PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 2 The Aftermath 7/7

 犯罪被害に遭ったことは私を孤立し疎外された心境にした。時として私は自分自身をフリークだとみなすことさえあった。自分と同様の体験を生き抜いた人と話す必要を私は感じた。私は手本となる人物を渇望していた――回復して、ふつうの幸福な生活に復帰した健常な犯罪被害者をである。

  皆は私が問題を見事に乗り切ることができるだろうと言って、私を安心させようとした。精神科医も家族も友達も、私がいかに強い人間であるかを語り続け、私がそれを成し遂げられることを彼らが「知っている」ことを私に告げた。しかし彼らのうちの誰一人として、私と同じような体験をくぐり抜けたことのある者はなかった。私は証明を必要としていた。

  病院からの外出の折、まったくの偶然で、私は犯罪被害者のミリアム・シュナイダーに会った。彼女は私に、教室で撃たれて瀕死の重傷を負った経験のある学校教師だと自己紹介した。彼女もまた、肉体的、精神的苦痛の悪夢を生き延びてきた。しかし今彼女は、教鞭をとるかたわら10代の娘さんを育てて、充実した日々を過ごしている。ミリアムと私は日々の生き方という点では共通するところが少なかったが、犯罪被害者の立場で多くのことを語り合った。私たちはざっくばらんに真情を吐露し体験を比べ合い、すぐに私たちが同じ問題を、感情を、状況を、反応を経てきたことを理解した。私たちは電話番号を交換しさよならを言ったが、彼女との偶然の出会いは私に多大な影響を及ぼした。ミリアムは生き延びた、それゆえ、私もまた生き延びることができる。平行関係は美しくも明白だった。

  その同じ日に私は、犯罪被害者同士が互いに手を取り合うことのできる支援組織、Victims for Victimsの構想を打ち立てた。そのコンセプトのもとで実際に活動するにはまだあまりにも私の体調は悪すぎたが、それでも私は考えを紙に書き留めていった。Victims for Victimsが最初の公式会合を開くまでにはなお6カ月を待たねばならなかったが、私の心のなかでそれは既に現実のものだった。

  母は私とともに8週間の時を過ごし、私のあらゆるストレス、恐怖、苦痛、不安を共有してきた。いまや彼女はやつれ、疲れ果てていた。痛ましさを覚えた私は、母がニューヨークで父とともに過ごす必要があることを認識した。母に東部へ帰るよう促すのは、私にとって多くの勇気を要することだった。最初にその件を話し合ったとき、母は私がまだその用意ができていないのではないかと懸念して異を唱えた。しかし数日にわたる話し合いののち、母は私が一人きりにならないで済むよう手はずを整えておくことを条件に同意してくれた。

  私たちは、俳優を経済面で支援しているアメリカ俳優基金に連絡を取り、援助を求めた。イギー・ウォルフィントン氏が私の要望を理事会に掛け合い、ありがたいことに彼らは、彼らの費用持ちで私に専任の付き添いをつけることを約束してくれた。1年後に費用は州によって補償された。

  病院のそばに住んでいるかわいらしい女優のアンナ・マクドナルドが役目を引き受けた。彼女と会った後、母は私がよき庇護のもとに置かれるだろうことに安心した様子だった。5月の半ばに母はニューヨークへ帰っていった。またひとつの節目が訪れた。

  最初の数日間、私は母の不在に心が落ち着かず、睡眠薬の助けを借りてさえも眠ることができないほどだった。しかしアンナは一緒にいて楽しく、私たちはたくさんの関心事を共有していた。私は彼女の訪問を心待ちにするようになり、私の気分は上向きになっていった。

  私は母のことをとても恋しく思ったが、大人としての自由を取り戻すための大きな一歩を自分が踏み出したことも自覚していた。私を苦痛から守ってくれる「ママ」はもはやそこにはいなかったのだ。

  その頃までに、私はJウイングの看護師や看護助手の多くと仲良くなっていた。私の苦痛が衰えるにつれて、私のユーモアのセンスは完全に復調していた。私がスタッフを飛び跳ねさせ続けていたことは疑いの余地がない。私は怖かったり痛かったりしたときはけたたましい金切り声をあげ、楽しかったときはけたたましい笑い声をあげて、ふだんならば落ち着いた雰囲気のJウイングにおおいなるカオスを巻き起こしていた。

  見た目は厳格そうな婦長のジェーン・ブラドウは、蓋を開けてみれば素敵な女性だった。彼女のきびきびして真面目そうなふるまいが彼女の優しさを覆い隠していたのだ。私がだんだん健康になり親しみやすくなっていくにつれて、ジェーンは私に特別な関心を向け始めたようだった。彼女は休憩のたびにやって来て、私と長く親密な会話を交わした。長いおしゃべりのあいだ、私たちはお互いのやりとりを心から楽しんでいることに気づいた。ちょっと奇妙な友情が自然と育まれていった。看護師と役者の世界は遠くかけ離れていたが、まもなくして私は自分がジェーンとあるつながりを共有していることを知った。

  映画テレビ基金病院に私が来てから数週間ほど経ったある午後、ジェーンは私に、彼女もまた犯罪被害者であったことを打ち明けた。かつてのボーイフレンドが彼女を殴り、テーブルに投げ飛ばして、5ヶ月にわたる治療を要する怪我を負わせたことを彼女は私に語った。彼女がこの話を私にして以降、私たちはますます多くの時間をともに語り合いながら過ごすようになった。私たちはあとあとまで続く犯罪被害の影響についてよく話した。彼女の身に起こったことに対する彼女の反応についての話を聞いて、また、ミリアム・シュナイダーが私に言ったことを思い出して、私はなおいっそうはっきりと、暴力を受けた被害者が多くの共通する問題を経てきていることを認識した。ジェーンは私の抱いている被害者のための支援組織の構想を素晴らしいことだと考えて、手助けをすることを約束してくれた。

  ジェーンと私が仲良くなってから、残りのスタッフも私の周りですっかりくつろいだ様子をみせるようになった。彼らは夜間に私をナース・ステーションに招き入れ(それは病院の規則に反していた)、私は自分の出た映画や演劇のことを話したり、冗談を言って笑いあったりして彼らと遊んでいた。私は自分が口うるさい哀れな刺された被害者ではなく、「女の子たちの一人」であるかのように感じ始めていた。彼らのほうも、まくしたてる口ととめどなく流れる涙だけの存在ではない私のことを認めはじめていた。看護師の仕事をやっていくなかで日々直面する問題に関する、真に当事者の立場からの視点を私は得た。看護師の生業と彼らが向き合っている困難とを理解してからは、私はもうスタッフが私のことを疎んじているとは感じなくなった。私たちのあいだの誤解は一掃され、いまや彼らみなが私を応援してくれていた。

  現実世界にいる自分の姿を想像することはいつでも私を怖がらせたが、映画テレビ基金病院での最後の月となった6月に、「ねえ、なんとかそこでやっていけるんじゃないかしら!」と私は思い始めていた。災厄に打ち勝ったさらに多くの人々の本を私は読んだ。私が読んだ何人かの人々に刺激を受けて、私は新たな意欲とともに理学療法に取り組み、ほとんど使っていなかった足の筋肉をストレッチして、再び鍛え始めた。

  ささいなことのように見えるかもしれないが私にとってもっとも大きな偉業だったことのひとつが、レストランで快適な気分の食事ができるようになることだった。私はほとんど毎晩許可をもらって、病院の近くのどこかの場所で夕食を取った。私はこれらの店にいるが私を傷つけようとも、私を見ようとさえもしていないことを学ばねばならなかった。だんだんと私の自意識は薄れ、恐怖は弱まっていった。私は短い間であれば、同行者が電話を使ったりお手洗いに行く用のあるときに一人で椅子に座っていることもできるようになった。ゆっくりと、一歩一歩、私は外の世界に再順応していった。私はさまざまな終日の外出許可を得て、買い物に行ったり、友達の家を訪ねたり、映画を観に行ったりした。これらのなんの変哲もない楽しみが私をぞくぞくさせた。

  大量投薬の時期はもう終わっていた。私は自分の力でなんとか生きていくことを覚え、暗黒期に私を支えてくれていた薬との縁を断ち切りつつあった。ただの習慣で、あるいは本当に不安に駆られていたために鎮静剤へと手が伸びそうになったとき、私は自分で「根比べ」と呼ぶゲームをすることにしていた。少しでも長い時間、錠剤に手を出さないでいられるよう頑張ってみるゲームである。もしも通常より長く薬なしで辛抱することができた時は、自分にご褒美を与えることにした。新しい服を買ったり(もちろん掛けで。私の財政状態はそんな風だったので)、ばかでかいアイスクリームサンデーを食べたり。何はともあれ私は、何か特別なことを成し遂げたことに対して自分に報酬を与えるやり方を見つけた。それは私が自ら課した行動変容法のプランだった。そしてそれは機能した。私は長いこと薬の力に頼ってきた。いま私は自分の内なる力に頼る必要があった。たとえそのために自分で自分に賄賂を贈らなければいけなかったとしても!

  ウェインゴールド先生は私の退院について話し合い、その準備をすることに多くの時間を費やしていた。自由を再び取り戻すことができるという考えは私に高揚した気分を芽生えさせ、それは日増しに大きくなって、ついに私は心からその時を待ち焦がれるようになった。

  6月23日に、私は長い間世話になった病院のスタッフにお別れを言った。過ぎ去った3カ月半はすさまじい悪夢だったが、前に進みだす時が来た。私は映画テレビ基金病院の扉を開き、再び世界へと歩み出した――それまでの後始末をつけ、まったく新しい人生をはじめようと心に誓いながら。