PM:生き残ることのその先へ

Theresa Saldana『Beyond Survival』全訳

Beyond Survival - Chapter 3 Fear 1/6

第3章 恐怖(原書45~74頁)

 私たちはたいてい子供の頃に、「怪物」だとか「ブギーマン」だとかにおびえて夜中に泣きながら目を覚ますような時期を通り抜けるものである。両親はそんな私たちを慰めて、大丈夫だよ、怪物なんていないよと言ってくれる。じきに私たちは安心した気分になり、悪夢は遠のいていく。

 だが、私たちが子供の頃に怖れていた「ブギーマン」がある意味で実在するのだと分かったらどうなるだろう?

 生命を脅かすような攻撃を受けたあとに残る、制御不能の、骨まで凍り付くような恐怖を言葉にするのは難しい。それは、その強度と破壊力においてすさまじいばかりの、それとともに生きていくのは困難で、それを振り払うのはなおいっそう困難な、侮りがたい恐怖である。

 病院で、私は自分をあの時あの場所へ連れ戻し、私の正気を根底から揺るがすフラッシュバックに悩まされていた。何度も何度も、私は犯人の声を聞き、陽の光にきらめく刃を、ナイフが自分の体を刺し貫くのを感じたのである。

 襲撃後の何カ月もの間、恐怖は私の生活を支配していた。日によっては恐怖が私を麻痺させ、もっとも簡単な課題すら私に出来なくさせた。しばしば私は、病院の廊下に出ることすら覚束なくなった。警備の隙を突いて忍び込んだ知らない攻撃者がそばに潜み、私を襲おうと待ち構えていると信じきっていたからである。時として私は、金切り声をあげ、すすり泣き、ヒステリー状態の、どこからどう見ても正気を失った生き物へと退化してしまった。ほとんどいつでも、恐怖は私を子供のような依存状態へと逆戻りさせた。世界に向き合うことをあまりに怖れ、両親から離れることをあまりに怖れ、一人きりにされることを、それはもうあまりにも、あまりにも怖れていたのだ。

 そんな私を、恐怖に負け、恐怖に呑み込まれることを自らに許していると感じる人もいた。彼らの反応は私を混乱させ、傷付けた。なぜなら私は恐怖が私のもとから去ることを必死に欲していたからである。私は自分の自由が、統制力が、プライバシーが回復されることを欲していた

 しかし私の恐怖は、単に私が欲することだけで克服できるにはあまりにも強力なものだった。私にはゆっくりとしたよちよち歩きが必要だった。私は急かされてはならなかったのだ。そして何人かの私の善意の友人たちは、私をあまりに遠くへ、あまりに性急に、押し進めようとしたのである。

 たとえば、5月のある午後に私の友人のキャロルが私を映画テレビ基金病院からウェインゴールド先生の診察予約の場所へ車で連れていった。それは私が、病院のスタッフの付き添いを受けずに個人の車で外来患者として診察を受けに行く最初の機会だった。

 診察の後で私たちは昼食のため、先生のオフィスのある建物のカフェテリアに立ち寄った。私は以前そこで、通常私に付き添っていてくれる病院勤務の人たちと食事をしたことがあるので、わりあい落ち着いた気分だった。ところが食事の最中にキャロルは立ち上がり、駐車料金を払って来なくちゃと言った。びっくりした私は、「待って、私も行く!」と反射的に叫んだ。

 彼女は一瞬黙ったのちに、大声でこう言って私をぺしゃんこにした。「いやだテレサ、馬鹿言わないでよ。大丈夫、すぐに戻ってくるから」。そして彼女はさっさと走り去ってしまった。

 このやりとりを聞いていた近くの人たちが、私のことを好奇の目で見つめはじめた。そこに私はいた、げっそりと痩せ、青ざめて、無力で、腕に大きなギプスを巻かれ吊られて、手首には病院のIDを付けて。恥ずかしくなって私は手首のタグを袖の下に隠した。私は震えて、泣き出す寸前だった。ほどなくして、私はもはや自分の上に注がれたお客の視線に耐えられなくなった。

 そっといすから立ち上がると、私は即座に化粧室へ歩いていった。ためらいながらドアを開け、ソファーに優しそうな目をした中年の女性が座っているのを見て私は安堵した。わっと泣き出して私は彼女に事情を説明した。幸いにも彼女は親切な人で、私の話を同情とともに聞いてくれた。

 5分後に戻ってきたキャロルは私が化粧室にいるのを発見した。彼女が言わんとしたのはただ、「テレサ、私は知らない人といっしょにいることに慣れはじめることが、あなたにとってよいことだと思っていたの」だった。

 その時も今も、私は彼女に賛成できないという点において少しも変わることがない。あの屈辱的体験は私に恐怖を克服させることの助けにはまったくならなかった。それどころがあの出来事のおかげで、私が見守りなしで病院を外出することが出来るようになるまでに、さらなる2週間を要することになったのだ。

 恐怖からの自由を見つけ出すことは、急かしてはいけないプロセスである。恐怖を強制的に跳ね除けようとすることで、あなたは罅が入ってバラバラに壊れてしまう危険を冒すことになるのだ。

 私のケースはもちろん、極端だった。私はもしも自分が一人にされたら私は殺されるというような感覚をただ抱いていたのではない――私はそれをまったく確信していたのだ。そしてそれゆえに、誰かが私のもとを立ち去ろうとするほんの僅かなサインに対しても、私は猛烈に反抗した、たいていの場合、声を限りに。

 私は一人きりにされたからといって、現実の物理的な害は生じなかっただろうことを今では理解している。しかし、間違いなく私は心理的危険に曝されていただろう。そして私は、一人でいることを怖れ拒否する私の反応を促していた感情が、私自身のあり得べき限界点についての私に深く根差した知識からくるポジティブな本能だったことを認識している。もしも恐怖の瀬戸際で一人きりにされたら、私は完全に狂ってしまうか、自殺へと駆り立てられていくだろうと私は信じていた。

 そういうわけで私は自衛本能から、友人や血縁の人たちや雇われた同伴者に昼も夜も私のそばにいてくれるよう主張したのだった。

 女友達のひとりが言うところの「恐怖の囚人」に私がなってしまったことに対して、看護師の多くや、親友の一部までもが強いそして否定的な反応をみせた。彼らは私が不健康で、バランスを欠いて、他人に依存した状態のまま残りの人生を終えてしまうのではないかと感じていた。彼らはこんなことを言った。「テレサ、あなたの恐怖はトラブルを惹きつけて、あなたにいっそうの害をもたらしてしまう」。あるいはただこう言ったりもした。「そんなに怖がるのは止めて。あなたは赤ん坊みたいよ」。

 私は自分の恐怖を克服することを自分に強いて、何度も一人でいることを試みた。しかしそのたびに私は震え、戦き、ヒステリー寸前の状態に終わるのだった。これらの失敗経験は、私になおいっそうの罪悪感とみじめさを覚えさせた。強いられたストイシズムは恐怖からの解放へと向かう私の道筋でないことは明らかだった。

 

 同様の暴行被害を生き延びたほかの人たちと話すことで、私はある被害者にとって有効なやりかたがほかの被害者にとってはそうでないことを学んだ。ある種の人々はプライバシーを必要とするのだ、自分が冷静な状態で、再び事が起こったりするようなことはないと自分自身に言い聞かせるために。彼らには考える時間が必要で、それを一人ですることを求める。

 私が襲われてから10か月後、私はボストンで開かれたトークショーにゲストで呼ばれ、犯罪被害者としての自身の体験を語った。テープ録音のあとで、カレンと名乗る女性が私のところに来て、彼女は性的な暴行を受けた経験があると話した。

 この華奢なみかけの30歳くらいの女性は私に、レイプの後で彼女は休み、傷を癒すための、すべてひとりきりの時間を求めていたと語った。彼女はルームメイトとシェアしていたアパート(そこは暴行が行われた場所だった)を出て、新しくその近所にひとりで居を構えた。ボーイフレンドと別れて、裁縫や油彩画などの、ひとりでできる趣味に打ち込んだ。暴行から2年を経たその当時も、彼女はひとりで暮らしていた。しかし彼女は助言や人付き合いを求めはじめていた。

 最近カレンは性犯罪被害者治療センターでセラピーを開始した。そして私に、彼女の問題を友人や家族に話すよりセラピストに話すことのほうを好んでいると語った。カレンの心の傷は少しづつ癒えていった、そして彼女は、回復の過程の大半を自分ひとりで成し遂げたことを特に誇りとしている。

 カレンにとってはひとりでいることが正解だった。ほかの、私のような人間は、手助けや支えや人づきあいを必要とする。私の周りに常に人がいる状態を保っておくことは、恐怖に対する私の鎧だった。友人や家族や仲間の存在は、私が長期にわたる肉体的、心理的な治癒の過程を耐え抜くのに必要な安心感を提供してくれたのだ。

 恐怖のもつひとつの困った側面は、その伝染性の性質である。怯えている被害者の周りにいる人々は怖がる傾向がある。彼らは往々にして自分の恐怖を認めようとしない。自分の恐怖を抑え込むために、彼らは被害者の恐怖を見下すのだ。訪問者がこんなことを言って、あからさまな恐怖の発露をやめさせようとするのはよくあることである――「もう終わったことなの。心配するのは止めて、お願いだから。忘れなさい!」。なにゆえにか?彼らがそれを忘れたいからである。彼らは本当のところ、自分自身に向けて語りかけているのだ。

 これは理解し得る現象である。あなたが暴力的な攻撃を受けた誰かに向き合っているとき(特にそれが偶然の事件だった場合は)、あなたは同じことがあなたの身に、あるいはあなたの愛する人の身にも振りかかる可能性に直面することになる。

 私たちの多くは、都会でも地方でも同様に、ある種の不死身の感覚とともに日々の暮らしを送っている。安全に守られているというこの感覚によって、私たちは地下鉄に乗ったり、何千人もの見知らぬ群衆のなかでコンサートを鑑賞したり、子供を連れて公共の公園を散歩したりといったことができるようになる。私たちが暮らす社会のなかでつつがなくやっていくことをそれが私たちに可能にしている限りは、この感覚はみたところ基本的に健全で正常なものである。

 しかし私たちが暴力によって傷つけられた誰かを見たとき、とりわけそれが友人や愛する人であったとき、私たちは動揺させられる。目の前にあるのは、無視することのできないショッキングで恐るべき証拠である――犯罪は存在する、ただ存在するだけでなく、あなたの身近に存在するのだという事実の。

 仲間の犯罪被害者のダイアン・クレインは私に、犯罪被害に遭ったことでもっと苛立たしく、心を乱されたのは、友人のうちの何人かが彼女が恐怖について話そうとするのを完全に拒絶したことだったと語った。それについてちょっとでもふれることは――ダイアンは気づいた――彼らを不快にさせ、怒らせ、そして彼女の疑うところでは、彼ら自身を恐れさせるのだった。

 ダイアンは中西部に住む、20代の美しいブロンドのセールスレディである。彼女はたいへん成功していて、いっしょに住む男性と堅実で幸福な関係を持ち、家族とも仲が良い。

 2年前、彼女は自分の車を売りますという広告を地元の新聞に出した。アミーと名乗る女性が電話をかけてきて、車を買いたいと思っているが移動手段がないので、彼女の家まで車を運転してきてほしいとダイアンに頼んだ。

 ダイアンが教えられた住所に着いたとき、戸口に出てきたのは男性だった。彼は彼女を中に招き入れ、アミーは別の部屋にいると言った。ダイアンは居間に座り、男はちょっとした会話に彼女を引き込んだ。しかし15分が経って、ダイアンはアミーが現れるのを待っているのがいやになってきた。彼女は帰ろうとして立ち上がったが、その時男が背後に駆け寄り、腕を首に巻き付けて彼女を捕らえた。彼はコーヒーテーブルの下に隠してあったロープを引っ掴むと、彼女を後ろ手に縛った。男はダイアンに、彼女の車でカンザスへ行くと言った。彼女は出発前に、彼女の持ち物の二、三を車から降ろしてもらえるよう懇願した。それから彼はスカーフを取り出し、彼女の口にさるぐつわをはめた。

 男が車の停めてある裏庭へと向かったとき、ダイアンは家の前に走り出た。しかし犯人は彼女が逃げたことに気づいて彼女を追いかけ、荒々しく彼女を捕まえると、裏庭へ運んでいった。その途中でさるぐつわが外れて、ダイアンは助けを求める叫び声をあげはじめた。彼女は男が言った言葉を鮮明に覚えている、「騒ぐな。さもないと殺すぞ」。

 ダイアンは逃れようとして男と格闘したが、力で圧倒する男は彼女を地面に投げ飛ばし、重い鉄製のゲートで彼女の体を上から押さえつけた。彼女が恐怖と苦しさでうめき声をあげすすり泣くと、男は荒っぽい態度で、口を開かず絶対におとなしくしていろと警告した。次いで彼は、彼女の足を血流が止まるほどにきつく縛り上げた。

 それから彼女の心は「スイッチが切れた」と、ダイアンは形容している。その後の出来事は、ほとんど2週間先に到るまで彼女の記憶から失われている。彼女の身に起こったことの詳細は警察の捜査の過程でつなぎ合わされ、のちに彼女に伝えられた。

 彼女の事件を担当した刑事は、犯人は大きな木の板で彼女を激しく打ち据えたとダイアンに語った。血を流し意識を失ったダイアンを彼女の車のトランクに詰めて、男は荒地へと車を走らせた。そこで男は、もう死んだものと思った彼女を道路脇の溝に放置した。

 ほとんど人の往来のないそのルートを、二人の男性が車を運転して通りかかったのは奇跡的なことである。ダイアンの体に気づいた彼らは救急隊員を呼んだ。彼女は意識のない状態で最寄りの緊急治療室へ運ばれた。

 犯人はのちに逮捕され、収監された。刑事はダイアンに、新聞広告に反応した「アミー」という女は実のところ、彼女を殺そうとして捕まった男と同一人物だったと教えた。男は裏声をつかって、電話口で女に成りすましていたのである。

 ダイアンが体に受けた傷は、骨のひび、頭部の激しい外傷、歩いたり動いたり自分で食事をとることが出来なくなるほどのひどい打撲や裂傷などだった。犯人が彼女の頭に加えた粗暴な一撃は回復不能な嗅覚の喪失を招き、味覚の大半を損なわせた。

 現在、ダイアンは仕事に復帰し、彼女の会社のセールスのランクでトップを走っている。それでも彼女はなお恐怖とともに生きている。