PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 4 Anger 6/9

 ひとは時々私に尋ねる、「あなたはどうやって目的のためにそんなにもたくさんの時間と労力を捧げることができるの?」。私の答えは、「それが自分も助けるから」である。そう、私は自分の仕事がひとびとの人生に触れ、彼らに力と勇気を与えることを誇りにしている、私は自分が犯罪被害者の役割モデルとなれることを誇りにしている。しかし私は目的の殉教者ではない。私は自分のしていることを愛している。それは私をよい気分にする、それは私に怒りのはけ口を与える、それは私の人生に意味を与える、それは私に抑鬱と戦う力を与える、それは私に目的意識を与える、それは私に日々の変化をもたらす。

 直接被害者とともに働き、被害者の権利のために闘うことは、私が総合的な健康を得ることに役立ってきた。そして私の仕事は私の人生を良い方向へと変えていった。そう、それは他人を助ける。しかしそれは私も助けるのだ。

 ピアカウンセリングや個人的な援助はあなたの心に訴えかけないかもしれない。たぶん、あなたは知らない人との直接的な接触でうまくやっていくにしてはまだあまりにも怒りに囚われすぎている。それならあなたは、裏方の仕事に関わることができる。養護施設、病院、ユースセンター、あるいは人手不足に悩む公益団体のためにあなたが行ういかなる仕事も――たとえそれがタイピングや電話番、寄付を募ることや、料理を作ること、社会活動の計画を立てることといったようなことであったとしても――翻訳すればなお、ひとびとを手助けすることなのである。あなたが提供した奉仕によって、あなたは多くの人々の人生に間接的に触れることができる。

 もしかしたらあなたは、ひとの精神的あるいは肉体的な要求に応じて面倒をみることよりも、社会あるいは法制面の改革により関心を抱いているのかもしれない。私たちの社会やその法を変えていくことは、人間の生活を大きく向上させ得ることを心に留めておこう。この種の仕事に対する報酬はまた別だが、それらは同じくらい尊いものである。

 ここ数年私は、社会運動が怒れる被害者にとっての理想的なはけ口となり得ることを学んできた。あなたは

 高齢者

 障碍者

 困窮者

 ホームレス

 帰還兵

の権利を求めることによって、手助けをすることができる。

 あなたが本当に信じている目標のうしろだてとなり、あなた自身の怒りを理想に向かって戦うための力として活用してみよう。あなたは壇上に上がって演説をしたり、記者会見やデモでマイクに向かって話す必要はない。たくさんのより目立たない仕事がある――調査研究や、提案書の草稿を書くこと、電話をかけること、論文を書くこと、事務の仕事を行うこと――これらはほとんどあらゆる団体にとって、かけがえのない意味をもつものである。

 あなたが自分のために考案したいかなる援助プランも、あなた自身のニーズや関心、時間的スケジュールに合わせてつくられたものでなければならない。以下はいくつかの提案である。

もしあなたがでボランティアをしよう
フェミニストなら 女性センター
手話を知っていて実践したかったら 聾学校
子供を愛していたら ユースセンターか児童養護施設
老年学について学びたかったら 老人ホーム
政治を愛していたら 立法グループ
ほかの犯罪被害者を援助したかったら 被害者の組織

 このリストはさらに何ページも続いていく。あなたにとって有益で、興味深く、楽しめるボランティアに携わるためのさまざまなやり方をあなたが見つけられることは保証する。

 あなたはこの時点で、多くの時間を割くことができないかもしれないが、これはまったく問題ない。

 他人に手を差し伸べることを決意することは、あなたの人生を明け渡さなければならないことを意味するものではない。あなたはあなたの望むがままに、最大限から最小限までの負担を選ぶことができる。最初のうちはあまり過度にやり過ぎず、週に数時間ほどから始めて、そこからあなたの意欲と能力に応じて増やしていけばよい。手助けをすることを犠牲を払うことと考えてはいけない。あなた自身の人生に新しい――前向きな――なにかを追加するものとしてそれを捉えること。さらに、あの沸き立つ怒りのいくばくかからの解放のための一手段として。

 もしもあなたが誰かに手を差し伸べる気が起こらず、それをすることに不安感や、あるいは恐怖さえをも感じているのであれば、一般的にあまり威圧的でなく、ケアを非常に必要としていて、それをすればおおいに感謝されるような、高齢者、体の弱っている人、幼児といったひとびととの活動からはじめるのが有効だろう。

 一例として、私は子供の力に抗することがとても難しい。たとえどれだけ怒りを感じていても、子供と時を過ごすことで私の気分は和らいでいく。子供たちは心遣いに対してとても素直に、暖かく反応してくれる。

 自分がいまにも爆発しそうだと感じたとき、私はしょっちゅう、4歳になる名づけ子のルークと一日を過ごす。私が癇癪や、怒りからくる欝や、口論に注ぎこんでいたエネルギーは、公園での長いお散歩や、近所の動物園や博物館の見学や、地元の埠頭での回転木馬乗りへと振り替えられる。夢中になってはしゃいでいるルークの愛らしさに私は常に魅せられている。

 もしもあなたの家族に子供がいなくて、無償のベビーシッターをしばらくの間求めているような人もいなかったとしたら、あなたはほとんどどこの町でも見つかるユースセンターや児童養護施設で暮らしている子供たちのところへ行くことができる。こうした場所で生活している子供たちは心遣いを必要としていて、ちょっとの時間でも彼らと過ごしたいと望んでいる思いやりのある大人から大きな恩恵を得られるものである。実際、彼らは心遣いに飢えている。彼らのなかには児童虐待インセストなどさまざまな犯罪の被害者もいる。孤独な子供と一週間のうち数時間を共に過ごし、かれが自分の怒りや混乱に立ち向かっていくための手助けをすることは、あなた自身の怒りを別の方向に差し向けるための、素晴らしい一方法である。

 もしも他のひとびとと一対一で向き合って活動することがあなたの意に沿わないのであれば、グループの効果をとおしての援助を考えてみてもよいだろう。介護施設や病院、公民館で興行しているグリークラブや合唱団、アマチュア劇団はたくさんある。お客さんはとても反応が良いし、これらのグループは新メンバーを大歓迎していることが多い。あなたが自分で歌ったり演じたりすることに関心がなかったとしても、技術的な仕事や運営の仕事をとおしてこの種のグループになお加わることができる。彼らはたいてい喜んであなたに仕事のやりかたを教えてくれるだろう。

 繰り返すが、援助に関して重要なのはあなたが何をするか、あるいは誰のためにあなたがするかではなく、あなたが決断し、そしてそれをすることである。

 

Forward Thinking

 心の動揺や怒りが有限なものであると認識することは、怒りに対処していくための大きな一歩である。

 もし私がforward thinkingを実践していなかったら――そして現在の身を焦がすような怒りの状態を越えた未来があるのだと自分を納得させることができなかったら、私は退院後の日々を乗り切ることがほとんど不可能だったろう。

 私の妹のマリアと私は、ぎっちり詰まった、そしてしばしば退屈なスケジュールに沿って行動していた。私たちの一日は平均して日あたり2人のドクターとの面会を含む、長くてくたびれるものだった。さまざまな医療機関への長時間の不快なドライブがあり、待合室でのいつ果てるともしれない時間があり、耐えねばならないあらゆる種類の検査と治療があった。

 無様に繰り返される、ストレスの溜まる日々のルーチンを憎むことに加えて、私は壊れていきつつある結婚生活と、来たる事件の公判と、これから受けなければいけない手術のことでも怒り、憂鬱になっていた。

 マリアも私とまったく同じくらい悲惨な状況にあった。彼女はニューヨークの友人や家族を恋しがり、大学院や授業を休んでいることで憂鬱になっていた。彼女もまた、ドクターや病院の果てしない巡回のサイクルに気を滅入らせ、疲れきっていた。そして彼女は怒った。

 時としてマリアの苛立ちは私に向けられているかにみえることもあった。結局のところマリアは、私の付き添いをボランティアで買って出ていなければ、こんな惨めな思いをすることもなかったのだ。しかし現実にはそれが私の責任ではないことを彼女は知っていて、私に対して腹を立てることのないよう一生懸命努力していた。

 私たちは二人の怒れるレディだった。もしも私たちが自分自身に――そしてお互いに――この惨めな状態は一時的なものだと常に言い聞かせていなかったら、私たちは二人とも自暴自棄に陥っていたかもしれない。

 私は未来のほうををみやり、私の人生のすべてはやがて良い方向へと変わっていくとの信念を持つことができるよう、自身に課した。怒りで我を忘れそうになったときは、自分に向かってこう言った、「テレサ、今から数か月後、あなたはこのいっさいに対してなおも怒りを感じているだろう。でもあなたは今ほどには怒っていない。それは今ほどにはあなたを傷つけない。あなたは今ほどには頻繁に怒りを爆発させない。時間はこのいっさいの怒りを癒していく助けになってくれるだろう」。私はこの自分で投与した気付け薬に関して半信半疑だったが、私はなにかを待ち望むことを必要としていたのである。

 マリアのforward thinkingの流儀は主として書くことによるものだった。何時間も彼女は日記を書き続けた。彼女はその日記をどこにでも持ち歩いた――どこにでもである。彼女は日記のなかに、今起こっている出来事だけではなく、未来のプランも書き記していた。

 マリアは彼女がしばしば「人生最悪の時」と呼ぶ日々にも、彼女がニューヨークに戻るはずの来たる冬の、こみいった、詳細で、おおがかりなプランを記していくことで、正気を保っていた。日記の新しいエントリーで彼女はいつでも、「今からたったの○○日」と書いていた。彼女が日にちだけに留まらず時間まで勘定にいれていなかったのは驚きである!

 彼女は具体的な目標を自分で定めた――たとえば、ニューヨークに戻ってから一カ月以内に仕事を見つけるといったような。そして、まだロスにいる間から、彼女の望む未来を現実にするための策を講じはじめた。彼女は100%満足がいくまで何枚も何枚もレジュメを清書した。そしてコピーを取ってニューヨークへと送り、彼女の女友達がそれを冬季の代理教師を必要としているほうぼうの学校に送った。まもなくして送ったレジュメの一枚が仕事のオファーにつながり、彼女の望んでいたゴールにいっそう早く到達することができたのだった。

 マリアはブルックリンに戻ったときに友だちのために催すクリスマスパーティの計画すら書いていた。汗のしたたる暑い8月の一日に、私は彼女がドクターの待合室に座って、祝日のお祝いのために必要なアイテムを書き留めているのを目にした。私はそれを読みながら、あっけに取られて首を振った。ヤドリギポインセチア、サンタの衣装、エッグノッグ、パインリース……。そのパーティはそれから何晩も経た先のことだったが、そうした具体的な計画を早いうちから立てることは、マリアを現在の不幸せな状況から救い出すことの役に立ったのである(そしてそれは現実にも素敵なパーティになった!)。

 マリアは彼女が本当に怒りを感じているとき、たとえば私たちが口論をした後や、私が大声で見苦しい癇癪をおこした後、あるいは私がさらなる手術を必要としていることを知らされた後に(それはさらなる回復の期間を私と過ごすことを彼女が耐え忍ばなければいけないことを意味していた)、もっともたくさん書いた。

 私たちは共に、言葉によるforward thinkingの数々を共有してもいた。事態が本当に過酷だったとき、私は言ったものだ、「元気出してよ、マリア、今からたったの○○日後よ」。

 私たちは「今日から1年後」と称するゲームも考案した。これはforward thinkingのための二人の共同の努力である。私たちのうちのどちらか、あるいは両方が激しい怒りを覚えたとき、私たちは歯をくいしばり、こう言う(もしくは時には怒鳴る)。「今日から1年後――――」。それから私たちは、空欄の「――――」の部分を、私たちがその時やっていると望むこと(あるいは現実的には、信じていること)で埋めるのである。妹はたとえばこう言う、「今日から1年後、私が生徒に英語のテストを受けさせていて、私の生徒はみんな試験に合格する」。あるいは私はこう言う、「今日から1年後、私はもう理学療法を受ける必要がなくなっている」。この単純なゲームは、怒りと緊張から私たちを解放することを助け、私たちが不和に陥ることを防いでくれた。

 ある日マリアが、私をいつでもどこにでも車で連れて行かなければならない(私の手はまだ固定されていた)ことに関して憤慨していたとき、私は言った、「マリア、今から1年後、私はあなたの授業が終わった頃、ニューヨーク大学の正門に車を止める。私は運転手とロールスロイスに乗っていて、あなたを町中ドライブに連れていく」。それは大げさで非現実的な考えのようにみえたが、蓋を開けてみればほとんど現実になったのである。

 1年を少し過ぎた後、私はニューヨークでプロジェクトの宣伝活動を行っていて、その日は企業がストレッチリムジンとドライバーを私に提供してくれていた。私はすぐさまブルックリンの妹を拾い、彼女をブロードウェイの昼興行に連れていった。それからジョーアレンで夕食を食べた。マリアは楽しんでいた。ドライバーが全行程を運転してくれた!

 ある日、マリアと私は、サンタモニカ裁判所に私の担当検事のマイク・ナイトを訪ねた。彼は私たちに、もし私を襲った男に最高の刑罰――20年――がくだされたとしても、現実には彼が6年以内に釈放されるだろうと説明した。じじつ、刑務所でのきわめて粗野なふるまいにもかかわらず、カリフォルニア州の定めた刑法のもとで、彼は1988年8月7日に自動的に釈放されることになっていた。仮出所にあたっての審理もいかなる審査も必要とはされていなかった。妹と私はともに激怒した。私たちは憤慨し、混乱し、制度への不満でいっぱいになった。しかし法は法であった。たとえそれを変えることができたとしても、過去に遡って適用されるわけではなかった。私たちは石のように押し黙ったまま車でロスへ戻った。私たちのforward thinkingは無意味にみえた。空欄を埋めることのできる文句が「ジャクソンは刑期の6分の1を消化するだろう」だけしか見当たらないというのに、どうしてわざわざ「今日から1年後」などとやらねばならないというのだ?

 家に着いてから一時間ほどして、のちに映画Victims for Victimsをプロデュースすることになる男性から電話があった。彼との会話のあと、私は妹のほうを向いてこう言った、「今日から1年後、私のストーリーが制作されている、もしくは制作の過程にある。この判決のバカバカしさがひとびとに暴露されると私は断言しよう。今日から1年後、何百万人ものひとびとが、私たちの法制度がどれだけの不公平を孕んでいるかに気づくことになる」。

 それは私たちをハッピーにはしなかったが、私たちの気分を改善させた。このforward thinkingは、私たちの怒りをおおいにありそうな未来の目標へと振り向けることに役立ったのである。

 1984年11月、映画の最後にNBCが流したエピローグのテロップが、私の加害者に対する判決の内容と、それが示している完全なる不公平を何百万人に知らしめることになった。