PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 5/9

ほかのひとに手を差し伸べる

 怒っている人は、ほかの誰かを助けるのにふさわしい人間ではないとあなたは思うかもしれない。しかし怒りはあなたを素晴らしい協力者へと、他人の権利やニーズの擁護者へと動機づける力を持っているのである。

 しばしば怒りは私たちをほとんど際限のないエネルギーで満たす。それは私たちを、蟻が体の上を這っているかのようにそわそわさせる――いらいらして落ち着かず、なにかの爆発的放出、解放を必要としている状態である。もしも私たちがこうした感情を捉え、それを方向づけていけば、私たちは自分自身のためになることをすると同時に、ほかの人が切望していておおいに有り難がられるような貢献を成し遂げることができる。

 フランク・ギャレットは、彼のユーモアのセンスにもかかわらずなお怒りにとらわれている自分を見出した。彼の退院後間もなくして、ガールフレンドのヘレンは彼女の直面ししている状況が招くストレスに耐えられなくなり、彼のもとを去った。彼女はフランクの頭のなかの、生命を危険に曝す弾丸の存在に脅えていた。彼女は彼を愛していたが、銃撃が彼らの人生にもたらした変化にうまく対処できなかったのである。

 フランクの心はにわかに落ち込み、怒りが彼を席巻した。彼は健康を失い、仕事を失い、幸福を失い、そしていま、ヘレンを失った。彼は何度も自分のアパートメントでひとり怒りをぶちまけた。数日のうちに、彼の所有している壊すことのできるものをすべて破壊した。請求書が毎日届いた。彼には保険がなく、蓄えがなく、クレジットもなかった。さまざまな問題が彼のうえにのしかかった――そしてもはや、彼と感情を分かち合ってくれる女性はいなかった。

 フランクは声を限りにわめき続けた。傷ついた獣のように彼は咆哮した。何時間も泣いた。彼を襲う怒りは彼の体調を悪化させ、気の遠くなるような頭痛を引き起こした。

 警察が電話をかけてきて、犯人はまだ見つからず、手がかりもないと伝えた。フランクは加害者どもを追い詰めて頭部に銃を突きつけ、奴らが死を覚悟するまで怖がらせているところを空想した。彼はあの獣たちを憎んでいた。彼は奴らのことを考え、奴らを呪い、奴らに執着していた。

 フランクのすべての活力は、銃撃者たちを言葉で感情的に罵ることに注ぎ込まれていた。しかしそれは不毛だった――犯人たちは自由で、おそらく同じ通りを、さらなる被害者を苦しめるか殺すかしようとしてうろつき回っているのだ。

 フランクは家に居ながら彼自身の精神の瓦礫の只中にはまり込み、真空に向かって叫んでいた。しかし彼はそばに来た人に彼の怒りを押しつけることはしたくなかった。そこで彼は友人たちに自分は孤独を必要としていると伝えて、引きこもることにした。

 数人の本当に親しい友人はフランクを一人にすることに同意しなかった。彼の反発にもかかわらず、彼らは彼のもとに立ち寄り、電話をかけることを止めなかった。フランクは入院していた頃のように訪問者に向かって冗談を言い、おどけてみせようと努めた。しかし誰もが、事はまったく変わってしまったのだと悟ることになった。襲撃後のフランクのユーモアは、熱烈な――ややワイルドなものだとはいえ――喜びの要素を含んでいた。いま彼のユーモアには、楽観主義や健全な精神の僅かな手がかりすら見いだせなかった。フランクのユーモアのセンスははるかにブラックになり、不吉なものになり、暴力と憎悪の色合いを帯びていた。フランクは変わってしまった。怒れる男。復讐心に燃える男。

 友人たちは彼のことを心配しはじめ、フランクも自分のことが心配になってきた――彼はもはや自分自身が好きですらなくなっていた。自分のふるまいや、昼夜をわかたず彼につきまとう怒りの苦い味わいを彼は嫌悪していた。

 ある孤独な朝に、フランクははじめて自分が真剣に自殺のことを考えていることに気がついた。この恐ろしい思念の只中で、彼のなかの声が言った。「フランク、ビルに電話しよう」。

 フランクの親友のひとりであるビル・トランプは、戦争中に下半身不随になったベトナム帰還兵である。それでもビルは何年ものあいだ、障害を負った帰還兵と健常な帰還兵の両方とともに、たいへん評判の高い即興劇団で稽古を重ね、演じてきている。彼はフランクがこれまでに知っているもっとも勇敢な人物である。

 フランクの長年の友は、彼のお手本になった。彼らはその最初の朝に何時間も話した。それからフランクはほとんど毎日のようにビルのもとを訪ねた。ビルは友人の怒りと絶望を理解した。彼はフランクに、君の人生は無意味なんかではまったくなく、君にはまだできることがたくさんあるんだと強く言い聞かせた。銃弾は明日彼を殺すかもしれない、あるいは彼は百歳まで生きるかもしれない――誰にも分からない。しかしビルはフランクに、今日のことを考えろと説いた。心と体を正しい状態に立て直し、彼が生き延びた悪夢のあいだに彼が学んだことを活用させろと。「そこから出るんだ」、ビルは訴えた。「子供たちや依存症患者や帰還兵や――誰でもいい、ともに活動してみろ。君の生命力を分かち合うんだ。食器を粉々にしたりするようなことにそれを浪費してはだめだよ。事件は起こった。銃弾はそこに居座ってる。でも君は生きている。怒りに君を食い尽くさせるな――もう一度ひとびとのところに戻ってくるんだ!」。

 撃たれる前、フランクはさまざまな支援プログラムに参加していた――薬物依存からの社会復帰、ホームレスのための避難所を見つける、問題を抱えたティーンのカウンセリング。仕事に割く時間があまりに長くなったことと、ヘレンとの付き合いが彼の余暇のあまりにも多くを占めるようになっていったため、彼はこの種の活動にしばらく関わっていなかった。しかし以前ともに活動していた人たちの何人かとはまだ連絡を保っていた。多くは、部分的には彼の努力の結果として、薬との縁を断ち、きちんと仕事に就いていた。困難を抱えた人々と活動することを考えれば考えるほど、そのアイディアは魅力的に思えてきた。彼は時間と意欲をともに持ち合わせていた。そして彼の頭のなかの銃弾は、助けを必要としている誰かにとって、ほんの少しの違いすらもたらすものではなかった。

 そこでフランクはやってみることに決めた。彼は他人の援助をするプログラムに復帰することを誓った。しかしまずは自分の生活を立て直さなければならなかった。

 彼は自分の体をそれまでより気遣うようになった。数週間のうちに彼の体力は回復してきた。怒りの襲来はまったく止まった。彼は外出して何枚か皿を買うことさえした!

 続けて彼は仕事を探しに行き、たった二回の面接を経て、電話セールスマンという完璧な「食い扶持を稼ぐための」仕事を得た。その仕事は家賃の支払いには十分だったが、非常に負担が大きいというわけではなかった。彼はほかの人たちの世話をし、さらに自分もいたわるための時間をなおもたっぷり持つことができた。

 フランクの準備は整った。彼は選択肢をいろいろ検討してみた。もう一度薬物常習者との活動をしてみるか?障碍者?子供たち?ティーンエイジャー?

 フランクは近所のロウアー・イースト・サイド界隈を歩き回り、さまざまな掲示板をチェックした。地域のミニコミ紙を穴のあくほど見つめた。彼は求人広告欄にすら目をとおした。彼は援助を必要としている場所と人をリストにまとめた――掛け値なしに数十の選択肢があった。フランクはホームやセンターを訪れて、どこが自分に最もふさわしいかこの目で確かめるつもりでいた。

 フランクが自分の活動によってもっとも大きな貢献のできそうなプログラムやグループを探しているちょうどその最中に、テレビ映画Victims for Victims(訳注:テレサ・サルダナの巻き込まれたストーカー刺傷事件とそこからの再起の過程を描いた再現ドラマ。テレサ・サルダナ自身が本人の役で主演している)がNBCで放映された。フランクは私のことも、私の事件のことも聞いたことがなかったが、テレビガイドの宣伝文句が彼の興味に火をつけた。彼は映画を観た。エンドロールが流れ出すと同時に彼はVictims for Victims(こちらは映画ではなく団体名のほうである)のボランティアを申し出る電話をかけた。私たちはニューヨーク支部で初対面し、私はすぐさま彼の熱意と活力を感じとった。私たちは彼に仕事をやってもらうことにした。

 2週間のうちにフランクはニューヨーク支部の運営委員会に加わっていた。そしていま彼は、電話と対面による被害者支援サービスを提供するVictim Rep Networkを率いている。彼のエネルギーと情熱は際限がなく、そして伝染性である。フランクはみなを駆り立てて、私たち全員を今まで以上に精力的に働かせるのだ。

 私たちの団体に加わって以来、フランクは男の被害者と女の被害者の両方、それにかれらの家族をもカウンセリングしていた。彼のクライアントはみな、彼のポジティブなエネルギー、配慮、そして彼のユーモアのセンスに印象づけられていた。

 銃撃以来初めて、フランクは自分が強くて、役に立ち、健康だと感じている。そして彼は、彼のクライアントの勇気から、彼らが彼から得たのと同じだけの力を自分が得ていると信じている。

 フランクは言う、「自分と同じように傷ついたひとびとに手を差し伸べることで、完全にまるっきり無意味なことのために悪態をつくのを止めることができた。もちろん、僕は今でも起こったことに対して頭には来ているよ。あの野郎どもがまだ捕まっていないことにはムカムカする!でも僕は毎日長時間を費やしてあいつらのことを考えてなんかいない。あいつらは僕の注意に値しないんだ。その代わり、僕は自分の力を僕の手助けとサポートを必要としている人たちに集中する。それに加えて、僕はほかのボランティアのひとたちとの友情と気遣いを育んできている。僕たちは本当にお互いを理解し合っているんだ」。

 「結局こういうことだよ。もし僕が、犯罪者によって撃たれたり、刺されたり、傷つけられたリした人を抱きしめて、あなたは一人じゃないんだ、あなたは僕ができたようにこの困難を乗り越えることができるんだと彼らに言うことができたら、それは僕の人生を生きる価値のあるものにする。もしもあの銃弾が動いて、僕の命を明日奪ったとしても――少なくとも僕は、そこそこのことをやってこの世から旅立つことになるんだ!」。

 

 フランク・ギャレットはビルという偉大なお手本を既に得ていたという点で十分に幸運であった。しかし私たちのなかには、誰かに手を差し伸べることをはじめるべきだと自分で自分を説得しなくてはいけない人もいる。

 私たちが腹を立て憤慨しているとき、他人と関わり手助けをするという考えは、私たちの心からもっとも遠くかけ離れた事柄のようにみえる。私たちは人々からひたすらしり込みしたい、再び傷つけられるリスクを冒すことなど拒みたい、人間全般を信用したくない、そう思っているかもしれない。私たちは世界に対してだけではなく、世界のなかのすべての人に対して怒りを覚えているかもしれない。私自身が長い、長いあいだそんな風に感じていたのである。

 もしあなたが、他人の手助けをすることに関して純粋に人道主義的で高潔な考えを抱くにはあまりに自分が怒り過ぎていると感じたなら、別のアプローチを試してみよう。ひとに手を差し伸べることに決める、ただしそれを自分のためにするのだ。こういう立場をとってみる――「私は他人に手を差し伸べよう、それが、自分自身の抱える問題から抜け出すために、自分の怒りを建設的な方向に振り向けるために、自尊心を高めるために、私にとって役に立つから」。

 このような態度をはじめの時点で持つことにより、即席のボランティア、あるいは「いい子(ぶった人)」になることにまつわる心の重荷を取り払うことができる。そしてそれは、完璧な模範にならなければならないというプレッシャーを取り除いてくれる。心に留めておくべきことがひとつ。それを必要とするひとにあなたが提供するいかなる誠実な援助も感謝される――それがあなたをも助けたからといって感謝される度合いが減るわけではない。そしてたぶん、あなたが手助けをした人の反応をあなたが目にした時、あなたはあなた自身だけではなく彼らのためにそれをやり続けたいと思うだろう。