PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 3 Fear 5/6

先のことを考える(Forward Thinking)

 こんなことを何回聞かれたか分からない――「あなたはどうやって生き延びたの?襲われたときだけじゃなくて、その後の日々も」。退院したばかりの頃、私は数々の一般的回答を編み出していた。「人間の強さって驚くべきものよ」、あるいは、「選択の余地はまったくなかったの」、あるいは、「家族のおかげ」、あるいは、「一日一日をあるがままに受け入れていたの」。

 たいてい私は答えたあとで即座に話題を変えた。しかしその後、ひとり家にいて、この問いに対する本当の答えはなんだったのだろうかと私は考えた。なぜ私は命にかかわる暴力と、回復までの過程のまったく衰えを知らない苦悶を生き延びてこれたのか?

 そのことを考えるにつけ、すべての体験をとおして私のもっとも大きな助けになったと思われることは、「これは永遠ではない」という私の不動の信念であった。状況が本当に過酷だったときはいつでも私はこのフレーズを思い出し、それを口に出して言ってみた。恐怖や苦痛や怒りの只中にあるとき、私はしばしば、私にとりついている問題はいずれ終わる減退すると自身に言い聞かせることで、狂ってしまうことから自分を守っていた。「これは永遠ではない」と固く信じさえすれば、ほとんどどんなことも私は対処することができた。

 私の厄介事は一時的なものだという私のゆるぎない肯定に加えて、私は自分を悲惨さから連れ出すテクニックとしてのある種の「ゲーム」を考え出していた。そのプロセスをなんと呼ぶべきかに困って、私は「forward thinking」という用語を思いついた。

 振り返ってみると、私は死に瀕して家の床に横たわっていた襲撃直後の時点からforward thinkingを本能的に用いていた。体と心の苦痛はあまりにも苛烈で、私がそれに耐えうる唯一の方法は、この苦痛が終わる未来の時を心に思い描くことだけだった。「これは永遠ではない」、刻々とひろがっていく自分の血溜まりのなかに横たわっていたときでさえそう考えることで、私はなんとか生の希望の最後のひとかけらにしがみつくことができた。

 回復期に私が恐怖や怒りに駆られたり、痛みを感じたり、あるいはただ単に退屈していたとき、私は耐え難い現在の現実から想像上の素敵な未来へと、自分を心のなかで移動させた。どうやって?実際それはすばらしく簡単なことだった。未来の時を想う――1週間後か2週間後、あるいは半年後の遠い先、ことによると1年後――そして私は、今自分が抱え込んでいるどんな問題からも自由になった、完全で健康な私自身を心に思い描くのである。

 この「ゲーム」は、私が恐れているときにしばしば有効だった。なにかの特別な出来事に応じて怯えた状態に陥ったとき、私は恐怖は一過性のものだと認めて、私の想像のなかの、恐怖なき未来に意識を集中することで、自分を落ち着かせることができた。

 ある日、映画テレビ基金病院からの外出の折、看護師たちの何人かに贈るプレゼントを買おうと思って、私は母と近くのショップに行った。それは私が外出したはじめての機会ではなく、あちこちに人はいたけれども、私は比較的落ち着いた気分で通路を歩き回り、興味のある品物数点を買い物かごに入れていった。不意に私は誰かに見られている感覚を感じた。警戒して右のほうをちらっと見ると、10代半ばくらいの、黒い革のジャケットと破けたジーンズを着たひとりの少年が目に入った。彼は臆面もなく私をじっと見つめていた。私の額に汗の玉が浮かんだ。彼は何をしたいのか?私の母はどこにいる?私はどうすればいいのか?私はその場で凍り付き、息ができなかった。私はその少年がいまこの瞬間にも私に向かって襲いかかってくると信じた。変質者に追われているかのように、私は店から外に駆けだした。私の様子を見ていた人は、私が完全におかしくなったと確信したはずである。大きな金属製の添え具を身につけて、通路を駆け抜け外に飛び出していく私は馬鹿のように見えたに違いない。息を切らせながら、私は付き添いの人が待っている病院のバンに辿り着いた。彼は優しく私を車内に招き入れ、なにが起こったのかと尋ねた。私はただ前方を凝視していた。

 まもなくして私の母が、途方に暮れ心配して私のところへやって来た。彼女もまた、なにが起きたのかを知りたがった。私は黙って首を振っていたが、母はもう、恐ろしい出来事のあとに私の目を覆いつくす明らかな恐怖のしるしが表われていることに気づいていた。

 私はバンの車中に30分間座っていた。私は震えて落ち着かず、なおも恐れていた。私は理性では、その少年が女優として演じている私のことを見たことがあるか、あるいはただ単に厚かましくて粗野なガキであるかのどちらかだということを理解していた。それでも私は恐怖に震えが止まらなかった。

 私は自分に言い聞かせた。「テレサ、あなたが傷つけられてからまだ3カ月しか経っていない。あなたには怖がる権利がある。こんなことは永遠には続かない」。そして私は、今から一年後の同じようなショッピングのお出かけがどんな具合になるか、想像をたくましくしてみた。

 私はこんなシナリオを思い浮かべた――私は妹のマリアとブロックスのデパートに入る。マリアは化粧品売り場をあれこれ物色していて、その間私は宝石売り場のカウンターに留まって、優雅な真珠のイヤリングを眺めている。自分が見られているのを感じて私は視線を上げ、あの同じ少年の姿を見る。一瞬、私の心臓は激しく高鳴り、私は震えはじめる。それから私は心を静めてこう考える。「ちょっと待って。この子は15歳。お母さんはたぶん彼の学校の制服を買いに行ってる。たぶん彼はただのファンなのよ」。

 私はゴクリと唾を飲み、少年をちらっと見て少し微笑み、こう言う、「私を怖がらせないでよ」。不意に彼は自分のスニーカーに視線を落とし、バツが悪そうに横を向き、私のことを振り返って出し抜けにこう言う、「ねえ、映画かなにかに出ていなかった?」。私は彼に大きな笑顔を見せて言う、「ええ」。

 あっと言う間に彼はあどけない少年に変わる。「やっぱり。知ってたよ!」と彼は叫び、母親に知らせるため走り去っていく。私は安堵の溜め息をつき、売り場の女性にイヤリングを見せてくれと頼む。

 私が投影した未来のショッピングの光景は非現実的なものではなかった――決して実現することのない楽しいバラ色の未来をめぐる、寓話的な夢物語ではなかったのだ。あなたが現実に起こり得ると信じられるような未来を思い描くことが肝要である。これはforward thinkingを成功に導く鍵である。

 想像のなかの未来の旅から戻ってきた私は、バンの中でずっと気分が落ち着いてきた。あのティーンエイジャーを無害な子供として思い描くことは私の不安を和らげた。私はいずれこの種の状況を、私が先ほど現実にとったやり方ではなく、私がたった今想像したやり方でさばくことができるだろうと私は信じた。

 Forward thinkingのすぐれた一面は、それがあなたに時間を友だちにすることを可能にしてくれる点である。退屈な病院での日々やひどい抑鬱の時期に、時は進んでいくということを認識することはなぐさめになる。そして過ぎていく一日ごとに、あなたは肉体的、精神的な治癒への道のりを前に進むことができるのである。

 積極的な、より輝かしい未来を思い描くことは、目標を設定するためのひとつの手段である。もしあなたがこれらの「ビジョン」が現実となることを望むのなら、それらに向かって行動を起こすしかない。私がインタビューした、いま現在つつがなく生きていて、幸福で、精神的にも健全な犯罪被害者の大多数は、なんらかのかたちでこのforward thinkingを実践していた。

 

 シャイナ(バスから降りるときにナイフで5回刺された女性)は彼女が襲われるわずか2週間前に、ハワイ行きのチケットを2枚手に入れていた。病院で術後の回復を図っているあいだ、彼女は自分がマウイで太陽の光を浴び、ピニャ・コラーダをちびちび飲みながらくつろいでいる様子を心に描き続けていた。銀行の仕事に復帰するまでに何週間もの回復期間を費やさなくてはならないことをシャイナは理解していた。ゆっくり休んで健康を取り戻すのに、エキゾチックな熱帯の島よりも良い場所があるだろうか?それで彼女は、未来を思い描くだけでなく、彼女といっしょにハワイに行くことになっていた女友達に、予約を確認しておいてくれるように頼んだ。

 今日でもシャイナは、「今から3週間後には、そうそう、あんたはフラダンスを踊っているわよ」と自分で自分に信じ込ませることで、医療処置だとか手術の縫い痕だとか理学療法だとかの不快感をやり過ごすのがどれほど容易になったかを覚えている。

 いっぽうでこの手法は、犯人の公判前聴聞の際にも役に立った。法廷に座っているあいだ、シャイナは神経を鎮めるためにforward thinkingを用いた。加害者の姿を見て恐怖でめまいを起こしそうになったとき、シャイナはこう考えて自分を落ち着かせた、「こんなことは一時間以内に終わる。そのあと私はボーイフレンドに会ってお気に入りのレストランでランチをとる」。これはまさしく彼女がしたことだった。そして数週間後に、彼女は病院に拘束された陰鬱な日々に思い描いていた美しいハワイのビーチにいた

 もちろん、すべての犯罪被害者が熱帯行きの航空券をハンドバッグのなかに忍ばせているわけではない。しかしシャイナは、襲撃後のこの恐ろしい、混沌に支配された日々に、ハワイ旅行のことなど忘れるか、あるいはそれをずっと後の日付に延期する決断をくだすことも容易にできた。彼女は休暇旅行なんて肉体的にも精神的にも不可能事になるくらいまで、襲撃後の抑鬱が彼女を圧倒するがままにさせておくこともできた。彼女はチケットを誰かにあげて手放したり、医療費支払いの足しにするためそれを売ることもできた。だがその代わり、彼女は自分の想像力とforward thinkingを、このもっともきびしい時期を彼女が乗り切るための役に立てたのである。

 シャイナは腕に巨大なギプスを巻いた状態でハワイへと出発した(私はその様子を見たが、あれはたいていのギプスよりでかくてかさばって邪魔そうなものだったと請け合える)。ギプスは彼女の左腕を肩のすぐ下から覆い、ひじのところで曲がって、すべての指を包み込んでいた。息を呑むほどに美しいハワイのビーチで、ギプスは耐え難いほど痛み、そして我慢できないほど蒸れて暑かった。シャイナは傷を負った腕をどうにかして注意深く支えていなければならず、彼女のずきずきと脈打つ汗まみれの腕は、ハワイでの楽しみをおおかた損なわせた。しかしシャイナは、不快感が彼女のバカンスを駄目にすることを認めなかった。彼女は自分の考えを未来へと漂わせていき、痒くて腫れあがった腕にスースーするオイルを塗ったらどんなに気持ちいいだろうなどと想像していた。そして彼女は、ギプスを一カ月以内に外せることはなんてラッキーなんだろうと繰り返し自分に言い聞かせていた。 

 Forward thinkingによるあなたの進歩の度合いを確認するための最良の方法のひとつは、テープ・レコーダーを使うことである。たとえば、もしあなたが自分の車に乗っているとき強盗に遭い危害を加えられて、再びドライブするなんて絶対に考えられないと思ったら、ただレコーダーの録音ボタンを押して、日付を言い、あなたの感情をとことん話してみればよい。たとえば、「私は怯えている。私のカマロをまた運転できるなんてとてもできそうにない。車に乗るのが怖い」。それからあなたは未来の自分を思い描き、あなたが可能だと思う現実を探して、それをテープ・レコーダーに話してみる。「今から6カ月後、私は一人で車を運転したいと思うようになっている。私は自分が車を運転してお気に入りのレストランへ夫に会いに行き、美味しいシャンパンのボトルで私の勇敢なる『ひとりドライブ』を祝っている光景を見る」。

 6カ月後、あなたはテープを再生させ、あなたのforward thinkingをあなたが予想していたよりもいっそう早く現実のものとしていたことを発見するかもしれない。あるいはそこまでの過程で、あなたの愛するカマロを恐ろしい記憶を呼び覚ますからという理由で売ることに決めてしまっていたかもしれない。あなたは代わりにティーンエイジの妹が乗り回していたフォルクスワーゲンを運転しているかもしれない。最初の数回の単独ドライブでは、手が汗でじとじとして脈が速まったりしたかもしれない。しかし、あなたが一生懸命に取り組んでいれば、恐怖を乗り越えてこれらの想像された未来を現実に生きることができるようになっていることはおおいにあり得るだろう。

 

 今日の医学的知見の限界のもとでは、かれらの深刻な傷や障害が一生残ってしまうような人はおおぜいいる。そんな人たちにとってもforward thinkingは有効な方法である。つまり、障害とよりよく付き合っていくようになる、障害をより受け入れるようになっている、障害があってもなお偉業を成し遂げる、そんな未来を思い描いてみるということである。歯で挟んだペンで絵や文字を描く四肢麻痺の人もいれば、車いすのすぐれたアスリートである対麻痺の人もいて、癌に苛まれながらも他人の手助けをする人もあり、彼らはそうして生産的な人生を生き抜いていく。人間の順応性は特筆すべきもので、私たちのほとんどすべてが、恐ろしい現在の現実を実り多い充実した未来へと変えることができるようになるのである。

 あなたが自分の障害とよりよく付き合っていくことができるようになる未来を想像することに加えて、あなたは医学があなたの存命中になし得る大きな進歩や発見を予想してみることもできる。近い将来に、深刻な脊髄の損傷を完全に治す技術や、現在は治療不能とされている疾患の治療法や、広範囲にまたがる傷跡を消す方法を研究者が見つけ出すということはまったくあり得ることである。

 あなたの忌まわしい現在の状況を忘れることは、すべてが荒涼として恐怖に満ちているようにみえるときに「これは永遠ではない」と自分に言い聞かせることは、おそろしく困難なことにみえる。しかし、ほかの人たちも悲惨な状況に立ち向かいそれを乗り越えてきたのだということを心に留めておけば、よりよい明日のイメージを心のなかに創り出し、それを目指して行動していくことによって、現在から逃れることができることにあなたは気づくだろう。