PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 3 Fear 6/6

セラピー

 今日、私の生活が恐怖から完全に自由であると言ったら嘘をついていることになる。しかし私は私の恐怖と向き合い、それを分析し、それに対処するすべを学んだ。恐怖は私の生活の一部であるが、それはかつてのように私を支配してはいない。私にとってセラピーは、暴力的犯罪によって劇的に変化してしまった生活のありかたに正面から取り組むために必要な手段だった。

 私はセラピーの価値を直接には自分が受けた被害の後で発見し、それから過去数年にわたる私の活動のなかで、ほかの犯罪被害者に対するその有効性を目にしてきた。もしも患者とそのカウンセラー(あるいは精神科医ソーシャルワーカーなど)が相性のよいコンビだったら、セラピーは被害者やその家族、そのほかの大切な人々にとっても治癒効果があり有益であり得る。襲撃後の、感情が葛藤状態にあって、関わり合いのある誰もが怖れ混乱するような時期に、セラピーはとりわけ効果的である。

 私はすべてのセラピストがすべての被害者にとって良い影響をもたらすと言うつもりはない。あるいはセラピーが、恐怖を拭い去り被害者を数日のうちに立ち直らせる、なにか魔法のような万能薬であると言うつもりもない。その逆に、多くの被害者にとって恐怖の影響からの回復の成就は、多くのごくちいさな前進と、それとほとんど同じ数だけの退却、後退からなる、過酷で厳しい戦いである。

 いかなる精神医療の専門家であっても、あなたのためにあらゆることをしてくれると期待することはできない。彼はあなたに手引きをし、過酷な時期には頼りにすることもできる存在としてそこにいるが、精神面での回復過程においてもっとも積極的な役割を果たさなくてはいけないのは被害者自身である。ハードワークと個人的な努力は、襲撃後の恐怖からの解放を早める目覚ましいはたらきをする。

 多くの犯罪被害者を苦しめる心的外傷後ストレスの一結果として、私は何カ月ものあいだ過度に用心深くなっていた。ごく近所の通りを散歩することでさえ、私にとっては地雷だらけの戦争地帯をゆくのと同じくらい恐ろしいことだった。

 私の恐怖についてウェインゴールド先生と議論したとき、彼は私が経験していることをいつでも――人間的なレベルと臨床的なレベルの両方で――理解した。彼は私の不安のレベルがなぜそんなにも高いのかを説明し、今置かれている状況に照らし合わせてみれば私の反応は正常なのだということを私に気づかせてくれた。専門家から受けたこの支援と励ましは、自分が「おかしくなりつつある」という恐怖を和らげてくれた。心的外傷後ストレスという現実的な診断を与えられることは大きな救いであった。

 ウェインゴールド先生は、私が心の健康を取り戻すまでの旅路において積極的な役割を担っていた。私たちは恐怖に対処するためのさまざまな方法を話し合った。彼は決して私のニーズを軽視せず、その代わりに、私には怖がる権利があると私が感じられるよう促した。と同時に彼は私に、トンネルの先には希望があるのだと知らしめようと努めていた。彼は再三再四、私が感じている恐怖は非常にリアルなものであるとともに、(少なくとも部分的には)一過性のものであることを指摘した。私はよく彼に尋ねた、「でも私はいつ物事を一人でできるようになるんでしょうか?いつ私は恐怖をあまり感じなくなるんでしょうか?」。

 そして彼は言った、「あなたがいつ、あなたの恐怖をある程度忘れることができるほど落ち着いた気分になれるのか、それを知っているのはあなたですよ」。

 私が自分でなんらかの進展を成し遂げたときはいつでも、それを私の精神科医に報告するのが待ち遠しかった。クリスマス休暇の期間中、私はニューヨークの家族を訪ねた。マンハッタンの通りは犯罪被害者になったことのない人間にとっても恐怖を与えうるものである。私にとっては、もちろんそれは恐ろしいものだった。しかし襲撃から9カ月の時が経って、私は怖がることに疲れていた。私は休暇で実家に帰っているあいだに前に進むことを決心した。

 ある晴れた寒い午後、私はイーストサイドの住宅街を旧友のボブ・アーキャロと歩いていた。その頃までに、私に近しい人は誰でも、私がどこへ行くにも付き添いを必要としていることを心得ていた。彼らは私が自分の恐怖について語っているのを聞くだけではなく、彼らの多くがそれをじかに体験していた――特に彼らが私とともに公共の場にいた時に。

 私は目の前につづく、街路樹の並ぶ静かな通りに目を向け、そこをひとりで歩きたいという抑えきれない欲求を感じた。私は言った、「ボブ、そこの角で会いましょう」。

 友人は心配そうに私を見て言った、「大丈夫かい?」。私の強い求めで彼は肩越しに振り返り私のほうへ視線を投げかけつつ、角のほうに向かった。彼が遠くへ、遠くへと離れていくにつれて、私の膚に鳥肌が浮かんだ。私はこそこそと辺りの様子をうかがい、通り過ぎる誰に対しても震えていた。しかし私は分かっていた、自分がこの通りに勝って、私の恐怖の一部を克服したいと願っていることを。

 私は前方に目を向け、街区の終わりにボブが立って私を待っているのを見た。9カ月間ではじめて、私は公共の場をひとりで歩くのだ。

 はじめのうち、私は足を一歩先に踏み出すことすら思うようにできず、まるでスローモーションのように前進していた。私の拳は固く握られ、爪が手のひらに食い込んでいた。息はあまりに速くなって、ほとんど過呼吸を起こしそうなほどだった。私は自分に言い聞かせようとした――「お前ならできる、お前ならできる。進め、進め、進め!」。鉛のように重い私の足を鼓舞して私は歩くペースを速めた。冷涼な空気が私の髪を肩の上で靡かせた。私の顔はピリピリして赤味を帯びてきた。私の周りに空いたスペースと私の側に人がいないことが、私の気分を軽くした。私は自分に向かって思った、「お前は自由だ!」。そして私は走り出した。

 数秒後、私はボブの腕の中にいた。私たちは静かに抱き合い、この瞬間の大切さを分かち合っていた。その通りを一人で歩いた後に私が感じた勝利の喜びは、何日間も私の気分を高揚させた。翌週、ウェインゴールド先生に話をしたとき、彼は私のために喜んでくれたが、驚きはしなかった。それ以来、私は新たな熱意とともに自分の恐怖に挑みはじめた。

 私が自分の恐怖を自分だけで、あるいは友人や親類の支えだけで克服していくことも可能だったのかもしれない。しかし正直言って私は、専門家の手引きなしで私がそれをなし得たとは思っていない。家族や友人といった内輪のサークルの外側にいて、偏見なしに私の感情やふるまいを評価することのできる人を持っていることは私にとって大きなプラスであった。

 ウェインゴールド先生は彼の貢献に対価を支払われていたので、私は彼に負担をかけたり彼の気分を害することで恐縮することはなかった。私は彼が、純粋にひとりの人間として私のことを気にかけていると感じていたが、彼の気づかいは彼のプロフェッショナリズムによって制御されているとも感じていた。私たちのセッションは、私の進歩を記録し浮き彫りにするための、基準となる枠組みでもあった。私は一週間が経過した後で私が変化――たいていはポジティブな――を経てきていることを知った。

 私が恐怖に脅えたり、ヒステリックになったり、抑えが利かなくなったときは、ウェインゴールド先生に私か私の家族が電話をして助けを求めることができた。私たちは彼の判断を信頼するようになっていて、通常それにしたがって行動していた。私がウェインゴールド先生のセラピーを受けていたのはたかだか一年ほどだったが、セラピーの終わりまでに彼は、私が健全になり自分に自信を持てるように、私を導いてくれていた。私は彼のような素晴らしい精神科医にめぐり会えて幸運だったと感じている。しかし私は、犯罪被害者を治療し手助けするのに必要な専門的ノウハウと思いやりをともに持ち合わせている多くの専門家がいることもみてきている。

 

 多くの種類のセラピストがいる。被害者にとって、自分や自分の家族に適した人物を見つけるだけでなく、自分にもっとも合ったセラピーのやり方を見つけることはきわめて重要である。しかしそのためにはどうすればいいのだろう?

 友人や信頼できる医師の薦めはしばしば有益だが、通常はあなたの直観が、あなたにふさわしいセラピストを見つける際の最良のガイドである。もしも被害者が、セラピーに関することを自分で判断するにはあまりにも肉体的、精神的にうちのめされていた場合は、かれの周りの人がその責を負うことになる。

 最初のカウンセリングにおいて、このカウンセラー(や精神科医ソーシャルワーカー)が唯一の選択肢ではないということをはっきりさせておく必要がある。もしも被害者がなんらかの理由であるセラピストに対して居心地の悪さや不安感を覚えたら、誰といっしょにやっていくかを決める前に、他の候補者とも会ってみることがベストである。多くの場合、被害者は手助けをしてもらえることにとても感謝していて、一般に認められた、優れた精神医療の専門家のほとんど誰にでも共感を覚え、共にやっていくことができる。

 被害者の個人的な嗜好、懐具合、住んでいる場所といったことは皆、どんな種類のセラピストを選ぶべきかに関わってくる。精神科医、心理学者、ソーシャルワーカー、カウンセラー、ピアカウンセラー、クライシスワーカー、ボランティアなど。もっとも重要なファクターは、セラピストが肯定的、行動指向的で思いやりのある人物だということである。学歴のみが精神医療の専門家の全般的な価値と有用性を決めることはまれである。もっとも大切なのはセラピストと患者の良好な化学反応である。

 被害者の周囲のひとびとがセラピーに対して示す態度は、被害者がセラピーにどれだけよく応じるかに一役買っている。励ましはとても大事である。恐怖にとらわれている被害者は、かれの愛するひとたちがセラピーを、かれが精神のバランスを取り戻し、恐怖から自由になるための好ましい一手段だと考えていることを知っている必要がある。

 私は個人的に、全国の多くの病院や警察署で、心理面での支援が当然のこととして犯罪被害者に提案もされなければ提供もされていないことを不思議に思っている。被害者は個人的なレベルでは、セラピーの薦めを一度ならず受けていることは事実であるが、これらの提案は断片的で散発的なものである。被害者のなかには、かれらが接した警察官や病院の人間から、心理面での支援についてなにひとつ聞かされていない人もいる。そうして多くの被害者は恐怖のなかで生き続けることになる。

 事件の後につづく大混乱の状況ゆえに、心理面での手助けを受けるという考えはただ単純に、被害者やその家族の心に浮かんでこないかもしれない。事態に関わっているほとんどの人は、肉体的、経済的な影響に対処することにあまりにも忙しくて、精神的な影響に対する専門家のカウンセリングにまで思いをめぐらせることができないのである。外部の第三者からの助言がしばしば必要である。もしもその提案が病院勤務者や警察官のような権威ある人物からもたらされれば、それは通常、敬意と熟慮をもって迎えられるだろう。

 被害者やその家族にとってのセラピーの価値がひろく認識されるにつれて、専門家による心理的なケアを受けるようにとの提案が、病院や警察のひとたちから被害者に、例外なく示されるようになることを願うばかりである。私は困っている被害者に対して、精神衛生の専門家の援助が規定事項として提供されるようになるべきだと信じている。

 優れた、早期の心理的な援助は、残りの人生を恐怖のなかで生きていく被害者と、この感情を認識し、それを分析し、それと取り組み、やがてそれを乗り越えるかそれに対処できるようになっていく被害者との分かれ目になり得るものである。