生活を手放さざるを得なくなったことへの敗北感を覚えた。と同時にローナは、家具も疎らにしか置かれていない彼女のアパートにひとりきりではなくなったことに安堵した。怪我をした頭はズキズキ痛み、パニックと恐怖の波を振り払おうと彼女は格闘していた。どれだけローラが努めても、彼女を襲った男が浮かべていた薄ら笑いを忘れることはできなかった。

 親族がやって来た瞬間から、ローラの気分はいっそう悪くなった。母と叔母は両方とも極度に取り乱してヒステリックで、彼女が口を挟む隙もないほどだった。ローラの話を聞き、落ち着かせる代わりに、二人の女性は泣き、嘆き、自分たちの苦痛を語る言葉を声高にまくしたてた。

 ローナはまったく無視されていると感じた。二人の女性が注意を向けた唯一のものは彼女の額の大きな切り傷だった。そしてその傷に目を向けるたびに、彼らのヒステリーはなおいっそう昂進した。最悪だったのは、彼らがローナに荷物をまとめて自分たちと一緒に実家に戻れと再三にわたって頼みこんでくることだった。

 何度かローラは、起こったことに対する恐怖や彼女の心の奥底の思いを親族たちに打ち明けようと試みた。しかしそれを聞いた彼らがしたのは、彼女の口にした苦痛の表現を、彼女が街を去るべきだとするさらなる理由に数え上げることぐらいだった。二人の年上の女性はあまりにも動揺していたため、ローラのほうが彼らの世話をして、彼らの気分を改善させようと四苦八苦していたのだった。

 「万事問題ないから、ママ」、「心配しないでおばさん、私はだいじょうぶ――ねえ落ち着いて」、彼女は自分がそんな言葉を何度も何度も繰り返しているのを聞いた。

 心のなかで、ローラは腹を立てていた――傷つけられたのは私だ、なんで彼らは私のことを気遣おうとしないんだろう?しかし表向き彼女は黙っていた。

 ローナは、心の平安は言うに及ばず、強さと自主性の感覚を取り戻すことを是が非にでも必要としていた。しかし彼女が彼らに予定よりも早くヒューストンを経つことを薦めると、彼らはそれを侮辱と受けとるのだった。 

 かたくなに彼らは拒否した。二人の女性はともに、自分がローナのもっともためになることをしていると思っていた――料理をして、掃除をして、彼女のアパートを「片づけ」、実家に戻る話をして、彼女に帰る気を起こさせること。

 ようやく彼らが帰ったとき、ローラは神経が張り詰め、疲れきっていて、自分が助けを必要としているのを感じた。職場の同僚がセラピストのナンシー・クレスを紹介してくれたことに彼女は感謝した。

 クレス氏とのセッションで、ローナは彼女が心の奥に封じ込めていた苦痛を解き放った。次第に彼女は、心的外傷後ストレス反応と、彼女の親族たちに関する心の葛藤の両方に対処するすべを学んでいった。

 

 一般的に言って、被害者と直接的に接する場では、できるだけ落ち着いて前向きな態度を保っていることが望ましい。これは被害者の内部サークルのメンバーに、彼ら自身の感情を否定したり抑圧したりして悩み苦しめということを意味しているわけではない。その反対に、すべての関係者は、自分の苦痛や怒り、混乱を実際に表に出したほうがよりうまくいくはずである。問題は、どこで彼らは自分自身にとって必要不可欠のサポートを受けるべきかということである。

 彼らの恐怖や対立するさまざまな感情をもっともよく理解していると思われる人々は、内部サークルの別のメンバーである。彼らがお互いに助け合うのはたいへんよい考えだろう。メンバーのうちの二人かあるいはもっと多くが、誰かの家などに集まって、感じていることを分かち合い、援助と慰めを求めてお互いに頼り合うことは可能である。

 最近、私の親友のパトリシアは、私がまだ危機的な状態にあったとき、私の内部サークルにおいて彼女やほかの人が果たしていた役割を話してくれた。

 パトリシアはそれまで私の母に会ったことはなかったが、紹介された瞬間に、彼女は母の姿に心を奪われた。恐怖に打ちひしがれ、あまりに儚げな、その灰色の髪のとても小柄な女性を見て、パトリシアはこの試練の期間をとおして彼女を助けていこうと心に誓った。

 私の友人の優しさと誠実さを感じとった母は、パティの前では心を打ち明け、彼女に慰めを求めるようになった。二人の女性はしばしば、私の病室の外の廊下に小さくなって寄り添っていた。静かにパトリシアはママの手を握り、母が涙をみせることも、私の前ではひた隠しにしていた恐怖や苦悩を口にすることも受け入れてくれた。

 私の母にとってパトリシアは、彼女の苦痛や不安を抑えてくれる「思いやりのある聞き手」の役を担っていた。その後、ときにはそのすぐ後に、パティは役割を完全に逆転させることを必要としている自分に気がついた。

 いったんママが落ち着いてきたとパトリシアが感じると、彼女は母のもとを離れ、私の夫のフレッドを探しに行った。彼は初期の危機的な時期を、かなりしっかりとした状態で持ちこたえていた。フレッドを病院のどこかに――たいていはカフェテリアの泥のようなコーヒーのカップを手にかがんでいるところを――見つけると、パトリシアは彼に助けを求め、彼の腕のなかでやるせない涙にくれ、彼女の苦痛を彼と分け合うのだった。

 フレッドの支えに慰められたパトリシアは、私の病室をなにげなくぶらっと訪れるだけの心の強さを得て、再び平常心で、希望や陽気さを態度に表すことができたのだった。

 事件の前にパトリシアは母に会ったこともなかったし、フレッドと特別親しいわけでもなかったが、慰めを与えることと求めることを交互に繰り返すことによって、彼女は困難な時期を持ちこたえ、母の助けになることができたのである。

Beyond Survival - Chapter 6 Family and Friends 4/16

危機の後に

 おそらくは3日か4日以内に――死のおそれが続いているのでなければ――事態は落ち着きをみせはじめる。この時点で被害者はなおも多くの格別な配慮と注意を必要としているが、それでも自分の周囲に今までより少しだけ関心を向けられるようになってきているだろう。今こそは、内部サークルのメンバーと被害者自身が自分の感情とニーズに関してできる限りオープンになるべき時である。

 このプロセスを開始させるためのよい方法は、被害者に以下のような二、三の簡単な質問をしてみることである。

「今日はずいぶん休めているようにみえるね――すこし気分は良くなってきた?」

「いっぺんにあまり沢山の人が訪れるとあなたはナーバスになってしまうかしら?」

「今日の朝ヘレナおばさんと話してみるつもりはある?」

「この注射は大きな苦痛を引き起こすものなのかな?」

「代わりに明日スティーブに戻ってきてもらうほうがいい?」

 ひとたび内部サークルのメンバーが、被害者の基本的な考えや要望をある程度確かめることができたら、彼らは自分自身の感情を被害者と分かち合うことができるようになる。たとえば――

「キム、私はとても疲れた。今夜は少し早く帰っても構わないかな?」

「心が全く落ち着かないんだ。私は今週、牧師さんに私が感じていることについて話をする必要があると思っている。あなたも彼に来てもらいたいと思う?」

「母さんはいっさいの事に打ちひしがれている。彼女は2、3日家に帰ったほうがいいと思うんだ。それについてどう思う?」

「本当に恐ろしい出来事だと思う。私たちがあなたのためにもっとしてあげられることはない?」

 大事なのは注意しながら慎重に事を進めていくことである。あなたが被害者に、起こった事で非常に気が動転していてなかなか眠ることができないと伝えるのはかまわない。被害者の目の前で崩れ落ちたり、被害者の腕にすがってヒステリックにすすり泣いたりするのはよろしくない。そんなことをされても被害者は心の準備ができていないのである。

 内部サークルのメンバーは、彼らの感情を被害者とゆっくり分かち合っていくことが肝要である。大量の苦悩や感情のほとばしりを容赦なく浴びせかけて、被害者を――そしてお互い同士も――圧倒してしまわないように気をつけなくてはいけない。

 襲撃の後で被害者はしばしば、無力感、混乱、恐怖、憂鬱、疎外感を感じている。以前と同じものはひとつもなくなってしまったように思えることもある。友人、家族、仕事、家庭との関係のすべては、理不尽なまでに様変わりさせられてしまった。自分は凍り付いて静止しているいっぽうで、ひとびとや出来事は狂ったように自分の周りをぐるぐる回っている、そんな感覚を犯罪被害者が抱くのは珍しいことではない。

 内部サークルのメンバーは、状況に対処し被害者の要求に応えるべく最善を尽くしているはずだが、彼らがなにをしていて、どのようにふるまっているかに関する被害者の側の受け止め方はいくぶん歪んだものになることがある。

 危機の時期に、被害者の精神状態は――そしてしばしば肉体の状態も――脆く壊れやすくなっている。精神を攻撃され、自分の存在を丸ごと脅かされたばかりの被害者は、しばしばしば世界をおぞましく恐ろしい場所として捉えるようになる。そして、自身を取り巻く環境についてのこの認識の変貌とともに、その中にいるひとびとについての認識も変化していくのである。

 しばらくの間、被害者の心は、起きたばかりの恐ろしい出来事と、起きたことを克服するべく取り組んでいくかれの努力とによって占拠される。ちゃんと食べたり、休息をとったり、支払いを済ませたり、スケジュールにしたがったりといたような日々の生活の現実は、無関係で無駄なものにみえるだろう。襲撃それ自体とその余波に直接結びついていないいかなることに注意を向けるのも難しい。そして被害者は、かれに関わっている人々のニーズやスケジュールが、彼らにとっては重要で考慮に値することなのだという点を理解することも、困難になるかもしれないのである。

 内部サークルのメンバーは、被害者の手助けをするだけでなく、社会のなかでも真っ当な生活を送らなければならない。しかし被害者にとって、「ふつうの生活」を回復することなどまだはるか遠い先の話であるため、かれの最も大切な人々はいまや――かれの目からすると――無意味なことばかりしているようにみえてしまいかねないのだ。

 いっぽうで内部サークルのメンバーは、被害者の肉体的、精神的な要求に応えようとして文字どおり右往左往した挙句に、被害者から無反応、あるいはことによると敵意をもって返されたとき、被害者のことを「恩知らず」、「甘ったれ」、「利己的」、あるいはもっと非道い何かだと考えてしまいかねない。

 私が襲われてからまだ数日後のある朝、私の体温は39度を超え、痛みが神経を苛み、私は恐慌状態だった。なお悪いことに、犯行現場で見つけた私の服の何点かを持って、警察官がやって来ることになっていた。彼がちょうど来ていたとき、母が私の毛布を直そうとして不注意に点滴のポールを押し動かした。私は痛みで叫び声をあげた――「ママ!お願いだからこういうことする時は先に言ってよ!」。

 母は私の声の刺々しさにたじろぎ、警察官は彼女に言った、「奥さん、これが私の娘だったら私は殺してますよ」。

 「いえ、そんなことはないでしょう」と母は静かに言って、彼を部屋の外へ送り出した。

 ママに向かって怒鳴ってしまったことで私はひどく嫌な気分になった。そして警察官の台詞は、私を傷つけると同時に申し訳ない気分にもさせた。私はベッドに横たわったまま、みじめな思いで泣き、母に謝った。

 「テレサ」、彼女は言った、「分かった。痛いのはあなたなんだから。私はなにかを直したりするときはあなたに教えるべきだった」。ママが怒っていないのを知って私の気分はちょっぴり良くなった。だがあの警官の言葉は、なおも私にビンタを食らったかのような思いを感じさせていた。

 幸いにも私の内部サークルの人たちは理解があって、私が感情を爆発させたことで自分に罪悪感や嫌悪感を覚えたりすることがないように配慮していた。しかし多くの場合、家族のメンバーは、警察官が私にしたような性急で偏った判断をくだしてしまうものである。

 友人や家族が犯罪被害者と長期にわたって関係を保っていくための最善の、そしておそらく唯一の効果的な方法は、被害者のややひねくれた、意地の悪い反応を、恐ろしい状況下における正常な行動として理解し、そしてなによりも、襲撃後早期の段階で現れるこの極端なストレスや怒り、苦痛は一過性のものだと認識するよう心がけることである。

 彼らが愛し、大切にしている人は今もそこにいる――そしてかれは、襲撃前にそうだったような、温かく、愛情深く、思いやりがあり、思慮に富み、感謝を忘れない人間であることができるのである。ただ、今この時点では、被害者の心と体のメカニズムは100%の機能を発揮できていない。そしてかれが元々の機能レベルを回復するには、しばらくの時間を要するのである。

 誰にとっても、犯罪被害に遭うことは途方もない打撃である――しばしば理不尽で、予見し得ない、言いようもなく苦しくつらい打撃である。直面する事態の恐ろしさが心を疑いや恐怖、不安で曇らせ、眠っていた否定的な感情を呼び覚まし、蔓延させる。そして一時的に、希望や幸福や感謝や喜びを感じる人間の能力は死滅してしまう。

 不幸なことに犯罪被害は、被害者の極端な性格の変化、気分の変動、かれの周囲の人々との関わり合いかたに確実な影響を及ぼすほどの深い絶望を引き起こし得る。被害者のこの劇的で好ましからざる変化は、ありがたいことにほとんどの場合一時的なものである。

 被害者の怒りに満ちた、敵意を孕んだ、意気消沈した行動が内部サークルのメンバーにとってつらいものであるのならば、それは被害者自身にとってなおいっそう苦痛に満ち、困惑を呼び、心をかき乱すものである。そのため被害者は、しばしば自分自身の行動を抑えこんだり変えようと試みる。その結果は突然で劇的な気分の変動である。

 襲撃に関連した不快な問題に直面したとき――警察からの穏やかならざる電話や、唖然とするほどの医療費の請求書や、苦痛を伴う医療処置の必要など――、被害者は単純に自制心を失い、激昂したり、延々と泣き続けたり、あるいはむっつりと不機嫌に押し黙ったりすることがある。こうした反応は、被害者の個性やかれがどれぐらい動揺したかの程度に応じて、数日、数時間、あるいはほんの数分間持続する。

 被害者の怒りや敵意は一時的なものであるとは言え、それでも内部サークルのメンバーがそれに向き合うのは苦痛なことである。そこで彼らは、被害者を不快に思ったり、あるいは場合によってはかれを見捨ててしまうことのないように、被害者のふるまいに応じて彼らの側に引き起こされる感情に対処していくことが大切である。

 犯罪被害者の内部サークルは、そこに一メンバーとして加わるファンクラブではもちろんない。そこに属する人々は、被害者自身に対してだけではなく、お互いに対してとてつもなく大きな助けとなり得るのである――苦痛やトラウマを分かちあうことによって、そして望むらくは、恐ろしい試練を乗り越えて勝利したことの満足感と誇りを分かち合うことによって。

 

専門家の援助

 おそらく、内部サークルのメンバーが検討すべきもっとも重要な問いは、「この試練の初期段階を乗り切っていくうえで、われわれは専門家の助けを仰ぐべきだろうか?」である。

 被害者を導いてつらい時期を乗り越えさせることと、被害者の家族や友人に、かれが何を必要としているのかをアドバイスすることの両方をできる精神医療の専門家のもとで被害者がケアを受けられるということは、内部サークルのメンバーにとって安心感につうじるものである。しかし被害者の心理状態を考慮しなくてはいけない。被害者がセラピストのコンサルティングを求めているか、同意しているか、または少なくともその可能性を考慮しているのであればよい。しかしもし被害者がセラピストに会うことを拒否しているのならば、被害者の気分や行動が深刻に損なわれ、危険であり、自殺の兆候が表れはじめているといった様子がみてとれるのでないかぎり、少なくとも最初の時点では被害者の希望に添うのが得策である。

 被害者の心理的ケアの問題への対応が済んだ後で、内部サークルのメンバーは、彼らのうちの一部もしくは全員が、グループとして、あるいは個人単位でセラピーの恩恵を受けるかどうかを検討すべきである。

 家族もしくは友人の少なくとも一人のメンバーが、彼ら自身で危機に対処するのはあまりに力が不足していた一群の人々が土壇場で繰り出す最後の手段としてではなく、恐ろしい試練の最中の積極的で健康的な一ステップとして、セラピーを求めることの意義を唱えることが重要である。

 

スケジューリング

 日が経つにつれて、グループの力を協調させ、方向づけるスケジュールを立てることが――特に被害者が入院している場合は――ますます重要になる。これは被害者を助けるとともに、内部サークルのメンバーの個々のニーズに着実に応えることにもなる。

 被害者の内部サークルに属する人々が形式張らない会合を開くことはよい考えである。もっとも単純な問題からもっとも込み入った問題までどんなことでも話し合える。そうした会合の日時は、関係者全員のニーズやスケジュール、住んでいる場所によって決まる。個人の家や病院の会議室などの静かな所が理想的である。

 

 ニーナは36歳の専業主婦で、強盗に撃たれて重体に陥った。以下は彼女の内部サークルのメンバーが直面していた問題のいくつかの例である。

  • マリー(ニーナの母)は、毎日病院を訪れ9時から6時まで娘に付き添うことができるが、毎晩家まで車で送ってもらう必要がある。
  • ジョン(ニーナの夫)は、日中はずっと仕事をしており、妻と一緒にいられるのは夜の訪問時間のあいだである。彼は8歳の娘とまだ赤ん坊の息子の子守をしてくれる人を必要としている。
  • カイ(家族の親しい友人)はインフルエンザに罹っており、ニーナのもとを訪問するべきではない。しかし彼女は電話をかけて、ニーナが必要とするもの――将来の看護や理学療法士――に関する問い合わせをすることができる。また、犯罪被害者・目撃者支援プログラムからの支援を仰ぐこともできる。
  • ジョーン(被害者の親友で隣家の住人)は、結婚生活で深刻な問題を抱えている。このため、ニーナを訪問できるのは週に2回のみである。しかし彼女はジョンと子供たちに、毎晩彼が病院に出かける前に手作りの夕食を届けることを約束している。
  • ジュリー(ニーナとジョンの8歳の娘)は、悪夢に悩まされ、学校の成績が芳しくない。誰かが学校の先生と相談して、彼女をスクールガイダンスのカウンセラーか児童心理学者のところへ連れていくことを話し合わなければならない。
  • ヘザー(被害者の姉)は、彼女自身の3人の小さな子供を抱えている。彼女は生後5ヶ月のビリーを自分の家に連れていき、ニーナが退院して回復するまで彼の面倒をみると申し出ている。

 夫のジョンは、既に自分が燃え尽きたように感じてストレス過多の状態にある。彼は仕事に集中できない。休職を勧める人もいる。しかしジョンは、家族には彼の仕事で得られる収入が是が非にでも必要だと思っている。そこで彼は一週間の休暇を貰い、仕事に戻るまでに十分な休養を取ることにした。

 母のマリーは罪悪感と怖ろしさを感じている。彼女はニーナと関わることがだんだん困難になりつつあることに気づいている。彼女のふだんなら物静かで控えめな娘は、今では憤慨し、腹を立て、大声でしょっちゅう怒りを露わにしている。おおぜいの人が手助けをしたいと思っているが、このほとばしる怒りにうろたえさせられている。彼女は娘の前で泣かずにいることが難しくなってきた。彼女はセラピストに診てもらうことをこれまで一度も考えたことがなかったが、姉のヘザーが彼女に付き添って心理学者のところへ相談を受けに行こうと言ってくれたことに感謝している。

 

 幸い、この被害者の家族と友人は互いに十分なコミュニケーションを取り、責任を分担することができている。一般論として、ふだんはお互いのことに無関心であったり、あるいは場合によっては露骨に反目しあってさえいた一群の人々が、事件の後で、被害者と彼ら自身を支え助ける目的のために「団結する」ことがしばしばあるのは事実である。

 しかし、内部サークルに属する人々が相手のことを構う気がなかったり、あるいはそれをすることができない場合はどうすればいいだろうか?ひとつの解決策は、ソーシャルワーカーやセラピストに頼んでグループセッションを一、二度行い、空気を一掃して各自に責任を負わせるか、あるいは少なくともメンバーがお互いの言い分に耳を傾けるようにしていくことである。しかしそれが不可能な場合、内部サークルを2つか3つの小さなグループに分けて、相容れない人たちを分離するのが次善の策である。おのおのの小グループに属する少なくとも一人の人間がほかのグループと電話で連絡を取り、時間のかかる各種の仕事を重複して行わないようにすることが求められる。

 それぞれの内部グループの動態や雰囲気のいかんによらず、メンバーのなかの一人や二人に過剰な負担を強いることのないようにすることが大切である。血縁者や被害者のもっとも親しい友人はより多くの責任を自然に受け入れようとするものだが、彼らにほぼすべてのことをやってもらうことを期待するのは公平ではない。内部サークルの中では全員が、うまくこなせる範囲でできるかぎりのことを――ただしできる以上のことではなく――するように心がけなくてはいけない。

 内部サークルの輪の外の人間も、最大限のことをしている人々のために代行でなにかを行うことによって、被害者や被害者の愛する人々にとってかけがえのない存在となり得る。知人や隣人が親切に助けを申し出てくれたら、感謝とともに受け取ろう。内部サークルのメンバーがするには及ばない目先の作業はじつにたくさんある。例えば――町の外に住んでいる親類を病院に送り迎えすること、被害者の家族のためにスーパーで買い物をすること、手入れをされていない被害者の家の庭に水をまくこと、被害者の飼っている犬や猫に餌をやることなど。この種のちょっとした雑用は時間と労力――被害者の内部サークルのメンバーにとってもっとも不足しがちだろうと思われる二つの事柄――を要するものである。

 恐ろしい状況下にあっても、関係者全員がときには休みも必要だと心得ておくのが賢明である。ときどき手助けをしているが大きな負担は負っていない親類や友人は、本当に疲労困憊している人が週に1、2度午前中は休みを取れるように取り計らってやるとよい。あるいは被害者の配偶者の代わりに病院を訪れる役を買って出て、その間彼は子供といっしょに公園に行くことができるようにしてやるとよい。

 被害者が肉体的、精神的に準備が整うと、かれは友人や血縁者のサークルで進行中の活動に積極的な役割を果たしたいと思うかもしれない。もしそうなら、かれはただ単に自分の感情や考え、欲求を伝えるだけで、大きな貢献を果たし得るだろう。これによって内部サークルは即座のフィードバックを得ることになり、被害者がなにを必要としているか、欲しているかを推測しなくてもよくなる。

 内部サークルのメンバーが被害者の話に耳を傾けることは非常に重要である。かれが必要だとあなたが考えているものを、かれが常に必要としているわけではないかもしれない。被害者は本心では朝のひとときだとかを一人きりで過ごしたいと願っているかもしれない。あるいは今度受ける手術の後に、安らぎや静けさではなく、かれの気を紛らわせてくれる多数の訪問客を実際は求めているかもしれない。

 もちろん、犯罪被害者は人によりまちまちである。ある被害者は、友人や家族に自分の前で彼らの感じていることや問題について話してもらって、進行している事態の一角を自分も占めているという感覚を持ちたいと思っているかもしれない。別の被害者――特に襲撃によって大きな傷を負ったり、精神的なダメージを受けた人――は、自身の回復と自身の精神状態に一人で集中して取り組んでいくことを必要としているかもしれない。かれは、少なくともはじめのうちは、自分のことに関する意思決定は他人に任せて、彼ら自身の抱える問題や不安をしばらくの間、かれから遠ざけておいてくれるほうを好むだろう。

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ほかのひとびとに手を差し伸べる

さまざまな犯罪被害者の内部サークルのメンバーの発言からの抜粋:

  • ミーガンのボーイフレンドのジェイクに感謝したいです。彼がいなかったら私は気がおかしくなっていたでしょう。――強姦致傷事件の被害者の母
  • 私の妻は本当に驚異的でした。彼女はほぼずっと病院に入り浸って、私たちをひとつにまとめてくれました。私は精神的に参っていましたが、ローラのおかげで私はなんとかやっていけたのです。――路上強盗の被害に遭った高齢者の息子
  • 私たちの家族の人たちはあちこちから飛行機で集まって来ました。私たちはホテルの部屋を借りて、一緒に祈り、一緒に食事をし、そうするうちにずっと親密になりました。――銃撃により重傷を負った女性の妹
  • ジムの家族のほとんどは東欧に住んでいるので、ここ合衆国にいる友人みなが結束してぼくたち自身の「家族」を作ったんだ。ぼくたちは責任を分担して、その間ずっとお互いに支え合っていた。そして彼も見事に乗り切ったよ。――暴行事件の被害者の友人
  • 私は妹の旦那さんや彼女の親友に会ったことすらありませんでした。私たちは三千マイルも離れて住んでいたんです。でもあの大変な時に、私たちはまさしく三人で一人でした。彼ら二人なくして、私はどうすればやっていけたか見当もつきません。――誘拐と性的暴行の被害者の姉
  • 私の義理の姉と私のあいだには共通するものはなにもなかった。実際私たちは、ほとんどいつでもむしろ避け合っていたんです。でもブレイクが刺されたとき、彼女と私は力を合わせてあらゆることに対処していきました。私たちはすべてのことを一緒に決め、ブレイクが健康になるまで看病した。しばらくの間アパートをシェアさえしていました。それは一年以上前のことです。彼女と私が今でも最高の相棒だということはできないけれども、私はあの人のことを、あの人が助けてくれたすべてのことを決して忘れないでしょう。――刺傷事件の被害者の妻
  • エルザの上司と職場の同僚は並外れていました。彼らは私たちがここに引っ越したばかりで、この町にはほどんと友人も家族もいないことを分かっていました。それで彼らは本当に力を貸し、助けてくれました。会社は妻が必要としていた車いすを買うための資金を募ってくれました。さらに彼らは、私が存在することすら知らなかったさまざまな重要なサービスを紹介してくれました。それだけでなく、彼らは私を自分たちの家の夕食に招待して、友人として私と付き合ってもくれました。素晴らしい人たちでした。――銃撃事件の被害者の夫

 

 犯罪被害者と近しいじつに多くの人々にインタビューした結果、被害者の友人や親族はほとんど例外なく、ほかの人々に手を差し伸べているのだと私は知るに到った。

 被害者の内部サークルに属していた人の多くは、のちに彼らの体験を、他人を助けることのために引き続き活用していくだろう。いっぽう、危機的な時期とその直後の一時期において、他人にothers手を差し伸べることはたいていの場合、お互いにeach other手を差し伸べることへと変換されている。

 ヴェラ・カイリーは5人の子供の愛情深い母である。彼女のたった一人の娘ジャネット(彼女への私のインタビューは「怒り」の章で取りあげた)が、ディスコで見知らぬ男のダンスの誘いを断ったために銃で撃たれ、麻痺状態に陥ったとの知らせを聞いたとき、彼女はほとんど信じられなかった。病院に駆けつけた後ようやく彼女は、我が子の身に降りかかった厳然たる恐ろしい現実を悟ったのだった。

 幸いにもジャネットの4人の兄は揃って母のもとに駆けつけ、ヴェラ・カイリーとともに、ジャネットと彼ら自身のケアと支援のためのネットワークを築き上げた。

 「私たちはいつも仲のよい家族でした」、ヴェラは最近私に打ち明けた。「8年前に私の夫が他界したとき、子供たちはみな私のところに集まってきました。でも私たちが最近くぐり抜けてきたこの恐ろしい試練は私たちをさらに堅く結びつけました。夫が死ぬ前、彼は息子のダニエルにこう言っていました、お前は一番年上だ、もし私になにか起こったら、家族を守る役はお前に任せたぞ、って」。

 ダニエルは父の望みをまさしく心に刻み込んだ。ヴェラ・カイリーが夫を失ったとき、ダニエルは母の感情的な欲求を注意深く見守り、彼女が彼を必要としているときはいつでも助けることができるよう常に用意をしていた。

 そしてジャネットが撃たれたとき、ダニエルは父にして庇護者の役割を肩代わりした。43歳で独身のダニエルは自分のアパートを引き払い、母と妹のもとに引っ越してきた。カイリー夫人は娘の要求の多くに応えることができたけれども、彼女は車を運転できず、ジャネットの体や彼女の重い車いす、装具を持ち上げたり運んだりすることは物理的に不可能だった。ダニエルはいま、妹を医師やセラピストなどとのあちらこちらの約束の場所に車で連れていくことも含めたほとんどすべての重労働をこなしている。

 「彼は喜びなんです」、カイリー夫人は声を高めた。「彼は決して不平を言わず、いつもジャネットと私のためにそこにいます。この困難な時期を私たちを助けて切り抜けていくことが、このところのダニエルのライフワークなんです」。

 最近私はダニエル・カイリーに会い、彼の暖かくておおらかな人柄に惹きつけられた。スラッとして筋肉質で、彼は見事なスポーツマン体型である――毎日彼は10キロ近く走っている。

 ジャネットと彼の兄のダニエルは明らかにお互いを褒め合う間柄である。ダニエルの態度に、自分が過度な負担を負っているだとか、酷使されているだとか、したくもない役割にはめ込まれているだとかいった感情を彼が抱いていることをほのめかす要素が微塵も認められないのが、私には特に印象的だった。ダニエル・カイリーが家族のためにしていることは、間違いなく愛から来たものである。彼は、このつらい状況に立ち向かうために彼ができるベストを尽くしていることに満足して、自分自身を肯定してゆったりと生きている人のようにみえる。

 ジャネットは家族の輪のまさしく中心にいる。もともと不平を言わず陽気な性格の彼女は、自分が愛され、大事にされていることを分かっており、家族が彼女のためにどれほどたくさんのことをしてくれているかも心得ていて、彼女のほうでもできる限りのことを成し遂げようと努力している。

 「デビッドは私の息子の別のひとりです」、ヴェラ・カイリーは言った。「彼は近所に住んでいて、私たちが通う教会の牧師です。彼と教会の信徒たちはジャネットが撃たれて以来、ずっと彼女のために祈り続けています、そしてそれは私たちみなにとって大きな助けになっています。ですがデビッドは彼の妹のためにただ祈っているだけではありません。彼はほかにもたくさんのことをしています」

 「たとえば、このところずいぶん暑くて、私たちは閉じ込められたような気分を強く感じて、なんだか落ち着かなかったんです。それでそのことをデビッドに言いました。その晩、彼と私は祈祷会に出席して、私たちみなをさらに団結させて、私たちの型どおりの日々にちょっとのあいだ休みを入れるための方法を主に請いました」

 「家に帰る途中で、デビッドはキャンピングカーを指さして言いました、『ママ、あれだよ!』って」

 「翌朝、彼は大きなキャンピングカーを借りに行きました。私たちはみなで一緒にユタ州のほうへ一週間行くつもりです。私たちは、ホテルの部屋にレストランみたいな本格的な休暇を取るゆとりはもちろんありません。そこで私たちはスーパーに買い出しに行ってキャンピングカーにそれを積み込んで、ドライブでお出かけすることにしたんです。そしてこれはみなデビッドがやってくれたことです」

 「家族はいま、お互いを気遣い合っています。ジャネットの身に起こったことは、私たちの一人ひとりにとってとてもつらいことでした。こんなことは怖ろしいショックです。でも私たちはお互いに自分の感情を――良い感情も悪い感情も――さらけ出しながら、相手に向き合っています。そして私たちはみなで仕事を分担し合っています」

 「これがいまの私の人生で、私はそれを受け入れています。娘はこの出来事すべてをとおして本当に勇敢でした。そして私は自分の役割を喜んで担っています――ジャネットの健康状態をチェックしたり、おむつやカテーテルを洗ったり、理学療法の手伝いをしたり、そのほか私がする必要のあることをなんでも。私は彼女の母親で――彼女の秘書でもあり、友達でもあります。私はジャネットのことを『私のルームメイト』と呼んでいて、私たちはとても仲良くやっています」

 「そして素晴らしいことに、私は自分の息子たちを頼ることができます。ダニエルはまさにここに住んでいるし、ほかの子供たちもいつも助けになってくれます。なにかが必要になったら、彼らのうちの誰かに私が電話をする、そうすれば彼らはすぐにここに来てくれます」

 「息子たちはスーパーの買い物や教会に私を連れていき、ジャネットにちょっと外の空気を吸わせたり、約束のある場所に送っていったりを確実にやってくれています。この家族のなかに、恨みがましく腹を立てているような人はいません。私たちはまったく素直にお互いを愛しているし、私たちのジャネットが生きていることを本当に感謝しています。彼女が自分の体を再び元通りに鍛え上げるために費やしている大変な努力を私たちがどれだけ誇りに思っているか、想像してみてください」

 「いま私たちはジャネットの傷――そしてそれが産み出すすべての要求――を、現実として受け止めています。とにもかくにも、しばらくの間はこれが現実なんです。そして私たちは手助けをし、やるべきことをすべてやり遂げる。形式的な決まり事はありません。『ねえ、デーヴ、これをするのはあなたの役目、ママはそれをやって、ダニエルは別のことをする』――私たちはこんな風には言いません。私たちはみな、ただ自分ができることをやり、そのことで私たちは互いに感謝し合っているんです」

 「私は幸運です。私が話せば、子供たちが聞いてくれる。赤ん坊のころから、彼らはいつも私を敬ってくれていました。そしてパパと私は毎日彼らのためにベストを尽くしてきた。いま彼らはこんなにも素晴らしい人間に成長しました」

 「もっともひどい打撃を受けたのは、もう一人の息子のヴィンセントでした。彼とジャネットは何年も社交ダンスのパートナーだったんです。彼は誰であれ自分の妹をこんな風に傷つける人間がいるなんてことを信じられなかった。私が彼が何時間も休みなく泣き続けていたのを覚えています」

 「ヴィンセントはコロラドでファッションモデルをしています、ですからもちろん私たちはそんなに頻繁に彼に会う機会はありません。でも彼は素敵な電話をよこしてくれます。彼はジャネットの気分を奮い立たせるジェットエンジンです。週末ごとに彼は電話をかけてきて、二人は延々と話しています。彼の電話代があまり高くならないように、私はなんとかしてジャネットを電話から引き離さないといけません。でも彼はジャネットにとっておきの励ましの言葉をかけて、彼がどれだけ彼女を信頼しているかを伝え、自分の力を取り戻すために最後までやり抜いていこうと彼女を鼓舞します。そしてもちろんヴィンセントは私も激励してくれます。かわいい子です。彼は州外から働きかけてきて、私たちは皆こちらで今うまくやっています。でも、もし彼が必要とされることがあれば、その時はヴィンセントもこっちに来てくれるでしょう」

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 「私の家族に感謝――私がもっともよく口にし、考えている言葉はそれです。私たちはいつもお互いに対してまったく誠実であることができました。時には意見が合わないこともありますが、私たちは常に互いを支え合っています」

 「ユタへの旅行は子供たちがまだ小さかった頃以来、私たちが揃って一緒に過ごす初めての休暇です。私たちはとても待ちきれません。たぶん、中にはこんなことを言う家族もいるだろうと思います、『えーっ、あなた達全員は7日間キャンピングカーのなかに閉じ込められているってわけ?あり得ないね!』。でも、私たちがやりたいと思っているのはまさにこの種のことなんです」

 「もしも家族の仲が良くなかったら、このような悲劇はいっそう関係を悪くしてしまうだろうと思います。でも、お互いに対するたくさんの愛と思いやりをもとから持っていた家族にとっては、この恐ろしい出来事のいっさいから得られるひとつ良いことは、自分たちがおのずと互いに手を差し伸べ、その間ずっと助け合っていくようになることです。その結果として、家族はいっそう親密になり、愛情が深まっていくのです」

 多くの人々はカイリー一家が置かれている状況を一瞥して、彼らに言い知れぬ憐みと悲しみを覚えるだろう。しかしヴェラ・カイリーと話したあとで、私は本心からこう信じている――彼らが甘んじて受け入れなければならなかった悲劇にもかかわらず、カイリー一家は、危機のあいだじゅうお互いに手を差し伸べあうことによって、その悲劇からある前向きで肯定的ななにかを得ることができたのだと。家族の絆、そして彼らがお互いに対して抱いている愛が育まれ、強まっていったことがそれである。

 

***

 

 最近私はダイアン・クレインの内部サークルを構成していた人々と話す機会をもった。「恐怖」の章でみたように、ダイアンは木の板で激しく撲られ、連れ去られて、死んだものとして道端に打ち棄てられた被害者である。

 事件直後からダイアンのことで責任を引き受けていた二人の人物は、彼女をそばで見守るためワイオミングから飛んできた母のアグネス・マーラーと、ダイアンが5年にわたって共に暮らしているトニー・クルーズであった。加えて、マーラー夫人とトニーの両者はダイアンの姉のバーバラと常に電話で連絡を取り合っていた。距離は離れているとはいえ、バーバラはダイアンの内部サークルの重要なメンバーになった。

 トニーはダイアンの身元を確認したばかりの病院から最初の連絡を受けた。病院側は彼に事態に関する大ざっぱな情報を知らせたのみだったが、ダイアンの容態が危機的なものであることは強調した。ただちに病院へ向かうと(病院は2時間以上離れた距離にあった)看護師に約束したのち、彼は急いでワイオミングのダイアンの母の番号をダイヤルした。

 「私もすぐそっちに行くわ、トニー」、必死に涙をこらえながらアグネスは言った。一時間足らずののちに、彼女と彼女の夫はシカゴ行きのボーイング727に乗り込んでいた。

 「それは私がこれまで生きてきたなかでもっとも長い3時間でした」、マーラー夫人は振り返って言った。「その間ずっと、私はダイアンがどうなっているのか、彼女がまだ生きているのかさえもまったく分からなかった。私は胸元までこみ上げてくる猛烈にムカムカした気分以外に、そのときの自分の感情を言い表す言葉が見つかりません。これはシカゴの静かな郊外じゃなくって、テレビの中の人間に起きるような種類の出来事でした」

 ようやく飛行機が着いた。マーラー夫妻がタクシーで病院へ向かうと、廊下でトニーが彼らを出迎えた。

 「彼女は良い状態には見えませんが、本人にはそれを悟らせないようにしてください」、彼は静かに言った。それから彼らはダイアンに会うため部屋に入った。

 「彼女は酷い有様でした」、マーラー夫人が言った。「痣ができて包帯を巻かれて、幽霊みたいに蒼白でした。そして彼女の眼は心底恐怖に怯えているようだった。それでも私は彼女が生きてそこにいるのが見れただけで、本当にほっとしました」。

 「彼女を一目見た瞬間、さまざまな感情がいっぺんに押し寄せてくるのを私は感じました。落ち着かなくちゃ、私は自分に言い聞かせました。ダイアンの前では気丈にふるまわなければ、って」

 「それで私は意識的に自分の感情をコントロールするように努めて、なにも表に出しませんでした。結局のところ、これはいつもの私のパターンなんです。私は事態が本当にたいへんなうちはわりとうまくやって、後で破綻を来たすんです」

 「私の最初の夫が死んだときの私の反応もそんな感じでした。そしてダイアンが襲われた後も、私は同様のことをしました。私は100パーセント娘のためにそこにいて、試練の期間をとおして気を強く持ち続けました」

 「のちにワイオミングの家に帰ってから、私はその代償を長引く憂鬱と不安によって支払うことになりました。でも、少なくとも私は娘の前では持ちこたえて、私ができるかぎりの手助けを彼女にすることができた。これはなによりも大切なことです」

 「ダイアンの母として、私は彼女の面倒をみることについての責任の多くをただちに請け負いました。ですが私はトニーという素晴らしい人によって支えられていました」

 「トニーと私は以前に数回ちょっとだけ会ったことはありましたが、本当のところ私たちは、一応知ってはいるという程度の付き合いだったんです。この出来事を経験していくなかで私は、彼がどれだけ素敵な若者なのかを知ることになりました」

 「ダイアナが愛し、信頼しているほかの誰かがそばにいるというのは心強いことでした。なによりも彼はしっかりしていて、頼りになり、思いやりに溢れていました」

 「その当時の私は自分自身がサポートを必要としているとは思っていなかったんですが、なにより彼が私の気持ちを理解してくれていることに、私が感謝していたことは間違いありません。ただトニーと話すだけでも私にとっては救いでした。私の家族の人間は容易に泣いたり取り乱したりはしません。代わりに私たちは言葉で感情を表します。夫は彼なりの流儀で素晴らしい貢献をしてくれましたが、彼はダイアンのことを深く知っていませんでした。でも彼女のボーイフレンドのトニーは、あらゆる方法で彼女を助けただけではなく、喜んで彼女の言うことを聞き、彼女に話しかけたのです」

 「私の娘を心から愛し、私に対して親切で敬意をもって接してくれる仲間がここにいる。私たちが直面しているような危機の只中で、それは本当に心強い救いの手です」

 「トニーと私はすぐに、ダイアンのもとを訪れ世話をするための、かなり規則的な行動パターンに落ち着きました」

 「基本的に、私は朝の8時ごろから午後6時半くらいまで、日中をずっと彼女と過ごしていました。それから、仕事を終えたトニーがやって来て、夜遅くまで残ります。そうしてダイアンは、起きている間は常に誰かの付き添いを受けていました。それと同時に、私は夜休むことができ、日中は私がダイアンを看護していることを知っているトニーは気兼ねなく仕事に打ち込むことができました」

 「最初の数週間、ダイアンの要求はとりわけ激しかった。心配で吐きそうになりながら、私たちは彼女にとってプラスになるできるだけのことをしました。一番の不安は彼女がどの程度深刻な障害を受けているのかでした。頭部の傷は予測がとても難しいんです。お医者さんが言うことは基本的に『様子を見守りましょう』でした」

 「でも、ただ『様子を見守っている』のはとてもつらかった、なぜなら彼女の行動から、娘の性格が劇的に変わってしまっていることは明らかだったからです。それが脳の損傷のせいで、私がいつも知っているあのダイアンには二度と戻らないんじゃないかと思って私は恐ろしかった。彼女はまるで別人みたいに、突拍子のない、不合理なふるまいをしていました」

 「ある日看護婦さんがやって来て言ったんです、『ハーイ、私の名前はアミー』って。そしたらダイアナは冷たく静かに繰り返しはじめたんです、『ここから出ていって。ここから出ていって。私はこの人と一緒にいたくない、出ていってもらって』って」

 「私はダイアンをなだめようとしましたが、彼女は聞く耳を持ちませんでした。とうとう看護婦さんは出ていくことに応じて、娘に『どうしてなの、ダイアン?』と尋ねました」

 「彼女は私に向かって言いました、『それは私の車を買うって電話をかけてきた<<女>>の名前なの。犯人が私をそこに誘い出すために使った偽名なのよ』」

 「私はそこでダイアンがなぜそんなに動揺したのか理解しましたが、それでもなおショックでした。私はあんなに冷淡で、計算づくの怒りを一度も耳にしたことがなかった。彼女の声は氷のように冷たくて人間味がなかった。彼女の態度はあまりにもきつくて、奇妙で、本人ではないみたいだった」

 「ほかにも変わった点がありました。彼女はおそろしく要求が多くなり、ずっと苛立っていて、いつもなにかについて文句を言っていました。娘は過去にこんな不平屋だったことは一度もなかったですし、彼女の苛立ちの原因の多くは取るに足らない些細なことでした。彼女は髪を洗おうとしませんでした。シャワーも浴びませんでした。彼女はそんなにも気難しい子になってしまったのです」

 「私たちは彼女のドクターに尋ねました、『彼女はずっとこんなに非理性的なままなんでしょうか?』。彼らはなんとも言えないと答えました。トラウマを生むひどい暴力と重篤な頭部の損傷が相まって、一生治らない性格の変化が生じることは実際にあり得るのです。時が経たなければどうなるか分かりません。この知らせは大きな打撃でした」

 「ダイアンの行動やコンディションは本当に気まぐれに変化したので、私は大きなシーソーに乗っているような気分でした。シーソーがどちらに傾くかはダイアンの行動によって決まるわけです」

 「ある日、ダイアンは以前の陽気で機知に富んだ彼女とほとんど変わらないように見えました。別の日、彼女は鈍い目をして物憂げで無反応でした。そんな日の終わりには、脳の障害がやっぱり本当に深刻なのに違いないと私は思って、深く落ち込みました。その夜はなかなか眠れませんでした。私はトニーを呼んで、ダイアンの行動について私たちが記録したノートを比較しました。ときには彼が、昼のあいだ私といた時のダイアンが、かつて彼女がそうだったのとほとんど同じ様子であったことに気つきました。別の時には彼が私に、自分と一緒だった時のダイアンは目に見えて明るくなり、反応もするようになっていたと教えてくれました。どちらの場合でも、私の考えていることを正確に分かっているトニーと話すことは助けになりました」

 「私たち二人はほとんど同じ立場にありました。私たちは両方ともダイアンを愛していて、彼女の状態をひどく心配していて、いかなる方法でも彼女を助けようと全力を尽くしていた。私たちは、強さや落ち着きの印象を示す必要といったことも含めて、たくさんの同じ思いを共有していました」

 「母として、私は娘が経験していることにいたたまれず、恐ろしい思いをしていました。なかでも最悪たっだのは無力感でした。私はキスをするだけで娘の傷を消し去って、彼女にアイスクリームを食べに行かせることもできなかった。私は彼女に新しいドレスを約束することもできなかった。私は彼女に『こんなことはもう二度と起こらないから』と言うことさえできなかった。このような恐ろしい、とんでもないことが毎日のように起きているからです。私は彼女の母です。でも私は彼女に解決策を授けることも、彼女を再び健康にすることもできなかった。私は彼女の痛みを取り去ってあげることもできなかった」

 「もしもトニーがいなかったら、私はすべてのことにこれほどうまく対処できたかどうか分かりません。ある意味で、彼は成長したダイアンのことを私よりもよく知っています。彼は大人になった彼女と5年間もともに暮らしているんですから。ときどき彼は、ある特定の場面でどう対応するのがベストか、どんなやり方をすれば娘が受け入れてくれるかなどについて私にアドバイスさえしてくれました。もちろん、母の愛はまったく特別で唯一無二のものですから、彼女の回復に自分が果たす役割を私が軽視するようなことはありませんでしたが」

 「でもトニーは私たちと彼女のために多くのことをしてくれました。彼は二人の友人たちや、私の家族のメンバーにさえ電話をして、ダイアンの状態を彼らに詳しく知らせました。私が彼を必要とする場面では、いつでも彼は私のためにそこにいました。彼は強く、辛抱強く、多くの責任を進んで引き受けてくれました。そして彼は、ダイアンのことや私自身の気がかりについて喜んで私と話してくれました。トニーの助けには感謝してもしきれません」

 「私の夫のジョーダンは、彼自身のやり方で素晴らしかった。彼は私とともに何度もダイアンのもとを訪れ、私たちの両方に対して心から同情的でした。彼が自分の思いを表すやり方は、彼の怒りのすべてを加害者にぶつけるというものでした。私はジョーダンがあんなにも怒り、敵意をむき出しにしている様子をこれまで一度も見たことがありませんでした。ある意味それは怖ろしかった。でも私は、加害者を罵倒することによって彼は自分のなかに貯め込まれていた怒りのマグマを発散させることができているんだと理解していて、だからそれは基本的には健康な反応だと思っていました。少なくとも彼は自分の怒りの標的を持っていたわけです」

 「私たちはダイアンのきょうだいとも電話で連絡をとっていました。彼らはみな別の州に住んでいます。バーバラ――彼女は多発性硬化症を患っているのですが――はもっとも感情を露わにしていました。私たちはほとんど毎日のように話しました」

 「これも大いに助けとなりました。私の娘たちがどれだけ互いを気遣いあっていたか、ダイアンが彼女の姉にとってどれだけ大切な存在だったのかを知るのは素晴らしいことでした」  

 「バーバラは日々欠かさず電話をかけてきて、どんなかたちであれ助けになりたいと申し出てくれました。彼女は飛行機でこちらに来ることを切望していましたが、彼女の体の状態がそれを許しませんでした。私の子供たちがダイアンと私のもとに集まってきてくれていると感じることは励みになりました。彼女はここに来ることはできなかったけれども、私はバーバラとのコンタクトが私に癒しをもたらしてくれるのを感じていました」